第十九話 研究完了(ただし一部のみ)

「行ってきまーす」

「行ってらっしゃーい」

 いつも通り総務に届ける書類を抱えて、ネスは詰め所を出た。こうして書類を運ぶのも慣れたものだ。

 総務ではセリと軽く雑談し、路面車に乗って技術開発局まで行く。いつも通りの道程だった。


 ペンデュミーロ村の事件以降、いくつかの仕事は入っていたが、そのどれにもネスは参加していない。ネスだけでなく、ニアも留守番が多かった。時にはリーディやキーリアもそれに加わっている。

 一度ニアとキーリアが残った時に、三馬鹿は常に出向くんですねと尋ねた事がある。それに対する二人の返事は、ネスが想像していたものとは違っていた。

 ここしばらくの仕事は、そのどれもがジュンゲル班との合同のものだったらしい。つまり、三馬鹿が常に出向くのはあちらの班長の意向があったから、という事なのだ。

 てっきり何かの罰として仕事詰めなのかと思っていたら、本当の理由に拍子抜けもしたが、ある意味あの三人にとっては罰なのかもしれない。

 話を聞いた夜、ネスはどこだから知らない街や村に出向く三馬鹿の為に祈りを捧げた。その内容は「あの三人が大好きなジュンゲル班長といつまでも一緒にいられますように」という、本人達が聞いたら怒り出しそうな内容だったが。

 仕事が終われば待っているのは書類の作成である。ペンデュミーロ村の場合はその辺りも全てあちらの班が担ってくれたが、それ以外は担当ごとに書類を作成するらしく、三馬鹿は机に向かって唸る日々が続いていた。今日総務に運んだのも、そんな書類だ。


 総務の近くの停車場から乗った路面車を、局の最寄りの停車場で下りる。吹く風は大分冷たくなってきていた。冬はもう目の前である。

 そろそろコートを用意した方がいいかと思いつつ、ネスは局の玄関を潜った。

 普段レガと実験を行っているのは、別棟にある実験室である。そこまでの経路も、もう通い慣れたものだった。

「こんにちはー」

「あ、来たわね」

 実験室にはアイドーニの姿しか見えない。ネスはきょろきょろと辺りを見回して、アイドーニに聞いてみた。

「あれ? 今日はレガさん、いないんですか?」

「ああ……主任はもう少しで来ると思うよ」

 アイドーニの声が少しいつもと違うように感じたが、すぐにきのせいだとして気にせず、椅子に腰掛けて持ってきた本に目を落とす。

 そのまま待つ事しばし、実験室のドアがいきなり開けられると、レガが満面の笑みで入ってきた。

「やあやあ、よく来たね、ネス!」

「こ、こんにちは、レガさん」

 嬉しくて仕方ないという様子のレガに、ネスは腰が引け気味である。初めてレガに会ってから半年近く、ネスもどういう状態のレガに気を付ければいいかわかり始めていた。

 経験上、上機嫌のレガは要注意である。

 ――確か以前の時は別の班と技術上のやりとりが出来るようになったとかで、何回も面倒くさい実験を繰り返したっけ……

 横目でちらりと隣にいるアイドーニを見れば、彼女もうんざりした顔をしている。ネスよりも付き合いが長い彼女から見ても、今日のレガは要注意人物のようだった。

「主任、何があったのかは知りませんが、とりあえず落ち着いてください」

 アイドーニの言葉に、レガは音がする程勢いよく彼女に振り返る。

「何があったかだって!? あったとも! ネス、君も喜んで。僕の研究の一部が完成したんだ!!」

 両手を広げてそう言い放ったレガに、ネスは目玉が転げ落ちそうな程に見開いた。

「ほ、本当ですか!?」

「もちろん、本当だとも。僕は嘘は言わないよ」

「や……やったー!!」

 これで制御が出来る、もう役立たずじゃないのだ。ネスは心の底からわき上がる喜びを、全身で表現した。その場で両手を挙げて飛び上がったのだ。

 飛び跳ねつつレガの手を取って喜ぶネスに、隣のアイドーニから冷静な言葉がかかった。

「でも、一部なんですよね? どの辺りまで完成したんですか?」

 その言葉に、ネスの動きがぴたりと止まる。そうだ、彼は一だけ完成したと言ったのだ。その一部とは、一体何を指すのか。

 手を取った状態のままレガが満面の笑みのまま固まっているのを見て、ネスの中に嫌な予感が浮かんだ。まさか、完成したのは魔力制御とは関係ない部分なのだろうか。

 ネスが手伝うレガの研究は、簡単に言ってしまえば「魔導製品を使って魔力を制御する」研究なのだが、この中には実に多くの研究内容が含まれているらしい。

 主にネスが手伝っているのは「魔力を結晶化する研究」と「魔力を人工的に圧縮する事によって魔力濃度を上げる研究」と「体外にある魔力を制御して術式を展開する研究」の三つになる。

