第二章

第10話 10 二重遭難案件

 玲次達は本館の二階を見て回るというので、慶太と佳織は霜山を連れて、さっきまで探索していた場所の反対側に位置する、A棟に向かうことにした。

 見取り図が間違っていなければ、そこもさっき調べたB棟と同じく、小部屋がいくつも並んだ作りになっているはずだ。


「そんでもってシモやんはさ、何を考えて野郎二人でこんなとこ来たの?」

「えっ、いや、あの……タケが、ネットで凄いとこ見つけた、とか言うんで」


 佳織が変なあだ名を付けつつ色々と話しかけているが、霜山は女性との会話に慣れていないのか、反応が毎度毎度ギクシャクしていた。

 先頭を歩いている慶太は、振り返らずに霜山への質問をかぶせる。


「それって、『ドヨドヨ井戸端』の怪談スレか」

「いえ、どこでどうってのは聞いてなくて……ただ、昨日ネットで見たとしか」

「ここまでは歩いて? それともチャリ?」

「あ、タケが単車を持ってるんで、その、それに二ケツして」

「ふぅん……」


 正門前の駐車場でバイクは見かけなかったが、どこに置いたのだろう。

 そんな疑問が浮かぶ慶太だったが、わざわざ訊くことでもないか、と判断して流しておく。

 建物内は、ひたすらに静まり返っていた。

 霜山と遭遇して以降、叫び声はおろか物音すらまったく聞こえず、三つの足音が小さく響いているだけだ。

 手にしたフラッシュライトの光も、特に不審な何かを捉えることもなく、ただ黙々と行き先だけを照らしていた。


 気まぐれに、壁にしつらえられた連絡用掲示板にライトを向けてみる。

 一枚だけ貼られたチラシには『灰谷アートフェス』という文字が見えたが、その内容はスプレーの銀色に塗り潰されて読めなかった。


「アート、ねぇ。イカレた患者のイカシた落描きでも展示するのか」

「でもそういうの、妙に評価されたりするらしいよ。前にTVで特集やってたし。何だっけかな、えーる、じゃなくて、まーく――」

「アール・ブリュット。フランス語で『なまの芸術』とか……そんな意味。昔はアウトサイダー・アートと呼ばれてたけど、差別的な表現だって抗議でもあったのか、最近はそう呼ばれてる。扱いとしては、技法を学んでない奴が感性だけで作った芸術作品、みたいな感じで」


