第13話 13 ハーブか何か

 エレベーターは当然ながら動かないので、晃と玲次と優希の三人は、階段を使って上の階へと向かう。

 さっきまでと数メートル程度しか高さが変わっていないだろうに、本館の二階は随分と空気が薄いように感じられた。

 人が出入りしていないことで生じるよどみとも違う、異質な気体が充満しているような、そんな感覚に囚われて晃の警戒心は少なからず過敏になる。


「二階はやけにキレイだな……そこがかえって薄気味悪い」

「だから、そういうのやめてって」


 晃に続いて階段を上がりきった玲次と優希が、感想と文句を口にする。

 足下にライトを向けてみると、玲次の指摘通り砂埃や綿埃の堆積たいせきも少ないようで、床に残された靴跡も一階で目にしたものより薄かった。


「さて、と……どんな感じで調べるよ?」

「そうだなぁ……」


 玲次に問われた晃はスマホを取り出して、中に入る前に撮影しておいた慶太のメモを見た。

 見づらい画像ではあったが、病院内の構造は大雑把に伝わってくる。

 二階には入院患者用の個室の他、処置室や食堂や浴室、それにナースステーションや談話室といった施設があるらしい。

 幾つかの場所は、文字が潰れて判別不能だ。


「鍵とか詳しい見取り図とか、そういうのがあるかも知れないから、まずは病院関係者が使ってた場所を調べて、それから他を見て回ろう」

「ん……何だか段取りの良さを発揮してるね、晃くん」


 僅かながら、優希からの高感度が上がったのを晃は感じる。

 どうせゾンビ退治ゲームからの連想だろ、みたいに玲次が混ぜ返すのを警戒したが、空気を読んだのか余計な発言は飛んでこなかった。

 まずは、最も近い場所にあるナースステーションを調べてみることにする。

 いきなり鍵が掛かってたら色々とぶち壊しだな、と若干の不安感を抱えていた晃だが、そこは幸いにも壁やガラスで仕切られていない、開放的なタイプだった。


 玲次がカウンターを乗り越えて中に入り、誰も潜んでいないのを確認してから優希と晃が続く。

 床には色取り取りの紙が撒き散らされ、その他にも丹念に蹴りを入れられてベコベコに歪んだ金属製の書類棚や、何が何だか分からない形になるまで圧力を加えられた機械の残骸が転がっている。

 部屋の隅では、クリーム色の旧式のプッシュホンが小さく山を作っていた。


「……荒れてるな」


 玲次がポツリと述べた一言で、目の前の状況を総括する。

 晃には『荒れてる』というよりも、『荒らされている』形跡に見えるが。


「とっ、とりあえず、鍵とかそういうの……探そう」


 優希も異様さを感じ取っているのか、落ち着きに欠ける声で提案をしてくる。

 その言葉を受けて、晃と玲次は倒されたスチール机の引き出しや、雑多な物が散らばるカウンターの下を調べてみる。


 ハサミ、かなり前に潰れたサラ金のポケットティッシュ。

 ボールペン、電卓、交通安全の御守り、鉛筆、指サック。

 紙の黄ばんだノート、使い捨てマスク、電池切れの時計。

 看護婦が写っている色褪せた写真、馬鹿でかいクリップ。


 ゲームと違って弾丸や救急スプレーが出てこないのは勿論、地図や鍵を始めとする使えそうな品物もまるで出てこない。

 色々と書き込んであるノートは、意味ありげと言えなくもない品なのだが、独自の符丁ふちょうを使って書かれているらしい内容は解読不能だ。

 ひょっとすると、ナースじゃなく患者の持ち物だった可能性もある。


「ここ、何もなさそうだ」


 忘れ去られた土産物なのか、何故か発見されたミニサイズの赤べこを放り投げた玲次が、溜息混じりに言う。

 無駄に綺麗に着地し、床で赤べこが激しくヘッドバンギングする。


「ぽいな。隣は休憩室になってるみたいだから、一応何かないか調べとくか……優希さん、行ってみましょう」

「えっ、ああ、うん」


 声を掛けると、屈み込んで何かを見ていた優希が立ち上がった。

 少し焦ったような雰囲気が気になったが、晃は何も訊かずにナースステーションの奥にあるドアから隣室へと移動する。

 仮眠室の役割も果たしていたのか、ソファやテーブルだけではなく、折り畳み式の簡易ベッドが数台あるのが見えた。

 小型冷蔵庫のドアは開きっ放しで、中身は空だ。


「んあー、ここも期待できなそうだなぁ」

「かもね」


 気が抜けた玲次の言葉に、優希も気のない感じで応じる。

 玲次が首をグルッと回すと、ペキポキと景気の悪い音が鳴った。


「ここで軽く小休止してから、全体をザッと見てこうか」


 言いながら晃がソファに腰を下ろそうとすると、玲次が腕を掴んで阻止してきた。

 予想外の動きに困惑し、晃は裏返った声で意味不明な反応をしてしまう。


「うぉおっ! んだよ、ペンキ塗りたてなのかっ?」

「似たようなモンだ……オレも寸前で気付いたんだが」


 振り返って眺めれば、玲次のライトが照らしている黒いソファには、何かの液体に由来する光沢が飛び散っていた。

 臭いはないので、薬品類ではないようだ。

 血や汚物の類でもないらしい。

 しかし、この謎の液体がまだ乾いていない理由は――


「つい今しがた、先客が利用したのか」

「それって、霜山君の言ってた、タケって子なのかな。それとも……」


 晃の呟きに優希が答えるが、言葉尻が濁されている。

 霜山とタケを襲った連中なのかな、という不吉な発言を避けたかったのだろう。


「とにかく、小休止してる場合じゃなさそうだ」


 玲次のその判断に異論はなかったので、休憩室を出た三人は人の気配を探そうと、まずは二階のフロア全体を歩いてみることにした。

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