第六章

第48話 48 何でブラ落ちてんの?

 一つの動作ごとに体の節々に、というか隅々にまで痛みが走る、最悪にも程があるコンディションだ。

 しかし、そんな状態にもいつの間にか慣れてしまい、晃はフラつきながらも独力で歩を進める。

 両脚が無事だったのは不幸中の幸いだったな――そんなこと考えつつ、どんな状態になっているのか不安で仕方ない、動かなくなった肩については意識から追い出す。


「限界だったら、言ってくれよ」

「……ああ」


 実際には限界を突破している感じだが、それを言ってもしょうがない。

 なので、短い返事だけで話を終わらせる。

 少し先を行く玲次が振り返り、心配そうな視線を送ってくるので、晃は無理に笑顔を作って応じた。

 本音を言えば背負うかどうかしてもらいたい気分だったが、玲次だって常識的な基準からすれば病院送り不可避の怪我をしているはず。

 下手に頼ってしまえば、共倒れ状態で行動不能になりかねない。


 何度か小休止を入れるのを余儀なくされたが、それでもどうにかB棟まで辿り着く。

 ここまで来れば、出口はもう近い。

 立ち止まって安堵あんどの溜息を細く吐いていると、ドアが開け放たれた部屋が視界に入る。

 最初に逃げようとした時、ダイスケが飛び出してきた警備員の詰所だ。

 何となく明かりを向けてみるが、当然ながら誰もおらず荒れた室内が浮かび上がるだけだった。


「何してんだ、晃」

「いや……ダイスケが、ココに監禁されてて、な」


 その言葉でもって、頭蓋を踏み潰されて死んだダイスケの最期を思い出したのか、玲次の表情が険しく引き攣る。

 晃もダイスケの言葉や行動を回想してみるが、浮かぶのは間抜けなミスやありえないポカばかりで、玲次とは多分違う理由で表情が曇ってしまう。

 だからと言って、殺されたのも仕方ないと割り切れはしないのだが。

 意識が逃げることと痛みに耐えること以外に向いたせいか、晃はすっかり忘れていた人物に思い至った。


「そういや、あのデブ……霜山の野郎は、どうした」

「あっ…………まぁ、どうにかなんだろ」


 変な間がガッツリと入ってるし、玲次も忘れてやがったな。

 つい苦笑を漏らし、それに続く肋骨の痛みに顔をしかめながら、晃は質問を重ねる。


「まだ、地下室にいるのか」

「知るかよ。オレに訊くなって」

「他の誰に訊きゃいいんだよ。リョウと上に来るまでは、霜山も一緒だったのか」

「ああ……だけど、その後は知らん」


 玲次は、これ以上は踏み込んでくるなと言わんばかりに、雑な応じ方をしてくる。

 ここは敢えて踏み込むべきなのか、と検討してみる晃だったが、少し考えてみた末に、玲次が拒絶したがっているのが霜山についてではなく、慶太に関する話だと気付く。

 自分と優希がいなくなった後、あの地下室で何があったのかはいずれ確かめねばならないだろうが、それは今じゃなくてもいい。


「リョウはったし、クロも晃たちでブッ殺したんだろ? それを知ったら、あいつは逃げるだろ、多分。デブだし」

「いや、デブ関係ねぇだろ。霜山個人の力は話にならんけど、テイザーガンとか持ってたし、油断してっとヤバい」


 通用口の手前でそんな話になると、玲次は足を止めて錆びたドアを見据える。

 引き返して霜山をどうにかしておくべきか、考えを巡らせているのだろう。

 体がまともに動かないってこともあって、晃としては積極的に狩りに参加したいとは思えない状況だ。

 十秒ちょっとの停止を経て、玲次の手がドアのレバーを引き下げた。


「出てきたら殺すつもりで返り討ち、でいいだろ。カオリさんとユキさんも待ってるだろうし、早いとこ車まで戻ろう」

「……だな」


 リョウが動かなくなった後、ポケットを探ってみたら慶太の車の鍵が出てきた。

 晃も玲次も、免許こそないが運転はある程度できるし、佳織は免許を持っている。

 車に乗ってしまえば、そこからはどうとでもなる――はずだ。

 そんな思いから、晃も玲次の出した結論に同意しておく。

 

