第二十八話 二日目

 探索二日目は、曇り空の幕開けだった。

「やな天気だな」

「きっと悪い事が起こるんだ」

「今日の探索はやめとこうぜ」

 三馬鹿がらちもない事を言っているが、当然班長が許すはずもない。「馬鹿な事を言ってるな」という一言で切って捨てられていた。

 リーディとヒロムは本当に症状が軽かったらしく、既に回復している。班員が身に着けている魔力阻害装置は、設定が昨日より強くなったそうで、これで中毒者は出ないというレガのお墨付きだった。

 昨日同様、軽いミーティングの後にロンダの置き場まで行くと、既に人影がある。

「げ!」

 三馬鹿の声が綺麗に揃ったのは、その場にジュンゲル班長の姿があったからか。本当に彼等にとっては悪い事が起こったようだ。

 よく見ると、ジュンゲル班長の他にもう一人いる。

「おお、やっと来たか。遅いぞ」

「やあ、おはよう、みんな」

「レガさん!?」

 ジュンゲル班長の影にいたのは、技術開発局主任のレガだった。


「よっしゃー!」

 先頭を行くヒロムの威勢のいい声と共に、進路を阻む下草と木々が吹き飛んだ。彼の後ろにはロギーロとディスパスィが並んでいる。その後ろにジュンゲル班長とキーリア、さらに後ろにレガとドミナード班長と同乗しているネス、最後がリーディだった。

 ジュンゲル班の副班長スピラは基地で留守番だ。不服そうな表情をしていたが、自身の班の班長であるジュンゲルに逆らう気はなかったらしい。

 昨日と違って今日は先頭のヒロムが森を切り開いているので、行きはともかく帰りは同じ経路を辿れば楽に戻れそうだ。

「本当にいいのか?」

「構わないよ。データはここで採取済みだからね。欲を言えば飛ばしたあの木々もサンプルとして欲しいけど、そこら辺は森の外縁部でも採取出来るから」

 ドミナード班長の質問に答えるレガは軽い。その言葉通り、彼の周囲には計測用の光がいくつも舞っている。

 レガが乗るロンダには、重そうな計器類がいくつも取り付けられていた。本人曰く、特別製なのだそうだ。

 昨日の魔力中毒騒ぎにより、森の探索が困難な事が予想出来た為、探索と調査を一度に終えられるようにとレガの同行が決まった。ジュンゲル班長は彼専門の護衛というのが、レガの説明である。

「と、建前上はなっているな」

 レガの話が終わってから、ジュンゲル班長が笑いを含んだ一言を漏らした。

「どういう事ですか?」

「レガのロンダを見たまえ。あれだけの計器類を取り付けた特別製のものを、昨日今日で用意出来ると思うかね?」

 わざわざネスを振り返ってまで説明してくれたジュンゲル班長の言葉に、ネスは無言でレガのロンダを見る。レガはとぼけた振りで視線を反らしていた。

「大方、森の調査が決まった時点で、何とか理由をこじつけてでも探索に同行するつもりだったんだよ。どうりで私がここに来る事を部長にねじ込んだ時、気前よく味方した訳だ。私がいれば、探索の同行が楽になると思ったからだろう?」

 ジュンゲル班長の言葉に、レガは答えない。沈黙が肯定を意味していた。

 ――そんなに来たかったのかな? この森……

 ネスは改めて周囲を見渡してみる。鬱蒼とした森ではあるし、見た事のない木々が生い茂っているが、あまり見所がある場所とも思えない。

 とはいえ、レガは技術開発局の人間で研究者でもある。ネスには見えない部分が彼にとって貴重なものなのかもしれない。

 ――だったら、レガさんと班長が一緒のロンダに乗って、私はお留守番でも良かったんだけどなー。あ、レガさんのロンダに乗せてもらうって手もあり?

