第二話 魔導機関
広い室内には壁一面の窓とその前にある大きな机、そこに座る人物を見てネスは緊張している。
年の頃は四十半ば程度で、濃い灰色の髪には幾筋か白いものが混じる外見の彼が、魔導機構実行部長ヴォーキ・ナージだった。
ネスは部屋に設えられたソファに座って、無言のまま彼の書類仕事が終わるのを待ってる。丁度彼女が部屋を訪れた時、急ぎの書類に追われていた最中だったのだ。
部屋には紙の上を走るペンの音だけが響いている。この静寂もまた、ネスの緊張を煽る要因だった。
――お腹が痛くなりそう……
既にここに来た事を後悔し始めているが、かといって他に行く場所もない以上、どうしようもない。
魔力を持ち魔導士となれる素質を持った者は、例外なく魔導機構の管理下に保護される。これを悪質な束縛だと批判する者達もいるが、実際機構の保護下にあった方が魔導士は安全だと言われている。
魔導機構が立ち上げられて以降、魔導士に対する弾圧は表向きなくなったが、裏に回ればいくらでもあるのが現実だ。そうした危険を回避する為にも、魔導機構の保護は有効だと学院では教えている。
部屋で待つことしばし、ようやく相手の仕事が一段落したのか音がやんだ。
「さて、待たせてしまって悪かったね」
「いえ……」
ネスの声は消え入りそうだ。緊張もあるが、相手が初対面の人物という事も手伝っている。
ナージ部長は手元の書類を眺めながら口を開いた。
「ネス・レギール。出身はアドミットミルエ王国の地方都市ハル。三年生に進級する際首都ヘフレリの魔導学院に編入、五年生でセントーオに編入か。なかなか優秀なようだ」
ネスは答えに詰まった。確かに魔導理論は学年でも上位に入る成績だが、それにはある理由があるのだ。
無言のまま身を固くするネスに、ナージ部長は続けた。
「ただし、魔導実技は三年の中頃から全て欠席、理論の授業に振り替えて単位を取得した。なるほどね」
どうやら部長の手元にあるのは、ネスの調査書か何からしい。
――穴があったら入りたい……
理論ばかりで実技が出来ない魔導士など、厄介以外の何者でもない。しかもネスにはもう一つ、厄介な事があるのだ。
「魔導の型は総量、濃度共に成長型、それが原因で実技における魔力調節が不可能と思われる。これはハルの魔導学院にいる教官の推論だが、自分ではどう思うかね?」
「……わかりません」
ネスは首を振って答えた。魔力調節が出来ていないのは本当だが、何故出来ないのかまでは自分ではわからない。
「魔力調節用の術式を使わせてもらいましたが、それでもだめでした」
「ふむ、そのようだね。現在の自分の総量と濃度は把握しているかね?」
ナージ部長の言葉に、ネスの肩が揺れる。思い出したくない光景が脳裏に蘇ったのだ。
「……出来てません」
「そうか。まずはそこからだな」
「あの! でも……」
言葉の続きは出てこなかった。魔導学院では、一年に一度魔力の測定を行う。その為の機器があるのだが、ネスは五年と六年の二回で計七台の魔力計測器を破壊していた。あの時は場の空気が凍ったものだ。
担当した教官によると、学院にある計測器では計れない魔力なのだろうという事だったが、本当にそうかどうかは誰にもわからなかった。過去に計測器を壊した生徒など、一人もいないのだ。
学院で計測器を壊した噂が広まった後は、化け物を見るような目で見られた経験があるネスは、ここで計測器を壊したら今度は何を言われるのかと恐怖心しかない。
怯えるネスを見たナージ部長は、笑みを浮かべながら告げた。
「安心しなさい。機構にある魔力測定器は強力だから、君の魔力でもきちんと計れるよ。壊れたりしないさ」
本当だろうか。ネスは懐疑的な目で部長を見るが、相手は笑みを深くするだけで何も言わない。
「失礼します」
そう言って部屋に入ってきたのは、ナージ部長と同年代の男性と他三人だ。
三人のうち、二人は男性で一人は背が高くがっしりとした体形でしかつめらしい顔をしている。
