第32話 32 お前とお前は帰ってよし

 無限にも思える一瞬が経過し、霜山の下した最終決定が音声化される。


「選ばれた二人は……もう、帰っていいよ」


 言われたことの意味が飲み込めず、晃はただポカンと口を開けていた。

 優希もまた、目の前に唐突にリカちゃん人形をブラ下げられたような、どう解釈していいのかわからない、といった様子で首を傾げている。

 このタイミングで告げられる「帰っていい」は、一体どういう意味なのか。

 困惑を主成分にした沈黙が一分近く続いた後、霜山は頭を掻きながら言う。 


「あれ、伝わってないかな? だから、帰っていいって」

「ぅあの、それは……どういう」

「どうもこうも、もういいんだって。キミとアキラ君はここから出て行っていい。これでバイバイだ」

「ババイババイババ、バイバイキーンだ」


 心理的な動揺で音量調節がバカになっているのか、無駄に大声で訊く優希。

 そんな彼女に、霜山は小さく手を振りながら答え、クロは無意味で下らないことを元気一杯に言う。

 普通に考えれば、希望を持たせておいて「やっぱナシで」という流れにして絶望を深める、というイヤガラセを疑う。


 だが、ここでそんなパターンを持ち出すのは、流石にしつこすぎる気がしなくもない。

 騙されるのは、もう何度目だ。

 期待を裏切られるのは何回目だ。

 いい加減に感覚が麻痺してきて、当事者である晃としても「ハイハイそうですか」的な捨て鉢な気分にしかならない。

 なので特に反応せずにボーっと立っていたら、いつの間にか近付いてきたリョウが晃のポケットに手を突っ込み始めた。


「うぉ――なっ、何だ?」

「念のため、没収しとくわ」


 スマホとサイフ、それとコンビニで買ったミニライトが抜き出される。

 リョウはライトだけを投げ返すと、優希のところへ向かって同じ事を繰り返す。

 これはもしかして、本気で逃がしてくれるつもりなのか――いや、そう思わせておいて目の前でスマホを壊して終わり、とかそういうやつかも。

 不信感の塊となっている晃が、次は何をされるのかと身構える。

 優希の所持品を没収したリョウは、慶太の指を切断したナイフを再び持ち出した。


「うっ――」

「落ち着け、そうビビんな」


 惨劇を予感し、反射的に呻き声を上げた晃にウインクすると、リョウは手にしたナイフで優希を縛っていたタイラップを切り離す。

 腕ごと斬る、みたいなデタラメさを発揮することなく、ごく普通に。

 久々に両手の自由を回復した優希は、赤くなった手首をさすりつつ立ち上がり、眉根を寄せて霜山とリョウとクロを順繰りに見ていく。


「それじゃあ、お疲れー」

「バッハハーイ」


 生まれたてのトムソンガゼルのように、フラつきながら辺りを見回す優希に、リョウとクロはふざけた態度で別れを告げる。

 何だこれ、としか言いようのない展開に、晃は思考停止するしかない。

 やはり急展開に脳がついていってないのか、慶太と玲次と佳織も揃って口を半開きにしているばかりだ。


「えっ、あの……えっ?」


 一縷の望みを託した感じで、優希は晃の方を窺ってくる。

 しかし、晃としても何事が進行しているのかを把握し切れておらず、自信なさげに頭を振ることしかできない。

 そんなコミュニケーション不全を繰り広げていると、晃は急にシャツの襟首を背中側から掴まれた。


「おぅふぁ?」

「はいはーい、お帰りはコチラーん」

「ちょっ、そんな、待っ――」


 ミリッ、と布地が裂ける音がする。

 抗議の声はシカトされ、ドアの方へと体が引きずられる。

 晃と同様に優希も追い立てられ、二人は今まで監禁されていた部屋の外へと、文字通りに放り出された。

 晃が四つん這いになって唖然としていると、強めの蹴りが尻に入った。

 予期せぬ一撃に、顔から床に突っ込んでしまう。


「はぉうっ!」

「ホラ、グズグズしてねぇで早く帰れ。霜山さんの話、聞いてただろ」

「ひゃいっ、きゃ――か、かえりまふっ!」


 何故かアニメ声っぽくなっている優希が、晃に代わって答える。

 濃厚な鉄の味を感じながら晃は体を起こし、右の掌で顔を拭う。

 かなりの赤みで指が染まる――鼻と口から出血があるようだ。

 

「あそこの、扉の先に行け。それで、全部を忘れろ。次に会ったら……わかるな」

 

 晃と優希は、感情の入っていないリョウの言葉に何度も何度も頷き返す。

 それから小走りに廊下の先にある鉄格子の扉を抜けて、薄暗い病院のどこだか分からない場所へとよろめき出た。

 背後から、鉄の扉が雑に閉められる音が響く。


 しばらくの間、互いが立てる乱れた呼吸音と、喧しい心臓の音しか聴こえなかった。

 それが鎮まってきた辺りで、晃は優希の様子を窺う。

 まだ恐怖と興奮が収まっていないらしく、両手を交差させて自分の肩を抱き、喘息ぜんそくめいた濁った音を派手に鳴らし続けた。


 二分ほど後、ようやく落ち着いた優希は、自分を見つめている晃の視線に気付く。

 互いに互いの死を望んでしまった、という気まずいにも限度がある関係性は修復のしようもないが、そうも言っていられない状況だ。

 表現の難しい感情をひらめかせる優希だったが、勢い良くかぶりを振って髪を乱した後、長い深呼吸を一つしてから晃に問いかける。


「……どうすんの」

「どうするって……何が」

「何って……これから」


 滑らかさのまるでない、途切れ途切れの会話。

 しかし、優希の質問は根本的で重要だ。

 連中の気まぐれか、イヤガラセの一環か、理由はよく分からないが晃と優希は自由の身になった。

 それで、これからどうするのか。

 様々なシミュレートが晃の頭の中に浮かぶが、焦燥と緊張がまだ神経を掻き乱しているせいか、上手く思考がまとまらない。


 現実的な選択肢なら、逃げて助けを呼ぶの一択だろう。

 だがあいつらの性格からして、それを選んだ場合は慶太と玲次と佳織が死体になって発見されるに違いない。

 ならば、こちらから反撃して三人の身柄を確保するか。

 だがそうしようにも、救出を成功させられる筋道は全く浮かんでこなかった。

 

「とりあえず、ここから離れよう」

「……そうね」


 晃の提案に、優希も同意する。

 自然と急ぎ足になりつつ、二人は一生忘れられないであろう光景を山ほど見せられた部屋から遠ざかった。

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