第33話 33 帰りたい二人
辺りが薄暗い上に足元には障害物が多いので、普通に歩いているだけでも結構な注意力を要求される。
窓はなく、蛍光灯も仕事をしていなかった。
そしてこんびにで買った六百八十円(税抜)のミニライトは、腹が立つほどにショボい光しか発してくれなかったので、スイッチを切ってポケットに捻じ込んだ。
ここはどこだろうか。
病院の中なのは間違いないが、意識を失っている間に移動させられたせいで、位置関係がまるで把握できていない。
死体を発見した後、リョウと遭遇して戦闘になったけども軽々と惨敗したのは、二階フロアでの出来事だ。
慶太の持っていた見取り図に、今いる場所は記されていただろうか。
一人で考えていても不安が募るばかりだったので、有益な返事は期待できないながらも、晃は優希に訊ねてみる。
「ここ……どこだか分かる?」
「知らない、けど……地下じゃないかな? 何となく、雰囲気的に」
想像以上にフワフワした答えが返ってきた。
だけど、地下というイメージは晃にもシックリ来た。
一階や二階と違って電気的な設備が稼動していたり、用途の分からない部屋が存在していたり、入院患者やその家族から不興を買いそうな、刑務所チックな鉄格子ドアの存在などは、直感的にアンダーグラウンドを連想させる。
「とにかく……見覚えのある場所を目指そう」
「うん」
晒さなくいい心の奥底の部分まで晒し尽くしてしまったせいか、晃と優希のやり取りには遠慮がなくなっていた。
ついでに信頼関係や好感度も完全に消えてなくなっているので、心の距離感には途轍もない開きがあるのだが。
晃としては、まずは外に出て優希だけでも逃がしたい、と考えている。
本人に言ったら、さっきまでの
カッコつけたい心理や、下心の存在があるでもなく、単純にそう思っている。
極限状態に追い詰められて、消去法の果てに優希を犠牲者に仕立てはしたが、基本的には善良なのだ。
一方の優希は、まだ混乱から精神的な立ち直りを果たしておらず、冷静な判断や理知的な思考ができる状況にない。
昼間の
これまでに優希が目撃したことのある最大の暴力は、中学校で起きたクラスメイトの男子同士の殴り合いだ。
友人のジャレ合いがエスカレートした末の喧嘩で、片方がちょっと鼻血を出ただけで終わった。
そんな人間が、友人の参加する本気の殺し合いを見せ付けられた末に、自分も殺人の被害者になりかける衝撃体験をすれば、おかしくなるのもやむを得ない。
「上との行き来は階段か、
男性用、女性用と並んだトイレの横を通り過ぎながら、晃は
優希に話しかけたのに返事がなかったから、結果的にそうなっただけなのだが。
足音の他に、低い振動音がどこからともなく伝わってきている気がする。
電気は止まっているだろうから、発電機でも動かしているのだろうか。
そんなことを考えていると、ガンッ、と硬いものに硬いものがぶつかる音がして、晃は周囲を見回す――優希は首を竦めて固まっている。
「――てくれっ! アキラッ! ぅアキッ――」
切迫した男の叫び声だ――玲次の発したもの、だろうか。
晃の名が呼ばれていたが、その内容までは判別できない。
しばらくすると、もう一度さっきと似た音がして、その後は静まり返った。
どうすればいいのか、と優希の方を晃が窺ってみると、固まった姿勢のまま細かく首を横に振ってくる。
無視するしかない、と晃にも分かってはいるが、それを他人にも追認してもらえると随分と楽になった。
残された三人の状況はどうやら、かなりまずいことになっているようだ。
急いで何とかする必要があるが、何をどうすればいいのかは思いばない。
またもや焦燥感によって頭がショートしかけるも、まずは優希の安全を確保しなければ、という思いがギリギリのところで晃の正気を保たせてくれる。
「あ……ここの先、じゃない」
「ん、これは……防火扉?」
優希が指差したのは、壁かと思ったが閉まっている防火扉だった。