 別に班長に思う所がある訳ではないが、やはり緊張するものは緊張するのだ。おかげで通常より疲れが溜まっている気がする。

「あ、ヒロム、方向を右に十五度変更」

「へーいへい」

 今日の探索は、レガの計測に従って移動していた。何を根拠に進行方向を決めているのかはわからないが、先程のように先頭を行くヒロムに方向の指示を出している。そのせいなのか、昨日より確実に森の奥に来ていた。

 それにしても静かだ。虫の音や動物の鳴き声などは何一つ聞こえてこない。

「静かですね」

 リーディの言葉に、まさか心の内が漏れたのかと一瞬驚いたが、単純に同じ感想を抱いただけだったようだ。ネスの背後にいる班長が頷くのが気配でわかった。

「レガ、生物の反応は?」

「今の所植物だけだね……これだけの森なら、普通はもっと生物の種類が多いはずなんだけど」

 それが魔の森たる所以か。どことなく寒気を感じたネスは、自分の腕を抱えた。

「寒いのか?」

「あ、いえ……大丈夫です」

 まさか怖いと本当の事も言えず、心配してくれたドミナード班長に対して、ネスは愛想笑いで誤魔化した。


 そこからさらに進む事一時間程、レガの声に喜色が滲んだ。

「ヒロム! そこを左に三十六度!」

「細けえんだよ!」

 文句で返してきたが、きっちり指示通り進路を変更したらしい。森の木々は背が高いものが多く、空を見上げても枝と葉しか見えない。方向に関しては、レガのロンダに積まれた計器類だけが頼りだ。

 進路を変えてからほんの少し経過した辺りで、ジュンゲル班長が大きな声を出した。

「止まれ!」

 一行の動きがぴたりと止まる。

「どうした?」

「引き返すぞ」

 ドミナード班長の質問に、ジュンゲル班長は短く告げるだけだった。これに不服を示したのは三馬鹿だ。

「ああ? 何でおっさんが命令してんだよ」

「俺等はおっさんの班じゃねえぞ」

「大体さあ――」

「ヒロム、このまま進んだら死ぬぞ」

 最後のディスパスィの言葉を途中から奪ったジュンゲル班長の一言は、三馬鹿が口を閉ざすだけの威力があった。もちろん三馬鹿だけではなく、他の班員も言葉が出ない。

「どういう意味?」

「どうしてお前が気付かないんだ? レガ」

 ただ一人、ジュンゲル班長に対抗出来たレガは、相手から質問で返されてしまった。

「気付かないって……何を?」

「ヒロムの魔力が枯渇しかけているぞ」

「え!?」

 レガだけでなく、他の班員も驚いた表情でヒロムを見ている。ネスも改めて彼を見てみた。確かに普段と違うように見える。

 いつもは本人同様うるさいくらいに全身に纏っている魔力が、今はかなり希薄だ。だが、これは魔力阻害装置によるものだと思っていたのだが。ジュンゲル班長の言葉が正しいのであれば、思い違いだったらしい。

 慌てたレガが隊列の先頭にいるヒロムの場所まで移動し、嫌がる彼の腕をとって何やら調べている。ややしてドミナード班長の方を見た彼の表情が、現状を如実に物語っていた。

「確かに、これ以上は無理だ」

 本日の探索を打ち切るべくレガが口にした言葉に、ヒロムが反応する。

「おい! 俺は――」

「やせ我慢するのは禁物だ。この森では簡単に人が死ぬんだぞ」

 普段とは違ったジュンゲル班長の声に、ヒロムだけでなくロギーロ、ディスパスィも反論出来ない。

「おそらく、阻害装置の弊害だ。もう少し設定を見直さないとだめだね」

 昨日軽くとはいえ、中毒症状になったリーディとヒロムの二人の装置は、特に強めに設定を施したと聞いている。それが徒になったのだろう。


 帰りの行程は重苦しい空気に包まれていた。あの後、ドミナード班長の判断により本日の探索を打ち切る事になったのだ。ヒロムはロギーロのロンダに同乗し、ヒロムのロンダはディスパスィが牽引している。

