第44話 44 パニック・アタック

 近付いてくる足音は、確かに二つだった。

 歩調に若干の不安定さを感じさせる、スニーカーか革靴のものが一つ。

 もう一つは、重量感たっぷりな軍靴の響き――リョウだ。

 一緒に来たのは誰だろう。

 慶太か、玲次か、霜山か。

 話し声がしないので、晃には判別ができない。


 一歩、また一歩と足音は大きくなっていく。

 床に置いたカンテラがツルッパゲの頭を照らしたら、その瞬間に戦闘開始だ。

 晃は掌に滲んだ汗を短パンで雑に拭き、バットのグリップを固く握り直す。

 自然と荒くなる呼吸音を抑えようと、口だけでゆっくりと息をする。

 緊張でパッサパサに乾いた舌と喉が痛んでいるが、そんなことを気にしている場合じゃない。


「ぅおおおおおおおおおぁあああぁああっ!」

「……は?」


 完全に「そこじゃねえよ」ってタイミングで、ダイスケの咆哮が響き渡る。

 予想外に発せられた叫声に、気の抜けた疑問符を発する晃。

 リョウの姿は未だ見えていない――早い、早すぎる。

 愕然とする晃を一顧だにせず、表音不能な声を棚引かせてダイスケは駆ける。

 手にしたバールを闇雲にブン回しながら。


 馬鹿か――いや、馬鹿だ。

 緊張のせいか興奮のせいか、とにかく冷静さを丸ごと落っことしたダイスケが、最悪の状況で暴走した。

 計画をぶち壊しにした、あのスットコドッコイをフルパワーで殴り倒したい。

 殺意に近い悪感情が激発しかけるが、このまま単身でダイスケを突っ込ませるわけにもいかない。

 だから晃も仕方なく、階段に向かって走る。

 

「ふぁ――ふぉおおおおおおおおっ!」


 予定していた初手は、リョウが階段を上りきる直前に奇襲をかけ、足場の悪さを利用して転倒させ、数メートルの高さから墜落させる、というものだ。

 殴る蹴るは効かないし、バットで殴ってもどうにかなりそうな気がしないリョウでも、さすがに階段から落ちればちょっとはダメージを受けるだろうし、混乱に乗じての追加攻撃で重傷を負わせられる可能性もある。


 そんな計算から、晃と優希で考えて組み立てたプランだ。

 その手順はダイスケにも丁寧に説明したハズなのに、どうしてこうなった。

 階段の途中でリョウへと攻撃をかける、という最低限の約束事だけは憶えていたらしいダイスケは、奇声を上げながらまったく減速せずに階段の上段框(じょうだんかまち)を踏み越えて姿を消した。


 一拍おいて、鈍い衝突音と怒号と金属音と悲鳴が渾然となった、不吉に騒々しい雑音の塊が晃の耳に届く。

 咄嗟に自分も階段を駆け下りそうになる晃だが、状況がイマイチわからないのでまずは身を隠し、ダイスケが誰かを巻き込んで落下したであろう踊り場の様子を窺う。

 縺れ合って倒れている人影は三人分だ。

 カンテラの明かりが届いていないのでハッキリとしないが、ボンヤリと見える体格と服装から判断するにダイスケとリョウ――それと玲次。


「くっそぉああああああああああああっ!」

「ぅぐっ――」


 頭に血が上ってワケがわからなくなっているのであろうダイスケが、血を吐くような勢いでもってわめく。

 ダイスケの影はバールを振り上げ、リョウと思しき黒い塊に叩きつけている。

 直後に漏れるのは、あのバケモノが初めて発した、苦痛を表明する音声。

 これはひょっとすると、ひょっとするのか。

 ここは覚悟を決めて、階段を全段飛ばしての飛び蹴りを実施するべきか。


「しゃるぁあああああああああああああああっ!」


 俺が助走のために下がろうとした寸前、ダイスケから奇声と二撃目が放たれる。

 しかし、そのスイングは途中で太い腕によって弾かれ、バールは騒々しい音を拡散しながら一階へと転がり落ちた。

 そしてもう一本の腕が、ダイスケの首を鷲掴みにして高々と持ち上げる。

 カンテラは血管の浮き出た筋肉質の右腕と、状況を理解しきれていない様子のダイスケのまぬけ面を照らす。


「はばっ――ぷぇ――」

「やってくれるじゃないか、クソガキ。仲間の敵討かたきうちとは、泣かせるねぇ」


 余裕ぶっているが、そこはかとなく苛立ちの混ざった声で、リョウは腕一本で空中に掲げたダイスケの体を揺する。

 両足をバタつかせているダイスケは、気道を狭めている腕を外そうと爪を立てているが、功を奏している感はまるでない。

 顔色は赤紫に染められ、口の端からは赤色の目立つ泡がこぼれている。

 どうにかリョウの気を逸らさないと、ダイスケは程なくして窒息死だ。

 ぶっちゃけ、それでもいいんじゃないかという気持ちがないと言えば嘘になる。

 だが――目の前で誰かが無意味に殺されるのを見るのは、もう御免だ。


「他の連中はどうした」

「ここだよ、ボケ」


 リョウの問いに代わりに答えながら、右手にベコベコになった金属バット、左手にカンテラを提げた晃は、一歩一歩階段を下りていく。

 本人は自信たっぷりの表情を浮かべているつもりだが、見返してくるリョウの小馬鹿にした雰囲気からして、緊張が隠しきれてないのかも知れない。

 晃がカンテラを七段目の端に置くと、リョウは晃を踊り場から睨め上げて、ダイスケを階下に放り捨てた。


「なっ――」

「あぐっ、ばっ! ぅううぅう……」


 数度の悲鳴が鈍い音と重なり、最後は力のない呻きに転じた。

 奇襲ではなく堂々と姿を見せることで意表を突こうとしたつもりが、逆にこちらが動揺を誘われている――そんな焦りが、晃の額に大量の汗を生じさせる。

 身軽になったリョウは、さっきまでダイスケを持ち上げていた右手首をグルグルと回すストレッチをしながら、晃の出方を待っているようだ。

 その足元には、ダイスケによる特攻の巻き添えになったらしい玲次が、うつ伏せになって転がっている。

 

「おい、玲次!」

 

 晃が声を張って名前を呼ぶが、返事はない。

 気絶しているのか、そもそも返事をできる状態じゃないのか。

 

「ほらほら、お友達が呼んでるぜぇ」

「ぅぼっ」


 唇を歪めての厭らしい笑みを浮かべたリョウが、晃から視線を外さずにコンバットブーツの踵で玲次の脇腹を蹴りつける。

 弱々しく悲鳴を上げた玲次は、僅かに体を捩った後は再び動かなくなった。

 晃は半ば無意識に、奥歯を割り砕きそうな圧力で噛み締めている。


 煽られているのはわかる。

 リョウが、こちらの感情任せの突撃を待っているのもわかっている。

 それでも、乗るしかない。

 必要以上に膝に力が入っているのを感じながら、晃は階段を下っていく。

 踊り場まで、残すところ三段。

 右手で持ったバットを大きく振りかぶった瞬間、素早い足運びで距離を詰めたリョウの右アッパーが、晃のガラ空きの腹に突き刺さった。

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