第十話 制服事件 四
「じゃあ行ってきまーす」
「行ってらっしゃい」
「気を付けてねー」
ネスの言葉に、ニアとキーリアが答えてくれた。ネスは手に総務へ届ける書類を持ち、詰め所を後にする。
機構に来てから約二週間、そろそろ一日のサイクルが出来てきていた。午前中は詰め所で雑用を行い、昼からは書類を届けるお使いがてら技術開発局へ向かう。
初日でデータを取られたネスは、二日目からはレガの指示する実験をこなしていた。といっても、結果は散々なものなのだが、レガにとってはいい結果に見えるらしい。
先日などは離れた場所に置かれたロウソクに火を灯す実験で、ロウソクそのものを炎で消滅させてしまったのだが、レガはそれでいいという。一事が万事そんな調子なので、やっている事に意味があるのかどうかが今一つわからないのだ。
――とはいっても、言われた通りにやるしかないしなー。
この無意味に見える行動の先に、魔力制御が出来る未来があるというのだ。やらない訳にはいかなかった。
総務に書類を届けるのも、今日で何回目になったか。セリとはお使いのついでに話し込む仲になっている。
「あら、いらっしゃい。今日は報告書の提出?」
「そうです。遅れてた三人の分です」
「ああ、あの三馬鹿か……やっと仕上げたのね、まったく」
例の三人の不名誉な呼び名は、セリの耳にも届いているらしい。というより、彼等が期日を守らない書類関連で、彼女は何度も連中の尻ぬぐいをさせられていると愚痴られた。
今回の報告書も、班長が三人の尻を蹴飛ばしてようやく書かせたものだ。比喩ではなく本当に蹴飛ばしているのだから、班でも三人の扱いが知れる。
とりあえず、ネスはまだ直接被害を受けた事がないので、三人に関する評価は保留のままだ。
――初日にあったといえばあったけど、実害はなかったしなー。
班長の後ろにいたせいで、例の「歓迎」は殆ど見えていなかったのだ。
書類の期日に関しても、彼等に一番うるさく言うのはキーリアであり、彼女の手に負えなくなれば班長が出てくる。ネスが口を出す必要はまったくなかった。
ネスの差し出した報告書に抜けがないかどうか軽く確かめたセリは、そういえばと前置きして話し出す。
「ネスの制服、明日には出来上がってくるらしいわよ」
「本当ですか!? ……あれ? でも早くないですか? 前聞いた時はもう少しかかるような話だったけど」
制服を総務で発注した後、セリからは出来上がるまでに三週間は見ておいてほしいと連絡が入っていたのだ。明日出来上がるというのなら、一週間近く早く出来上がった事になる。
首を傾げるネスに、セリは辺りに人がいないのを確かめてネスの耳元に囁いた。
「あまり大きな声じゃ言えないけど、上の方が急かしたった話。ほら、ネスは時期外れの卒業でしょ? しかも学院と機構の都合でそうなった訳だからさ」
普通に卒業していれば、機構に入るまでに制服の準備をしておく時間があったのに、時期外れで卒業したネスはその日のうちに機構に入っている。その辺りを大人達が考慮したらしい。
「助かりますけど、いいんでしょうか?」
何だか特別扱いのようで気がひける。そんなネスを、セリは笑い飛ばした。
「いいのよ、権力持ってる奴らなんだし、実際ネスは連中の思惑のせいで迷惑被ってるんだし」
迷惑といってもほんの一月とちょっとだけ人とずれて卒業した程度だし、どのみち学院を卒業したら機構に入る以外にないのだから、三年後に入るか今入るかの差だけだ。
それを言ってもセリは変わらず気にするなと言う。そんなものなのかと無理矢理納得させて、出来上がった制服は明日早速引き取りに行くと約束した。
局での実験は、以前データを取った広い部屋で行われている。これらのデータも全て取るのだそうだ。
「制御失敗してばっかりなのに、データになるのかな……」
そんな愚痴を呟きながら、今日は部屋の端に置かれたグラスに水を注ぐ術式を展開する。
細心の注意を払って魔力を絞り、ほんの少しだけで術式を展開させた……はずだったが、危うく自分の出した水で溺れるという間抜けな事になりかけた。
全身ずぶ濡れになったネスに、アイドーニが慌てて小部屋から出てくる。
「大丈夫? ちょっと待ってね」
そう言うと、彼女はネスに向けて手をかざして術式を展開させた。するとあっという間に濡れていた服は乾き、ネスの髪もさらさらにもどる。
「服も完全に乾いてるから、もう大丈夫よ」
そう言って笑うアイドーニに、ネスは弱々しく笑い返すしか出来なかった。彼女と自分の歴然とした差に、笑うしかなかったのだ。
