第三十二話 物質変換

 テロス班長に連れられてきたのは、研究所に割り当てられた天幕だった。ドミナード班の天幕とは、食堂を挟んで反対側にある。

「さて、じゃあ説明を始めようか」

 そう言うと、テロス班長は口頭で新型術式の説明を始めた。

「結論を先に言うと、これは物質変換に分類される術式なんだよ」

 物質変換は、物質を構成している要素を分解、その一部を別の要素と入れ替える事によってまったく別の物質に変換する術式の事で、難易度はかなり高い。

 今回の新型は、これまで不可能と言われていた生物に対する変換を可能にしたもので、それに伴い難易度と使用する魔力量が跳ね上がったのだそうだ。

「え……じゃあ難易度って」

「最高なんじゃないかな?」

「それどころか、発表即管理術式行きですよ」

「えー……」

 最高評議会で使用を制限、管理する術式に入るくらい、危険きわまりないものらしい。管理術式は、無許可で閲覧するだけでも処罰対象になるはずだ。当然発動などさせようものなら、一発で魔導士の墓場と呼ばれる更正施設行きは免れない。

 まさかそこまで危険な代物だったとは。ネスは震える声でテロス班長に聞いてみた。

「あの、管理術式なら発動させるのに許可が必要なんじゃ……」

「ああ、大丈夫。まだ発表前だから、評議会もこの術式の事は知らないよ」

「ええ?」

 さらにヤバい発言が出た。研究所で開発された新術式は、その危険度に応じて届け出が必要なはずだが。

 ――まさか、わざと届け出なかったなんて事、ないよね?

 ネスは早くもここに来た事を後悔し始めていたが、止めてくれたキーリア達を振り切った手前、今更帰りますとも言えない。

 顔色が悪くなっていくネスに、側で見ていたナイリが助け船を出してくれた。

「心配しなくても、これを発動させる事は現状無理だから、罰を受ける事も何もないから大丈夫」

「ナイリさん……」

「何せ必要魔力が最低でも十二万だもの。普通は一人で発動なんて無理なのよ。でもこの術式は複数人で発動するように調整されていないの。だから、まだ机上の空論って訳」

 なるほど、新型の術式は本当に出来たてらしい。通常、効果が大きく必要な魔力量が多ければ多い程、多人数での発動となる。その場合、最初の術式を多人数用に調整しなくてはならないのだ。術式の開発は、基本一人で発動するようになっている為である。

「でも、じゃあ新型術式って、まだ一度も発動させていないんですか?」

 ネスの言葉に、テロス班長とナイリは同時に頷いた。それは、新型術式と言っていいのだろうか。

 術式は何回もの試験発動で想定した結果を出してから、ようやく新しい術式として認められる。テロス班長の術式が一度も発動させていないというのなら、それはまだ研究段階の術式扱いだ。

「あのー……研究段階の術式って、部外者が知るのは駄目なんじゃ……」

「今回に限っては大丈夫。君はうちの班の助っ人って事になってるから」

「えええ!?」

 初耳である。一体いつの間にそんな申請が出されたのか。というか、打診された覚えも了承した覚えもない。

「い、いつそんな事に!?」

「つい昨日。一応、申請書類は出したけど、許可はまだ下りていないかな?」

「駄目でしょ! それ」

 常ににこやかなテロス班長に対し、ネスは涙目だ。何が悪くてこうなったのか。

 大体、本部から離れたここで申請を出したとして、誰が受理したのか謎だ。さすがに事務方が同行しているというのは聞いていないのだが。

「ネス、ごめんね。本気の班長は私も止められなくて……」

 頼みの綱のナイリに言われ、ネスは途方に暮れた。という事は、食堂でのやり取りの時はテロス班長が本気ではなかった訳か。一体何が本気なのかは知らないが。

 がっくりうなだれるネスに、テロスは一際明るい声で言った。

「まあ、本当に発動させる事になるかはわからないけど、術式の中身は教えておくよ。発動に必要な魔力は十二万と言ったけど、あれは本当に発動させるだけの量だよ。制御して作用させようと思ったら十四万は欲しいところだな」