 慶太と佳織は、急にスラスラと解説し始めた霜山を不思議そうに見る。

 その視線に気付いたのか、霜山は照れたように顔を伏せてしまう。


「あの、こういうゲージュツ的なのが好きなの? シモやん」

「ええ、まぁ……好きっていうか、ちょっと興味あって」


 また霜山が佳織からの問いを即座に打ち切りそうな気配がしたので、慶太は話に乗ってみる。


「そんなら、アキラと話が合うかもな」

「へぇえ? アキラくんも、そういうの好きなんだ……ちょっと意外」

「ていうか、あいつヨーロッパの変な映画とかよく観てるし。俺もレイジも付き合わされて結構な数を観てるぞ。お前さんは、映画とかどうだ?」

「映画は、あの……あんまり。すいません」

「ん、そうだったか」


 自然な感じで話題を広げようとしたが、霜山がまるで乗ってこないので会話が終わってしまう。

 そんな空気の読めなさに、慶太は軽からぬイラつきを覚えてしまう。

 周囲にいないせいでピンとこなかったが、これが『コミュ障』っていうヤツなんだな――そう思い至ったので、無理に関わるのを諦めることにした。

 そうこうしている内に、A棟と本館を繋いでいる渡り廊下へと到着した。


 霜山と遭遇する少し前、走り抜ける人影が見えた気がした場所がここだ。

 ライトで奥の方まで照らしてみるが、とりあえず人の姿はない。

 何となく、中庭とB棟から続く渡り廊下にもライトを向けてみたが、そこにも動くものは発見できなかった。


「なーにしてんのさ、ケイタ」

「いや一応、そこらに変なのが潜んでないか警戒をだな」

「シモやんの話からすると、連中があたしらの存在に気付いたら、逃げ隠れしないでむしろ絡んでくるんじゃない?」

「まぁ、大体そんなノリだろうが……タケが連中から逃げて隠れてる、って可能性もあるし。だよなぁ?」


 言いながら霜山を見ると、曖昧な表情で半端な頷きを返してくる。

 こちらの廊下は、さっきと違って何枚かガラスが割られていた。

 補修された場所もあるが、破られっぱなしの窓もある。

 そのせいか床や壁も薄汚れていて、羽虫や甲虫の死骸が目に付いて不快だ。

 半端な長さの連絡通路を抜けると、小部屋が並んだ既視感のある場所へと到着した。


「ここからがA棟だな」


 辺りには、やはり人の気配はない。

 ドアは外からしか鍵が開閉できないスライド式で、さっき覗いたいくつもの病室と同じものだ。


 霜村は、落ち着かない様子でキョロキョロとしている。

 そんな挙動不審な動きと、ガラの悪い服装はどこまでもミスマッチだ。

 もしかして、予想外の事態にテンパッているか、雰囲気に呑まれてヘタレているだけで、普段はもっとオラついたキャラなんだろうか。

 軽く首を傾げつつ、慶太は一番手前のドアノブに手をかけた。


「じゃあ、中を見てくぞ」


 振り返りつつ言うと、佳織と霜山が真顔で首を縦に振る。

 ドアは重たいが簡単に開く――ここも鍵はかかっていない。

 ライトで部屋の中を照らすと、逆様になったベッドがバツ印の形で重なり、その上に変色したシーツが大量に乗せられているのが見えた。


 明かりを別方向に動かすと、壁際にスチール棚が置かれているのが分かった。

 梅酒を漬けるのに使うような広口のビンが並んでいるが、全部からっぽ――いや、中身が入っていた痕跡はある。

 蒸発したのか捨ててしまったのか、黒っぽかったり褐色だったりの汚れが、ビンの内部にこびり付いている。


「相変わらず、よく分からんものがあるな」

「何だろね。あのポスターも、サッパリ分かんない」


 佳織が小さなマグライトで照らした先の壁には、下半分の破れたカラフルなポスターが貼られてた。

 そこには、アジア系の言語と思しきフニャフニャした文字列と、デカパン一丁でウッドベースを抱えた、厭な感じにリアルさを残しつつデフォルメされた中年男性の姿が描かれている。


「確かに……何だこりゃ。こういうのがアール・ブリュットなのか?」

「こういうのは、どっちかっていうと『ゆるキャラ』に近いかも」


 慶太が霜山に無茶振りしてみると、意外にまともな返しがあった。

 友人が心配なのは相変わらずでも、必要以上の緊張からは解放されかけているようだ。


「よし、どんどん見てくぞ」


 宣言の通り、慶太は次々にドアを開けて中を調べる。

 どの部屋も妙な感じに荒れていたが、問題の二人組もいなければタケもおらず、その三人に関係していそうな遺物も見つからない。

 建物の一番奥、見取り図だと通用口があったはずの場所は、手前にスチール製の机やロッカーやラックがうずたかく積まれていて通行不能で、先がどうなっているのか確認するのも困難だ。


 B棟では警備員の詰所だった部屋は、こちらではブレイクルームと書かれたプレートが表示されている。

 鍵の開いた扉の向こうにあったのは、横倒しにされ天板が割れた丸テーブル、仰向けに転がった冷蔵庫、砕けたカップと割れた皿の詰まった元食器棚、といった諸々のガラクタだった。


「ブレイクルームの看板に偽りなしだ」

「その解釈は間違いなく間違ってるって、ケイタ」


 簡単な流しもあるようだが、給湯器やコンロは見当たらず、シンクには水道管のパーツのような、丸っこい金属製の何かがゴロゴロしていた。

 ハズレの連続に、霜山の態度には落胆が混ざってくる。


「タケ、ここにもいない……」

「二階か、もっと遠くまで逃げたのか……にしても、随分とイベントの趣旨が変わっちまったな」

「仕方ないんじゃない、こういう場合」


 慶太が苦笑いに紛れさせて漏らした感想に、佳織が溜息混じりに答える。

 未だに、二階からのサイレンの音は聞こえない。

 もしかして、タケは病院の外に連れ出されたんじゃなかろうか。


 そこに思い至った慶太は、駐車場まで戻って例のワゴンRがまだあるかどうか、一度確かめておいた方がいいだろう、と判断する。

 そのことを霜山に告げておこうとするが、部屋の中にも入口付近にも小太りの人影が見えなくなっていた。


「あれ? おい霜山、どこだ? どこ行った」


 呼んでみても、返事がない。

 佳織にも確かめてみる。


「なぁ、あいつどこ行ったんだ?」

「んっ、シモやんがいないの? おーい、何してんのー?」


 やはり返事はなく、佳織は部屋の外を確認しようとする。

 だが、すぐさま首を縮めて顔を引っ込める。

 そして、古いカラクリ人形に似た不自然な動きを見せつつ、慶太の方にゆっくり振り返った。


「……どうした」


 小声で訊くと、目を見開いた佳織が無言で部屋の外を指差す。

 佳織に代わって顔を出してみた慶太は、二本の光線を同時に浴びせられた。

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