第34話 34 ダクトテープ万能説

 左の肩と、それから腰に連続して痛みが走った。

 ミニライトは手から滑り落ちて宙を舞い、数秒後にショボい衝突音を立てる。

 直後、左の肩甲骨を起点にして背中全体に衝撃が広がり、視界は目まぐるしく移動させられる。


「ヒィイイイイッ、アアアアアッ――アアアアアアアアアアアアアッ!」


 優希のかすれた悲鳴を耳にしたことで、晃は自分の身に凶事が起きつつあることを認識した。

 尋常じゃないトラブルを立て続けに体験したせいで、危機感が麻痺してしまっているようだ。

 これはマズいかもな、と思っていると輪をかけてマズい感覚が腹部に広がった。

 重たく突き刺さってくる痛み――明らかに攻撃を受けている。


 どうやら、床に仰向けに転がされたようだ。

 そう知覚するのとほぼ同時に、下腹に何かが降ってくる衝撃が。

 暗くてよく見えない、が――誰かがし掛かっているのか。

 リョウやクロに先回りされたとも思えないし、何でこんなことに。

 状況を理解しかねながらも、とにかく危険なことだけは理解できた晃は、まず襲撃者の撃退を試みる。


 右脚をカチ上げて体勢を変えようとしたが、両腿りょうももに体重をかけられているせいか、上手く力を入れられない。

 こちらの仕掛けに反応するように、生臭い息が顔に降ってくる。

 まだ新しい、血の臭い。

 なまぐささに釣られて目線を動かすと、月の光が相手のシルエットを映し出している。

 右手に持った細長い棒のようなもの、それが晃に向けて振り翳されていた。


「んふぉあっ!」

「がぁあああああっ!」


 変な気合の声と共に、晃は上体を無理やり左横にずらす。

 気合の声とダブって、憎悪の籠もった怒声が放射される。

 突き下ろされた筒状の何かは、晃の右頬を浅くえぐって床にぶつかり、鈍い音を立てながら跳ね返された。

 揉み合いで撹拌かくはんされた砂埃が目に入り、覚束おぼつかない晃の視界を更に奪っていく。


「んだっ、しゃぁああああああっ!」

「ばぅふ――」


 苦し紛れに放った晃の掌底しょうていが、確かな手応えを残して振り抜かれた。

 相手の発した意味を成さない声の後、体にかかっていた重さが消えたので、腰を跳ね上げて自由を回復しようとする。

 その目的は成功したようで、相手は体制を崩しかけて得物えものを手放した。

 金属製の凶器が、硬質の音を地味に鳴らす。


 立ち上がった晃は熱と痛みを発する右頬を拭い、目をこすりながら相手の姿を確認する。

 汚れた窓から届けられる淡すぎる月明かりでは、輪郭程度しかわからない。

 砂埃を顔に浴びたせいでまだ涙目になったまま、いうのもある。

 それでも、自分と同年代で似た体格の男だというのは把握できた。

 切れ切れに息をしながら、怨念を込めた視線をこちらに向けている――ような気がする。


「何なのっ? 誰なのあんたっ! もうやだよぅ、ううっ!」

「……ぅん?」


 ショック状態から回復したらしい優希が、ヒステリックにわめく。

 すると、相手の様子に変化があった。

 自分が襲った相手が女連れだったことに、今このタイミングで気が付いた、みたいな感じの戸惑いを含んだ気配。

 これはもしかして、話してみればどうにかなるパターンか。

 そんな空気を読み取った晃は、呼吸を落ち着かせてから問いを投げてみる。


「お前は、アレか……カズヤの仲間か」

「……ハァ? 誰だよ、それ」


 霜山達とも自分達とも翔騎達とも関係ない、思い付きの名前を出して様子を窺うが、ごく普通の反応が返ってきた。

 声の調子には、たっぷりの警戒感と敵意が滲んでいる。

 常識的に考えれば翔騎の仲間なんだろうが、安心してそう判断できる材料が欲しい。

 晃がそんなことを考えて言葉を詰まらせていると、優希が代わって話を始める。


「ちょっと落ち着こう、ね……こっちは今、頭のおかしい人殺し連中から逃げてる最中。私が優希で、彼は晃。そっちはどうしたの」

