第八話 制服事件 二
三人にああでもないこうでもないと散々言われて決めた制服は、今も着ている学院の制服に似たデザインのものに決まった。
「着慣れたものの方がいいと思って……」
ネスの言葉に、ニア達も納得してくれたが、実は種類が豊富すぎて選びきれなかったというのが本音だ。
「じゃあこれで発注しておくわね。あ、サイズは学院の頃から変わってないわよね?」
「今も着ているので、大丈夫だと思います」
学院でも一年に一度は採寸して制服を作り直す。そのデータを使って発注するのだろう。魔導学院は魔導機構が運営しているので、こういった事が出来るのだ。
「いつ出来上がるかは、二、三日のうちに回答がくると思うから、そうしたら詰め所の方に報せるわね」
総務を出た時点で、時計は既に昼の時刻を指していた。制服選びに随分と時間をかけていたらしい。
「さて、今日は詰め所に戻るのが遅くなってもいいって許可はもらってるから、ゆっくりお昼食べようか」
キーリアの提案に、ネスもニアも反論はなかった。
総務と詰め所の中間地点には、いくつかの飲食店が軒を連ねている。周辺にも他の部署が入った建物があるので、客には困らないようだ。
丁度昼時という事もあってか、店の周辺には人が多い。
「さて、どこにしようかな?」
「向こうに新しいお店が出来たんですって」
「本当? じゃあ行ってみようか。ネスもそこでいい?」
「は、はい」
正直、ここにどんな店があるかわかっていないネスには、キーリアにの申し出に反対する理由はなかった。
ニアの言った新しい店は、飲食店が並んでいる通りからは少し離れているらしい。そちらに向かって移動中、店の前で順番待ちをしていたある集団の声が聞こえた。
「あれ、ほら……」
「ああ、例の……」
「あそこってさ……」
集団の視線は、ちらちらとこちらを見ている。彼ら彼女らの言葉が誰を指しているのか、鈍い人間でもすぐにわかるだろう。
――あんな見た事もない人達まで、もう知ってるなんて……
自分が魔力の制御が出来ない事や、学院を中途で放り出された事を。ネスは、胃の辺りが重くなるのを感じた。
「どうかした?」
無意識に俯いていたネスに、ニアの優しい声がかかる。はっとして顔を上げると、キーリアも心配そうにこちらを見ていた。
「だ、大丈夫です。何でもありません」
「そう?」
「具合悪くなったら、すぐに言いなね」
二人の気遣いが身に染みる。ネスは背後から聞こえてくる囁き声を振り切るように、ニア達の側へ駆け寄った。
詰め所に戻った後は、今後の仕事の流れをリーディから口頭で説明された。
「うちの班は外の現場へ出ることも多いんだけど、君はまだ出せないから,当分は書類整理の手伝いやあちこちへのお使いが中心になるよ。午前中は詰め所の仕事で、午後からは局の方へ行く事になってるからね」
「技術開発局って、毎日行くんですか?」
「そう聞いてるよ」
てっきり二、三日おき程度だと思っていたネスにとって、このスケジュールは意外だ。
――でも、当然か……
詰め所にいてもあまり役に立たないのだから、いっそ終日局に行っていた方がいいかもしれない。所属柄そうもいかないのだろうが。
「とりあえず、今日はこの後も手続きやら何やらあるから、明日からって事になるね」
「わかりました」
そのまま手続きの説明に入り、そこでようやく宿舎の手配が整った事を知らされた。
「総務の話だと、丁度一部屋空いていたそうだよ。詳しい場所なんかはニアかキーリアに聞くといい」
「わかりました」
「じゃあ、後はこっちの書類を読んでサインしてね」
手渡されたのは、分厚い紙の束だ。これを全て読まなくてはならないのだろうか。
ネスが呆然としているのに気付いたのか、リーディがくすりと笑う。
「それ、機構の雇用契約書だから。何なら読まずにサインしてもいいよ?」
「いえ! 読みます!」