 彼等三人の代わりに隊列の先頭を任されたのがキーリアで、彼女のすぐ後ろにジュンゲル班長、そこから三馬鹿、レガとネス、ドミナード班長と続き、最後はリーディだ。

「リーディの方は大丈夫?」

 レガが振り向きながら訪ねるのを見て、ネスも背後を見た。相変わらずキラキラという形容詞がつきそうな笑顔のリーディがいる。

「ええ。元々魔力の質も量も僕の方が上ですからね」

「ああ、じゃあ彼等は君の魅了にはひっかかるんだ」

「いやあ、さすがに同性には使いませんよ。別の術式は使いますが、ちゃんと班長の許可を取った時にしか使いません」

 そういえば、キーリアがリーディは精神系統の攻撃術式しか扱えないと言っていた。

 精神系の攻撃といえば、幻覚や幻聴、洗脳なども含まれる危険なものが多い。魅了もその一つで、攻撃で使った場合は敵の闘争心を萎えさせ、かつ自分の味方にする事さえ出来るという。

 初めてリーディに会った時、どうやら彼は軽い魅了をネスに使っていたようで、後できちんと謝罪を受けている。彼の魅了に引っかからなかったのは、ネスの魔力量と濃度がリーディより上だったからだ。

 リーディの精神攻撃は、相手との魔力差に依存するものなのだという。とはいえ、彼の容姿があれば魅了など使わずとも、言い寄る異性はいくらでもいるだろう。


 行きよりも早い時間で基地に帰り着いた一行は、食事の後は自由行動という事になった。ただし、ヒロムは治療と装置の調整の為にレガに引っ張っていかれたが。

 そんな彼等を見送ったネスは、キーリアと一緒に食堂用天幕に向かう。

「あら、お帰りなさい」

 天幕にはニアがいた。彼女は仕事が一段落ついたので、休憩しにきたのだそうだ。

「そっちは? 探索の方は順調?」

 何気ないニアの一言に、思わずネスはキーリアと顔を見合わせてしまった。

「トラブル?」

「うーん……まあ、そんな感じかな?」

「主に機器のトラブル……でしょうか?」

 昨日の件も今日の件も、阻害装置が想定通りの働きをしていれば問題はなかったのだから嘘は言っていない。

 とりあえず、簡単な説明をニアにしておく。もしかしたら、魔力枯渇状態のヒロムの治療に、彼女が呼ばれるかもしれないのだ。同じ班での情報共有という面もあった。

 ヒロムの現状を聞いて、ニアは眉根を寄せている。三馬鹿の事でも、心配なのだろう。魔力枯渇も酷くなれば死に至るのだから当然か。

「ニアさんの方は、順調ですか?」

 お返しとばかりにネスが質問すると、ニアはいつもの柔らかい笑みを浮かべて答えた。

「ええ、万全の体制を取れたと思うわ。でも、怪我や病気はしないに越した事はないけど」

 そうは言っても、現在彼女達の目の前に広がっているのは前人未踏の奇妙な森だ。魔力の影響が濃い森だからこそ、未知の病原体がいないとも限らない。これに関しては、ロンダが自動で張っている魔力・物理障壁を信じる他なかった。

「とりあえず、当面私らが心配しなきゃいけないのは、魔力中毒と魔力枯渇だね」

 キーリアの言葉に、ネスは深く頷く。両極端な二つの症状だが、一枚の紙の表と裏のような関係にある。

 魔力は、多すぎても少なすぎてもいけない。だからこそ、学院の実技で繰り返し叩き込まれるのは、自分の魔力量の最高値と最低値を知る事だった。

 ここでもネスは早々に躓いている。今ならわかるが、日々最高値が更新される成長型にはあの授業は無意味過ぎた。

 しかもレガの調べによると、ネスの魔力回復力はかなり高いそうだ。回復力は、使用して失った魔力を体内で生成したり、周囲の自然にある魔力を吸収したりする力の事で、高ければ高い程短い時間で魔力を回復させる事が出来る。