 正直、一人でそれだけの魔力を有しているのはネスだけだろう。テロス班も、一体何を考えてそんなばかでかい術式を作り上げたのやら。

 ――いや、複数人で発動させれば問題ないのかな……それにしても十人以上で発動させるんだから、やっぱりばかでかいけど。

 多人数で発動させる術式で最も多い人数は六人で、広範囲に作用する攻撃術式と言われている。それでも随分と大きな術式らしいが、テロス班が作り上げた術式は、単純計算でその二倍だ。一体何を目指したのやら。

 何やら最初からやたらと疲れる事を聞かされてしまったが、こんな調子で難易度の高い新型術式など覚えられるのだろうか。

「さて、じゃあ術式の中身を説明しようか」

 先程までのやり取りなどどこ吹く風とばかりに、テロス班長は元気にそう言った。何だか班長に生気を吸い取られているように感じる。

 ネスの恨みがましい視線にも気付かず、テロス班長は天幕の中に置かれた机の上から、書類の束を持ってきた。

「じゃあこれ」

「……何ですか? これ」

「術式の内容だよ。必要要素と組み立て方が全て載ってるから」

「はあ!?」

 まさか組み立てが終わっていない未完成品だったとは。ネスは目眩がする思いだった。

 術式とは、望む結果を想定して必要要素を決め、それらを順番に組み立てて最後に魔力を流して制御する事で発動する。

 ネスは渡された書類を隅から隅まで読み込んでいった。かなりの時間を要したが、テロス班長達は黙ったまま彼女が読み終わるのを待っている。

 大分経ってから、ようやくネスは書類から顔を上げた。疲れた様子なのは、気のせいだけではあるまい。

「どうかな? 僕の新型術式は」

 相変わらず無駄に元気なテロス班長は、にこやかにネスに聞いてくる。感想がほしいのだろうか。だが、今言えるのは一つだけだ。

「あの……これ、必要魔力量が載っていないんですが」

「うん、当然。だってこの術式、使う魔力によって効果範囲が変わるから」

 やっぱりか! と内心思ったネスは、口には出さなかった。要素の中にそれらしきものがあったのと、組み立て方法の方に範囲指定が入っていなかった事からの推測だ。

 この新型術式は、魔力を注ぎ込めば天井知らずに効果範囲が広がるタイプのものだ。通常、発動させる魔導士の命に関わるので、術式には必ず使用魔力の上限を設ける。ネスが魔力の暴発をさせる危険があるのは、この上限が一番の原因だった。もしかしたら、この術式はネスとの相性がいいかもしれない。

 驚いた顔のネスに、テロス班長は胸を張って新型術式の自慢を始める。

「効果範囲が変わるのも、魔力量の上限を決めなのも、術式のバランスが取りづらいから組むのが非常に難しいんだよ。でもまあ、僕は研究所の中でもトップの実力だから、この程度も難なく組めるんだよねえ」

「おかげで班員が苦労させられましたけどね」

 冷静なナイリの突っ込みに、テロス班長はそれ以上何も言えないようだ。どうやら班員を大分こき使ったらしい。

 ナイリは思い溜息を吐いた。

「まあ、確かに術式の大半は班長が考案したものですし、部分的には他の術式に流用出来るものあったりしますから、全てが無駄とは言いませんけどね。でも発動させられる人間が現状唯一人というのは、術式としてどうかと思いますよ」

「いや、そこはほら、汎用的な術式は他の連中が作るから、うちの班はより実験的な内容をだね――」

「それ、所長の前でもちゃんと主張してくださいね。でないと私達が叱られます」

「そのくらいはお安いご用だよ」

 どうやらテロス班長にとって、研究所所長というのは恐れる相手ではないらしい。

 ――ナイリさん達にとっては怖い人なのかな?

 まだ機構に入って一年経つか経たないかのネスにとって、各所属長がどういう存在なのかはよくわかっていない。とりあえず、自身が所属する実行部の部長は怖い存在ではない。あまり顔を合わせないからこその感想だった。

 ネスは改めて手元の書類を見つめる。範囲を決める事なく際限なく広がっていく術式は、探索や解析を内包して解析、分解と続いている。最後の構築の前にある部分がよくわからないが、記述通りに組み上がれば問題ないのだろう。さすがに新人に毛が生えた程度のネスでは、最新術式の全てを読み解く力はなかった。

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