第47話 47 死にそうもない死にぞこないの死

 異変を察知すると同時に、晃の心臓は大きく跳ねる。

 まるで頭皮を掴んで引っ張られているような、不快な痛みを伴った緊張感も走っていた。


「そんな――」


 どこに行った?

 というか何で動ける?

 瀕死の重傷じゃなかったのか?


 疑問が入り乱れる思考に邪魔されながら、晃はスキンヘッドの巨体を捜す。

 玲次は手にしたランタンでアチコチを照らそうとしているが、焦りのせいか挙動が忙しすぎて視界がチカチカするばかりだ。

 

「おい、それやめろって、玲次」

「あ? やめるって、何がよ」


 晃は無駄な動きを止めようと声をかけるが、理由がわからないらしい玲次は不機嫌そうなリアクションを返してくる。

 続けて注意しようとしたところで、晃の視界に影の中からヌルリと湧き出てきたデカい何かが混ざり、壁にもたれているダイスケへと近付く。

 それがリョウだと認識した晃は警告を発しようとするが、その前に風を切る音が短く鳴った。


「ごっ――おっ――ぷぁ――」


 形容し難い音が三回続き、それに合わせて詰まった喚き声が三回。

 明滅する光景の中、晃はダイスケの体から飛散する血と肉片を見た。

 胸にバールを突き立てられてトドメを刺されたはずのリョウが、そのバールを振るってダイスケに致命傷を与えている。

 何が起きているのかは理解できたが、何でそんなことになっているのかは理解の範疇はんちゅうを超えていた。


 リョウは無言で、無表情だ。

 晃が連想したのは、飲みすぎてゲロを吐く寸前の奴が浮かべるような、苦悶の先にあるどこかに辿り着いてしまった顔だった。

 呼吸は荒く不規則で、異常な量の汗も流れている。 

 タンクトップとカーゴパンツは、汗だか血だかわからないが、べっとりと重く濡れていた。

  