 本来なら回復力が高いのはいい事なのだが、現在のネスに限っては徒となっていた。

 ネスは、そっと制服で隠れている首元に手をやる。魔力回復を完全に阻害している今は、いつもの魔力結晶を作る装置は全て外していた。

 さすがのネスでも、この状態で魔力を抽出し続ければ魔力枯渇に陥ってしまうというレガの判断からだ。

「ヒロムがそんな状態なら、今日の探索はこれで終わり?」

「みたいだね。あいつだけ置いて行ったら残りの二人がうるさいだろうし」

 同期だというニアとキーリアは仲がいい。それをうらやましいと思いながら穏やかな時間の流れを感じていると、天幕に勢いよく人が入ってきた。

「ネス、いる!?」

 レガだった。彼は天幕内を見回し、目当てのネスを見つけると大股に近寄ってきた。

「用があるから一緒に来て」

 そう言うと、レガは細身のどこにそんな力があるのかと思う程の強さで、椅子に座っていたネスを引っ張り上げた。

 いきなり力尽くで立ち上がる事を強要されたネスは、足下が覚束ない様子でふらついている。

 これに目の色を変えたのがキーリアだ。

「ちょっと!」

 班長と同期のレガに対して、キーリアは抗議の声を上げて勢いよく席を立った。男性にしては小柄なレガは、女性にしては長身のキーリアとほぼ同じくらいの目線である。

「随分乱暴な事するのね、局って。うちの子、どこに連れて行こうっていうの?」

「い、いや、別に悪い事じゃなくて……」

「用事って、どんな用事あるっていうのよ」

 キーリアに詰め寄られたレガは、先程までの勢いはどこへやら、たじたじになって後退っている。それでもネスの手を話さないので、つられて彼女までレガと一緒に動く事になってしまった。

「キーリア、落ち着いて。レガさん、ネスにどういったご用ですか?」

 いきり立つキーリアを宥めるように声をかけたニアは、少し咎める色の目でレガを問いただす。

 二人の女性に詰め寄られてレガが返答に困っていた所に、もう一人の人物が天幕に入ってきた。

「主任! 見つかりましたか?」

 レガの助手であるアイドーニだ。彼女はニア、キーリア、それに総務のセリとも同期である。

 そんな彼女が同期二人に詰め寄られている自身の上司を見て、溜息を吐いた。

「何やってるんですか。ネス、ヒロムの件で話があるの。一緒に来て」

「はい」

 レガが言っていた用事とは、ヒロムの魔力枯渇に関係しているらしい。アイドーニの言葉を聞いたニア達も、同じ班員に関わる事と聞いてすぐに引き下がった。

 これに不満を漏らしたのはレガである。

「どうして僕の時は二人がかりで責められるんだよ……」

「どうせ主任が説明責任を果たさなかったんでしょ?」

 愚痴をこぼすレガに対するアイドーニの言葉に、ニアとキーリアは二人同時に大きく頷いた。仲がいいとタイミングまで揃うのだろうか。


 ヒロムの件に関しては、ドミナード、ジュンゲル両班長も同席しているとの事なので、局の天幕に急ぐ事になった。

「詳しくは向こうに行ってから話すけど、ネスの魔力結晶を使えないかって事になってね。急で悪いんだけど、阻害装置を外して結晶を作って欲しいのよ」

「それくらいならどうって事ないですけど……」

 通常なら、と続けたい言葉をネスは呑み込んだ。森から一定距離を取っているとはいえ、この基地も全体的に湧出魔力が多い。

 言い淀んだネスの心配に思い当たったのか、アイドーニが大丈夫と請け負った。

「装置を外しても、外界からの吸収分は阻害する装置を付けてもらうから、多分平気よ」

 現在ネスが着けている魔力阻害装置は彼女専用の特別製なので、そういった調整が一切出来ないようになっている。なので一度外して、別の装置を付けてから結晶化の装置を使うらしい。