もう一人の男性は柔和な表情で眼鏡を掛けている、いかにも研究職といった風情だ。
最後の一人は女性で、けぶるような淡く長い金髪の儚げな美人だった。
――わー、凄い美人……
緊張続きだったネスにとって、胡散臭い男性陣より美人の存在の方が目を引く。しかもその美人が優しく微笑みかけてくれるのだ、男性でなくとも頬が熱くなるというものだ。
ナージ部長が立ち上がり、机を回ってきた。
「ネス、紹介しよう。彼は特殊対策課課長のリュコス・ティグリス、そっちのが君が配属される特殊対策課ドミナード班班長レージョ・ドミナードだ。後ろの女性は班に所属するニア・ディリーノ、隣の眼鏡は技術開発局所属のレガ・ネツァッハ」
特殊対策課? と首を傾げるネスに、課長と紹介されたティグリスがざっくりと説明してくれた。
「特殊対策課というのは、実行部の中の何でも屋でな。特に気負う必要はないよ」
「何でも屋……」
ざっくりとし過ぎていて、イメージしづらい。ネスが理解していないのがわかったのか、ドミナード班長が補足説明をしてくれた。
「仕事の内容は様々だ。危険動物の捕獲から研究の補助、要人警護も請け負う事がある。実行部で扱う可能性のある仕事は全て扱うと思えばいい」
よく聞くと、実行部はいくつかの課に分かれていて取り扱う仕事が分かれているらしい。
だが特殊対策課だけは全てを扱う。というのも、いくつかの仕事が重なる案件がある場合、課をまたがって請け負う事が出来ないのだそうだ。
そうした案件を処理する為に創設されたのが、この特殊対策課らしい。何でも請け負う為、幅の広い能力が求められるという。
「え……そんな課に私が?」
制御不能と言われた自分が入っていいのだろうか。目を丸くするネスに、ナージ部長以下全員が頷いた。
「まずは技術開発局に行って、現在の正確な数値を計測してくるといい。ティグリス、細かい手続きはこの場でやっていってくれ」
「はいはい。じゃあレージョ、後は頼んだぞ」
「はい」
部長、課長、班長の間で話はついたらしいが、ネスはまだ状況に頭が追いついていない。一体自分はこれからどうなるというのか。
「大丈夫? ここから移動しましょうね」
おろおろとするネスに声をかけてきたのは、唯一の女性であるニアだった。彼女に促されるままに部屋を出ると、廊下にはネス以外に三人がいる。ドミナード班長とニア、それに技術開発局員のレガだ。
「さて、じゃあ部長の指示通り、一度局に行っていろいろ検査しようか」
そう言ったのはレガだ。その言葉に、ネスの肩が揺れるたのを、レガは見逃さなかった。
「どうかした? 別に怖い事も痛い事もないよ? ちょっと調べるだけだから」
「いえ……あの……」
ネスは言葉に詰まる。まさか検査機器を壊しそうで怖いなどと本当の事は言えない。ナージ部長は大丈夫だと言っていたが、にわかには信じられなかった。「まだ何か心配事? 相談なら乗るよ?」
レガはそう聞いてくるが、会ったばかりの相手に軽々しく相談など出来ない。困惑するネスに、横から声がかかった。
「レガ、いつまでもここで立ち話をしている訳にもいくまい。そろそろ移動するぞ」
ドミナード班長だ。厳しい表情の彼の目は、まるで睨み付けているようで身がすくむ。実際、ネスは体を縮こまらせていた。
「レージョ、女の子相手に凄むのは感心しないな」
「別に凄んでなどいない。行くぞ」
「あ、待ちなよ。まったくもう」
一人歩き去るドミナード班長の後ろを、レガが小走りに追いかけてゆく。自分もついていくべきなのかと迷うネスの肩を、ニアがぽんと叩いた。
「私達も行きましょう。ああ、急がなくても大丈夫よ。班長は出口で待っているはずだから」
彼女に促される形で、ネスも班長達の後を追う。ニアの言葉通り、建物の出口では腕を組んで立つドミナード班長とレガがいた。
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