第52話 52 テーマは人間讃歌
「ハイハーイ、御苦労さーん」
左手でランタンを拾い上げた霜山は、妙な節回しをつけてそう言いながら、うつ伏せになって
右手に握ったテーザーガンから追加で電流を流し込んでいるのか、数秒に一回のペースで玲次の手足が大きく跳ねる。
正視に堪えない絵面だが、目を逸らせばその隙に霜山がとんでもないことをやらかしそうな気がして、晃は奥歯を噛み締めながら状況の推移を見守る。
「狙いは悪くないけど、覚悟が足りないんだよなぁ……一人か二人を犠牲にする決断さえできれば、ボクを殺せたかも知れないのに」
もう五百円プラスで飲み放題メニューにビールが追加されますよ、くらいの感覚で霜山は自分も含めた人の死を語る。
何かゴソゴソやっているな、と晃が霜山の挙動を観察していると、不意にビリリッと妙な音が響いた。
今度は何をするつもりだ――と警戒心は急拡大するが、霜山が手にしているのは銀色のダクトテープだ。
「追い詰められたらやれるハズなのに、どうして『その先』に行けないんだろう。社会常識ってリミッターは、ホントに優秀だよねぇ」
誰に向けているでもなく答えを期待しているでもない、そんな感じの言葉を紡ぎながら霜山は玲次の手足をテープで固く拘束し、続けて頭部にも巻いていく。
まさか窒息させる気か――焦った晃は制止の声を上げかけるが、テーピング作業は視界を奪ったところで終了した。
一仕事終えた雰囲気で大きく息を吐いた霜山は、ランタンを道の脇に据えられた記念碑っぽいものの上に置くと、悠然とした足取りで元のポジションへと戻る。
一メートルほどの高さに光源が設置され、周りの状況がよく見えるようになった。
晃から霜山のいる辺りまでは七、八メートル。
霜山の近くでは優希と佳織が、一メートル半くらい開けて並んで跪(ひざまず)かされている。
玲次が転がされているのは、霜山から十メートルほど離れた地点で、晃からの直線距離で十五メートルといったところだ。
位置関係については、詳しく把握できた。
しかし、晃は肩と膝に重傷を負っていてまともに動けず、反撃に失敗した玲次は手足を拘束され目隠しまでされてしまった。
女性陣はそもそも戦闘力が期待できない上に、両手を前で縛られている。
そして、この場を支配している頭のオカシいデブは、拳銃とテーザーガンで武装している――詰んだ状況を打破できるアイデアを求め、晃は脂汗を流しながら頭を働かせる。
「クロとリョウはね、二人ともイイ線まで行ってたんだけど」
「何の……話だ……」
霜山に幕引きを決意させないように、晃は独白めいた言葉に反応しておく。
そんな晃をチラ見した霜山だが、話を始めずに小型拳銃に弾を込める。
一発、二発、三発と補充したところで予備の弾丸が品切れになったらしく、マガジンはグリップの中へと戻された。
残りは三発、か――いや、そう思わせるミスリードで、本当はまだマガジンに弾が残っているとか、予備の弾に余裕があるとか、そういう可能性も捨て切れない。
何せ相手の性格は、想像を絶する捻じ曲がり方をしているのだから。
晃が判断に迷いながら霜山の手元を凝視していると、妙な含み笑いが聞こえて来た。
「うっふふ、ふぁ、はぁ……ふふっ」
佳織だ。
恐怖と緊張の連続で、完全に壊れてしまっている気配だ。
どうにかしてやりたいが、今の晃にはどうすることもできない。
霜山が気まぐれに銃口を向けませんように、と密かに祈っておく程度が限界だ。
「つまらないねぇ。閉じ篭もるんじゃなくて、踏み越えるって選択肢もあるのに」
言葉の通り、つまらなそうに佳織を見下ろしながら、霜山は小さく頭を振る。
霜山が退屈しのぎに余計なことをするのを恐れ、晃は
「踏み越える……?」
「そう。常識だとか建前だとかの、秩序やら規律やらを守るための一線を越える。越えた先にあるのは、剥き出しの本性に、遠慮のない本音に、野放しにされた本能だ。
「それは……そんなもの、は……ただのケダモノだ」
「違う。わかってないね、アキラ君……自分は獣ではないと自身に信じ込ませるために欺瞞に欺瞞を重ねても、その心の中に醜悪なものを抱えたままでいる。それこそが人を人たらしめているものであって、それを被せられた皮膚も血肉も脂肪も
霜山の語ってくる言葉には、晃にとって共感できる部分は存在していない。
していないはずなのに、奇妙な説得力を有して耳に、心に、脳に、刺さってくる。
狂人に特有の熱に
正確な理由はわからないが、
「アキラ君とユキちゃんは、あの地下室だと悪くない感じだったのに、やっぱりつまらないことになってる。ガッカリだよ」
「……うぅ」
反論を試みようとする晃だが、自分たちがあの地下室で繰り広げた醜態の数々を思い出し、何も言えなくなってしまう。
さりげなく優希の方を窺ってみるが、俯いたままピクリとも動かないので、彼女がどんな顔をしているかはわからない。
