第三十六話 起動

 続々と起き上がってくるトカゲモドキを躱しながら、ドミナード班長が操るロンダは広場を縦横無尽に飛び回る。そろそろネスは乗り物酔いを起こしそうだった。

「大丈夫か!?」

「は、はい」

 だからといって、馬鹿正直に酔いそうだとは言えない。荒い操縦になっているのも、自分達の命を守る為なのだ。

 ネスが余剰分の魔力を吸い取った挙げ句、班長に向かうべき魔力もどんどん吸収しているせいで、班長の方は好調らしい。それがせめてもの救いか。

 ――他人の魔力を吸い取った挙げ句、相手が具合悪くなりました、なんてなったら本当に化け物クラスだよ……

 そんな事を考えつつも、ネスは順調に術式を構築しつつあった。テロス班長から教えられた新型の術式は、主に三つの要素から構成される。

 範囲指定で術式が効果を発揮する領域を指定し、対象指定で領域内のどの個体に効果を及ぼすかを指定、変換指定で個体を「何」に変換するかを指定する。

 こう説明すると簡単なようだが、実際はひどく複雑な術式だった。しかも三つの要素それぞれに莫大な量の魔力を必要とするのだ。

 ――魔力量に関してだけは、問題ないんだよね。

 問題は、ネス自身がこれ程の量の魔力を扱った事がないという事である。というより、これまでろくに実技をこなしてこなかったので、経験値が圧倒的に足りていなかった。

 その状態でいきなりこの大規模な術式を制御しようというのだから、自爆覚悟としか言いようがない。

 しかも、本来ならネス一人で立ち向かう予定だったのに、ドミナード班長が道連れとなってしまっている。ただでさえ神経を使う魔力制御を、さらに神経をすり減らして行わなくてはならなかった。

 術式起動は、何某かの形で構築した術式に魔力を流し込むだけでいい。構築は人によっては紙や物体に記述したものを使う事もあるが、ネスは内記式と呼ばれる脳裏に術式を構築して魔力を流す方法を選んだ。この場では、それ以外に選びようがなかったというのが正しい。

 テロス班長から教えられた術式は、構築式が非情に複雑かつ膨大で、それを記述出来るだけの紙も物体も存在しないのだ。

 かろうじて地面が使えれば良かったのだが、この広場全てを使ってもまだ足りなさそうだし、何よりもトカゲモドキのせいで地面は殆ど見えない状態になっている。

 ――どこまでも祟るなあ、トカゲモドキめ。

 八つ当たり気味に思いつつも、ネスは術式構築に努めた。一箇所でも間違えれば、起動しないどころか大惨事になりかねない。

 範囲指定部分を構築し終わり、対象指定に移る。その時に、はたと気付いた事があった。

 ――あれ? 対象指定って、逆も出来るのかな?

 つまり、対象を選んで効果から外すというものだ。今回の場合はそちらの方が早そうなので、構築した術式をもう一度確認してみる。

 テロス班長の術式は応用が利くものらしく、対象指定部分の構築の変更も容易だった。

 ネスは人とロンダを対象から外すように指定し、さらに構築を進めていく。ここで軽く躓く事になった。はて、一体あのトカゲモドキを倒す為には何を変換すればいいのやら。

 構築に集中する為に目を閉じていたネスは、そのまま眉間に皺をよせてしまった。軽く俯いた状態でうんうん唸っていると、背後から班長からの心配そうな声がかかる。

「……本当に、大丈夫なのか?」

「大丈夫です!」

 多分、と内心でだけ付け加えておいた。大丈夫かどうかなんて、ネス自身にもわからないし、不安も大きい。でも、ここでやらなかったから一生後悔するし、何ならここから無事に基地まで戻れるかどうかも怪しい。

 やれるかどうかではなく、やるしかないのだ。

 そう気合いを入れ直した時、ふと閃いた事があった。この魔の森は、火山の影響から火の気を帯びた魔力に溢れている。そしてあのトカゲモドキ達はその魔力をたっぷりと吸収しているのだ。

 だとするなら、トカゲモドキ自体が火の気を帯びていると考えていいのではないだろうか。だからといって火を吐くような事はないし、火炎系の術式を放ってくる事もないが。

 ――そもそも、トカゲモドキに術式を使う事は出来るのかな?

 ネスの思考がまたもや構築から逸れてしまった。すぐにはっと我に返って頭を軽く振って余計な考えを頭から追い出す。今は術式構築に専念しなくては。

 トカゲモドキ達が火の気を帯びている可能性が高いのなら、水か氷系統の術式を使えばいい。ネスはすぐに構築中の術式に氷雪系の術式を加えた。この時に、ネスが見落としていたのは最後に加えた箇所が変換指定の箇所だった事だ。

 ともあれ、これで術式の構築は完成した。後は魔力を流し込んで制御すればいいだけである。ネスにとっては、そこが一番問題のある場所なのだが。

 内記した構築済みの術式に、慎重に魔力を流し込んでいく。だが、途中でおかしな事に気付いた。

 ――あれ? これ、魔力が勝手に流れ込んでいってない?

