第四十話 査問委員会 二
査問委員会が開かれる場、議会場は中央塔の上階エリアに存在する。魔導による高度な警備システムに守られたそこは、吹き抜けに浮かぶ半円形の強化ガラスの内部にあるのだ。
「……あそこまで、どうやって行くんですか?」
「心配しなくても、向こうから向かえが来るよ。ほら」
呆然としたまま口にしたネスの問いに、テロス班長が答えてくれた。彼が指で示す先には、ロンダを三回りくらい大きくしたようなものがある。それが、こちらに向かってきているのだ。
「あれで議会場へ行くって訳。入る資格を持たない、もしくは呼ばれていない人間はここから先には行けないようになっているんだよ」
テロス班長の説明では、この吹き抜けには術式を無効化する仕掛けが施してあるのだそうだ。それでどうしてあの巨大ロンダが動くのかといえば、あれと議会場だけ特別な術式を使ってここに存在させているので、問題はないのだという。
いよいよ目の前に迫った現実に、改めてネスが気合いを入れていると、横からテロス班長がいつも通りの様子で声をかけてきた。
「さて、これから先は何があっても驚かないようにね。僕らも口先だけの事をあれこれ言うと思うけど、合わせておいて」
「え……」
あまりの内容に驚いて見上げると、にっこりと微笑まれてしまう。
「ほら、君の援護でしゃしゃり出るんだから、本当の事にほんの少し足して話す事もあるって事。ね?」
笑って言うテロス班長に、ジュンゲル班長とドミナード班長が頷いた。言われたネスはぽかんとしてしまっている。テロス班長の言葉を要約すれば、嘘を言う事もあるから、ネスも合わせるようにという事だ。
「で、出来るでしょうか?」
「出来そうもなかったら、黙っていればいいよ。僕らのうちの誰かが何とかするから。あ、間違っても嘘の内容に驚いたりしないように。即バレるからね」
「わかりました。その時は下を向いて口を閉じています」
それくらいしか、自分に出来る事はないという判断からだ。ネスの返答に、テロス班長は満足そうに笑った。
議会場は、全面ガラス張りの広大な空間だ。その中央に三つに分割された円状に組んだ机があり、評議会議員が座っている。査問を受けるネスは、その円状の中央に立たなくてはならない。
恐怖心で足がすくむが、普段らしからぬジュンゲル班長の小声に背筋が伸びた。
「恐れる事はない。お前は何も悪い事はしていないのだから、胸を張って堂々としていろ」
確かに、悪い事をした訳ではない。新型術式が管理行きになっていれば、許可を得ずに起動させる事は規律違反になるが、まだ発表前の状態では評議会も管理のしようがないはずだ。
この査問は、ドミナード班を潰そうとする意思から生み出された茶番である。班長達のその結論が、今のネスのよりどころだった。
「ネス・レギールは前へ」
真正面に座る一番高齢な人物の言葉にネスが一歩踏み出そうとした途端、別の人物からの声が上がる。
「その前に、関係ない者達は議会場から即刻退去せよ!」
その言葉の強さに、ネスの肩が一瞬揺れた。だが、すぐに目の前を塞いだ広い背中と、肩に置かれた大きな手による安心感から、緊張が和らぐ。
「お言葉ですが、ここに無関係な者など一人もおりません」
「査問に呼び出したのはそこの小娘一人だ。お前達は呼んでいないぞ」
「これは異な事を。今回の査問は彼女が新型術式を使った事に関するものでは? 我々は、術式を使ったその場に立ち会いました。それでも無関係だと?」
「貴様……!」
「やめよ。双方、共に引きなさい」
議員の一人とジュンゲル班長のやり取りに、別の意味ではらはらするネスだったが、先程の高齢な人物の一言で二人ともが引き下がった。
「彼等が立ち会う事は事前に報告を受けている。特例ではあるが、対象が未成年である事、今回の査問内容が特殊である事を鑑み、許可を出したのだ」
「……議長の言葉に従います」