 そんな半死人のような男が、信じ難い敏捷性を発揮していた。

 晃も玲次も、あまりの現実感のなさに自分のやるべきことを見失う。

 その僅かな空白によって、取り返しのつかない状況が生み出される。


 ゴッ――ガッ――ゴンッ――


 バールを投げ捨てたリョウは、うつ伏せに崩れ落ちたダイスケの頭を踏み潰す。

 何度も何度も靴底を蹴り下ろし、ダイスケの頭部は文字通りに潰された。


 ボギュン、と間が抜けた感じの音が響くと同時に、ダイスケの両耳の穴から赤黒い汁がドロッと噴き出す。

 初めて聞かされた人間の頭蓋骨が割り砕かれる音に、晃と玲次の混乱は更に悪化する。

 リョウはゆったりとした動作で天井を仰いで、長々と息を吐いた。

 その様子は疲れ果てているだけにも、やりきった感慨を表明しているようにも見える。


「何だよ……何なんだよ、これ」


 玲次の素直すぎる呟きに反応して、リョウの視線が二人に向けられる。

 逆光で表情はうかがえないだろうに、声色や気配から怯えの色を読み取ったのか、唇を歪めての嘲笑を浮かべた。

 反射的にカッとなって、特に意味はない罵声を口にしかけた晃だが、リョウの次の行動に沈黙を余儀なくされる。


 リョウはひょい、と手を伸ばして血で湿ったダイスケの髪を掴むと、無理矢理に立たせるようにして掲げる。

 見るべきではない、見ない方がいい――それはわかっている。

 しかし晃の視線は、にじり壊されたダイスケのひしゃげた顔面へと吸い寄せられた。


「ぅおっ? おぉっぷ、うぇ……」


 それを直視した玲次は、変に跳ねた声を上げて水っぽいゲップを繰り返した後、絶句して目を伏せた。

 ダイスケの変わり果てた姿は、関わりが殆どない玲次を嘔吐寸前に追い込むだけのインパクトを有していた。


 半開きの口には生肉が詰め込まれている――ように見えたが、これはズタズタになった舌の残骸だ。

 その隙間をうように、折り砕かれたエナメル質の破片が、粘ついた血涎ちよだれと一緒に吐き出されている。

 僅かに無事だった数本の前歯は、上唇を突き抜けて要らぬ自己主張を行っていた。


 鼻梁びりょうは珍妙な方向に捻じ曲がり、鼻血なのか何なのかわからないピンク色をした液体を垂れ流していた。

 衝撃に耐えられなかったらしい両目は眼窩がんかからこぼれ、圧搾あっさくされ半固形に加工された脳髄の成れの果てにまみれている。

 大型トラックに頭をき潰されたら、こんな感じになるのかも知れない。

 思考停止状態から脱した晃が最初に考えたのは、そんな愚にもつかないことだった。


 明かりが不規則に揺らいでいるのに気付く。

 玲次の様子を確認すると、ランタンを持った右手が、口の辺りをつねるように掴んだ左手が、そして両膝が派手に震えていた。

 瀕死だったはずのリョウが、二十秒ほどの間にダイスケを絶命させた事実に、動揺では済まないレベルで心を乱されているようだ。


「大丈夫だ、玲次」

「いや、でっでも、お前――」

「大丈夫だから」


 説明しているヒマはないから、空気読んで動いてくれ。

 玲次が日頃の鋭さを取り戻してフォローに入ってくれるのを祈りつつ、晃はリョウの方へと向き直る。

 今夜だけで、何度も死にかけた人間を見てきた。

 だから、晃にはわかる。


 現在のリョウが、もう限界に近いというのが。

 呼吸も、挙動も、表情も、全てに警告ランプがともっているかのようだ。

 なのに運動能力だけが異常だが、それも元のポテンシャルが狂っているだけのことで、動けなくなるのもそう遠くはない。


「くっ、ふぁあああぁ」


 気合を入れたつもりなのか、妙な声を発したリョウは、ダイスケだったものを無造作に手放す。

 側頭部が結構な勢いで床にぶつかるが、そこで鳴ったのは『ゴン』や『ガン』ではなく、『ぶちゃ』という濁った音だった。

 お互いに素手で、辺りに武器になりそうなものは転がっていない。

 リョウは明らかに満身創痍だが、晃も疲れ果てているし、左肩がまともに上がらない。

 それでも、これまでで最も有利な条件だ。


「もう、アップアップなんだろ……寝てもいいんだぜ、ハゲちゃびん」


 五歩くらいの距離まで近付いた晃は、安い煽りを入れてみた。

 リョウは荒い呼吸を繰り返すばかりで、何も言い返してはこない。

 やはり、体力も気力も尽きかけているようだ。


「アンタさぁ……ぶっちゃけ、自分のこと無敵みたいに、そう思ってたんだろ? 自分がケンカで負けるとかありえない、とかさぁ。それが俺らみたいなガキに反撃されて、そんなボロボロになって死にかけてるのって、どんな気持ち? ねぇねぇ、今どんな気持ちなの? リョウきゅ~~~ん?」


 クロとリョウの二人からカマされた、かんさわりまくる物言いの数々を参考にして、晃はリョウを煽れるだけ煽ってみた。

 相変わらずの無表情だが、口の端は細かく震えている。

 見た目からして人間凶器なリョウにすれば、面と向かって罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせられることなどまずないだろう。

