第56話 56 ハイエース(物理)

「ぐぅうっ――ほぉああああぁあ? あう……」


 ドムッ、という鈍い音と共に、晃は尻から着地する。

 相当な衝撃が痛みを伴って尾てい骨から脳天まで突き抜けた――はずなのだが、全身の激痛が数十分以上も続いているせいか、何となく乗り切ることができた。

 心配そうに見ている優希と虚ろな目をした玲次に、ゆらゆらと手を振って「自分は大丈夫だ」と伝える。

 門を乗り越える、というより門にじ登って落ちる形だったが、とりあえず病院の脱出には成功した。


「晃くん、歩ける?」

「どうにか……でもぶっ、ちゃけ、歩きたく、ない。それより、玲次は」

「ちょっとフラフラする……あと、寒い。眠い」

「おいおい、おい……」


 上手く口が回らず、ツッコミすらスムーズにできなくなっている晃だが、玲次の状態が明らかに『寝たら死ぬ』とかそういう瀬戸際なのはわかった。

 優希も危うい状況を理解したようで、ただでさえ険しい表情がますます渋くなる。

 霜山の持っていたダクトテープで、腹をキツくグルグル巻きにする応急処置はしておいたものの、それで止血できるほど軽い傷ではないようだ。


「じゃあ、二人はここで待ってて……車、とってくるから」

「う……頼む」


 それだけ搾り出すように言うと、晃は地面に寝転がる。

 玲次も体力が限界に近いのか、晃の隣にペタンと座り込む。

 全治何ヶ月なのか見当もつかない、自分の怪我の具合は気になる。

 それでも死ぬことはなさそうだが、玲次は出血が激しすぎて危うい。

 とりあえず、意識を失ったらアウトだ――そう判断した晃は、残った気力を総動員して玲次に話しかける。


「生きてる、か?」

「お前より……マシだ」


 あからさまな強がりに、晃は軽く笑う――が、何本も折れているらしいアバラが、そんな余裕はないだろうと鋭い痛みを発してくる。

 玲次の呼吸は浅くなっていて、声もやけに軽い。

 おそらく、銃創のせいで腹に力が入らないからだろう。

 そんな分析をしながら、晃は会話を続けようとする。


「まさか、日本で……暮らして、て……銃で撃たれる、日が来る、とはな……」

「アメリカでも、殆どの奴は……未経験だろ」


 そんなボンヤリとした話をしていると、車のエンジン音が近付いてきた。

 どうやら、あのワゴンRはちゃんと動いたらしい。

 晃が時間をかけて身を起こすと、ヘッドライトの光が見えた。

 これで、全然知らない奴が運転してきたら完全にホラーだな――と思う晃だったが、運転席から降りてきたのは当然ながら優希だ。


「おっ、お待たせっ!」

「あぁ……玲次、後ろへ。寝るな、よ」


 注意を告げる晃に頷き返した玲次は、優希が開けたドアから後部座席に乗り込んで、逆側のドアに背中を預ける。

 優希に肩を借りて立ち上がった晃は、転がるような動作で助手席へと移動し、シートを大きく倒した。

 シートベルトを締めると、それが致命傷になりかねないので道交法は無視だ。

 入った瞬間にはヤニ臭かった車内が、すぐに血の臭いで上書きされた。

 エアコンの吹き出し口から送り込まれる冷風は、どこか現実感に欠けている。

 

「私らが登ってきた方は多分、車止めがあって出られないね……途中にあった、別の道から行ってみる?」

「まか、せる」


 優希の方を見ず、薄目で天井を見上げながら晃は答える。

 玲次に寝るなと言っておきながら、自分が寝てしまいそうだった。

 安心感で緊張の糸が切れてしまった上に、苦痛と疲労が蓄積されすぎていて、脳が一刻も早く機能停止したがっている。

 しかし病院か警察か、とにかく安全が保障された場所に辿り着くまでは、無理にでも意識を保っておかねば。

 