「私も同意見です」
議員とジュンゲル班長の言葉で、その場は治まったようだ。どうやら、先程の人物は評議会議長らしい。という事は、魔導機関の最高責任者だ。
――えーと、確か名前は……マブール・バツォレット議長……だよね。
ネスが名前を覚えていた理由は、バツォレット議長が同じ国の出身だからだ。その議長が、ゆっくりと口を開いた。
「さて、改めて査問を開始する。ネス・レギール、及びレージョ・ドミナード、ヤアル・ジュンゲル、アルヒー・テロス、レガ・ネツァッハは前へ」
全員無言で円状の中心に立つ。周囲からの視線に晒されるこの場所は、心臓に悪い。遠慮のない視線というものは、どうしてこうも凶器じみているのだろう。
「まずは基本事項の確認からいこう」
そうバツォレット議長が言うと、彼の隣にいる議員がネスの名前、出身地、出身学院、その成績等を読み上げた。間違いがないか確認され、それに答えていく。
ここでも学院での実技授業の習得不足に言及されたが、これにはレガからの援護があった。
「現在の彼女の魔力量とその成長率から逆算しましたが、学院入学三年の時点でネスの魔力量は平均の二倍、毎時数十から百近くの量が増えていたと思われます」
ついでに最新の魔力量が提示されると、議会場にはどよめきが起こる。魔の森で新型術式を全力で起動した影響か、魔力量が元の二倍以上の数値になっていたのだ。
――どうでもいいけど、個人の魔力量が三十万超えって……
これまでの最高値は六万だとレガに聞いた事がある。それの五倍以上なのだから、どよめきが起こるのも無理はないのだが。
「だ、だからといって、実技訓練をしなかったのはやはり問題があると――」
「お言葉ですが、彼女を指導出来なかったのは学院側の人材不足が原因です。また、彼女の魔力が成長型とわかった時点で技術開発局に協力の申し出があれば、実技の訓練をしないなどという結果にはならなかったと思います」
「我が術式研究所にも、協力要請が欲しかったところですね。いい加減、学院は機構の一部だという自覚を持って欲しいものです」
レガとテロス班長の言葉に、議員の幾人かは苦い顔をした。何やら、後ろ暗いところでもあるらしい。そういえば、学院は評議会の直轄である。
「……そうは言っても、やはり実技訓練を受けずに現場に出るのは問題があるのではないかね?」
「それに関しては、実行部部長及び特殊対策課課長、そして直属の長である私が連携をして実地訓練を積ませていきますので、ご心配には及びません。第一、ここはそのような事を言う為の場でしたか?」
ドミナード班長の言葉に、議員は言葉がないようだ。ちなみに、この議員は先程班長達に退去するよう求めた人物である。
「確かにそうだな。今回の査問内容は、無許可で新型術式を起動させた件だ。では、本人に問おう。何故、評議会の許可を得ないまま術式を起動させたのかね?」
先程とは違う議員に聞かれ、ネスは背筋を伸ばした。
「許可を得ている時間がないと判断したからです」
「何故、そう判断した?」
「周囲を大型のトカゲ型の生物に囲まれました。また、森から抜けるべく別行動をしていた班員にも、同様の生物が襲いかかっていた可能性があった為、緊急を要する案件だと判断しました」
「トカゲモドキと仮称を付けたそうだな。これは君が?」
「いいえ」
「起動させた術式が、危険なものであるという認識はあったか?」
「……作成者であるテロス班長より、発表すれば管理術式扱いになるだろうとは聞きました」
「その危険な術式を起動させる事に、ためらいはなかったのか? 万一、事故が起こったとしたら?」
矢継ぎ早になされる質問に答えるだけで、ネスには精一杯だ。詰め所から中央塔に来るまでに、想定される質問に対する模範解答を班長から聞いていなければ、ここまでスムーズに返答出来なかっただろう。
