第38話 38 実況生本番中継

 なるべく音を立てず、最大限のスピードで、必要な時にしか喋らない。

 そんな共通認識を決めてから、晃達三人は二階へと移動する。

 避難訓練をガチでやったら、多分こんな雰囲気になるだろうな――と思う晃だったが、緊張感を削ぎそうなので口には出さなかった。

 相手は油断しているし、見張りなどもいないだろうが、万一の露見を警戒してライトは常に床に向け、無線機の音量は絞っておく。


 先陣を切って二階へと到着した晃は、壁に背中をピタリと付け、息を殺して周辺を窺う。

 一分ほどそうして耳を澄ますが、誰かが待ち構えている気配はない。

 なので、階段の踊り場で待機していた優希とダイスケを手招きして呼び、次の行動についての作戦会議を小声で開始する。


「クロの野郎、どこにいると思う」

「小部屋のどれか、って気はするが……」


 受信専用の無線機からは、間歇的かんけつてきに佳織のものと思しき、否定や拒絶の意が含まれた言葉が流れてくる。

 声の調子からして、悲鳴や絶叫とは種類が違っているので、死の危険が間近ということはなさそうだ。

 だが、何といっても頭のオカシいあの連中のやることだし、何が起こるか分からない。

 取り返しのつかないことになる前に、一刻も早く救出しなければ。


「ちょっと思ったんだけど……目的からして、いるのはベッドとかのある場所、じゃないかな」

「ああ、その可能性は高そうだ」


 優希の推測はえげつないが、恐らくは正しい。

 あの地下階の部屋で、サクラを――サクラの死体を犯していた時にも、クロは床に毛布のようなものを敷いていた。

 快楽の追求に余念がない一方で、痛みやストレスには耐性が足りていない。

 そういうしょうもなさが、クロという男にはきっとある。


 体格的にも、拳銃でも持ち出されない限り二人がかりなら負ける気はしない。

 そう考えると、得体の知れない霜山や人間凶器そのものなリョウよりも、クロを相手にする方が数段は難易度が低いだろう。

 クロを行動不能にさせた後、どう状況を展開させるべきかと考えていると、ダイスケが小声で訊いてくる。


「ベッドがありそうなのは、どこらへんだ?」

「さっき見て回った時に、休憩室とか患者用の個室にあるのは見た。談話室にはソファがあったな。それから……処置室、にもあった」

「晃くん、そこって」

「……タケの死体があった場所、だな」


 晃が足を止めずに答えると、背後から歯軋はぎしりの音がする。

 ダイスケはきっと、友人であるタケが嬲り殺される光景を強制的に見せられているのだろう。

 確認はしていないが、霜山たちの性格からして間違いない。

 もしかすると、さっきの地下での慶太と同じように、殺害に直接関与させられた可能性もある。

 暗澹あんたんたる気分になる晃だが、意識が『あいつらのやりそうなこと』へと向いたお陰で、クロが佳織をどこに連れ込んだかがひらめいた。


「いるのは多分、処置室だ」

「でも、あそこには」

「だからこそ、だよ。惨殺死体が転がってる、血と糞尿のニオイが充満した場所で、怯え切った女を襲う……大好物なシチュだろ、あのイカレくさった野郎なら」

「ああ、うん……そうかも」


 晃がボソボソと語る予想を、優希は嫌々ながらに肯定する。

 言いながら晃も負けじと気分が悪くなっているが、ダイスケはもっと不愉快になっているようで、何も喋らなくなった。

 無線機からの声が途切れているが、代わりに水っぽい音のリピートと、噎せたり嘔吐いたりの音が時々流れてくる。

 これはもう、マズい状況だ――急がねば、という一念で晃は処置室のある区域へと小走りで向かう。


『――やっ、無理っ! で、できないって! ムリムリムリムぁうっ!』

『できないとか無理とかじゃねぇよ。やれって言ってんの』

『いたた、痛いっ、痛いって! いやっ、やめっ、やめて下さいっ! ごめんなさい、ホントに、ホントに無理ですから、もう! もうやだぁ! だから、ごめんなさい、ホント無理ですから!』

『そういうのいいから、やれ。やれよ。日本語わかんねぇの? 聴こえないフリなの? おーれーがーやーれーよ、って言ってんだ、よっ!』

『ぅふ、あゎうっ!』


 優希の手にした無線機は、佳織の激しい拒絶と、クロの無理強いを交互に伝えてくる。

 音量を絞っていても、佳織の感じている恐怖と嫌悪、そしてクロがタレ流している愉悦と興奮は、ウンザリするほどに理解できた。

 それにしても、いつ殺されるかわからない状態の佳織が、実際に結構な暴力も振るわれている様子なのに、ここまでかたくなに何を忌避しているのか。

 クロは一体、どんなことをやらせようとしているのか。

 