「でも、それでどうして班長達まで呼んだんですか?」

 今言われた内容なら、別段二人の班長を呼び出す必要はないはずだ。ネスの疑問に、アイドーニは軽い溜息を吐いた。

「それがね、ドミナード班長もジュンゲル班長も、私らがあなたに無茶をさせるんじゃないかって心配しちゃってね」

 どうやら二人の班長はお目付役のようだ。確かに、ここに来てからのレガはいつもよりかなりテンションが高いから、班長達が心配するのも頷ける。

 そうこうしているうちに、局の天幕に到着した。てっきり個別の天幕かと思ったら、中央の巨大天幕だ。

 巨大天幕の中には、いくつかの小型天幕で区画が作られており、今回の目的地はその一つのようだった。

「失礼します。ネスを連れてきました」

 アイドーニの声に、天幕から応答の声が聞こえる。そのまま三人で天幕に入ると、ドミナード班長、ジュンゲル班長に加えてもう一人、班長と呼ばれる人物がいた。術式研究所のテロス班長だ。

 ネスにとっては、あまりいい思い出のある人物ではない。そのせいで、彼の姿を見た途端、一瞬体が固まった。すぐに何でもない風を装ったので、気付いた者はいないだろう。

「アルヒーを呼んだ覚えはないよ? 何でここにいるのさ」

 レガの不審そうな声に、テロスは鷹揚に肩をすくめるだけだ。

「何、面白そうな話を耳にしたのでね」

「面白そうって――」

「僕らがいれば、君達が作った装置の術式変更も楽だと思うんだけど?」

 テロスの言葉に、レガは反論出来ないでいる。局は装置を作る事には長けているが、術式の扱いに関してはそこまでではない。やはり専門家である研究所の方が上になる。だからこそ、レガもテロス班の班員であるナイリの力を借りたのだ。

「それでも! 来るなら事前に一言入れるべきだね。ここは局の機密に関わるものもあるんだから」

「わかったよ。次からはそうする」

 レガの申し入れに、テロスはおとなしく従った。とはいえ、次など本当にあるのだろうか。ネスは内心首を傾げた。

 もっとも、この森の探索には時間をかけるつもりでいるのは、基地を見ればわかる。長期間滞在のうちに、研究所の力を借りなければならない事もあるかもしれない。

 ――出来たら、そんな厄介な状況にならないといいなあ……

 既に魔力中毒になった者や、魔力枯渇寸前にいった者が出ているのだ。これ以上の問題は起きて欲しくないというのが、ネスの本音だった。

「それで? 彼女への説明は?」

「道々簡単にですがしてあります」

 ジュンゲル班長の質問に、アイドーニがきびきびと返す。ネスの魔力結晶を阻害装置に組み込む事は聞いたが、どういう効果を生み出すものなのかは聞いていない。

 とはいえ、それをネスが知る必要はないのだが、それでも自分の魔力が使われるのなら、どういった事に使われるのかくらいは知っておきたかった。

 アイドーニの言葉にジュンゲル班長は一つ頷くと、何やらドミナード班長と小声で話し始めた。ドミナード班長は言葉少なに、時折頷いたり首を振ったりしている。

 ――何を話しているんだろう?