それでも、最後の一問は一瞬答えに詰まってしまった。事故が起こるかも、などと考えないはずがない。あの恐怖を理解出来るのは、起動していた自分と、側にいたドミナード班長だけだ。
「……事故が起こったらと、考えないはずがありません。それでも、あのまま手をこまねいていたら、自分達だけでなく基地の皆にまで被害が及びかねないと思ったんです」
何より怖かったのは、一か八かの手段があるのに、それを講じなかった為に被害が出る事だった。
他にも手はあったかもしれない。でも、あの場でネスが判断出来たのは、術式を起動させる事だけだったのだ。
また、表だって口には出来ないが、魔力が暴走しない算段も実はあった。鍵は術式起動に必要な魔力量である。
あの時指定した範囲全てに効果を発揮させる為に必要な魔力を、ネス一人ではまかなえないと計算していた。それでも起動に踏み切ったのは、あそこが魔の森だったからだ。
豊富な魔力を有し、かつ危険域に達する程濃く大量の湧出魔力を誇る魔の森だからこそ出来た荒技である。普通の土地で同じ事をやれば、土地が魔力枯渇を起こして違う意味の大惨事になっただろう。おそらく、数年は草一本生えない不毛の地になったはずだ。
ネスに質問していた議員は、少し考えた後に質問の相手を変えた。
「ではレージョ・ドミナード。君は何を根拠に彼女が術式を起動する事を許したんだ?」
「待て! あれだけの術式の起動を、班長如きが許可するなどと――」
「私が質問している最中だ。黙っていてもらおうか、ラルーロ議員」
「貴様!」
「静かにしたまえ、ラルーロ議員」
ラルーロと呼ばれた議員は激高して立ち上がったが、すぐにバツォレット議長に窘められる。渋々と腰を下ろす彼を見ながら、バツォレット議長は質問していた議員に向けて言った。
「テーロン議員も、言葉は慎みたまえ。例え事実であっても、言い方次第で悪く取られる事もある」
「肝に銘じておきます、議長」
そう言ったテーロン議員の様子は、とてもバツォレット議長の言葉を真に受けたようには見えない。
彼は再びドミナード班長に質問してきた。
「中断したが、先程の質問に答えてもらおうか、レージョ・ドミナード」
「あの場での、最適の手段だと判断したからです」
「根拠は?」
「あのトカゲモドキには術式が効きづらく、我が班の班員では攻撃力に欠けていました。また、先程ネスが申した通り、広範囲に渡ってトカゲモドキが出現した可能性が高く、一挙に殲滅する必要があった為です。彼女が起動させる新型術式以外に、それをなし得る手段があったとは思えません」
ドミナード班長の返答に、しばらく議員達の間で小声でのやり取りがあった。彼等の声がこちらに聞こえないのは、議員席との間に消音の術式が施されているからである。
ややして、次に質問してきたのはバツォレット議長だった。
「アルヒー・テロス、君が自ら新型術式をネス・レギールに教えたというのは本当かね?」
「はい、そうです」
「何故、そんな事をしたのだ? 術式の作成者である君なら、あの術式の危険性を十分理解していたはずだろう」
「もちろんです、議長。ですが、提出した資料を見ていただければおわかりの通り、あの術式は事実上彼女以外の誰にも起動は不可能です。そして、彼女なら、術式の使い所を間違えないと確信したので教えました」
思わず嘘だと言いそうになったネスは、慌てて下を向く。彼と関わるようになってまだ日が浅く、しかも交流は殆どなく関係は浅い。だというのに、どうして自分が術式の使い所を間違えないと確信するというのか。
ここに入る前にテロス班長に言われた通り、ネスは下を向いたまま黙っていた。もっとも、今の発言に驚いたとしても、「そこまで信頼されているとは思わなかった」と言って誤魔化せそうだ。どうやら、この短い間に班長達に感化されたらしい。
テロス班長の返答の後、再び議員達は何やら話し合っているようだ。そろりと顔を上げたネスの目には、堂々と言い放ったテロス班長の態度を疑う議員はいないように見えた。