『ごめんなさい、こんな――こんなの、無理です! あぁあああぁあっ、うぇ、ゆっ――ゆるして、下さい。おベっ、おぉでがいじばずぅううううううぁああああああああぁ』

『泣いても、だー、めっ。いいから、やれ』

『でっ、でぼぉおおおおおっ、ごんな、ごんなん無理ぃいいいいい』

『うるせぇ。やれって言ってんだから、やれや。あんまワガママ言ってるとなぁ、テメェより先に、愛しのケータくんにトドメ刺しちゃうよん』


 泣きが入るというか、駄々っ子みたく泣き喚いている佳織に、クロは楽しげに命令を続けている。

 処置室が近付いてきた――無線機と部屋と、両方向から同じ音が聞こえてくる。

 予想は的中した晃だが、状況が状況だけに嬉しくも何ともない。


『う……ぅうぶっ、くっ――ヴォオエッ! うぅ……』

『おいおーい、そういう失礼な態度、よくないよぉ。もっとちゃーんとな、真心をこめて舐めるんだよ、ホトケさんの冥福を祈ってなぁ! グハハハハハハァハハハハハッ!』


 薄気味悪いほどに朗らかな笑い声が、ステレオ音声で流れてきた。

 何をやらせているかは概ね予想できた晃だが、考えても胸糞悪くなるだけなので、それについては一旦意識から追い出しておく。

 そして無言のジェスチャーで、優希に無線機のスイッチを切るように伝えつつ、この場から少し離れようとダイスケに告げる。


「おい、何してんだ。早く止めないと」

「分かってるけど……変なタイミングで突っ込むとアレだ」

「佳織にナイフを突きつけられたりしたら、そこで身動き取れなくなるからね」

「そう、そこが問題だ」


 血気にはやるダイスケを落ち着かせようにも、ちょっとボキャブラリーが足りてない晃だったが、優希が的確に不足分にフォローを入れてくる。

 タイミングを計らずに勢いで突入しても、奇襲は十中八九くらいの確率で成功するだろう。

 しかし、佳織の命が懸かっている状況だし、なるべくなら確率を最大限まで高めておきたい。

 

「完全に油断しきってる……そう思えた直後に突撃、だな」

「どこで判断すんだ、そんなの」

「生き物が油断するのは、寝てる時、メシ食ってる時、糞してる時……それともう一つ」

「交尾してる時、ね」


 優希が無感情に呟き、話を切り出した晃は頷き返す。

 ダイスケは、香ばしい発言を何気なく発してくる優希に、軽く引き気味の視線を送っている。

 クロが本番に及ぼうとする動きがあったら、それがスタートの合図だ。

 それを他の二人にも理解させてから、晃は部屋に突入してからの段取りを決めていく。

 

「最高に面倒なのは、あいつが無線で実況してるってことだ。異常が起きたのを霜山達に察知されたら、そこからの時間の余裕はあっても五、六分ってとこだろう。だから、まずはクロの喋りと動きを封じる。それで、何も起きてないように偽装しつつ佳織さんを救出して、可能ならばクロも連れて場所を移動する」

「速攻でクロを黙らせて、俺らの存在がバレないようにしながら、カオリって子を助けて逃げる……無理じゃね?」


 自分で言っておきながら、ダイスケのネガティブな感想に同意するしかない晃だったが、無理でも無茶でもやるしかない。

そう表明しようとすると、その前に優希から小声での提案が告げられる。


「ちょっとドタバタしてるくらいなら、佳織が抵抗して暴れてると判断して確認にまでは来ない、と思う。リミットは多分、十秒か十五秒くらいかな。何が起きてるのかを短時間で佳織に理解させるのも難しいだろうから、とりあえずクロと一緒にあの子にも猿轡さるぐつわを」

「お、おぅ……」


 コンビニ袋から取り出したハンドタオルを優希に渡され、ダイスケはさっきよりも大幅に引いている様子だ。

 薄汚れたタオルを受け取りながら、晃は自分がクロの拘束を担当する流れだと理解する。

 ダイスケに任せるよりはマシだろうが、体格が同等の相手を行動不能に追い込む難しさを考えると、手にした金属バットの軽さが不安になってくる。

 膨張する弱気を捻じ伏せながら、晃はシンプルにまとめた計画を口にした。


「まず、ダイスケがドアを開ける。同時に俺が突入して、クロをぶん殴って行動不能にする。ダイスケは佳織さんの口にタオルを噛ませたら、部屋から引きずり出してくれ。それから、優希さんが佳織さんに状況説明。で、俺とダイスケがクロをどうにかする」

「どうにかって、どうすんだ?」

「そこは、高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処してくれ」


 ダイスケはキョトンとしているが、優希の口元はちょっと緩んでいた。

 晃の小ネタは伝わったらしい。

 ここを脱出したら、改めて色々な話がしたいもんだ――そう考えつつ、晃は処置室のドアのすぐ前まで忍び足で移動する。

 優希とダイスケも、晃の挙動を真似て静かに後をついてくる。


『クックック……いいぜぇ、超エロみっともなくて最高じゃんよ、今のお前。彼氏クンに見せてあげられないのが、軽くざーんねーん、みたいな驚きのインモラルさ? ゲハハハハハハハッ、マジきめぇよ! うははははははははっ、マジでありえねぇわ、ソレ』

『ぅぶっ、ぅえええぇ……』

『ま、録画はしてあるからよ。お前の艶姿はあいつに後でゆっくり見せてやんよ……さて、と。俺の三本目の足もギンギンに死後硬直してきたんで、そろそろ全身マッサージでほぐしてもらおうかね』

『っや、ぁあああああああ、いいぃいやぁああああっ!』


 クロが本格的に下らない発言を放った直後、佳織が必死に抵抗している気配が室内から伝わって来た。


 ココだ。


 金属バットを握り直し、晃はダイスケに頷いてみせる。

 頷き返したダイスケはスライド式ドアの取っ手を掴み、一拍置いてから自然な感じに横に滑らせた。

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