第16話 16 ひとごろし

 何かって、何なんだよ。

 晃が意味のない自問をしながらライトを向けると、『保護室』と書かれた部屋のドアが開いているのがわかった。

 サイズのおかしい人影が、光の輪の中に浮かび上がっている。


「うるせぇ――」


 低い声を発した影は、巨体に似合わぬ瞬発力で、二歩、三歩と跳ぶ。


「――んだよっ、とぉ」


 最後の一音と共に放たれた右足からの蹴りが、耳障りな機械音をがなり立てていた玲次のライトを吹き飛ばす。

 無回転の低い弾道で廊下の先へと飛び去ったそれは、数秒後に破砕音を響かせて機能を停止した。

 恐らくは優希が持っていたのと同様、二度と使い物にならないだろう。


 残された唯一の明かりで、晃は唐突に現れた人影の正体を識別しようと試みる。

 身長はとにかくデカい――二メートル近く、あるんじゃなかろうか。

 頭はスキンヘッドで、もみ上げと口の周りと顎が整えられた髭でつながっていて、鼻は高く唇は厚ぼったい。

 クッキリとした二重瞼は眠そうにタレ気味だが、眼光は男のまともじゃない神経を隠しきれてない鋭利さだ。

 パーツの全てが大きい体格は、生物としてのポテンシャルの差を見せつけるかの如く、尋常ではない威圧感を生じさせている。


 慶太でも一般的にはゴツい体型に分類されるのだが、同じカテゴリに入れるのが躊躇われるレベルで、腕と脚が太く胸板も分厚い。

 そんな過剰な肉体の持ち主が、オリーブドラブ色のタンクトップと森林迷彩のカーゴパンツ、そして黒光りするコンバットブーツを身につけ、晃達を文字通りに見下ろしていた。

 外見の印象としては職業軍人、さもなければプロレスラーか格闘家。

 それ以外の仕事だとすれば、筋肉の無駄遣いもはなはだしい。


「こんな夜中にうるさくしてると、近所迷惑だろ?」


 冗談なのか何なのか、言いながら男は口の両端をニカッと吊り上げる。

 こいつを一刻も早くどうにかしなければ、本気で命が危うい。

 晃の本能は警鐘を乱れ打ちにしているが、男の身体能力を考えると逃げるにしても迂闊うかつには動けない。

 とりあえず優希だけでも、安全な場所に避難させなければ。

 そう考えて混乱する頭をフル稼働させていると、玲次が大きく息を吐いてから筋肉男に訊いた。


「……アンタが、殺したのか」


 男からは否定するでも肯定するでもない、「くふっ」という感じの、くぐもった笑いだけが返ってくる。

 余裕の表情を一足飛びに通り越して、小馬鹿にしているのに近い態度だ。


「だからっ! 処置室のアレさぁ、アンタの仕業なんだろっ?」


 玲次が質問を重ねるが、男は肩をすくめて両手を持ち上げる欧米人っぽいジェスチャーに、猛烈にムカつく変顔をプラスして無言で煽ってくる。


「言っとくがな、オレらは八人でココ来てるし……後から追加で三人か四人、来るぞ」

「んっふっふ、総勢十五人か。そいつはおっかねえわ。ウンコさん漏らしそうだ」


 怯んだ様子など欠片もなく、男は笑いながら玲次のハッタリを受け流していた。

 容姿に相応しい低くて芯のある太い声が、毒気を伴って腹の奥に刺さってくる。

 処置室の死体に関係あるかどうか以前の問題として、こいつの物騒さは間違いなく桁外れだ。


「調子乗ってんなよ、コラ」

「おい、玲次……」


 兄の慶太と共に空手を習っていた経験があるにしても――いや、その経験があるだけに、相手とのレベルの違いは理解できているはずだし、玲次は今の危機的状況を察知しているとばかり思っていたが、何故かやけに荒ぶった動きを見せている。

 廃墟探検の末に死体を発見、なんていう非日常体験にテンパっての所業か。


「まぁそう熱くなんな、レイージくん」

「あぁ?」


 ルイージみたいなイントネーションで名を呼ばれ、玲次が不機嫌さを全開に反応する。

 晃は胃が劇的に重くなるのを感じつつ、隠れるように自分の後ろに回っている優希にこそっと囁く。


「ちょっとヤバそうだ。始まったら、下に逃げて」

「……うん」


 消え入りそうな返事からして、優希もまた玲次とは別方向で盛大にテンパッているようだ。

 そう晃は判断し、被害を最小に抑えてこの場を切り抜ける方法を必死に探す。


「ケータくんとカオリちゃんも待ってるからさ、一緒に来なよ」


 晃の努力は、男が何気なく口にしたその言葉が軽々と粉砕した。

 場の空気が瞬時に張り詰め、途端に破裂する。


「なっ……何でそこでっ、アニキとカオリさんの名前が出てくんだよ! テメェ、二人に何しやがった? あぁ、オイ!」

「何もしてねぇよ。あくまでも俺は、な」


 それはつまり、男の仲間が慶太と佳織に何かをした、ということか。

 確信に近い不吉な予感に囚われ、晃の心臓は過活動を開始したらしく、鼓動音が耳にうるさい。

 頭には血が上り、背中には冷汗が噴き出し、呼吸と思考も果てしなく乱れる。

 ダメだ、これはダメなパターンだ、とにかく落ち着け――

 ここは落ち着かなければ、自分がパニクったら終りだ。

 そう自分に言い聞かせる晃だが、焦燥感ばかりが先走って思考が空回りし、混乱している玲次を抑える方法が浮かばない。


「ざっけんなぁあああああああああああああああっ!」


 怒声を棚引かせ、玲次が男に突進して行く。

 間に合わなかった――そんな後悔を抱えつつ、晃はライトを優希に渡して自分も続こうとする。

 優希が震える手で持った灯りが、男の全身を点滅するかのように映し出す。

 口元には冷笑が刻まれ、両腕は組んだまま、両脚も棒立ち状態だ。

 なのに、油断も隙もまるで感じさせない。


「うおおぉ、るぁあっ!」


 気合と共に跳躍ちょうやくした玲次は、男の左側頭部を蹴り抜くべく、鋭いハイキックを繰り出す。

 二十センチ近くはあろうかという身長差もあっさりと埋める、そんな高さと勢いのある狙い澄ました一撃。

 ブチキレてデタラメに暴れているようで、こうも的確に動けているとは。


 安心して疾走の速度を緩めた晃が次に見たのは、高速で自分に向かってくる蹴撃を片手で掴んだ男が、そのまま玲次の体を持ち上げて近くの壁に叩き付けようとしている、冗談にしてもタチの悪いシュールな光景だった。

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