第19話 19 狂宴への招待

「くぁあっ! なっ、なっ? うぼぉ……ふぉ」


 何が起きたのか、と混乱する晃の鳩尾みぞおちの辺りに、衝撃が加えられた。

 中まで金属が詰まった金属バットを振り抜いたような、手加減のない一発。

 呼吸が数秒止まり、酸味のある苦い液体が喉の奥からせり上がった。

 頭から被せられた麻袋か何か、その内側を吐瀉物が汚す。

 ただでさえ耐え難い息苦しさは、悪臭と湿気によって急速に悪化する。


「なっ、何を……何が……」

「お前の番だぜ」


 回答を期待せずに曖昧な疑問をぶつけると、意外にも声が返ってきた。

 袋のせいで聞き取りづらいが、この軽い調子の声はおそらくあの大男だ。

 しかし、俺の番とはどういうことだ。

 晃はその言葉の意味するところを推測しようとするが、何をどう想像しても最終的に自分が死体になっている絵面しか思い浮かばない。


「あんたら、いっ、一体、どういうつもりなんだ」

「…………」

「いくら何でも、人殺しはシャレになってない、だろ」

「…………」

「俺らも、殺すの……か?」


 物理的にも精神的にも窒息寸前に追い込まれた状況の中、晃は切れ切れに質問をぶつけてみる。

 しかし、大男からの反応はまるでない。

 顔は見えないが、筋肉のみっしり詰まった巨体が放つ存在感と、腋臭わきがの強い体臭は間近にある。

 男の無言の呼吸音には、こみ上げる嘲笑を我慢するのに似た、人を不快にさせる成分が混ざっていた。

 溺れる小動物や手足のもげた昆虫を眺める子供のような、静かで残酷な興味を含んだ視線が袋を貫いて刺さってくる。


 それから十分か二十分か三十分か、何を言っても何を訊いても相手が無視してくる、全身の神経が焼け焦げるような時間が続く。

 多分、今の自分を検査したら、軽くはない症状の胃潰瘍ができている。

 あんまりな無反応に心が挫けそうになるが、こちらも黙ってしまったら次の段階に進んでしまう気がして、晃は一方的な質問を震え気味の声で繰り返す。


「あのさ、あん――ふ、ほぅあ――あぁ!」


 何十回目かわからない質問の途中、自由の利かない腕を掴まれ、部屋の外へと容赦なく引きずられて行く。

 そんな作業を片手で軽々こなすとか、やはりあいつの怪力ぶりは普通じゃない――晃は痛みに呻きを上げつつ確信を深める。

 しばらく苦痛を堪えていると、重い扉を開け閉めするような音が聞こえ、その直後に壁へと叩き付けられ、床に尻餅をついた。


「くはっ、痛ぇなオイ! ――ぬひっ、っぷぁあ」


 背中と腰を強打して、身を起こしながら文句を言いかけた途端、左脇腹に何かが突き入れられる感覚があり、直後に右側頭部を硬い床へと打ち付けていた。

 連続して確認された三種類の痛みを処理し切れなかったのか、晃の神経はそれらを苦痛の塊として処理してしまった。


「ううぅうぅ……」


 怒涛のような痛みの大波が引き、深刻な鈍痛へと移行した段階で、晃はある程度の冷静さを取り戻す。

 両手が使えないのも厳しいが、視界が塞がれているのは致命的だ。

 何も見えず、まともに動けない今の自分としては、とにかく状況が動くのを待つしかない。

 そう判断した晃は、ザラついた床に突っ伏して動きを止めた。

 ジッとして耳をそばだて、周囲で何が起きているのか様子を窺う。


 大きな物音もなく、会話もなかった。

 だが、すすり泣きが聞こえる気はする。

 時折、うめき声も混ざっているような。

 それに加えて、短く荒い呼吸の反復。


「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ」


 繰り返されている一定のリズムは、腹筋運動やランニングの最中に漏れる息に似ていなくもない。

 だが、一緒に聞こえてくる水気のある音と、肉と肉とがぶつかる音が、それがどういう行為であるのかを伝えてくる。


「んっ、ぉふっ……うっ」