「ガス、は?」

「十分ある、と思う……んぁあもう! カーナビ起動しない!」

「う……」


 短い唸り声と共に玲次が差し出してきたのは、関東の地図だ。

 晃はルームランプを付け、現在地を確認しようとする。

 だが、点いた光は真っ青だった。


「アホか!」

「くっ――ふふっ」


 コンディションも忘れて素で吼えてしまった晃に、優希は笑いを噛み殺す。

 後部座席からも、玲次が小さく鼻で笑う音がする。

 もう二度と笑えないんじゃないか、みたいな気もしていた。

 だけど、人の精神というのは思ったよりも頑丈らしい。

 馬鹿げた改造のせいで無駄な手間がかかったが、進むべき方向はどうにか読み取れた。


「来る時に、使った……あの、道に出たら、来たのと……逆。逆に、行って」

「わかった。逆ね」


 応じる優希は、落ち着かない様子でハンドルを握っている。

 基本的にスピードは遅く、変なタイミングでのブレーキや、車体のフラつきなどが頻発して、中々に危なげなドライビングだ。

 運転が苦手なのか、もしくはペーパーなのか、まさかの無免許なのか。

 訊くべきかどうか迷った末に、晃は黙っておくことにした。

 緩いカーブがいくつも続く下り坂の途中で、優希が口を開く。


「あのさ。警察に行く前に、あの病院で何があったか……口裏を合わせる、って言うとアレだけど、ある程度は統一しといた方がいいんじゃないかな」

「ん……確か、に」


 現場にいなかった奴が杓子定規に判断すれば、自分たちのやったことは過剰防衛になりかねないし、それ以上の罪に問われる可能性だってある。

 拷問の末に殺害したようにしか見えないクロの凄惨な死に様を思い出してしまい、晃は深い溜息を吐く。

 翔騎や慶太の死んだ状況を説明するのも、かなりの面倒を予感させる。

 全てをストレートに報告する、という選択肢は早々に消滅した。


「私、ちょっと考えてみたんだけど――」


 そう言って優希が語ったのは、廃墟の探検中に襲われて目隠し状態で監禁されていたから、何が起きていたのかよくわからない、というのを基本ラインに据えた設定だった。

 確かにそれならば、各人の証言が曖昧なことを誤魔化せそうだ。

 そして、最後に自分ら四人が連れ出されて、佳織が殺されたことで『このままじゃ全員殺される』とパニックになって反撃した――って辺りを共通認識にしておく。

 これならば、何をしたかがバラバラでも何があったかの辻褄は概ね合う。

 

「いい、んじゃないか」

「……だな」


 晃が肯定意見を述べると、玲次も遅れて同意する。

 細部に突っ込まれたら、とにかく混乱していてよくわからない、の一点張りで押し切ってしまえばいいだろう。

 思考能力がガタ落ちになっている頭で、晃はそんな結論を出しておく。


 緊張の面持おももちでライトの先を睨んでいる優希は、額から変な汗も流していて見た感じ頼りなさ抜群だ。    

 なのに、こんな状況でも彼女の頭の回転が鈍っていないことに、晃は尊敬に近い感情を抱きつつあった。

 それと同時に、何とも言えない罪悪感も湧き上がってきて、つい言わずもがなのセリフが漏れてしまう。


「……ごめん」

「え、何が」

「いや、あの、地下の――」

「その話、やめとかない?」

 

 有無を言わせない口調でさえぎられ、晃は口をつぐむ。

 自分でもどうかと思いながらの謝罪だったが、思った以上にどうかしていたらしい。

 頭がおかしくなりそうな殺し合いから逃げてきたのに、自分が生まれて始めて誰かを積極的に殺そうとした瞬間と、ワザワザ向き合う必要はない。

 必要あるにしても、それは今じゃなくてもいい。


「……かさがさね、ごめん」

「許すとも気にしないで、とも今は言えないから、もう謝らないで……とりあえず、退院したら何かおごって」

 