「知り合った頃のクロは、本当に素晴らしかった。彼の撮っていたもの以上に、心を揺さ振る映像には出会ったことがない。最近のクロは何処にでもいる退屈なサディストに成り果てていたが……以前の彼は、間違いなくアーティストだったよ」
「ただの……変態だろ」
「衝動と衝迫を衝突させ衝撃を生み出す才があれば、その所有者は変態だろうと狂人だろうと白痴だろうと評価する。それこそが芸術に対する正しい姿勢だと思わないかい?」
「何を――」
フザケたことを。
そう抗議したかったのだが、もう口を開くのも
晃からの反論が力のない溜息に変わったのを確認した霜山は、病院が建っている方に視線を向けて話を続ける。
「女を犯して、殺したい。でも、殺せば高確率で捕まる。だけど、殺したい。そんなジレンマの果てに、クロはある方法を選択した。それは、相手の心を壊すことだ。考え得る限りの手段を駆使して、徹底的に。まずは名前を何度も何度も呼ぶ。自分の名前と、自分が
「……クズが」
晃の吐き捨て気味の呟きを無視し、霜山の薄汚い演説は続く。
「バースデーソングを歌わせたりジングルベルを歌わせたりと、イベントを絡ませる基本ネタも忘れない。相手が子供なら『お父さん』とか『先生』って呼ばせて、子供がいるなら『ママ』とか『お母さん』って呼んであげる、追加トラウマ要素も完備だ。そういえば『今日はお前が精液便所として生まれ変わった誕生日だ』と告げてから、クロが『おめでとう』を言い続けて相手に『ありがとう』と言わせ続けるサービスもやってたな。それをやられてる時の女の顔がまた、思い出すだけで軽く勃起するほどミジメでねぇ……まぁ、そんな感じでね、かつての彼の創意工夫には一線を越えた偉才の
気持ち悪い笑いを浮かべた霜山は、吐き気がしてくる内容を甘ったるい声で語る。
だが晃は、出来損ないの現代アートみたいにされたクロの死体を見ているせいか、それほどの怒りは湧いてこない。
ただ、こんな下劣な話を至近距離で聞かされている優希と佳織は、どれだけ不快にさせられていることやら。
「リョウも似たような逸脱を抱えてたんだけど……ああ、彼の場合はブレーキをかけずに暴力を振るいたいだけで、別に誰かを殺したいってワケじゃない。結果的に死んだり不具になったりはあるけど、それはそれとして。各種武術を習っては破門されるのを繰り返してから、何でもアリを掲げた地下格闘技に参加したんだけど、結局はルールのあるケンカなんで、そこまでの無茶は許されない。それじゃあ法の外だ、とヤクザだかヤクザまがいだかの用心棒になったけど、そっちも今は下が暴れれば上が引っ張られるシステムが出来上がってるし、どこもかしこも金儲けがメインで実力行使は下の下。リョウの仕事といったら、ただ突っ立って威圧感をアピールすることだけだったらしいよ」
用意した原稿を読み上げるようなスムーズさで、霜山はリョウの来歴をペラペラ語る。
そこまで暴力に魅せられた理由、というのが気にならなくもない晃だったが、訊いたところでロクでもない返事しか期待できないだろうから黙っておいた。
「それでリョウが欲求を満たすために選んだ方法は、軽いトラブルを起こした後、相手からケンカを売らせて返り討ちにすることだ。普通ならあの体格を警戒して揉め事は避けるんだろうけど、酔っ払いや女連れ、それに三人以上のグループの場合、厚着で筋肉を隠しとくと結構な確率で釣れるんだとか」
「だけど……そんなん、すぐ捕まるだろ」
「圧倒的な暴力と、それによって喚起された恐怖は、どうやっても拭い去ることは不可能だ。また同じ目に遭うことを想像したら、中々警察沙汰にする気になれないだろうね。ついでに、あんな図体の癖にワリと小心者のリョウが、相手の身分証を没収してたのも保険になってたかも。まぁ、やりすぎた時も掃除屋で何とでもなるしね」
掃除屋というのは、ハリウッド映画に出てくるような、事件を揉み消したり死体を処理したりする連中のことか。
タランティーノ映画のワンシーンを思い出しながら、日常から解離した世界に生きている霜山たちに、晃は改めて血の気が引く思いがする。
実際問題、出血多量で物理的にも青褪めているのだが。
「リョウもねぇ、何をやっても大丈夫な環境を与えたら、クロと同じで頭を使わずに人を殺すだけのつまんない奴になっちゃった。哀しいけど……行き過ぎた自由ってのは、人間を精神的にも知的にも堕落させる猛毒なのかもね」
世の無常を憂うように、霜山は天を仰いで溜息を吐く。
そんな芝居がかった態度に、晃は厭な予感を募らせる。
クロとリョウの話は多分、これで終わった――次は何をやらかすつもりだ。
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