第26話 26 君は生き延びることができるか
カチャカチャと安っぽい金属音を鳴らし、ナイフは戦闘態勢へと転じる。
チンピラ感のある見た目だし、翔騎はこの手の道具に慣れているのだろう。
動揺しっぱなしで笑っていた膝も今は収まり、少し猫背気味ではあるが真っ直ぐに立って、慶太にナイフの切先を向けていた。
慶太と同様に、翔騎もまた目が据わっている。
二人共、もうやるしかないとスイッチを入れているようだ。
「イイヨイイヨー、やっとそれっぽくなってきたじゃねぇか、なぁ?」
「クロさん、解説キャラって設定はどこ行ったんです?」
佳織の首に腕を巻きつけているクロが楽しげに言い、そこにリョウからやんわりとツッコミが入る。
霜山はどこからか持ち出したパイプ椅子に腰を下ろし、対峙する慶太と翔騎を目を細めつつ眺めていた。
その態度は完全に、見世物を堪能しようというスタンスだ。
クロとリョウはわかりやすく危険だが、今の霜山はちょっと底が見えない。
「くっ、ぐ……」
歯を食い縛った慶太の口から、苦しげな
右手で鉄パイプを握っているが、根元から断たれた二本の指の痛みと、傷口から流れ続けている血の
程なくして、ガルン――と音を立てて鉄パイプが取り落とされる。
慶太はタールっぽい黒と自分の血の赤で
「それではルールの説明。試合形式は超バーリトゥード、ガチの『何でもあり』だ。反則はなし、ドローもなし、どちらかが死ぬまで終わらない。OK?」
「……ああ」
リョウの問いに慶太は小声で答え、翔騎は黙って頷いた。
「ついでに言っとくと、ヘボかったりヌルかったりの展開を続けたり、途中でバックレようとしたら、それ相応のペナルティが発生すっからな。きっちりエンターテイメントするよう、気合入れてけや」
ヘラヘラと笑いながら注意事項を告げてくるクロには、慶太も翔騎も返事をしない。
だが、何をするかわからない奴だとは理解しているだろうから、二人とも逃げ場を塞がれたような気分に違いない。
誰も何も言わなくなり、三十秒ほどの時間が流れる。
そして、恐らくは開始の合図のためにリョウの右手が上がった――が、それが下に振られるより早く、翔騎の右足裏が床を蹴った。
「らぁあああああああっ!」
「カーン!」
「ぅぼっ――」
翔騎は気合を入れようとしたのか、雄叫びを上げて駆ける。
それを見たクロは、ゴングの音らしきものを口で表現しながら、近くに座っていた怜次の背中を蹴る。
何の前触れもなく蹴りを入れられた怜次は、呻き声を上げつつ横倒しになり、恨みがましくクロを
ナイフを手に突っ込んでくる翔騎に対し、慶太は鉄パイプを構えて迎撃姿勢をとるでもなく、その場に棒立ちだ。
痛みと出血のせいで、まともに動けなくなっているのか。
あと数歩、というところまで翔騎が迫る。
「おい、危なっ――」
「避けろって、兄貴ぃ!」
「いやぁあああああっ!」
晃、怜次、佳織の声が渾然となって、一つの聴き取り不能の悲鳴になった。
慶太はその声に反応せず、ノーガードで突進を待ち受ける。
逆手に持ったバタフライナイフを振り翳した翔騎の顔が、泣き笑いの形に歪む。
何の恨みもない相手を殺せと言われ、混乱の極みにあったのだろう。
対する慶太はどうだったのかわからない――が、翔騎の表情に驚愕の色が混ざり、そのまま見えなくなった。
「ふっ!」
「ぅお――なぇあああっ?」
斜めに振り下ろされた翔騎の右手は、慶太の左手が薙いだ鉄パイプの一撃を受ける。
打ち据えられた手首は鈍い音を鳴らし、衝撃はナイフを宙に舞わせた。
そして、勢いのままにぶつかってくる翔騎の腹に、カウンター気味に慶太の右膝が突き刺さった。
何が起きたのか把握できていない、疑問系の喚き声を残して、翔騎は前のめりに床に倒れ込んだ。
「おおっとショーキ選手、奇襲攻撃をあっさりとかわされて無様にダウンです! どうですかクロさん、序盤のこのグダグダ展開」
