第27話 27 DEAD END

「あぁづっ――ってぇな、クソがっ!」

「ぼぉっ?」


 口汚く吼えた慶太に退けられ、翔騎が床に転がされる。

 攻撃は外れたのか――と思った晃だが、見れば慶太の左の肩甲骨付近からナイフの柄が飛び出していた。

 ということはつまり、十センチほどある刃は肩の奥に深々と食い込んでいる。

 慶太は割と平気そうだが、他の痛みによって麻痺しかけているのか、或いは脳内麻薬のアドレナリンが仕事してるのか。


「んぎっ!」


 晃がそんなことを考えていると、地面に落ちたセミが踏み潰されたような呻きを漏らし、慶太が自分に突き刺さっているナイフを引き抜いた。

 派手に血が噴き出るような絵面にはならなかったが、シャツには結構な勢いで色の濃い染みが広がる。

 慶太はナイフを適当に放り捨て、鉄パイプを回収することもせずに、左足を引きずり気味に膝立ちでいざって翔騎へと近付く。


「ってくれたなぁあああ! ああ? おぉい! おぉお?」

「ふがっ――たっぱ! まぅふっ!」


 仰向けに倒れた翔騎のマウントをとった慶太は、怒声と奇声の中間あたりの声と共に、左の拳を連続して顔面に叩き込む。

 当然ながら翔騎はガードしようとするが、技術的にも体勢的にも防御が難しいようで、何発も重たい有効打を食らっているようだ。


「シッ――フッ――フンッ――シッ」

「ぁぱっ……ごぇ、ぷぁ……ばっ」


 パンチの数が十を超えたくらいで、慶太は自分の苦痛が高まってきたのか、一発一発を静かに、そして丁寧に突き入れるように変化させる。

 打撃音には水気が混ざるようになり、怒声は鳴りをひそめて強めの呼気に代わる。

 翔騎の口から出るうめきとあえぎは、かなりのペースで濁っていく。

 試合に出ている慶太の姿は何度となく見ている晃だが、ここまで凄惨な光景を見るのは初めてだ。

 というか、慶太の行動に恐怖心を感じてしまうのも、これが初めてだった。

 そして、そんな慶太を軽々と捻じ伏せてしまう、リョウの規格外な怪物ぶりにも、改めて震撼しんかんさせられる。


「さて、解説のクロさん。膝へのハンデ追加とショーキ選手のナイフアタックでもって、ここは形勢逆転になるかと思われましたが、ケータ選手が予想外のしぶとさを発揮してますね」

「や、何つうの? この場合、金髪の無能ぶりが話になんねぇだけだわ」


 解説っぽい台詞回しを完全に放棄したらしいクロは、締め上げている佳織の右乳をリズミカルに揉みしだきながらリョウに応じる。

 佳織は抵抗せずにされるがままだが、半ば首が絞まっているのでそれどころじゃないようだ。


「ショーキ選手とケータ選手では、肉体的なポテンシャルが違いすぎた、というのがこのミスマッチの原因でしょうか」

「違うなぁ。肉体的ってよりも、精神的なモンだぜ、こりゃ」


 慶太と翔騎の声はほぼ消え去り、散発的に湿った雑巾を壁に投げるのに似た音が響く。

 そんな状況で、クロはニヤニヤ笑いを浮かべながら滔々と語る。


「さっきの状況で金髪の小僧がやるべきだったのはな、メッタ刺しだ。グッサグサにやっとくべきだった。殺人事件で被害者がメッタ刺しにされてたりすると、犯人の残虐性が由来みたいに思われがちだがな、そいつぁ殆どが勘違いだ」

「ほうほう。では、実際には?」

「相手を何度も刺す理由はなぁ……弱いからか、臆病だからだ。反撃されませんように、生き返りませんようにって、そんな糞だっせぇ願いが込められた、弱者ならではの狂乱なんだ。だからヘボチンな金髪も、隙を突いてメッタ刺しとくべきだった、ってワケよ」


 クロの澱みない説明には、妙な説得力があった。

 そのアドバイスは、今の翔騎の耳には届きそうもなかったが。


「ところでクロさん、『殆どが勘違い』とのことですが、例外はどのような?」

「そりゃおめぇ、すぐには死なせず長く苦ませるように、内臓と太い血管を外して浅く刺したり斬ったりしてからの反応を堪能する、そういう高尚な趣味の持ち主の優雅な遊びに決まってんじゃねえか」


 己の畜生な行為を高尚で優雅と言い張る、クロの神経の太さに晃が眉間に皺を寄せていると、慶太が一際大きな息を吐いた。

 全員の視線が、左膝を庇いながらヨロヨロと立ち上がった慶太に集まる。

 ダラリと下げた両手が半袖シャツの袖口まで真っ赤だ。

 右手は慶太の血だろうが、左手を染めているのは――


「……終わった、ぞ」


 吐き捨てるように慶太は言い、左脚を引きずって翔騎から五、六歩離れ、ギクシャクした動きで床に腰を下ろす。

 一歩分を動く毎に、結構な数の血痕がバラ撒かれていた。

 へべれけの酔っ払いが嘔吐ゲロを我慢しているのを彷彿とさせる、荒く不規則な呼吸が痛々しい。

 顔の腫れもさっきより酷くなっていて、まさに満身創痍まんしんそういといった雰囲気だ。


「こっ……これでぇ、いいぃんだろっ!」


 ヤケクソ感に満ち溢れた、慶太の大声。

 霜山に向けた指先――いや、全身が震度三くらいの勢いで震えている。

 興奮状態が治まっていないというか、今がそのピークじゃなかろうか。

 怪我の程度が心配になってきた晃は、状態だけでも確認しようと慶太の方へと向かう。

 その途中、翔騎の姿が目に入ってしまい、反射的に足を止めた。


「ふうう……ぅあ」


 晃の喉の奥から、無意識に奇怪な音がせり上がる。

 仰向けで倒れている翔騎は全身を弛緩しかんさせ、その瞳孔どうこうの開いた目はどこも見ていない。

 鼻は完全に潰れて捻じ曲がり、骨らしいものが挫創ざそうから数センチ突き出している。

 半開きの唇はズタズタに裂けていて、血涎ちよだれに塗れた歯の破片があちこちに散っている。

 全体的に顔の輪郭が歪んでいる――連続しての殴打による人工的な凹凸が、数分前までの翔騎とは別人の容貌を作り上げたようだ。


 翔騎はピクリとも動かない。

 指先が動くこともないし、苦痛に身を捩ることもしない。

 呼吸で胸が上下することも、もうない。


 死んだ。

 死んでいる。


 殺した。


 慶太に殺された。

 自分の代わりに――慶太が殺した。


 慶太の言葉と晃の反応で、皆もどうなったのか理解しつつあるだろう。

 今、この場所で、何かが終わった。

 それが何なのか晃には大体理解できていたが、敢えて考えないようにした。

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