第四章

第28話 28 いらない子

 終わった――いや、まだだ。

 まだ最も重要な状況が、まったく片付いてない。

 その自覚だけはあるのだが、晃の頭は考えるのをやめていて、上手く働いてくれなかった。

 慶太はたぶん、もっと混乱して脱力しているだろう。

 佳織と玲次と優希も、きっと似たり寄ったりなんじゃなかろうか。


「はいはーい、お疲れちゃーん。これでお前も『こっち側』なんだぜ……どうよ、メデタく人殺しになった気分は? 最高ですかぁ? 元気ですかー?」


 どこかで聞いたようなフレーズでの質問が、どこかで聞いたような言い回しでクロから慶太へと投げつけられる。

 いかにも愉快そうな表情で、背後から両方の鼻の穴に指を突っ込みながら。

 いつの間にか、人質だった佳織は打ち棄てられていた。

 人の死を間近に目撃してしまったおごそかに張り詰めた空気は、一瞬にして掻き消されてしまったようだ。


「ぐぁ――ひゃ、ひゃめろぁ! ぷぁ! お、お前らの言う通り、やっただろ……やってやった! これで終わりだ! 終わりだろ!」


 勢いよく顔を左右に振って、慶太はクロにかまされた鼻フックを外す。

 そしてアロハの裾を掴んで懇願するが、その慶太の顔面にクロは無言で素早いチョップを落とした。


「ベっ――」

「何度も言ってっけど、決定権はお前らには与えられてねぇの。なぁリョウ?」

「ああ。学習能力ゼロすぎて、ちょいグッタリするね」


 クロに話を振られ、実況役を終了して素に戻ったリョウが答える。

 リョウの視線は、連中のリーダーらしい霜山へと向けられていた。

 次の指示を待っている状態、なのだろうか。

 絶望的な事柄が終わった安堵感あんどかんは、別の絶望が始まりそうな陰鬱な予感に取って替わられようとしている。


「なぁ、シモヤマ! これで終わりだろ? 殺したら、それで終わりだって言ってたじゃねえかよ、なぁ!」

「さん、が足りてねぇ、よっ!」

「ぅだっっ! ぼはっ、ふぁあ……う、うぅ」


 リョウに肩を蹴り飛ばされ、慶太が横向きに床を滑る。

 名指しされた霜山は、うつむき加減に何事かを考えているようだったが、不意に顔を上げて晃の方を見た。

 その不吉な表情は晃の古い記憶を刺激して、小学生時代の日常風景を思い出させる。

霜山の表情に重なったのは、怜次が下らないイタズラを思いついた瞬間の笑みだった。


「終わりにするつもり、だったんだけどね」


 含みを持たせてある言葉に、場の空気がヒビ割れる。

 一分ほど前まで何となく漂っていた、間延びした雰囲気が一瞬にして霧散した。

 晃は口の中が急速に乾いていくのを感じながら、話の続きを待つ。

 十数秒後、霜山が急に真面目くさった顔になって、晃を指差してくる。


「そもそもボクは、キミを指名したハズだよね……ショーキ君をやれって時に」

「うぁ? たっ、確かにそうだったけど……ケイちゃんが代わるって言って、そっちもそれでOKだって、そう言ったんじゃ……」


 突然に話を振られ、困惑しながらも晃は抗弁する。

 霜山は不思議な形をしたゴミを見るような目でその姿を眺めた後、仲間に問い掛ける。


「そんなこと、言ったかな?」

「さあ」

「どうだったかねぇ」


 リョウとクロは、二人してニヤつきながら霜山に答える。

 更に食い下がろうとした晃は、そこで不意に気付いてしまう。

 気付いたことで、絶望は深くなるだけだったが。


 これはゲームだ。


 実際にどうだったかとか、誰が何を言ったかとか、そういうことは関係ない。

 全ては霜山たちの思い通りに進行し、奴らの気分次第でルールも展開もコロコロと変わる、そういうゲームに自分は参加させられているのだ、と。


 プレイヤーであっても、勝利するチャンスは億に一つも用意されていない。

 こちらがやれるのは、ゲームマスターが飽きてお開きになるのを祈るか、隙を窺って遊戯盤を引っ繰り返すことだけだ。


「だからぁ! もう、いいだろうが!」

「ケイちゃ――」


 今の危険度の高い流れをどう変えるべきか晃が頭を悩ませていると、蹴り倒されていた慶太が唐突に身を起こして怒鳴り散らし始めた。

 厭な予感がした晃は名前を呼んで止めようとするが、聞く耳持たずに慶太は続ける。


「俺も、俺らも人、殺しちまったんだから……だから警察なんか、行けねぇ……あんたらと同じでっ! だから、ここでは何もなかったんだ! なぁ?」

「ボクらと同じ、か」

「そうだろ? 死体の処理を手伝えってんなら、それもやる……車もあるから、運んで埋めろってんなら、そうすっから、だから! 頼むよ、マジで……お願いします、何でもするんで、もう終わりにして下さぁあああい!」