 そう言った優希は、無理をしているのが丸わかりな笑顔を一瞬だけ見せて、また正面に向き直った。

 素っ気ない態度とかそういうことではなく、ずっと前を見ていないと単純に事故るからだろう――そんな分析をしつつ、晃は泣きたいような気分になった。

 もしかしたら、泣いていたかも知れない。


 霜山は、人間が極限状態まで追い詰められた時に見せる行動にこそ真実がある、みたいなことを主張していたが、それはきっと間違っている。

 何となく真理を突いている雰囲気はあるが、酔っ払っての暴言こそが本音と断定してしまうような、上っ面で語っている雑さが拭えない。

 人というのは多分、そこまで単純じゃない。

 あの地下室での醜態よりも、筋肉の軋む音が聞こえそうな今の作り笑顔の方が、本当の優希に近い。

 晃にとっては、それこそが真実として揺るぎなかった。


 霜山たちは結局、他人とまともに関わるのを放棄した――もしくはできなかっただけ、なのだろう。

 理解できないし理解する気もないから、他者を見下し利用し足蹴にし『どうでもいい存在』として単純化し、自分をその上に置く。

 それは楽な生き方にも思えるが、それを続けた結果が空虚の中に悪意だけを詰め込んで人の形にしたような、あの三人の有様だ。


「うぅ……そろそろ大通り、か?」

「うん。すぐに病院だから。もうちょっとだけ頑張って」


 ますます力の抜けた声で訊く玲次に、優希はわざとらしいほど明るい調子で返す。

 それにしても――霜山たちの犠牲者は、何人くらいになるのだろうか。

 連中の手口や発言からして、今回のような狂ったゲームを何度も繰り返しているはず。

 なのに、犯人不明の大量殺人事件など、ここ数年ニュースで目にした記憶はない。

 霜山に桁外れの財力や権力があったとしても、ここまで大規模の蛮行を完全に隠蔽いんぺいできるのだろうか。


 もしかして、個人的な狂気とは別に『組織的な犯罪』が存在してはいるのでは。

 注文に従って遊び場を提供し、妄想を具現化させるべく万全の準備を整え、終わった後は全ての痕跡を消して回る――そんなシステムを運営している集団が。

 重苦しい不安が晃の中に浮かび、考えるほどに輪郭りんかくを濃くしていく。

 そういえば霜山も、掃除屋がどうこうとか、言ってなかったか。

 二人にも懸念を伝えるべきか晃が迷っていると、車が唐突に急停止した。


「ぐぅ……どう、した?」

「いや、あの、あれ、あれって」


 晃は痛みが飽和しつつある体を強引に起こし、優希が指差した方を見る。

 玲次も小さく呻き声を漏らしながら、運転席と助手席の間から顔を出す。

 ヘッドライトが照らしている先の道に、グニャッとした塊が落ちていた。

 白くて、小さくて、傷だらけで、髪の長い。

 ダイスケたちの仲間だった――サクラ、といったか。

 あの少女の全裸死体だ。


「なん、で……」


 こんな場所に、こんなものが。

 いや、もの呼ばわりはモラル的にどうなんだ。

 いやいや、そんなことより、ここにサクラの死体が置かれた意味は。

 晃は状況を読み解こうとするが、もう終わったと思っていたタイミングでの衝撃から、中々回復することが出来ない。


「と、とりあえず動かさないと、だね。車に積む? 積んだ方が?」

「そうすると、事情説明が――」

「わかった。じゃあ、道の端に除ける感じで」


 ややこしくなる、という玲次の最後の一言を聞き終える前に了解したのか、優希は自分のシートベルトを外しにかかる。

 変な引っかかり方をしているのか、優希が苦戦しているらしい金属音が続く。

 それとは別に、ゴン、ドンと大きな音が車外から聞こえてくる、ような。

 様子のおかしさを察知した優希は、ベルトが外れたけれど車内にとどまっている。

 玲次はリアウィンドウ方向に目を凝らし、音の出所を探っている。


 妙な圧迫感と胸騒ぎを抱えつつ、晃はウィンドウを下げてみた。

 エアコンが半端に冷やしたなまぐさい空気が、流れ込んでくる生温い夜気に撹拌かくはんされる。

 不規則な怪音は、車体左側の急斜面から響いてくるようだが――

 窓の外を見上げた瞬間、黒い塊が降ってくるのが目に入った。


 黒の、ハイエース。


 晃に確認できたのは、そこまでだった。

 最初に衝撃。

 次には轟音。

 続けて激痛。

 暗転した中で、誰かに名前を呼ばれた気がした。

 しかし応じる間もなく、盛大な耳鳴りが声と意識を掻き消した。

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