 この状況なら、間違いなく自分に関する内容だろう。アイドーニは二人がネスを心配してここに来ていると言っていた。

 魔力を抽出して結晶化するだけなら、普段から散々やっている事だ。結晶化した魔力はレガに提出しているので、今まで溜まったものを使ってもいいと思うのだが。ここには持ってこなかったのだろうか。

「ネス、大丈夫か?」

「あ、はい」

 ドミナード班長に声をかけられて、ネスは反射的にそう答えた。

「えと、結晶化は普段からしてますし、魔力抽出にも慣れてますから」

 局でよくやっている事だ。気分が悪くなるかもしれないと言われた魔力抽出も、今まで一度も問題になるような事はなかった。問題が起こっていたら、例の結晶化装置を付けていられなかっただろう。

「そうか……レガ、危険はないんだな?」

 ネスの返答に納得したらしいドミナード班長は、一つ頷くとレガに確認した。

「もちろん。ネス、君の魔力結晶を使って、他のみんなの魔力供給を行おうと思うんだ」

「はい?」

 レガの説明は要点のみだけなので、何をどうしたらそうなるのかがわからない。彼の後ろでは、アイドーニが額に手を当てて苦い顔をしていた。

「相変わらずだなレガは。もう少しきちんと説明しないと、彼女がぽかんとしているよ」

「う、うるさいな。アルヒーに言われたくないよ」

「僕は相手にきちんと説明はするよ?」

 またしてもテロスに言い負かされたレガは、悔しそうに彼を睨むだけだ。微妙な空気が流れる天幕内を、アイドーニの咳払いが払拭する。

「私から説明します。今回魔力枯渇者を出したのは、魔の森に対応する阻害装置を用意出来なかったこちらの責任です。正直、甘く見すぎていました。集めたデータからもそれが窺えます」

「そのデータとやらは?」

「今担当部署で解析中です。今わかっている事は、森の中央に近づけば近づく程湧出魔力量が増える事、それとこれは昨日わかった事ですが、森の中央に近づく程消費魔力量が増える傾向があります」

「消費魔力が増える?」

 アイドーニの説明に、ジュンゲル班長が訝しんだ。隣のドミナード班長は何やら納得しているようだから、実際に森に入った者は実感出来る程だという事か。

「術式を使う際に使う魔力量が、ここと森の中央では明らかに違います。それが昨日ヒロムの魔力が枯渇寸前になった理由です。何故そうなるのかはまだわかりませんが、私達の推測としては――」

「自然結晶した魔力、か」

 アイドーニの言葉を浚う形で言ったのはテロスだ。アイドーニは軽く頷いて肯定する。

「確証はありませんが、それ以外に考えようがないので」

「もしくは、我々が未だ知らぬ何かがそこにある、という事かな?」

 テロスの言葉に、その場はしんと静まりかえった。ただでさえ問題続きの探索だというのに、未知の物質だかがあるなどとなった日には問題がさらに山積みとなるのは目に見えている。

 誰もが眉間に皺を寄せる状況の中、一人笑っているのはテロスだ。

「何がおかしいのさ」

「だって、これでようやくわかったからさ」

 つっけんどんなレガの質問に、テロスは笑いながら答えた。

「わかったって、何が?」

「評議会が何故今回の探索を命じたか、だよ。あの連中はこの森の中央にあるものが何か、知っているんじゃないのかな? それを手に入れるのに、自分達は安全な場所にいたまま、君達をここに派遣した訳だ。君達だって、何かおかしいと思っていただろう?」