「俺は……そこの部屋に、縛られて、入れられた。あの糞アロハ……あいつに」

「クロ、ね。あなたの名前は? 一人でここに来たの?」

「名前は、ダイスケ……ここに来た時は四人……だった、けど」

「けど?」

「死んだ――殺さ、殺されたっ! あいつらにっ!」


 そう吐き出しながら拳槌で壁を叩くダイスケは、再び興奮状態に陥っているようだ。

 両手をまだらに染めている赤黒い色は、乾きかけた血のようだ。

 少し落ち着くまで待って、今度は晃が話を引き継ぐ。

 

「あの、軍人みたいな奴の仕業、か?」

「ああっ! あいつだ! リョウって呼ばれてた! それとあの、くせぇ煙草吸ってる、アロハ野郎! それをやらせてたのが、あの小太りのっ――あいつが!」

「霜山、な。あいつが多分リーダーだ」

「シモヤマ……シモヤマ、ってのか。シモヤマ……」


 霜山の名前を知らなかったらしいダイスケは、呪いを込めるかのように何度も何度もその四文字を呟く。

 ダイスケは不安定さ抜群な雰囲気だったが、のんびりもしていられない晃は、状況整理のための情報交換を続ける。


 犯人グループの気まぐれで逃がされ、とりあえず病院の脱出を目指していたこと。

 慶太、玲次、佳織という仲間三人が捕まっていること。

 そちらの仲間らしい、タケ、サクラ、翔騎は全員が殺害されたこと。

 ここまでは車で来たが、キーはないし駐車場所までかなり距離があること。

 逃がされるまでの自分と優希のゴタゴタや、翔騎が慶太の手で殺された事実などは省きながら、晃は要点だけをダイスケに語る。


 タケについては知っていたが、サクラと翔騎の死をここで知ったらしいダイスケは、激しい動揺を見せながらも、晃と優希に問われて何があったのかを伝えてくる。

 病院の怪談については詳しく知らず、廃墟の探検がメインだった。

 ここまではワゴンRで来て運転はタケが担当、鍵はどこに行ったか分からない。

 探索の途中で霜山達に遭遇し、連中は最初はフレンドリーだったものの途中で豹変し、ダイスケたちはそれぞれが仲間を人質に取られて、奴らの『ふざけた遊び』に付き合わされた。


「――それで、俺はあいつ、クロに連れられて、そっちの……慶太だっけ? その人と闘えって言われて。何とか事情を説明したかったけど、監視されてて上手く行かなくて……その、慶太に気絶させられたらしくて、気付いたら縛られてここに」


 言いながら、ダイスケは自分が飛び出してきた部屋を指差す。

 どうしてワザワザ一人だけをこんな場所に放置するんだ、という尤もな疑問が晃の頭に浮かぶが、すぐさま連中のやることに整合性を見出そうとしても無駄だ、という散々に思い知らされた事実に辿り着く。


 床に転がされたライトを拾い、切れていたスイッチを入れてみる。

 カバー部分に薄くヒビが走っているが、問題なく使えるようだ。

 そもそもの性能が低すぎる、という問題についてはどうにもならないだろうが。

 そのライトでもって、晃は部屋の中を照らしてみる。


 銀色のテープがベタベタ張り付いた椅子が床に横倒しになり、その傍らには壊されたばかりに見える電話機と何かのモニター、それが乗っていたであろうアチコチがへこんだスチール机、一部が血に塗れている物品棚――

 どうやらダイスケは、テープで縛り付けられていた椅子から大暴れで抜け出した後、棚の出っ張ったネジを使ってタイラップを引きちぎる、というワイルドな方法を採用したらしい。


「で、どうするよダイスケ。ここから逃げた後、何かアイデアは」

「とりあえず、ここから出て……ここから出よう」


 晃といい勝負なダイスケのノープランぶりに、優希から小さな溜息が盛れる。

 敢えて無視して頷き返した晃は足早に通用口へと向かい、玲次が数時間前にノリノリで開けた錆びた扉のノブを握る。

 そして、食い縛った奥歯をきしらせながら下に引いた。

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