「ああ、まぁ、糞ダサいの一言ですねぇ。ナイフを持って気が大きくなってたのかも知れねぇけど、ちょーっち相手をナメすぎ。自殺願望でもあんのかってくらい、隙だらけの突撃だしよぉ。この試合を何だと思ってんだか」
「確かに、ここで終わられても客のブーイングは不可避です」
「ケータ君はカラーテもやってるから、もうちょいハンデあっても良かったかもな」
実況のリョウと解説のクロは、顔から床に突っ込んだ翔騎と、それを顔を
するとそこで、リョウの斜め後ろに鎮座していた霜山が立ち上がり、パンッと乾いた
この部屋にいる全員――いや翔騎は微妙だが、とにかく大部分の意識と視線が霜山に集中する。
「じゃあ、ハンデを追加で」
「えと、どの辺りを?」
「任せるよ。バランスいい感じでね」
霜山からの曖昧な注文を受け、リョウが慶太の方へと歩み寄る。
右手の指二本を切り取られた記憶がフラッシュバックしたのか、慶太は鉄パイプを木刀みたいに構えながら後ずさっている。
「めろやめろやめろやめろくんなくんなくんなくんな」
念仏のように何度も何度も拒絶の言葉を繰り返しながら、力なく頭を振る慶太。
佳織の危機によって復活した心が、再びヘシ折られようとしている。
リョウはそんな慶太に対して何の感情も抱いてない様子で、大股で近付いて行く。
そして鉄パイプを掴むとグイッと引き抜いて、空き缶を棄てるような粗雑な動きで背後に放り投げた。
「右と左、どっちがいい?」
「うぁあっ、おおおおおおおおっ!」
無造作に距離を詰めてくるリョウに、慶太は半狂乱の二歩手前くらいの取り乱しっぷりで左のミドルキックを放つ。
普通ならば――例えば晃ならば、アバラの二本か三本を折られて吹っ飛ぶような、そのくらいの破壊力がある一撃。
しかしリョウは、まるで痛みを感じた様子もなく、無表情に慶太の蹴りを受け止めた。
「ぬっ――」
「左か。そいつは
いい笑顔を浮かべたリョウは、両腕で慶太の左足を掴みながらバランスを崩し、
ように見えたが、直後に違うと晃は気付く。
これはドラゴンスクリュー――膝を攻めるのを主目的にしたプロレスの投げ技だ。
警戒していれば対処法もあるし、受身でダメージを受け流すことも出来る。
だが、そんな攻撃が来ると予想できるはずもない慶太は、投げられるのに抵抗した挙句に無防備で床に叩き付けられる、という悪手のフルコースを堪能することに。
「ふごっ! くぉおっ……おぉあああぁあああぁああ……ぁあああぁ!」
背中を強打した慶太は、一瞬呼吸を止めた後で、左膝を抱えて転げ回った。
ドラゴンスクリューは、
かつてそう晃に教えてくれたのは慶太だったはずだが、その当人がものの見事に最悪のケースを再現してしまったようだ。
技をかけたリョウは、全身の砂埃を払いながら立ち上がる。
「こんなもんでどうですか、霜山さん」
「ん、いいんじゃない」
「じゃあ試合続行、ファイッ!」
実況なのかレフェリーなのか、もうサッパリな立ち位置でリョウが宣言する。
続行って言っても、慶太も翔騎もまともに動けないのではないか。
反射的にそう思う晃だったが、その視界に予想外の光景が飛び込んできた。
腹にモロに膝が入ってぶっ倒れていた翔騎が、慶太に向かってにじり寄っていた。
その右手には、弾き飛ばされたナイフが再び握られている。
左手は右手首をギュッと掴んでいる――鉄パイプの一撃は、かなりの後遺症を残しているらしい。
「ケイちゃん! 来るから! 来てるから、立って!」
晃が声を張り上げる。
慶太は聞こえてないのか、聞こえていても反応できないのか、膝を抱えて
直後、想像以上の瞬発力でもって翔騎は慶太に圧し掛かり、ナイフの刃が消えた。
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