議員達は近くに座る議員同士で何やら話し合い、手元の書類に目を落としている。あれがテロス班長の言った資料なのだろう。
確かにあの術式を起動出来るのは現在ではネスだけだ。
――起動に必要な魔力がね……
基本的な起動だけならネス一人でまかなえるが、それでも他の魔導士で起動しようとすれば十人以上を揃える必要がある。今更だが、あの新型はそれだけ大きな術式だったのだ。
資料を読み終えたらしいバツォレット議長が、顎を片手で撫でながら質問を続ける。
「ふうむ……何故これだけの術式を、一人で扱うように組んだのかね? 複数人で起動するようにしておけば、誰でも使えただろうに」
「術式の内容が内容です。これを議長の仰るように『誰でも扱える状態』にする事に、いささか戸惑いを覚えました。正直、これを組んだ時は起動は永遠に不可能だろうと思っていた程です」
これも、おそらくは嘘だ。ドミナード班長の言によれば、テロス班長はあの新型術式をネス専用で組んだという事だった。そこにどんな意味があるのかは知らないが、少なくとも「起動は不可能だろうと思っていた」はずはない。
ネスに術式を教えた時点で、彼女に起動させる気でいたのだろう。当初は起動実験をさせようとまでしていたのだし。
その後も術式に関する専門的な話が続き、制作サイドから見た起動の正当性は受け入れられたようだ。おかげでラルーロ議員の視線が突き刺さるように感じられる。
これまでのやり取りで、ネスにも何となくわかった事がある。テーロン議員とラルーロ議員は対立しており、おそらくだがテーロン議員はドミナード班長の敵ではないという事だ。
テーロン議員の質問は事実確認の為のものが多く、対称的にラルーロ議員の質問はネスが規律違反をしている事前提でされるものが殆どだった。彼以外ににもそうした質問をする議員はいたが、ラルーロ議員が一番辛辣なのだ。
憶測だが、ドミナード班を潰したがっているのはラルーロ議員なのだろう。この査問委員会を開くよう動いたのも、彼だと思われる。
ふと、学院時代のクラス内派閥を思い出した。座学、実技どちらも拮抗した実力を持つ生徒二人が、自分達の派閥を作ってクラスを割ったのだ。
綺麗に二つに分かれるかと思いきや、どちらにも興味のない第三勢力が出た為に大きなグループ二つに小さいグループ一つの計三つに分かれた事がある。今の議会場にはその時と同じ空気が流れていた。
一つの勢力がラルーロ議員、そしてもう一つがテーロン議員の派閥だろう。だとすると、残りの一つは誰の派閥なのか。
――何だか、ここにいるのが場違いな感じ。
少しだけ余裕が出てきたネスは、議員達の様子をよく見てみた。眉をひそめてこちらを見ている者、隣の議員と小声で話し合っている者、興味深そうな顔で見ている者、何の感情も見せない者と様々だ。果たして、この中でラルーロ議員派閥の議員は何人いるのか。
ドミナード班長、テロス班長、ジュンゲル班長と続いて、ネスが新型術式を起動した正当性を説いた後、質問対象はレガに移った。質問しているのはラルーロ議員である。
「聞けばネス・レギールは魔力の操作が全く出来ていないというではないか。そんな者にあの厄介な術式を起動させるとは、危険きわまりないと思わないのかね?」
「お言葉ですがラルーロ議員、彼女が不得手としているのは魔力の制御であって操作ではありません」
レガに反論され、ラルーロ議員はそれまでのにやついた表情を一瞬で硬直させた。
「……どちらでも同じようなものではないか」
吐き捨てたラルーロ議員に、レガはいきなりかみつく。彼にとっては、許せない言い間違いだったようだ。
「何を言ってるんですか! 全く違いますよ! 魔力の操作とは魔力そのものを扱う事であり、魔力の制御とは自分の魔力をいかに術式に相応しい量と濃度に調整するかという事であって――」