 外の空気は、さっきよりも冷えているようだ。

 まだ暗いが遠くは微かに白んでいて、朝が近いのを静かに報せてくる。

 四方八方から鳩の鳴き声が低音で響き、ここが山の中の廃病院だったことを晃に思い出させる。

 ドアから出ると同時の奇襲を警戒したが、霜山の姿どころか人の気配がない。

 今も病院のどこかに隠れているのか、それともサッサと一人で逃げたのか。

 

「結局のとこ、霜山は何が目的だったんだろうな」

「何、って……現実と妄想の区別がつかなくなったイカレた連中が、ただやりたいことをやったってだけだろ」


 晃の半ば独り言のような問いに、玲次は面倒くさそうに応じる。

 確かに、クロとリョウの行動には己の欲求を満たしたい、という意思が感じられた。

 クロは、捻じ曲がった性的ファンタジーの実現。

 リョウは、制約から解放されての暴力性の発露。

 二人の動機に関しては、そんなところだろう。


 しかし、霜山にはそういうシンプルなものではなく、もっと深い場所が膿み腐っている気配がある、と晃には思えてならなかった。 

 リョウとクロに指示を出している時や、慶太と翔騎を決闘させている時。

 それから、自分と優希に『犠牲になる一人』を選ばせている時なんかに、霜山の本性というか底意というか、そういうモノが垣間見えたような気がした。

 ただ、それが何なのかは上手く言語化できない。


「……とにかく、考えるのは後にしろ、晃。もうちょっとペースアップ、できるか?」

「正直キツい……でもまぁ、どうにかする」


 気持ち歩幅を広くしてみると、慣れたはずの全身の痛みが揺り戻される。

 これもすぐに慣れるから問題ない――そう自分に言い聞かせて、晃は歯を食い縛る。

 息も自然と荒くなり、背中や脹脛ふくらはぎには十数歩に一回のペースでもって、痙攣けいれんの予兆めいた強張こわばりが走る。


 普通の生活をしていたら使わない筋肉を、片っ端から使ったというのもある。

 普通ならやはり味わうことのないであろう、絞め殺されかけた感覚を思い出し、喉仏の辺りを撫でた晃は、少し先を進む玲次を追う。

 口ではこちらを急かしつつも、無理のないペースに留めようとしている。

 友人のさりげない気遣いに応えたい晃ではあったが、如何いかんせん体がボロボロすぎて言うことをきかない。


「警察に、通報するとして……どう誤魔化す?」

「あ? 誤魔化すって、何が」

「アレだよ……連中じゃなくて、俺らの方でやったことを、さ」

「正当防衛、ってワケにもいかないか。面倒だな」


 晃が懸念けねんを口にすると、玲次は露骨に不機嫌になる。

 疲労と苦痛で頭が働かない晃としても、考えるのはダルい。

 しかし、この件を「なんとかなるでしょ」でスルーしてしまうと、確実にロクでもないことになるだろう。

 常識外れの出来事が続いたせいで麻痺しかけているが、人が死んだり殺されたりするのは大事件なのだ。


 病院の中にある死体は、晃が目撃しただけでも六体。

 翔騎、ダイスケ、タケ、サクラのグループ四人と、クロとリョウの犯人コンビ。

 リョウの発言と玲次の態度、それに空から腕が降ってきたことを考えれば、慶太も間違いなく死んでいるだろう。

 七人が、一晩で死ぬ――殺される。

 改めて認識してみると、とんでもないなんてモンじゃない状況だ。

 

「……ダメだ、考えがまとまらねぇ。晃はどうだ」

「とりあえず、体中が痛い。あとめっちゃ眠い」

「オレよりダメじゃねえか……他の二人が、ナイスアイデアを出してくれる可能性、そいつに賭けるしかなさそうだ」

「かも、な」


 そんなことを話しながら、病院の正面入口前を通過する。

 二本の腕が降ってきた光景を思い出し、晃は上階の窓を見上げた。

 開け放たれたままの窓に、クロの姿を見た気がした。

 だが、幻覚は半瞬と経たずに消える。

 晃が口中に湧いた苦い唾を吐き出した直後、玲次が不意に駆け足になった。

 勘弁してくれ、と思いつつ晃は小走りでそれを追いかける。


「きゅ、急に……どうした?」

「いや、これ」


 玲次がランタンで指し示した方を晃も注視する。

 雑草と庭木の根の奔放な生育ぶりによって、派手に石畳が崩されている一帯。

 そこに自然との調和を無視して、淡い水色のブラジャーが不自然に落ちていた。

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