 テロスの独擅場に異を唱える者は誰もいない。と言うことは、皆が同じ事を考えているという事か。

 ――一体何がどうなってるのよ……

 機構のトップである評議会の名前がここで出る事に違和感を感じているのはネスだけだ。彼女は不安げに周囲の人達の顔を見回す。

 どれくらいそうしていたか、多分ネスが感じたものより短い時間の後、ドミナード班長がぽつりと漏らした。

「だとしても、我々は命令に従うのみだ」

「班員の命を危険にさらしても?」

 テロスは意地の悪い顔でドミナード班長にそう聞く。だが班長の方は彼に構う気はないようで、あっさりとした答えを返した。

「彼等の安全に関しては最善の手を尽くす。レガ」

「う、うん、もちろん」

「私もいる事を忘れるな」

 慌てたように頷くレガを余所に、相変わらず声の大きいジュンゲル班長がドミナード班長に自己主張をする。彼はそのままテロスに目を向けた。

「それで? そこの天災はどうするんだ?」

 ジュンゲル班長の言葉を誤解したテロスは、嬉しそうに胸を張る。

「そりゃあ、天才の僕としては――」

「そっちじゃない、災厄の方だ」

 ジュンゲル班長は容赦なかった。彼の態度からは、テロスの事が気に入らないのがよくわかる。

 言葉の誤解を説明され、先程までの様子から一変したテロスは、恨みがましい目をジュンゲル班長に向けた。

「……君、相変わらずだね。まあいいや。もちろん、僕ら研究所としても協力は惜しまないよ。面白そうだしね。ただし、一つ条件がある」

「何だ?」

「僕も探索に参加する」

「はあ?」

 テロスの言葉に、ジュンゲル班長が大げさな声を上げた。とはいえ、彼も後から参加をねじ込んできたらしいので、大きな声でテロスの事を批難出来ないはずだ。

「勝手な事を言うな!」

「君だって勝手に行動しているじゃないか。僕もナージ部長に許可は得たからね」

「そういう事を言ってるんじゃない!」

 そうして始まった言い合いを眺めていたネスは、背後から肩を叩かれて振り返った。アイドーニとレガ、それにいつの間にかドミナード班長もいる。

「ああなったらあの二人は長いから、今のうちに魔力の抽出、お願いしていい」

「わかりました」

 そのまま四人でその場を後にし、ネスはレガとアイドーニと共に別の天幕へと移動した。ドミナード班長とはここでお別れだ。

「ネス、明日は一日休息日とする。よく体を休めておけ」

「はい」

 まだヒロムの魔力枯渇は治っていないのだろうか。特に疑問に思う事もなくレガ達と天幕に入ったネスに、アイドーニが何とも言えない笑みを浮かべて声をかけてきた。

「ドミナード班長ったら、優しいのねえ」

「……そうですね」

 何となく、アイドーニの様子に不穏なものを感じたネスは曖昧に流す事にする。

 だが、アイドーニの方はお構いなしだ。

「明日の休養も、ネスの体を気遣ったからよ、きっと」

「そうですか? でもさん……えっと、ヒロムもまだ本調子じゃないだろうし、他の人達も疲れているだろうから――」

「何言ってるのよ! 魔力枯渇なんてすぐに治るに決まってるじゃない。ここ、魔の森の近くなのよ? 湧出魔力がそこかしこに文字通り溢れているんだから」

「はあ」

 ネスの意見は却下を食らってしまった。アイドーニは何が言いたいのだろう。

「もう、反応薄いなあ。まあ、普通あれだけの魔力を抽出したら、体に不調が出るものだけど、ネスの場合は何にも出ないから自覚が薄いのね」

 やはりネスは首を傾げるばかりだ。これまでも局で魔力抽出を何回も行っているが、何かしらの影響が出たことは一度もない。なので、誰でもそうなのだとばかり思っていたのだが、アイドーニの言葉を聞くと、どうやらそうでもないらしい。

「あのう……魔力抽出って、そんなに大変なんですか?」

「普通はね。一番酷いのだと、翌日一日起き上がれなかった人とかいるらしいわよ。私も聞いただけだけど」

 確かに、そんなに酷い状態になる人もいるとなれば、ドミナード班長が心配するのも当然か。

 だが、班長はネスが普段から抽出と結晶化を同時に行う装置を、制服に数多くつけている事を知っているはずなのだが。

 首を傾げながらも、不意に出来た休みを楽しみに、ネスは魔力抽出を受ける。おかげでつい先程聞いた評議会が絡んだ不穏な話を、すっかり忘れてしまった。

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