「とにかく! 魔力に関して不安がある彼女がだ! 危険な術式を扱う事について君はどう思っているのかね!?」
レガの滑らかな説明を遮り、叫ぶようにされた質問に対して、レガはしれっと答える。
「全く心配していませんでした」
「何故そう言える? 魔力操作が出来ない――」
「出来ないのは魔力制御です」
「……魔力制御が出来ない魔導士が大型の、しかも危険な術式を扱う事を何故心配しない?」
「新型術式が大型であり、消費魔力量が膨大だからですよ」
「はあ?」
レガの発言に、質問したラルーロ議員のみならず、多くの議員が理解出来ずにいた。そんな彼等を見渡し、レガはここぞとばかりに声を張り上げる。
「考えてもみてください。彼女が魔力制御を苦手とするのは、術式に必要な魔力が彼女にとって非情に微量だからです。例えるなら、通常の魔導士なら両腕で抱える大きさの石が、彼女にとってはほんの小さな砂粒のようなものなんです。しかもその砂粒は時間経過と共にどんどん小さくなる。わかりますか? 彼女の感じている苦悩が。つい先程までこれいいと思った魔力量が、次の瞬間には多すぎるんです。魔力は小さく絞る事は非常に細かい操作を必要とします。熟練の魔導士ですら、時には失敗する程です。彼女はこれまでの学院生活で、そんな大変な事を強いられ続けてきたんですよ」
魔力は大量に操作するよりも、ほんのわずかな量を操作する方が神経を使うと言われている。学院でも、段階を踏んで細かい操作を学んでいく。魔力制御とは、すなわちこの細かい魔力操作だとも言われているのだ。
ネスも当初は自分の魔力の量を絞る練習をしていたが、すぐに事故を起こしてしまって実技の授業から外されてしまったので、制御が苦手である。
一旦話を切ったレガは続けた。
「ですが、新型術式は必要魔力量が桁外れに膨大です。通常なら一人で起動出来ない程に。ですが、それだけの術式だからこそ、ネスは全力を出し切る事が出来たし、あの術式を起動させる事が出来たんです。本当ならもっと安全な環境を用意して起動実験を行いたかったのですが、あの時は全員の命がかかっていました。結果的に、まだ未成年である彼女に重い決断をさせてしまった事は、年長者として悔やむばかりです」
レガの、殊更強調した「未成年」と「年長者の自分達」という主張に、ラルーロ議員の眉間に深い皺が刻まれている。
「規律違反に年齢は関係ないだろう」
「そもそも、その規律違反というのがおかしいと思っていますよ」
「何?」
レガに真正面から言い返されたラルーロ議員の目がぎらりと剣呑な光を帯びた。
レガは構わずに続ける。
「今回の査問で一番疑問に思っているのは、一体彼女がどんな規律違反をしたのかという事です。彼女がした事は未発表の術式を起動した、ただそれだけです。それも、その場にいた全員を救う為という理由があります」
「十分な規律違反だろうが!」
「いいえ、機構の規律に未発表の術式を起動してはならないという一文はありません」
「未発表とはいえ、作成者も管理術式になるとわかっていたものだ。管理術式を無許可で起動すれば――」
「新型術式は未発表故に、管理術式には登録されていません。あくまで『未発表の新型術式』です」
「詭弁だ!」
「ラルーロ議員の仰っている事こそこじつけですよ。それとも、彼女が有罪にならなければ議員が困る事でも?」
「口を慎め!」
二人の言い合いに、誰も口を差し挟めない。そんな隙が見いだせないのだ。ネスも呆然としたまま目の前で繰り広げられるやり取りを見ているだけだった。
――ここって、何の場だったっけ? でも本来ならああやって議員にあれこれ言われるはずなのは私なんだよね……レガさん、ごめんなさい。
自分ではレガ程言い返す事は出来ない。卑怯だが、このまま二人でやり合ってほしいとさえ思うのだ。
レガはラルーロ議員と互角にやり合い、その内容は段々と魔の森での事から評議会による技術開発局に対する横やりへと変わっていった。
