第七話 制服事件 一

「やっぱりこっちの生地の方がいいんじゃない?」

「それだと動きにくいのよ。こっちの方がいいって」

「動きはデザインである程度どうにか出来るわよ? 私としてもニアと同じ方を薦めるなー」

 ネスの目の前で、ニアとキーリア、それにもう一人の女性がカタログを前にああでもないこうでもないと言い合っている。ここでも、ネスは口を挟むことが出来ないでいた。


 怒濤の初日が終了し、明けた翌日は静かな朝から始まった。

 習慣になっていたのか、いつも通りの時間に目覚ましなしで起きたネスは、一瞬自分がどこにいるか理解出来ずに首を傾げる。

「……ああ、そうか」

 ここは昨日案内してもらった、班の詰め所近くにある来客用の宿泊施設だ。何故こんなものがあるのかはわからないが、おかげで何の荷物ももたずに泊まれたのだから文句の言いようもない。

 簡素だが最低限の生活が送れる程度の家具があり、タオルやパジャマなども用意されている。

 浴室には洗濯乾燥機があったので、有り難く制服などを洗濯しておいた。この辺りは学院の寄宿舎に備え付けられているものと同じだから、使い方で困る事はない。

 顔を洗って学院の制服に着替えると、ドアをノックする音が響いた。こんな朝から、一体誰だろう。

「おはよう、ネス。よく眠れた?」

「お、おはようございます。ニアさん、キーリアさん。えと、ちゃんと寝られました」

 昨日引き合わされたばかりの、同じ班に所属する先輩二人がドアの向こうに立っていた。

 当然と言えば当然だ。ネスがこの施設に泊まった事を知っているのは、案内してくれた二人以外には、班の人だけだ。

「もう仕度は出来ているのね」

「まずは朝食食べて、それから制服頼みに行こうね!」

「え? 制服?」

 キーリアの発言に、ネスは改めて二人を見る。確かに、私服とは言い難いデザインの服だ。そういえば、昨日も同じ服ではなかったか?

 首を傾げるネスに、ニアが手短に説明してくれた。

「機構の職員は、全員制服を着用する事が義務づけられているの。所属部門によって形状や材質は様々だけど」

 詳しくは食べながら話す、というキーリア達に連れられて、施設の食堂へと向かった。

「学院の制服もそうなんだけど、布地そのものに術式が施してあるのよ。機構の制服は所属する部署に対応した術式だから、学院の汎用的なものより強力よ」

「あ、聞いた事があります。実技訓練中の事故から身を守る為のものが主だとか」

 学院入学時にも、その後の理論の授業の時にも何度か耳にした内容だ。だから制服は特別なので、丁寧に扱いなさいと締めくくられていたのを覚えている。

「そう、学院だと実技中の事故が一番多いから、術式もそれを想定してあるのね。でも機構のはものが違うわよ。特に特殊対策課のはね」

 キーリアはそう言うとにやりと笑った。何故だろう、彼女のその様子に、背中に冷たいものを感じる。

「機構の制服は施す術式を選択出来るのよ。特殊対策課では防御以外にもあれこれと必要なのだけど、それも人によって異なるから」

 防御に完全に振る人もいれば、支援系に重きを置く人もいるそうだ。

「まあ、初年度はどこも平均的なものを選ぶし、その為のお薦めセットなんかもあるから大丈夫」

「お薦めセット?」

 何だろう、制服の話から飛んで食堂の定食の話に変わったような気分だ。首を傾げるネスに、ニアが教えてくれた。

「そう。さっきも言ったように制服に施す術式は自分で選べるのよ。まあ上限はあるけどね。でも初年度って、どうしても何が必要かわからないから、平均的な術式の組み合わせを事務方の方で用意してくれてるの」

「はあ……」

 どの部署でも、新人はいきなり重い仕事など振られる事もないので、最初の年は平均的な術式で十分なのだそうだ。ちなみに、制服は一年で作り替える人が殆どで、その際に術式も変える事が多いのだという。


