第29話 29 多少の犠牲

 気管が何箇所かで詰まっているような感覚があって、酸欠気味になってしまいスムーズに呼吸ができない。

 心臓の動きはずっとおかしいし、季節感を失わせるほどに指先が冷えている。

 逃げ出したいけれど、心理的にも物理的にも逃げ場のない状況に、晃は心身が共に変になりかけていた。


 仲間から一人、死なせる人間を選ぶ。


 極限状態を扱ったフィクションならば、結構な頻度で見かけるシーンだ。

 しかし、これは現実――酷い話だ、では終わらない。

 自分が誰かを選んでしまえば、その人間は確実に殺される。

 霜山達は、タチの悪い冗談を具現化したような連中だ。

 エスカレートした悪ふざけの行き着く先というのは、きっとこういうものなのだろう。

 

「悩む必要なんざねぇだろぉ? パッと思い浮かんだいらない子、そいつをズビッと指差しゃいんだよ」

「そうそう。人間はいずれ死ぬんだから、それが十分後だろうと八十年後だろうと大差ないって。ドーンと行ってみようや」


 クロとリョウは、脂汗を際限なく流している晃に、そんな言葉を投げてきた。

 湿った髪を掻き上げ、晃は鈍く重い痛みを訴えてくる頭を無理に働かせて、犠牲者の選定に入ろうとする。

 しかし、これまでの十七年の人生で初となる陰鬱な作業に、考えはいつまでもまとまらない。


 やむを得ず、晃は自分を納得させるために『選んでもいい理由』を探し始める。

 まずは、慶太――年上の幼馴染で、もう十年以上の付き合いになる。

 空手をやっているが荒っぽさはなく、性格は社交的でノリがいい。

 しょっちゅう意味不明なイベントに巻き込んでくる困った友人だが、それを楽しみにしている自分がいたのも確かだ。


 厄介事を引き起こしはするが、最終的には慶太がどうにか解決してくれたので、そこまで深刻な状況に陥ったことはなかった。

 今回は大変なことになっているが、翔騎とのことで既に助けられている。

 慶太を犠牲にする、という選択肢はない――というか、早く病院に連れて行くためにもいつまでも悩んではいられない。


 続いて晃は、慶太の隣にいる玲次のことを考える。

 慶太の弟である、近所の幼馴染。

 学年が一緒で、小中と同じ学校で過ごしてきたのもあって、慶太よりも親友感が強い。

 最近は彼女との予定を優先されている雰囲気はあるが、それでも家族より一緒にいた時間は長いかもしれない。


 慶太と玲次は、選択肢に入れられない。

 では、佳織はどうだろう。

 ある程度は落ち着いたのか、もしくは魂が抜けかけているのか。

 床の一点を見つめて動かなくなっている、慶太の恋人を晃は見据える。


 何だかんだで、もう二年近い付き合いになるだろうか。

 飛び抜けて美人でもなく、特筆すべきスタイルでもないが「普通にかわいい」とかそんな感じの評価は万人からされるであろうルックス。

 性格はシンプルにいい子な常識人だが、時々暴走する慶太のノリにもしっかりと合わせてくる柔軟性はある。


 ここで佳織を選んでしまったら、慶太は自分のことを一生許さないだろう。

 許すと言われて、当人がそのつもりであったとしても、心の奥では致命的な太いトゲとして残り続けるのは間違いない。

 そうなると、佳織も候補から外れてしまう。

 腕組みをして宙をにらんでいると、慶太が苦しげな声で話しかけてくる。


「……アキラ、悩む必要はねぇ……俺を、選べ」

「ケイ、ちゃん……」


 そう言われても、慶太を選ぶのはやはり無理だ。

 慶太にとっての佳織と同様に、親友を見殺しにしたという事実は、晃をいつまでも際限なく苦しめ続けるのは想像がつく。

 となると、あとは二択。

 優希か自分か、だ。


 優希の方を見ると、思いがけず目が合った。

 放心状態からは回復している様子の表情だったが、そこに浮かんでいるのは悲哀とか諦念とか、そういう雰囲気が濃厚なマイナス感情だ。

 彼女はきっと、気付いてしまっている。

 晃が犠牲者を選ぶのならば、消去法で自分になるだろうと。


 その推測は正しい。

 悩んではいるが、晃の中では半ば優希を選ぶことが決定されている。

 つい数時間前に会ったばかりの、友達の彼女の友達。

 二度三度と会っていれば友人になっただろうし、もしかしたらその先の関係にもなれたかもしれない。

 だが現時点では、最も他人に近い関係性の相手だ。


「い、いや……お願い、だから……」


 そんな思考が伝わってしまったのか、優希は瞳をうるませてかぶりを振り、弱々しく否定の声を上げる。

 晃としても、できることなら優希を救いたい。

 だが、全員を助けようと思ったら、自分を犠牲者として選ばなければならない。

 家族や親友のためならば、そういう選択もあるだろう。

 しかしながら、赤の他人以上知り合い未満な誰かのために命を捨てられるほど、晃はヒーローの資質を持ち合わせてはいなかった。


「どうよ、そろそろ決まったか」

「…………ぅ、あ、ああ」

「そうか。じゃあ、お前が選んだ、お前のせいで死ぬ奴はどいつよ?」


 殊更ことさらに「お前が」を強調して発音してくるクロの言葉にくじけそうになるが、晃は覚悟を決める。

 これ以上、どう考えても結論は変わらない。

 さっきまで色々と考えを巡らせていたのも、結局のところは何の意味もない。

 ただ、散々に考え抜いた苦渋の果てに犠牲者を選んだのだ、というエクスキューズが欲しかっただけだ。


 誰に対しての言い訳なのか。

 選ばなかった仲間達か。

 選んでしまった相手か。

 選べと命じた霜山達か。

 選ばされた自分自身か。

 

 混乱に混乱が重なる精神状態をどうにかしずめ、晃は目をつぶって深呼吸を三回繰り返す。

 それから目を開けると、自分でも驚くほどにハッキリとした口調と動作でもって、相手を指差しながら言った。


「優希さん、で」

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