第23話 23 暴力を目的とした暴力

 膝から崩れ落ちそうになりながら、ギリギリのところで気力を奮い起こして晃は考える。

 今の状況で、自由に動けるのは自分だけ。

 慶太、怜次、佳織、優希の四人は未だ拘束が解けていない。

 少し離れた場所に、筋肉ダルマのリョウとアロハのクロ。

 一つしかない出口は、倒れた翔騎と武装した霜山に塞がれている。


「……うぇっぷ」


 ストレスが高まりすぎたのか、苦酸っぱいゲップが湧き上がる。

 これはもう、明らかに詰んでいる。

 一人で逃げることもままならないし、そもそもそんな選択肢はない。

 何か変化があれば、打開策が思い付くだろうか。

 確かもう一人、慶太が撃退したという連中の仲間がいたはずだ。

 そいつがノコノコとこの場に現れれば、もしかして――


「どうします? 霜山さん」

「そうだね……」


 リョウから発せられた、丁寧さを感じる質問の声に、晃の思考は乱される。

 訊かれた霜山は、翔騎の胸からテーザーガンの針を引き抜きつつ、晃たちに粘ついた視線を巡らせる。

 その瞳には、診察室で遭遇した時のような怯えた色は微塵みじんもない。

 代わりに宿っているのは、得体の知れない熱を帯びた揺らめきだ。

 豪華食材を前にした料理人のような、楽しげな気配が感じられるのがまた不吉すぎる。


「どうもこうもねぇって。俺はちゃーんと警告したんだ。逃げようとしたら全員ミンチにして殺すぞ、ってよ。だからまぁ、大人としては罰を与えとかねぇと」


 言ってねぇだろそんなこと――そう抗弁したくなる晃だが、事態が悪化するだけだろうから黙っておく。

 クロの提言だか寝言だか分からない主張に対し、言われた霜山は渋い表情を見せるだけで、具体的な返事はしない。


 リョウもまた、やや冷たい視線を送っているだけで口を開かない。

 無駄に下品なクロと他の二人の間には、少なからぬ温度差があるようだ。

 この関係性を利用して、反撃の糸口につなげるのはどうだろうか。

 それより、三人の中で最も非力で年下であろう霜山がリーダーっぽいのだが、こいつらはどういう間柄なのか。


「とりあえず、よ……キッチリとルールを覚えさせとく必要、あんじゃねえの?」

「……かもね」


 今度は、クロの言葉に霜山も反応した。

 ルールを持ち出すってことは、こいつらはゲーム気分でこれをやっているのか。

 常識の通じない相手だとは予想していたが、イカレた常識を標準装備している相手となると、厄介さが別次元にグレードアップする。


 発言や行動の裏に、カルト宗教や悪魔崇拝の気配は感じられない――ならば、正体はかなり絞られるんじゃなかろうか。

 晃が脳をフル稼働させて、この状況から抜け出す道を探っていると、不意に背後から裏返った声が上がった。

 

「ぅわのっ! ――あ、あの!」

「あん?」

「あのさ、もういいじゃん。ここで何があったかとか、だっ、誰にも言わないし! 何なら、免許証とか保険証とか学生証とか免許証とか会員証とか、ぜんっ、全部ここに置いてくしっ! ね? だからさ、もういいじゃん。帰らせてよ! ねぇ! 警察とか行かないから! ねぇ!」

「あぁああ、はぁあああ?」


 佳織からの必死の訴えに、クロはいかにも嬉しそうに満面の笑みでニセ外人風に応じてくる。

 リョウは苦笑しながらやれやれといった風に頭を振り、霜山の口元にも酷薄な笑みが浮かんでいる。

 この涙声の懇願はきっと無意味だ。

 いや、無意味じゃないが、連中を喜ばせるだけだ。

 こいつらの目的が、晃には完全に理解できた。


「おやおや……お嬢様方が帰りたい、とか言ってますけど?」

「まだ早いんじゃねえの、これからが盛り上がるトコだし。ねぇ霜山さん」


 クロとリョウに話を振られた霜山は、口の端を歪めたままに短い首を少し傾げる。

 全員の視線が集中し、霜山の次に発する一言を待ち構えている。

 街中で見れば滑稽こっけいでしかない、変なコーディネイトで身を固めた小太り少年が、場の空気を完全に支配していた。

 その異様さを自覚しつつ、晃も霜山の挙動から目を離せずにいる。


「ぅう……あぁ、ぼぇあ……」


 緊迫した空気が、意識を取り戻したらしい翔騎のうめきと咳き込みで撹拌かくはんされた。

 足元でのたうつ金髪の少年を、霜山は不快感を露にして見下ろす。

 完璧に御膳立おぜんだてされたショータイムに乱入してきた、空気の読めていない道化へのイラ立ちが滲む、感情的な態度。


 そしてまた、思いがけず感情を表出させられたことでもイラ立たされている、そんな悪循環が霜山の内部で生じている様子もあった。

 晃が観察を続けていると、霜山は再び表情に仮面を被せた。

 全てを突き放して見物しているかのような、超越者としての振る舞い。

 やがて霜山の太い指が、湿った咳を連発している翔騎を差す。


「うん……じゃあ、こいつ殺して」


 三種のチーズ牛丼を特盛りで、くらいのテンションで放たれた処刑宣告に、室内の気温が急低下する。

 そう感じたのは恐らく、急激に血の気が引いたからだろう。

 他の皆がパニックになるかも――と焦る晃だったが、霜山の本気を理解できていないのか、様子を窺ってもキョトンとしている。

 ともあれ違和感はあったのか、怜次が躊躇ためらいがちに霜山に問い返した。


「いや、何言ってんだよ、おい? 殺すって……マジでか」

「マジでだ」


 霜山に代わって、リョウが即答した。

 いよいよ、状況が最悪の方向へと動き始めたみたいだ。

 逃れられない現実を突きつけられ、晃は呼気に大粒の砂利が混ざったような息苦しさを感じる。


 怜次はリョウの言葉を聞いて、顔中に汗を浮かせている。

 佳織はいつもの強気が嘘のように、声を抑えて泣いていた。

 慶太は佳織に寄り添いながら、リョウやクロの挙動を目で追っているようだ。

 優希は心ここに在らずといった雰囲気で、全身が小刻みに震えている。

 

 全員が本能的に、危機が目前にあるのを理解していた。

 この八方塞はっぽうふさがりをどうすればいいのか。

 晃だけでなく、慶太も怜次も佳織も優希も――それに翔騎も考えているだろう。

 しかしその誰にも、逆転劇を決められる名案はひらめかないようだ。

 頭がおかしくなりそうな焦りに、晃の掌は脂汗でぬめり、指先は意思に反して震える。

 そんな晃の姿をしばらく眺めていた霜山は、納得したように一つ大きく頷いて言う。


「うん、キミに頼もうか」

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