階段と防火扉はセット、というおぼろげな記憶は晃にもある。
妙な形の取っ手を掴み、二重になっているドアの小さい方を押し開けると、明かりのまるでない空間に出た。
晃がポケットのミニライトを取り出して点灯すると、とうとう探し求めていた階段との対面が叶った。
駆け上がりたい気分の晃だったが、優希に配慮して足元を照らしつつゆっくりと上階を目指す。
階段のつながっていた先は、見覚えのない広い部屋だった。
頼りないライトで照らしてみると、横倒しになったスチール机や、底の剥がれたスリッパなどが確認できた。
そんなに荒らされてはいない様子だが、ここがどういう場所なのかはパッと見では分からない。
「ぃたっ――」
「ゴチャゴチャしてるから、気をつけて」
何かに躓いて転びかけた優希に、晃はぞんざいに声をかける。
優希が引っかかったものに明かりを向けると、随分と古そうな型のパソコンが転がっていた。
雰囲気的に、医療事務とかそういう類の業務を行っていた場所、なのだろうか。
曖昧な知識を掘り返しつつ晃は周囲を探り、見つけたドアを無造作に開ける。
「ここは……」
「正面玄関のとこ、じゃないかな」
シャッターの下りたガラスドア、受付らしきカウンター、開放感のある広めの空間、壁際に積み上げられた長椅子。
確かに、病院の入口付近という要素が揃っていた。
汚れているのかフィルムがかかっているのか、窓から外はよく見えないが、ボンヤリと月明かりが入ってきているので、地上に出ていることは間違いない。
ここが正面入口だとすると、自分らの入ってきた非常口はどっちだ。
晃が思い出そうとしていると、背中をキュッと
「うぉ! な、何だばっ?」
「B棟は正面玄関の右、だったはず。だからまず奥に行って、それから右に行けばいい……と思う」
「お……おぅ、そうだな。そうだった」
晃の記憶は不確かだったが、優希が断言するからには多分そうなのだろう、と判断して奥の方へと向かう。
ライトの数と人の数が大幅に減ったことによって、随分と薄気味悪い道行きになっていた。
慶太が目指していたのは、こういうノリでの廃病院探検だったのだろうか。
今更になって肝試しでもないし、試すべきキモなど完全に潰されているけど――そんな益体もないことを考えつつ、晃は無言の優希を先導する。
数分もせずに、見覚えのある場所に出た。
半端な広さのホール――やつらのリーダーである霜山と遭遇することになった診察室、そこに誘い込まれるきっかけになった音を耳にした場所だ。
あの時、不自然すぎる霜山をもっと警戒していれば。
後悔してもしきれない自責の念に駆られている晃の背後から、重たい溜息の音が聴こえる。
優希もまた、場の空気を無視してでも撤退を要求し続ければ良かった、などと考えているのだろうか。
それをわざわざ確かめるようなことはせず、晃は渡り廊下の方へと歩を進める。
「病院の外に出て……それから、どうするの」
「車に戻ってもキーがない、よな……坂道の間に公衆電話とか、あったかな」
「記憶にない、なぁ。民家もなさそうだし、コンビニまでは車でも結構あるし……どうしよう。どうすればいい?」
不安げな優希に問われるが、晃には何も答えることができない。
頭をフルに回転させても、とにかくこの病院から離れて、車道に出たらどうにかして通りすがりの車を停めて、携帯を借りて通報――そんな偶然に頼ったアイデアとも呼べないアイデアしか浮かばなかったから。
安心させたくても、自分の恐怖心すら宥められない状況では無理だ。
「とにかく、だよ。ここを出れば――」
効果の薄そうな気休めの言葉を晃が発しようとした途中。
右側に並んだドアの一つが急に開く。
プレートの表示が赤スプレーで塗り潰されていた、鍵のかかった部屋だ。
何事だ、と反射的にそちらを見ようとするが、晃の視線は強制的に天井へと向けさせられた。
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