 実は耐性ゼロなのかも、という閃きが晃の舌の回りをますます滑らかにする。


「あれあれ~? 随分と元気がないぞぉ? もしかして『ボクちゃん、ここで死んじゃうかも。ぷるぷる』って怯えてるのかにゃ~?」

「うる……せぇ」

「声が小さいなぁ。そんなんじゃ、ママに聞こえ――」


 話の途中でリョウが左足を踏み出した、と思った直後には目の前に迫られていた。

 だけど、明らかに遅くなっている。

 今のリョウの動きは、晃にも見える。

 コイツはもう、規格外の怪物なんかじゃない。


「シッ――」


 噛み締めた歯を剥き出したリョウが、弧の大きい右フックを放つ。

 速い――でも、これならけられる。

 下半身の力を抜いて素早く屈んだ晃は、右手一本で体を支えると、腰を床につけないように踏ん張る。

 そして、横向きの体勢から左足を水平に蹴り上げ、勢いを付けすぎて浮き気味のリョウの足元を払う。


「ぐぁああっ!」

「ほぅう?」


 吼えながらの晃の一撃は、バランスを崩したリョウに戸惑いの声を上げさせる。

 それでも転ぶことなく、パンチを繰り出すときの軸足とは逆の、右足に体重をかけて踏み止まった。

 そこを狙い澄まし、晃は低い姿勢のまま膝を狙っての前蹴りを突き入れる。

 森に転がっていた朽木をヘシ折るのに似た感触が、靴底を通じて晃に伝わる。


「ぅがっ――」


 リョウは苦痛の悲鳴も憤怒の絶叫も上げず、ただただ驚愕の感情だけをあらわにして、ありえない方向に曲がった膝から崩れる。

 何故こんなことになっているのか、どうしても納得がいかない――そう言いたげに歪んだ唇からは、細かい血の泡が噴き出していた。

 姿勢を維持できず床で背中を打ち、痛めている左肩が盛大にきしむが、今の晃にはそれも気にならないほどの解放感があった。

 

 勝った。

 これで終わりだ。


 そんな思いが湧き上がらせる笑みを堪え、晃は前のめりに倒れてくるリョウから離れようと、体を横に転がして移動する。

 素早く床を二回転し、もうろくに動けないであろうリョウにトドメを刺すべく立ち上がろうとするが、晃は顎の辺りに尋常じゃない衝撃を感じた直後、唐突な呼吸困難に見舞われる。

 少し遅れて、自分の首を掴んでいる腕の存在と、その握力と圧力が送り込んでくる痛みを知覚した。


「ぁ……ぅ……」


 空気の流れは遮断しゃだんされ、まともに声も出せない。

 視界は銀と黒の明滅に占領され、耳の中で甲虫が暴れているようにやかましい。

 体のどこかに重みが加わったようにも思えるが、何が起きているのかわからない。

 フと、目の前が一瞬だけひらけた。

 薄暗い中に見えたのは、顔面のあちこちを痙攣けいれんさせているリョウの、凄まじい笑顔。


「おばぇ、ぼぉ、じぃ、ね」


 泡だか唾だかと一緒に細切れに吐き出されたのは「お前も死ね」という宣告か。

 最後の瞬間に見聞きしたのがコレって厭だな、と危機的状況に相応ふさわしくないことを晃が考えていると、体にかかる重量が増した後で生温かい液体が顔に降り注いだ。

 それと同時に、首を絞めていたリョウの腕から力が抜けていく。

 顔を雑に拭って見上げると、再び驚愕の表情で固まったリョウの口から、さびの浮いたドライバーの先端が突き出していた。

 

「ぁ晃っ! 生きてる……かっ?」

「ぐぅえぼっ、ぶぁふっ……げっけ、うぅ、ああ……ギリギリ、な」


 二度三度とせてからしゃがれ声で応じると、見開いた両目がよどみ始めたリョウのハゲ頭の向こうに、玲次が強張った顔を覗かせていた。

 危ういところで、命を拾った。

 安心感から気が遠くなる晃だったが、どうにか意識を手放さずに身を起こす。

 そして、自分の血とリョウの血と苦すっぱいものが混ざった汁をペッと吐き出し、咳き込みながら深呼吸を繰り返して息を整える。


「……今度は、助けた。間に合った」


 玲次の小声が聞こえたが、前回助けられなかったのが誰だかがわかる晃は、何も言わずに立ち上がると、横向きに倒れ込んだリョウの体を仰向けになるよう蹴飛ばす。

 血の生臭さに混ざって、強めの悪臭が立ち昇ってくる。

 身体能力も精神構造もバケモノめいた、不死身としか思えないスキンヘッドの巨人。

 そんなリョウが糞尿を垂れ流す死体となって転がっているのは、どうにも現実感に欠ける絵面だった。

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