第6話 06 ちょっとした悪戯心
「おまっ、ナニしてんだよっ！」
「やぁ、悪ぃ悪ぃ」
慶太がボリューム控えめに怒鳴るが、大きな音を立てた玲次に反省の色はない。
一騒動が片付くと、今度は想像以上の静けさが辺りを包む。
自然音がシャットアウトされたことで、廃病院が持ち前の不気味さを遺憾なく発揮し始めたようだ。
「とにかく、色々と見て回ろうぜ」
場の空気に呑まれないよう気負っているのか、慶太は妙にテンションが高い。
慶太の隣に佳織、その後ろで晃と玲次が優希を挟むような隊形を作り、五人はひと塊になって廊下をゆっくりと進む。
一階は窓が少なく月明かりが期待できない――手持ちのライトだけが頼りだ。
電池切れを警戒して晃と玲次は明かりを消しているので、三つの光が足下と周辺を照らしている。
先に進んでもそれほど荒れている気配はなく、複数人の靴跡だけが建物の奥へと続いていた。
大規模な火災が起こったとの話だが、リフォームが上手く行ったのか、床にも壁にも天井にもそんな痕跡は見当たらない。
何にせよ、廃墟となり果てた今では関係ないのだが。
晃がそんなことを考えていると、先頭を歩く慶太の足が止まった。
「セク……なんとか、って書いてあるな。警備員の待機所か？」
「大学生だろ兄貴。セキュリティ程度の英語は読んでくれよ。弟としてしんどいわ」
「物理的にムリなんだよ、ホラ」
言いながら慶太がライトで照らしたドアは、赤系のスプレーで英語らしい文字が落書きされていた。
崩れ過ぎていてその文字は読めないが、赤色に塗り潰されてプレートの文字も読めない。
「ん？ 鍵かかってんな、ここ」
玲次がノブを回そうとするが、ガチャガチャという音すらせず微動だにしない。
抉じ開けて中を確認するまでもないだろう、という共通認識が無言のまま広がり、慶太のライトは再び廊下の方を照らす。
二十メートルほど進むと、等間隔でドアが並んでいる一角が見えてきた。
「病室……かな」
「うん」
佳織と優希が、手にしたライトでスライド式のドアと、その周囲を照らす。
外から施錠できるタイプのドアのようだが、精神病院と聞いてイメージする厳重さは感じられない。
ここには、症状が軽い患者を収容していたのだろうか。
「おっ、コッチは開いてんな」
玲次が重そうな扉を一気に開ける。
その後ろにいた晃は、
先入観がもたらした、単なる幻覚かも知れなかったが。
慶太が中に踏み込んで、ライトで八畳ほどの室内をあちこち照らす。
一応は窓があるようだが、かなり小さかった。
これでは、昼間でも採光が機能しているかどうか、だいぶ怪しい。
しばらく人が出入りしてないようで、床には慶太のもの以外に足跡は見えない。
室内には金属製の無骨なパイプベッドが二つ並び、その間に枠だけが残ったパーティションが佇んでいる。
「何だコリャ」
そんな慶太の呟きに続いて、乾いた金属音が鈍く鳴る。
ライトが当てられた部屋の隅を見れば、缶詰らしき円筒形の物体が数十個詰んであった。
金属音は、コレを蹴った音か。
足下に転がってきたものを晃は拾い上げる。
佳織が手元を照らしてくれた――ラベルは
「えらいサビてるな。賞味期限が……六十三年の十一月」
「昭和？」
「まぁ、そうだと思う。見舞いの品か何か、なのかな」
同じ銘柄の他の缶詰を見ても、六十二年の七月や六十四年の九月といった、似たような日付が印字してあった。
晃が読み上げる日付を聞きながら、慶太は微かに眉を
「見舞いの品にしては、年代がちょっとオカシい」
「六十四年は一月で終わりとか、そういうミステリー話？」
「違ぇよ。病院の廃業時期は、この賞味期限よりずっと先なんだよ」
慶太の指摘について晃は考えてみるが、それらしい理由付けは思い浮かばない。
ジッと錆びた缶に目を落としていると、肩をポンと叩かれた。
「そんなんいいから、次行こうぜ、次」
「……ああ」
玲次に促され、晃は手にしていたものを放り投げる。
中身の水分が失われているのか、缶は先程と同様に乾いた音を立てた。
缶詰のあった部屋を出た後、隣の病室、その隣の病室と、扉を開けて中を確認してみたが、どこも似たような光景が待機していた。
底の抜けたベッド、壊れたパーティション、破れたクッション、ブラウン管の割れた旧式ＴＶ、毛羽立った木製のテーブル、ドアの消えたワンドアの冷蔵庫、ガラス戸がヒビだらけの棚などが、相応の経年劣化を刻まれた姿で暗闇に溶けている。
「やだ、何これー、ふわーう」
「わ……ナニナニナニ、ちょっ、やめてって！」
随分と雰囲気に慣れた様子の佳織が、ベッドの上に置かれていた子供サイズの肌着を摘み上げ、優希の目の前でヒラヒラと動かして嫌がられている。
どうも、肝試しというには真剣味が足りない、ダレた空気になりつつあるようだ。
そんなノリを読み取った晃は、廊下に出て煙草を吸っている慶太の所へと向かう。
ドイツだったかデンマークだったかの、得体の知れない銘柄。
近付いただけで、その微妙に埃っぽい煙が喉に絡んでくる。
「うぁ、相変わらず珍妙なニオイだな」
「うっせ。俺はこの匂いがスキなんだよ」
しかし佳織はこのニオイが苦手なので、一緒の時は滅多に吸わなかったはずだが。
軽く疑問を感じつつ、晃は話を続ける。
「何つうか、思ったより普通？」
「ん……まぁ、思ったよりシッカリ管理されてたみたいだな。そのせいで、どこもワリと綺麗だし」
車の中では『今から行くのはマジでシャレになってないヤバい場所』みたいな口ぶりだった慶太が、いつの間にやら大幅にトーンダウンしてしまっている。
煙草に手を出しているのも、焦りと苛立ちが関係しているのだろう。
主催者がこんなテンションでは、がっかりイベントで終了してしまいそうだ。
このままでは、せっかく知り合った優希との距離も、あまり縮められそうにない。
そんな危機感を口にしたものかどうか悩む晃に、慶太がここ数年に見た中で最高にいやらしい笑みを浮かべて向き直った。
「あの駐車場で見たワゴンＲの連中、まだいるよな」
「えっ？ ああ、多分」
「そいつら、利用させてもらおうぜ」
「利用、っても……どうすんの」
「オバケ役だよ」
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