 本当はこの三つの中にもいくつもの研究が入っているが、説明してもらっても専門的すぎてネスが覚えられなかったのだ。

 背の高いレガを、ネスは真下から見上げる。その視線に気付いたのか、レガがそっと視線を外した。

「主任、説明を」

「……はい」


 結果として、ネスは制御が出来るようにはなった。ただし、一部だけだが。

「という訳でね、一度結晶化した魔力を使って術式展開するのはまだ途中なんだけど、その前段階の分は何とか実用化にこぎ着けたんだ」

「それがこれ、ですか」

 ネスとアイドーニの前に置かれたのは、四角い金属風の物体だった。レガの説明によれば、人の体内から抽出した魔力結晶ではなく、自然界にわき出ている魔力を抽出して術式を展開させる代物らしい。

 この世界には魔力が溢れている。その濃度は場所によって様々だが、一般的に自然が豊かな土地程湧き出る魔力が多いとされている。前回の仕事で行ったペンデュミーロ村は、自然が乏しい土地だったので湧き出る魔力も少なかったのだ。

 ネスの目の前に置かれた箱は、その湧き出る魔力――湧出魔力と読んでいる――を集めて術式展開可能なように変換する装置、なのだそうだ。

「で、でも、これがあれば私でも魔力制御を出来るようになるんですよね!?」

 縋る思いでネスが問うたが、レガとアイドーニは二人して困った様子を見せている。

「一応出来るには出来るんだけど、何しろ湧出魔力を集めるだけだからねえ」

 まだ濃度を上げる研究は完成していないらしい。

「しかもこの箱の大きさ……おそらく低級術式を扱うのがやっとじゃないですか?」

 しかも集められる魔力量も少ないようだ。低級術式と聞いて、ネスがハの字眉になった。

 術式には等級があり、より高度で効果が高いもの程等級が高く難易度も上がる。それが低級という事は、火を出しても種火程度、水を出してもグラスに一杯程度のものばかりなのだ。

 ネスの所属する班では、そんな低級な術式を仕事で使う事はない。ペンデュミーロ村の件でも実際に見る事はなかったが、書類を届ける際に目にする術式等級からいけばかなり高度なものばかりだった。

 という事は、自分はまだ役立たずのままらしい。段々と俯くネスの耳に、レガとアイドーニの慰めの言葉が入った。

「ご、ごめんね、期待持たせるような事を言ったのが悪かったね」

「許してね。主任も悪気はないのよ、悪気は。ちょっと周囲が見えないだけで」

 アイドーニのレガ評は随分なようだが、言われている本人は気付いていないらしい。何だかそれがおかしくて、ネスはくすりと笑いを漏らした。

 そうだ、悲観する必要なんてない。今までまったく出来なかったものが、低級とはいえ出来るようになるのだから。

「ごめんなさい、大丈夫です。まずは制御出来るようになったんですから、喜ばしい事ですよね! レガさん、遅くなりましたがおめでとうございます!」

 考えてみれば、この報でネスが落ち込むなど身の程知らずなのだ。研究はあくまでレガのものであって、ネスは手伝いというのも憚られる程の事しかしていない。

 なのに落ち込んでお祝いの言葉も送れるとは。こんなでは術式が使える使えないの前に、いつまでたっても役立たずのままなのは当然だ。

「出来なかった事が出来るようになるんですから、レガさんはやっぱり凄いです」

 ネスの言葉に、唖然としていたレガが相好を崩す。やはり、一部とはいえ研究が成功したのは嬉しいのだろう。

「あ、ありがとう。一歩ずつ、確実に進みたいからね。今はまだ低級しか扱えないけど、ちゃんと最終的には高等も扱えるようにするから!」

「そ、そうよ。うちの主任、人間性はこんなだけど、一応優秀な人だから。いつかは高等術式も扱えるようになるわよ」

「アイドーニ君……君、そんな風に僕を見ていたんだ……」

「え? あれ? や、やだなあ主任、言葉のあやですよお」

 レガとアイドーニのやり取りに、ネスが笑うと二人も笑った。

 レガの言う通り、一歩ずつ確実に進んでいくべきなのだ。時間がかかっても、幸いネスは普通より三年も早く卒業しているのだから。

 ――そうよ、先は明るい!

 まだ笑い会っているレガとアイドーニを見ながら、ネスは明るいであろう未来に思いをはせた。

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