第14話 14 あまりにも人間的なニオイ

 慶太の用意した病院内の見取り図によると、建物全体は十字の横棒を伸ばしたような形だが、部屋の配置は妙に入り組んでいた。

 開放感のある構造を目指しているフシはあるものの、ドアの数が多いせいで逆に閉塞感へいそくかんを発生させる残念な仕様になっている。


 耳を澄ませながらゆっくり移動していても、三つの足音の他に聴こえるものはなかった。

 廊下に足跡は残っているが、薄いし暗いしで新旧の見分けはつかない。

 緊張もあって所要時間は曖昧だったが、恐らくは十五分くらいかけてフロアを巡り終え、ナースステーションの前へと戻る。


「人の気配はなかった、ような……」

「けど、どこの部屋も大体が閉まってたぜ。隠れられたら、誰かいてもパッと見じゃ分かんねぇ」


 優希と玲次の会話を聞いて、晃も同意の頷きを返す。

 印象としては、殆どのドアが閉まっていたように思われる。

 ドアが開いていたり半開きだったりの部屋と、元から入口にドアのないトイレや談話室は覗いてみたが、気になるような何かは発見できなかった。

 更に上の階を確認する選択肢もあったが、そんなに先を急ぐこともないだろうと判断して晃は提案する。


「じゃあ、今度は一部屋ずつシッカリ確認しよう」


 特に打ち合わせをするでもなく、晃と玲次は交代で先頭に立って、ドアの閉まっている部屋の内部を確認する。

 三つ並んだ浴室は、どれも特に異常なし。

 強いて言えば、左の浴室のバスタブにサッカーボールかバレーボールの成れの果てらしき、灰色のひしゃげた物体が転がっていたくらいだ。


 見取り図で『処置室』となっていた部屋は、鍵が掛けられているようで開かなかった。

 次に用途が分からない小部屋を見るが、畳まれたパイプ椅子が数脚積んであるだけで、他には蜘蛛の巣すら見当たらない。


「中食堂、ね」


 両開きの扉の上に貼られたプレートを玲次が読む。

 病院だとベッドの上で食事をするイメージが強いが、体に不自由がなければそうする必要もないか――と思いつつ晃は無駄口を叩く。


「大食堂とか特大食堂ってのも、どっかにあるのかな」

「とっ、特大食堂は……日本中探してもないと思う」


 晃のどうでもいい発言に、優希は律儀にたどたどしいツッコミを入れてくる。

 食堂には愛想の乏しいシンプルなテーブルと椅子があるだけで、特徴らしい特徴は発見できなかった。

 小中学校の給食に使われるようなアルマイト製の食器が、床にいくつか転がっているのが見える。


 片側には大きな窓が並んでいて、採光に関しては申し分なさそうだ。

 しかし、その全てに頑丈そうな格子がしつらえられていることが、ここがどういう場所なのかを思い出させる。

 壁とカウンターで区切られたスペースの方を調べてみるが、調理場ではなく配膳室だったらしい。


「キッチンは別の場所か」

「荷物用エレベーターがあるし、下で作ってたんじゃね」


 中身の大部分が消え失せた食器棚を眺めながら言う晃に、玲次が業務用の大型冷蔵庫を開けながら答える。


「ゥフィッ――」


 途中で驚きを無理矢理飲み込んだような、へんてこな悲鳴が聞こえた。

 晃と玲次が入り口の方へ戻ると、優希が扉の向こうを小さなライトで照らしつつ、いかにも恐る恐るといった雰囲気で暗い廊下を窺っている。


「どしたの、ユキさん」

「あ、あのっ、今ちょっと、物音が」


 心拍数がおかしな数値になっている様子の優希が、過呼吸っぽくなりつつ自分の察知した異変を告げた。

 晃は気付かなかったし、玲次も分からなかったようだから、空耳の可能性も低くないように思える。

 それでも、状況的に無視するわけにもいかない。


「……用心に越したことはねぇ、か」

「そうだな。一応、確認しとこう」


 頷き合った二人が先を行き、急ぎ足で異変がないかをチェックする。

 玲次が今来たコースを逆行するので、晃と優希はその後ろについていく。


「おい晃、あれ」


 玲次が指差した先で、処置室の扉が開け放たれている。


「開いてるな」


 的中率の高そうな嫌な予感が湧き上がり、晃の腕を瞬時に粟立あわだたせた。

 玲次は落ち着いた感じを崩していないが、それでも少し息が荒くなっている。


「開いてる、ね」


 晃のすぐ後ろから、優希が遠慮がちに繰り返す。

 優希が耳にした物音というのは、このドアを開けた音だろうか。

 それとも、ドアを開けた何者かの足音だろうか。

 玲次が躊躇ちゅうちょなく処置室へと近付くので、晃もそれに続こうとしたのだが、不意に鼻腔に満ちた生臭さとアンモニア臭が、足運びを半強制的に金縛らせた。


「ぶふぉあっ! くぁ、こいつは……ユキさんは、見ねぇ方がいい」


 咳き込んだような音の後、玲次は室内の惨状を曖昧な表現で伝えてきた。


「え……ぅえっ?」


 只事じゃなさを伝える音声と臭気を感知した優希は、晃のシャツの裾を両手でギュッと掴む。


「……晃」

「あ、ああ……優希さん、大丈夫。大丈夫だから、ね」

「ホント……に?」

「うん、大丈夫だって。だから、俺もちょっと、行ってくるから。大丈夫大丈夫、ね?」


 晃は自分でもまるで信じていない単語をしつこいくらいに連発し、裾を掴んでいる優希の手をそっと外させる。

 そして、懐中電灯を抱き締めて意味もなくキョロキョロしている優希を残し、晃は玲次の左隣から室内を眺める。


 処置室というのが何をする場所なのかよく分からないが、スチール机と薬品棚、それに施術用の固そうなベッドが乱雑に置かれている様子から察するに、診察室みたいなものだろうか。

 ただ、床に血やその他の液体に塗れている全裸の男が転がっているせいで、晃にとっての第一印象は霊安室に近くなった。

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