第12話 12 うらぎりこぞうがやらかした

 迷った末に決意を固めた慶太は、ダイスケの首に腕を絡めると、裸絞めで速やかに失神させる。

 そしてその体を乱雑に打ち棄て、アロハ男を指差して吐き捨てる。


「次はお前だ、オッサン。逃げんじゃねえぞ、オイ」


 普段は使わない、ガラの悪さを前面に押し出した口調で告げる。

 光源は相手の持っているマグライトだけなので、その表情は分からない。

 冷静そのものなのか、明らかに焦っているのか。

 恐怖で引き攣っているのか、余裕の薄笑いなのか。


 一歩、二歩とゆっくりと近付くと、同じペースで相手は離れて行く。

 もう腰が引けている――これなら、どんな展開になろうとも楽に撃退できそうだ。

 安堵あんどの溜息を静かに飲み込み、慶太はアロハが背を向けて一目散に逃げ出すのを待つ。

 しかし、後ずさっていた相手の動きが不意に止まった。


「……ハッ」


 鼻で笑う音が、逆光の向こう側で発せられた。

 どういうことなんだ、こいつの余裕は。

 この状態でのナメた態度に、どんな意味がある。


「ケッ、ケイタ……」


 上擦うわずった佳織の声が、後方から聞こえた。

 何をしてくるか分からない不気味さがあるアロハに、隙を見せるのは危険だ。

 そんな判断から、壁を背にした状態で後ろを振り返る。

 すると視線の先には、両手を頭の上で組まされた恋人が半泣きで、その斜め後ろには無表情で佇んでいる霜山の姿があった。

 どこにいたんだ、と訊くよりも先に別の問いが飛び出す。


「ぅおいっ! どういうつもりだ、テメェ!」


 慶太は反射的に怒鳴りつけるが、大声に驚いた佳織の肩がビクッと跳ね上がっただけで、霜山の表情筋は微動だにしない。

 小太りで背も低く、絶望的なまでに迫力に欠けている霜山だ。

 脅しの言葉だけで、気の強い佳織を屈服させられるとは思えない。

 となると、背後から凶器を突きつけられているのか。

 近付いてくるアロハ野郎の足音と、揺れるマグライトの明かりを意識しつつ、慶太はここで自分の取るべき行動を考える。


 問答無用で霜山に突進して、全力で殴り倒す。

 佳織に合図を送り、こちらに逃げて来させる。

 逆にアロハを人質に取って、佳織と交換する。

 或いは気絶中のダイスケを盾に交渉を試みる。

 降伏するフリをしておき、反撃の機会を窺う。


 様々な選択肢が浮かんでは、脳裏のうりを忙しく駆け巡る。

 どれも名案のような気がしなくもないのだが、同時にどれを選んでも失敗するような気がしてならない。

 焦るな、落ち着け。

 冷静になって考えろ。


 重ね重ね自分に言い聞かせるが、意識が集中できない。

 どうする、どうする、どうする――何を優先するべきだ。

 そう考えた瞬間、体は勝手に動いていた。

 まずは佳織を助けなければ、そうしなければ。


 慶太は、ブレイクルームに向かって走る。

 距離は十メートル足らず、全ては数秒で決まるはずだった。

 だがその数秒の中で、慶太は迷った。

 霜山がもしも自分の突進に驚いて、発作的にナイフや包丁を佳織に突き立てたらどうする――

 そんな迷いが、僅かに動きを鈍らせた。


「あぐっ、がががががっ――がっふぁ、ぉあああああああっ!」

「いやぁああぁっ!」


 何事だ。

 誰の悲鳴だ。

 いや、誰のでもない、これは俺だ。

 俺と、佳織の悲鳴だ。

 慶太は数秒の空白の後で、意識を取り戻す。

 全身にどうにもならない痺れがある。

 スタンガンとか、そういうのを使われたのか。

 でもこの距離で、どうやって――


「ふぅうっ!」


 誰かに背中を思い切り踏みつけられ、思考と呼吸が寸断される。

 オイルライターで、煙草に火をつける音がする。

 踏んできたのは、アロハのあいつか。


「だーいぶ調子に乗ってくれちゃったねぇ、うん?」

「ケイタッ、大丈夫? ケイタッ! ねぇっ!」

「ヘッポコポコリーヌすぎて、彼女を守るナイトになれなかったなぁ、あぁん? 残念無念だよなぁ、ケッ、イッ、タッ、くぅうううううううううんっ!」

「やめて! ちょっと、マジで頭おかしいんじゃないの! あんたらあっ!」


 ヒステリックな喚き声は、佳織のものだろうか。

 普段の喋りの原型を留めておらず、慶太のボヤけた頭だと上手く認識できない。

 右の脇腹に連続して三発、それから腰に重たい一発。

 慶太の体に、断続的に衝撃が叩き込まれる。

 これは、アロハに蹴られているのだろうか。


 大した痛みはないが、体に力が入らなくて気味が悪い。

 なまぐさい臭いが鼻に抜けて、不快感を底上げしてくる。

 早く態勢を立て直して、こいつらを軽くぶちのめして、佳織を逃がさないと。

 慶太は歯を食い縛ってどうにか身を起こそうとするが、電気的な衝撃が再び脊椎せきついを貫く。


「やぁあああああっ! やめて! もうやめってたら! ケイタが死んじゃ――」


 佳織の涙声が白くなった頭に響くが、直後にその声も白く染められる。

 ここで気絶したら終わりだ――という確信と、こめかみに感じる熱さを最後に、慶太は意識を手放した。

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