 確かに術式としては巨大なものだから、必要魔力の量も多い。細かく気を遣って流し込まずとも、バケツでぶちまけるイメージでも何ら問題はないのだが。

 ネスが術式に魔力を注ぐと言うよりは、術式に魔力を抜かれているような感触なのだ。

 通常の術式ならば、暴走を促しかねないのでこういった機能は盛り込まれない。だが、この術式は研究所で開発されたばかりで、まだ起動実験すら行っていない代物だ。しかも、発表すれば管理術式は間違いなしという危険度でもある。

 その事に思い至ったネスの背中に、冷たい汗が流れる。もしもここで術式が暴走などしたら、中心にいるトカゲモドキはまだしも、術式を起動させているネスも、そのすぐ側にいるドミナード班長もただでは済まない。

 心臓が激しく鳴り出す。これは失敗ではないのか。術式は起動する前に暴走しだすのではないか。何度も打ち消すが、不安の芽は簡単に頭をもたげてくる。

 ロンダの手すりを握る手に力が入りすぎて、指が白くなりかけたその時、大きく温かな手が上からぐっと握ってきた。

「落ち着け。起動の最中に他の事を考えるな」

 ドミナード班長の落ち着いた声が耳に入る。不思議と、それだけで先程まで頭を占めていた不安が綺麗に消えた。

「大丈夫だ。テロスがお前の為に作った術式だ。細かい事は考えずに、全力でいけ」

「は、はい!」

 班長の言葉にすっかり安心したネスは、彼の言葉にあった重要な情報を聞き流して、そのまま術式に魔力を込め続ける。

 班長は全力で行けと言ったのだから、込める魔力も全力でいく。何せ指定範囲はこの魔の森全域なのだ。

 ――どこにトカゲモドキが潜んでいるか、わからないからね!

 吸い取られるように感じていた術式に、それ以上の量と速度で魔力を注ぎ続ける。これだけ思いきり魔力を使った事など、これまでなかった事だ。

 今までは極力魔力を使わないように、暴走させないようにと気を遣うばかりで、魔力を思いきり使う場面などあるはずもない。だから、これが最初の体験だった。

 それは、まるで自分の体が広がっていくような感覚である。それまで見えなかったものが見えて、触れられなかったものに触れられるようなものだ。そして、それはただの比喩ではなかった。

 ――ああ、見える……みんなも無事なんだね。

 まだ基地まで辿り着いてはいないが、トカゲモドキの追撃をかわしながら森の中をロンダで進む皆の姿が見える。不思議な話だが、全員ばらばらの場所にいるというのに、それを全て見て感じる事が出来るのだ。

 ネスの感覚はさらに広がり、森の縁をぐるりと囲むように走って行く。そしてその感覚は地下へも潜って行った。

 魔の森の地下には、網の目のように魔力の流れる道がある。その全ては魔の森の近くにある火山に繋がっていた。その魔力の流れに、異変を感じる。

 所々で流れが滞っているのが見えるのだ。それも、今ネス達がいる広場を中心とした流れである。

 滞った流れは、このまま放っておけば噴き出しそうな程の勢いだ。

 ――これ、もしかしなくてもあの結晶のおかげで滞らずに流れていたんだよね?

 もしくは、噴き出すはずの魔力が全て結晶に吸い込まれていたのではないか。いずれにしても、あの結晶が岩場からなくなった事で魔力が滞っているのなら、確実に責任は結晶を取った人間、すなわちネスにある。

 上から命令されただけだという言い逃れは出来るが、だからといって噴出寸前の魔力がどうにかなる訳ではない。

 考えたのは本当にほんの一瞬だっただろう。ネスは後付けで対象指定に地下の魔力の流れも加えた。テロスの術式は本当に応用力が高く、後付けでの指定も難なく受け入れている。

 さすがは頭脳派集団と言われる術式研究所の、一班を任される人物である。言動に難があるとはいえ、実力は本物という事だ。

 構築された術式に魔力が満ち始めている。式は一番効率がいいという事で円状に記述される事が多い。今回の術式も円状に記述している。その中心から外側に向けて、かなりの速度で魔力が流れていった。

 既に範囲指定と対象指定の部分には魔力が満ちていて、その効果が現れ始めている。影響はトカゲモドキにも出ているらしく、ロンダを追いかけるのをやめて不思議そうに辺りを見回していた。

 徐々に、森とトカゲモドキが白い光で覆われていく。対象指定が終わったのだ。もっとも、今回は除外対象を指定したと言った方が正しい。もちろん、除外対象としたのは森にいる仲間全員だ。ちなみに、範囲指定は魔の森のみにしてあるので、基地には影響が出ないはずである。術式が暴走しなければ、という条件がつくが。

 どのみち、あのままトカゲモドキを放置しておく事は出来ないし、そうなれば基地も損害を受ける事になる。援護を呼ぶにも、本部からここまで瞬時に来られない以上、やはりこの術式をここで起動する他はなかったのだ。

 ――大丈夫。班長もそう言っていた。

 ネスは改めて気を引き締めると、内記した術式に向かう。八割方魔力が行き渡った状態の術式は、ここからさらに魔力を必要とする。

 普通の魔導士ならとっくの昔に魔力枯渇を起こして死に至っているだろう。その前に、この規模の術式なら複数人での起動が普通だ。

 ただでさえ魔力食いの術式なのに、範囲指定と対象指定を広げた為にさらなる魔力を必要としているようだ。

 だが、ネスの魔力は未だ尽きる気配を見せない。それもそのはずで、ここは濃い魔力が大量に湧き出す事で有名な魔の森だ。いくらでも湧き出している魔力を取り込む事が出来るここでは、ネスの魔力が尽きる事はまずない。

 ネスは心地よい興奮に半分酔いかけていた。全力で魔力を使う事が、こんなにも快いとは。

 あともう少しで術式に魔力が満ちる。最後の変換指定の部分が埋まるのだ。そこに魔力が充填されれば、起動完了である。

 あともう少し、あともう少しと歌うように唱えながら、ネスはこれまで以上の速度で魔力を込めていった。

 そして、起動の時を迎える。周囲の何もかもが白く染まった時点で、ネスの意識は途切れてしまった。

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