雇用契約書ならきちんと読んでおかなくては。ネスの実家は商家だからか、親から契約書と名の付くものは熟読して疑問を残さないようにしろと子供の頃から言われていたのだ。
どうせ足手まといの自分はろくな仕事は出来ないのだから、今日一日をつぶすと思ってこれを読めばいい。
ネスは用意された机について、ずしりと重い紙の束をめくる。そのまま終業時刻間近まで読みふけっていた。
大量の紙に書かれていた内容は、機構の規則が大半だ。それらを遵守する事を誓う誓約書も付属していた。
規則は基本的に学院の校則に近い。一番紙面を割いていたのは、魔導の使用制限についてだ。
実行部は特に機構の外での魔導使用が認められているが、勝手使える訳ではない。責任者の指示の元、安全に配慮して使用しなくてはならない。それに関する規則と付随する罰則が一番多かった。
学院でも実技の授業以外で魔導を使う事は禁じられており、破った場合は最悪反省室行きだだったが、機構では査問委員会にかけられる事もあるそうだ。
どのみち、魔力の制御が出来ないネスには関係ない部分でもある。彼女の魔力は長いこと封じられたままだ。
ネスは契約書と誓約書、他にもいくつかの宣誓書にサインをし、リーディに提出して一日を終えた。
「ふう」
ニアに案内してもらった宿舎に入り、寄宿舎から送った荷物も無事受け取り、やっと整理が一段落した。
宿舎は寄宿舎同様食堂があるので、食事の心配はいらない。時計を見ると、夕食の時間帯がもうじき終わる時刻だった。
「やば」
ネスはよっこらしょとかけ声をかけて立ち上がり、一階の食堂へ向かった。
食堂は混み合う時間が過ぎていたのか、人影はまばらだった。等間隔に置かれた長テーブルの隅で、三、四人のグループがちらほらと小声で話している。
空腹を訴える腹部を押さえて、ネスは夕食のプレートを手に誰もいないテーブルの端に席を取った。
人が少ないからこそ、小声で話していても余所の話し声が聞こえてくる。
「あの子だよ」
「ああ、あの……」
「噂じゃさ……」
「そりゃそうでしょうよ」
まただ。昼の店の前で聞いたものと似たような言葉の切れ端がネスの耳に入る。彼女の脳裏に、学院で散々聞かされた言葉が蘇った。
制御不能。誰が言い出したのかは知らないが、学院でネスに付きまとい続けた呼び名だ。
無論表立って言われた事はない。だがこの手の呼び名は、呼ばれている本人の耳にも入るものだ。
ネスは夕食を前に、先程まであった食欲が失せていくのを感じていた。
翌日は、朝からお使いの為の場所確認に連れ出された。
「総務は昨日行ったからわかるわよね。後は本部と……」
案内役はキーリアだ。彼女曰く、ドミナード班はつい先日まで面倒な仕事に全員で駆り出されていたので、しばらくは内勤しか回ってこないので暇なんだそうだ。
「私も書類仕事は苦手なのよねー」
そう言ってからからと笑うキーリアは、路面車の路線図をネスにくれた。
「しばらくはそれを見ながら乗るといいよ。使うのは限られた区間になるから、すぐに覚えると思うし」
掌サイズの路線図には、機構内部を走る路面車を網羅しているそうだ。立体映像式のもので、全ての路線がわかりやすく記載されている。
キーリアの説明によれば、お使い先で一番多いのは総務なのだそうだ。次に実行部の本部で、いくつかの施設が続き、最後の方には術式研究所の名前があった。
「研究所も、行く事があるんですね」
「ん? そうねえ。あんまり機会はないけど、たまーに行かなきゃならない事があるんだよねえ」
キーリアの言い方は、何だか含みがある。それが何なのかはわからないが、とりあえず行く機会もあると頭の片隅に覚えておけばいい。
午後からは、とうとう最初の技術開発局行きである。
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