 体のアチコチが痛むからか、慶太は殴り潰されたカエルみたいな格好の、土下座らしきポーズを作って霜山に懇願する。

 玲次も、佳織も、優希も、形振り構わぬ態度の慶太に驚いているのか引いているのか、微動だにせずに状況の推移を見守っている。

 予感が当たってしまった晃は一人、右の掌で顔を覆って深い溜息を吐く。

 これはダメだ――悪手のオンパレードだ。

 

 下手な駆け引きを持ち出しても、相手を苛立たせるだけ。

 同情を買おうとしたり共感を得ようとするのも、無駄な努力にしかならない。

 みっともない絶対服従宣言も、あの三人の耳を素通りしていることだろう。

 そもそもが、こちらは生殺与奪を完璧に握られている状況なのだ。

 虫籠むしかごに入れられたクワガタや、バケツに放り込まれたザリガニに近い立場でしかない。

 昆虫や甲殻類を相手に、どこの馬鹿が交渉を始めるというのか。


「さて……どうしたもんかな」

「何でもする、って言われても困りますねぇ」

「あ、久々にアレいいんじゃね、アレ」

「アレってのは?」

「アレだよ、いのちのせんたく」


 案の定、霜山達は楽しげに物騒な相談を開始した。

 クロが言う『いのちのせんたく』とは何だ――口ぶりとシチュエーションからして、とりあえず風呂ってことはないだろうが。

 晃の不安を煽るように、リョウが乾いた笑いを漏らす。


「クカカッ、ホントに趣味悪いんだからなぁ、クロさんは」

「非の打ち所がない紳士だってのに、スゲー風評被害だぜ? ……で、どうします」

「うん、それで行こうか……じゃあ、今度こそキミの番だ」


 霜山の視線が晃に向けられ、クロとリョウは顔を見合わせて頷く。

 そしてリョウは、土下座を続けている慶太に大股で近付くと、その腕を取って再びタイラップで後ろ手に縛り上げた。

 それから抵抗する気力もない様子の慶太を引きずり、クロが間隔を空けて座らせた玲次達の列に並べる。

 成り行きを呆然と見守っていた晃の肩が、リョウの大きな手で強く叩かれた。


「ぅひっ!」

「さぁて、アキラ君の見せ場だぞぅ」

「見せ……えっ? 何の」


 再び回ってきた自分が主役らしいターンに、晃は困惑しかない感じで問い返す。

 霜山は学習能力のない駄犬にウンザリしているような、気怠けだるそうな態度で応じる。


「今度こそ、キミが殺せば終わりだ。でも、またウダウダ言われるのも面倒だから、今回は決めるだけでいい」

「決めるって、何を……なんです?」

「自分達の中で誰を殺すか、だね」


 霜山がさりげなく語った簡潔な言葉は、晃の頭の中で意味を形作るまでに随分と時間がかかった。

 自分達の中で、誰を殺すか――それを決めろというのか。

 クロが言っていたのは、『命の選択』という意味だったのか。

 どんな場面で聞いてもタチの悪い冗談としか思えない指示だが、三メートル先に撲殺死体が転がっている状況では、笑うに笑えない。


 晃は後ろを振り返り、一列に並べられた仲間達を順に眺める。

 自分をかばって殺人者となってしまった慶太は、さっきのやりとりで気力を使い果たしたのか目が虚ろだ。

 親友であり慶太の弟である玲次は、心配そうに兄の様子を窺っている。

 慶太の恋人の佳織は、眼前で展開された惨劇を受け止め切れないのか、ゆっくり頭を左右に振り続けているばかり。

 その佳織の友人で、一時期はいい雰囲気になりかけていた優希は、もう長いこと放心状態のままだ。

 

「まぁ、深く考えずに、一番死んでもいい奴を選べばいいんだって。こん中から一人、いらないのを」

「……そん、なの」

「誰も殺したくない、って博愛精神を発揮したいなら、自分を選んでもいいんだぜ」

「う、うぅ……」


 クロとリョウの言葉に、晃の心は乱れ放題に乱れる。

 一体、どうすればいい。

 どうすれば――

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