第21話 21 現実逃避すら無理なら

「ふふっ、ぅふふふへっ、はぁっはぅふ」


 澱んだ空気を掻き回すように、佳織がまた痙攣的けいれんてきな笑いを漏らした。

 どうしようもない状況が続いて、正気を保てなくなっているのではないか。

 そんなない疑惑が、晃の脳裏のうりを過ぎる。


「カオリ……大丈夫だったか」


 明らかに問題山積みな雰囲気の恋人に、やはり問題が特盛りな感が否めない慶太が声を掛けるが、佳織からはどんよりとした視線だけが返ってくる。


「優希さんは? 怪我、してない?」


 晃が可能な限り柔らかくした声で訊ねると、床に潰れていた優希は十数秒の間を置いてから上半身を起こした。

 土埃で汚れた顔に、涙の筋がいくつも走っている。

 なのに、その表情は笑顔に似た形で強張っていた。

 佳織よりも分かり難いが、優希の精神状態もまた崩れつつあるらしい。


「ん……えっ? ああ、うん」


 首を傾げたような格好でしばらく晃を眺めた後、優希は不意にその存在を思い出したかのように、慌てて答えてきた。

 見た目ほどには、追い詰められていないのか――

 しかし、さっきみたいなイカレた光景を長々と見物させられていたなら、その精神的なダメージは計り知れない。


「ねぇ優希さん、あの……やられてた子は?」


 訊いてみるが、プイッと目を逸らされる。

 続けて質問しようかどうしようか迷っていると、思わぬ方向から声が上がった。


「まぐぅうっ、サクラぁああああぁあああぁあああっ! サクラ! サクラッ! どっ、どうして――ぬぁああああああっ、サクぅああああっ!」


 嗚咽混じりに呼んでいるサクラというのが、あの少女の名前だろうか。

 アロハ男に急所を蹴られたダメージから回復したらしい少年は、くすんだ金髪を乱して悲嘆を音声化している。


「おい、ちょっとは落ち着けよ。そうメソメソ泣いてるよりも、あの娘を助ける方法を――」

「助ける? たっ、助けるってのか? そうかよ、じゃあ助けてくれよ! なぁ! お前がサクラをっ、助けてくれよっ!」


 近付いた慶太に、鼻声の金髪は凄い勢いで食って掛かる。

 お互いに両手が縛られているので、身をよじった男がクネクネと絡む珍妙な絵面になっているが、晃は笑うに笑えない。


「ちょっ、何で俺に頼るんだよ? こういう場合、普通はそっちがだな――」

「慶太さん」


 戸惑う慶太に、優希が何事かを訴えるような表情を向けた。

 これは、もしかして――晃の胸中は嫌な予感で満たされる。

 目が合った慶太に、優希はゆっくりと頭を振ってみせた。


「おい……まさか」

「ふふふっ、にっひゃっへへへへへ……えへっ」


 状況を察したらしい慶太に、佳織が笑いながらにじり寄る。


「うっふふっふふふ、そう、そうなのよケイタ、ケイタ。あの子ねぇ、ふふふへぇ、もう死んでるの。てか、殺されてるの。なのにヤラレてんの。これってさぁ、ふふっ、オカシくない? 何かさ、あははははぁ、超ウケるんですけど」


 ショックで調子が狂っているようで、普段の佳織とはまるで違う、壊れ気味なキャラが人格を支配しているようだ。


「……ホントに?」


 小声で確認する玲次に、薄汚れて固まった顔のまま優希は頷いた。


「あああぁああああああああっ、クソッ! クソッ! ぬぉおうぁあああああ!」


 金髪は感情のままに喚き、激しく床をのたうち回っている。

 佳織はその無駄に激しい動きを眺めてヘラヘラと笑い、優希は心ここに在らずといった雰囲気で小刻みに震えている。


 そんな風になるのも、仕方がない。

 晃にしても、目の前で繰り広げられる屍姦を延々と眺めさせられたら、まともな神経でいられる自信はあまりない。

 ましてやその被害者が、自分の友人や恋人だったなら――

 凄惨な絵面を想像してしまい、晃は佳織と優希の姿を視界から外す。


「とにかく、だ。控えめに言っても、連中は完全に頭がオカシい……サッサと逃げないと、マジで全員あんな感じになりかねん」


 アロハ男が少女――サクラの死体と共に消えたドアの方を向きながら、玲次がいつになく真剣味を帯びた調子で断言した。


「でも逃げるって、どうするよ」

「脱出用のナイスアイデアでも、何かあんのか?」


 兄と友人から訊き返された玲次は、しばらく小首を傾げた後で項垂うなだれ、力なく目を伏せた。

 晃は溜息混じりで、慶太に話を振り直す。


「ケイちゃん、玲次が想像以上に使えねぇ……そっちはアイデアないか」

「両手さえどうにかなればな。そういやこれ、どんな感じで縛られてんだ? 随分キツイけど、針金? ワイヤー?」

「んー、何つうか……ごっついタイラップ、みたいな?」


 後ろを向いた慶太の手首を確認した晃は、そこに見えた拘束具を一番近いであろう形状のモノに例えた。


「コードとかをまとめるアレか。その程度は無理すれば切れなくもない、と思うんだが」

「流石にキビシいんじゃね。カッターでもあれば、まぁ」


 慶太と玲次がそんな生産性の低い相談を交わしていると、床を転がってわめいているだけだった金髪が動きを止め、不意に顔を上げた。


「ある……あるぞっ!」

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