この部屋は実験用の特別仕様らしく、前回の炎や今回の水で痛んだ様子は一切ない。レガなどは安心して術式を展開していいと言い切った程だ。
――一体どういう造りしてんだろう? この部屋。
何の変哲もない、広さだけが取り柄の部屋に見えるのに。そういえば、初日もこの部屋のベッドで寝ているだけで各種データを取られたのだ。学院で行う魔力測定では、測定器に触れる必要があったのに。
「局って、丸ごと変な場所?」
『何か言ったー?』
独り言のつもりで呟いた言葉が、レガ達のいる小部屋にまで届いていたようだ。慌ててアイドーニに何でもないと誤魔化すと、ネスは次の実験に移った。
「はー……」
局に最初に来た時に通された部屋で、ネスは大きな溜息を吐いた。あれからもいくつかの初歩的な術式を展開させたのだが、そのどれもが大惨事一歩手前の結果となっている。
先程の溜息は、魔力制御に疲れたせいか、それとも芳しくない結果を思ってのものか、自分でもよくわからなかった。多分両方なのだろう。
「お疲れ様」
アイドーニが温かい飲物を出してくれた。ネスは小さく「いただきます」と言ってから口をつける。
「ずっと初歩の術式だもん、ネスじゃ魔力調整が難しいわよねー」
そう、アイドーニが言うように、初歩の術式展開に必要な魔力は極わずかなのだ。元々保有魔力量が多いネスにとっては、巨大な建物のような入れ物から小さじ一杯分のミルクを注ぐようなものである。しかもその入れ物は日々大きくなり続けるのだから、制御の難しさは推して知るべしだった。
おかげで学院では実技の授業を殆ど受けられない状態だった訳だが。どんよりと落ち込んだネスを見て、アイドーニは慌てたようだ。
「あ、あああのでも、ほら、初歩の術式でもあれだけの効果が得られるんだから、ある意味ネスってすんごく貴重な人材よ、うん」
ネスの魔力は量が多いだけでなく、濃度も非常に高い。濃度の高い魔力は低い魔力よりも高い効果を出しやすいと言われている。
もっとも、それもこれもきちんと制御して狙った効果を出せるようになって初めて意味のある事だった。
「私の場合制御出来ずに暴走するだけだから、使えないですよねー……」
「えーと……」
拗ねたネスの言葉に、アイドーニもどう返したらいいのかわからないらしい。そのまま無言でいてほしいと切に願う。今はどんな言葉をかけてもらっても、素直に受け取れそうにないのだ。
アイドーニからは何と声をかければいいのか迷っている様子が窺えるが、今のネスに彼女を思いやるだけの余裕はない。
「やあ、お疲れ様。いやー、今回もいいデータが取れたよ」
どんよりと重い空気が漂い始めた部屋に、明るいレガの声が響いた。
「今日ばかりは主任の空気を読まないところを有り難く思いますよ……」
ほっとしたのか呆れたのかわからないアイドーニの言葉に、レガは首を傾げるばかりだ。ネスもアイドーニの言葉に賛同したが、あえて口にはしなかった。
「そういえば、ネスの制服はもうじき出来上がるんだよね?」
「あれ? どうして知ってるんですか?」
局に来る前の総務で聞いたばかりの話なのに、何故レガが知っているのだろう。正確には明日出来上がってくるという話だが。
ネスの疑問に、レガは当たり前だといわんばかりの様子で答えた。
「あれ? 知らなかったの? 実行部の制服に関しては、制作にうちも関わってるんだよ」
「え!?」
初耳だった。だが、よく考えてみれば制服にはあれこれと術式を付与しているとセリも言っていた。
「えーと、もしかして術式付与って、局でやってるんですか?」
「もちろん。そういう意味では、制服も魔導製品って事になるね」
魔導製品とは、魔力と術式で動く全てのものをいう。路面車も魔導車もそうだし、各家庭にある洗濯機や空調なども含まれる。
――なんだろう、服と洗濯機が同列に思えてきた……
ネスの頭の中で、洗濯機と制服が並んで店頭に置かれている図が浮かんでいた。
「えーと、局が関わってるから、私の制服が出来上がるのを知っていたって事ですよね?」
「うん、そう。それにしても、思い切ったデザインにしたねえ」
「え?」
思い切ったデザイン? 確かデザインは今着ている学院の制服に似た感じのブレザータイプを選んだはずなのだが。
首を傾げるネスに、レガも首を傾げている。再び部屋に奇妙な空気が流れた。
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