 程なくして男の低い唸り声がし、それからオイルライターで煙草に火をつける音が続いた。

 サトウキビを焚き火に放り込んだような、甘ったるい刺激臭が漂う。

 ガラムは好きになれない――クローブの強い香りも苦手だったが、それ以上に愛好する連中に高確率で共通するしゃらくささ、そいつが晃は嫌いだ。

 何年か前に知り合った、借り物の持論を得意げに語るサブカル糞野郎のことを思い出していると、不意に頭部に被せられた袋を脱がされた。


 大男が何故か呆れの入った顔で見下ろしながら、えた臭いのついた麻袋をどこかに放り捨てた。

 若干オレンジがかった色合いの照明が、いくつか点灯している部屋。

 見回してみると、さっき閉じ込められていた場所よりかなり広いのが分かった。

 ドアは一箇所にしかなく、それを開けて出て行く大男の背中が見える。


 晃の対面の壁際には、茶色い袋を被せられた男が座らされている。

 服装からして、きっと玲次だ――肩が動いているので、生きてはいるようだ。

 その隣には、やはり後ろ手に縛られた慶太が転がっていた。

 酷く殴られたのか、右目の周辺を中心に青黒く腫れ上がっていて、唇や鼻の周りにも出血の跡がこびり付いている。


「ケイちゃん、大丈夫か」


 小声で安否を確認するが、返事はない。

 自分の前に慶太も引きずられてきたのか、と晃は先程のやりとりを思い出す。

 少し離れた場所には、佳織と優希の姿もあった。

 晃達と同様に拘束されているが、目立った怪我や着衣の乱れはないみたいだ。

 佳織は落ち着かない様子で血走った目をアチコチに彷徨さまよわせ、優希はうつむいたまま全身を細かく震わせている。


 そんな見慣れた面々から離れた場所に、見慣れない男がいた。

 三十過ぎくらいのそいつは、ボタンを全部開けた派手なアロハシャツを引っ掛けただけの、腹と下半身丸出しの公然猥褻スタイルでガラムをくゆらせている。

 さっきのはこいつのイキ声か、と猛烈な不快感が込み上げる晃だったが、一体誰を相手にヤッていたのか、という疑問に行き当たる。

 佳織でも優希でもないようだし、まさかこの状況で一人で――と思ったところで、答えを発表するようにアロハ男は物陰から何かを引っ張り出した。


「んん? もの欲しそうな顔しやがって、お前も一発やっとくか? いつだってヤリてぇモンだろ、クソガキってのはよぉ」


 下卑げびた笑いを撒き散らす男に首の後ろを掴まれているのは、晃よりもいくつか年下に見える、優希と同じくらいの体格の小柄な少女だ。

 気絶しているのかショック状態なのか、四肢は力なくダラリと下がり、口の端からは血の混ざったよだれが糸を引いている。

 栗色の長い髪に隠されて、細かい顔の造形は分からない。


 薄汚れたニーハイソックスの他は、上も下も衣服を剥ぎ取られ、控え目な胸と薄い陰毛を晒している。

 普段であれば興味深い光景だったが、滑らかな肌に刻まれた多彩な暴力の痕跡が、名も知らぬ少女に何が起きたのかを生々しく伝えてくる。

 晃は痛ましさが勝って直視できず、その裸身から目を逸らした。


「あれあれー? 育ちのよろしいお坊ちゃんには、ちょーっとばかり刺激が強かったかなぁ?」


 ゲラゲラと笑いながら、アロハ男は少女の首を掴んでいる手を離す。

 直後にゴンッと鈍い音がして、晃は反射的に顔をしかめた。

 まさに人を人とも思わない行動に、怒りよりも先に吐き気が湧き上がってくる。

 こいつもあの大男と同じく、他人を傷つけることに何の躊躇ちゅうちょもない奴だ。

 むしろ、加虐や暴力に悦びを見出すタイプだろう。

 そんな連中の前で身動きが取れない、自分らの置かれた状況の危うさを改めて認識し、晃は血の気が引く感覚と吐き気の二重苦に見舞われた。


「ふぁ――ふわぁああああああああああああああああああっ!」


 晃の恐怖を代弁するかのように、突然の絶叫が響いた。

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