 食事を終えたネスは、ニア達に連れられてとある建物の前に来ていた。班の詰め所がある建物からは、路面車で二駅ばかり離れている。

「ここにうちの班がお世話になってる総務が入っているの。制服の注文だけでなく、備品や諸々の申請もここだから、来る事は多くなると思うわ」

 所属部署によって、総務の場所も変わるらしい。ここに入っているのは特殊対策課担当だそうだ。

 総務は建物の二階にあり、階段を上るとすぐカウンターが見える。人影は見えない。ニアはカウンターにある呼び鈴を押した。

「はーい」

 薄暗い部屋の奥の方から人の声がして、衝立の陰から女性が出てきた。

「あら、いらっしゃいニア、キーリア。ははーん、この子が例の子だな」

 眼鏡をかけた女性が、値踏みをするような目でネスを見てくる。思わずキーリアの背中に隠れたら、眼鏡の女性にケラケラと笑われた。

「別にとって食ったりしないわよお」

「セリ、からかわないの。ネス、こちらは総務のセルチャント・ディフィリント」

「セリって呼んでね」

 セリが笑っている横で、ニアは総務の中を確かめている。

「皆出払っているの?」

「ああ、ほら、あれよ。本部で行う月一の教育ってやつ。今日のお留守番が私って訳」

 セリに口から出た「教育」という言葉に内心首を傾げながらも、ネスは黙って彼女達の会話を聞いていた。

「さて、その子が来たって事は、提出書類の件かな?」

「それもあるけど、まずは制服の注文をしないと」

「ああ、そっか。ちょっと待ってて……っと、今更だけどこんな所で立ち話も何だからさ、奥に行こうよ」

 そう言うと、セリは手で先程自分が出てきた衝立の向こうを指さした。四人で移動すると、テーブルと椅子がある。

「ちょっとそこで待ってて」

 セリはそう言い残して、部屋の奥にある扉の向こうへ姿を消してしまった。途端に部屋には静寂が落ちる。

「あの……聞いていいですか?」

 沈黙に耐えかねたかのように、ネスは口火を切った。

「どうかした?」

「さっきの人が言っていた、教育って……何ですか?」

 にこやかに答えたニアに、ネスは抱いたばかりの疑問を投げかける。学院内でならば普通の言葉だが、ここでは違う。

「教育っていうのは、一月に一度本部で行われるもので――」

「要はお偉いさんの退屈な話を聞かされるだけの集まりよ」

 ニアの言葉を途中で遮って、キーリアが簡潔に答えた。ニアはそんなキーリアを窘めている。

 ――偉い人の話を聞くのが、どうして教育なんて呼ばれるんだろう……

 答えをもらったばかりだというのに、疑問は深まるばかりだった。

「ちなみに、実行部にもあるわよ、教育」

「え? 本当ですか?」

 ネスの言葉に、ニアとキーリアは揃って頷く。

「もっとも、総務のとはちょっと違うけどね」

 そう言ってにやりと笑うキーリアに、ネスは実行部の教育とはどんなものかと思う。

 ――実行部のお偉いさんっていうと、あのティグリス課長とか、ナージ部長とか?

 昨日本部で会った二人を思い出す。どちらも話が長いようには思えないが、学院にいた頃も見た目とは違って話の長い教員はいたから安心は出来なかった。

 すっかりネスの頭の中では二人が壇上であれこれ話してる様子が出来上がってしまい、戻ってきたセリにも気付かなかった程だ。

「お待たせー……って、難しい顔して、どうかした?」

 そう言ってセリに顔をのぞき込まれて、やっとネスは自分の想像に没頭していた事に気付く。

「ご、ごめんなさい!」

「やーねー、別に悪くはないけどさ」

「セリがいつまでも待たせるからよ」

「うるさいなあ。これ、探していたら時間かかったのよ」

 キーリアの混ぜっ返しに、セリは手に持っていた大きく分厚い本を持ち上げた。

「……何ですか? それ」

「制服のデザイン見本と布地見本よ」

 そう言うと、セリはテーブルの上に二冊の本を広げた。これだけ大きな本だというのに、彼女は軽々と扱っている。おそらく軽量化の術式が使われているのだろう。

 ――見本に軽量化の術式……さすが魔導機構と言うべき?

 もしくは、それだけ使う頻度が高いか、だ。

 広げられた見本には、実に多くのデザインと布地がある。

「……これから選ぶんですか?」

 あまりの選択肢の多さに、既にネスはお手上げ状態になった。何を基準に選べばいいのか、まるでわからない。

 混乱するネスに、ニア達は事も無げに返した。

「大丈夫よ、手伝うから」

「好きなの選べばいいのよ。術式は後付けなんだし」

「どうせ一年で作り替えるからさ、今回は適当に選んで、一年かけて好みのデザインを決めてもいいんじゃない?」

 ニア、キーリア、セリの顔を順番に見て、ネスは諦めたようにがっくりと頷く。

 そうして冒頭に戻る訳だ。

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