「評議会は機構の最高機関だ! その我々が下部組織に指示を出すのは当然とは思わんのかね?」
「当然のはずがないでしょう! 何度評議会の一部議員のごり押しで、研究途中の技術が潰されたと思っているんですか!」
「機構の為にならない技術など、不要だろうが!」
「誰がそれを決めるんですか! 評議会にだってそんな権利はありませんよ!」
「貴様! 我々を侮辱するのも大概にしろ!」
「静粛に」
レガとラルーロ議員の言い合いが過熱した辺りで、バツォレット議長のややのんびりした声が割って入る。声そのものに魔力が乗っていたからか、二人は瞬時に口を閉じた。
「ここはネス・レギールに対する査問の場であって、君達の言い合いの場ではないのだよ。慎みたまえ」
「申し訳ありません、議長。場をわきまえなかった事を謝罪します」
レガの言葉には、ラルーロ議員に対して発した言葉に対する謝罪はない。それがわかっているからか、ラルーロ議員の刺すような視線がレガに飛んだ。当人はといえば、わかっているのかいないのか、平然とした様子である。
「と、とにかく」
ラルーロ議員はレガにも議長にも形だけでも謝罪する気はないようで、話を続けた。
「通常ならば大人数で起動するべき危険な術式を、一人で起動出来るという時点で危険きわまりない。私は、彼女は隔離施設へ送るべきだと提案します」
ラルーロ議員の言葉に、他の議員がざわつきだした。
「やはり、それが狙いか」
ネスの隣にいるジュンゲル班長の呟きが、彼女の耳に入った。班長は、ラルーロ議員が先程の内容を言い出すとわかっていたのだろうか。
――それにしても、隔離施設って、何?
学院で教わる内容に、機構の規律違反に対する罰のいくつかがある。その中でも最も重いものは更正施設へ入れられる事だ。
何らかの危険思想を持った魔導士を更正させる事が目的と言われているが、学生の間ではもっぱら「洗脳施設」と呼ばれていた。一度入ったが最後、元の人格では出てこられない恐怖の場所とされている。だが、隔離施設という言葉は、学院では聞いた事がなかった。
「危険性を証明したのだから、妥当な判断だと私は思います」
ラルーロ議員の訴えに、議員の中からは反対意見がちらほらと出てくる。
「いや、いくら何でも……」
「まだ危険だと決めつけるのは早いのでは?」
「彼女は未成年だ。そこを考慮しなくては」
議員達の表情には苦いものが含まれている。おろおろとするネスに、ドミナード班長が声をかけてきた。
「安心しろ。隔離施設になど、絶対に行かせない」
何の根拠もないが、班長のこの一言でネスの精神はすっかり安定したようだ。周囲をよく見渡せば、手放しでラルーロ議員に賛同している議員は一人か二人だけのようである。
「議長はどう思われますか?」
一人の議員からそう聞かれたバツォレット議長は、一拍置いた後にテーロン議長に投げかけた。
「テーロン議員はどう思うかね?」
「愚問ですね。彼女を隔離施設に送るなど、とんでもない。機構の損失に繋がりますよ」
テーロン議員はどう猛な笑みを浮かべて答える。その様子に、ラルーロ議員は今にも飛びかかりそうな様子だ。
「ほう? 損失とまで言うとは。ではその根拠を説明してもらえるのだろうな?」
「説明? これまでに提示された資料からも十分わかるでしょうに、まだ説明が必要だと? これはこれは……」
そう言って苦笑するテーロン議員は、あからさまにラルーロ議員を馬鹿にしている。当然、相手にも伝わっているようだ。ラルーロ議員の顔が怒りで赤く染まっている。
「貴様、いい加減に――」
「まあいいでしょう。わからない方がいらっしゃるようだから、かみ砕いて説明して差し上げますよ。今回、魔の森でネス・レギールが起動した術式の規模は手元の資料でわかると思います。あの広範囲に効果を及ぼす為には、最低でも十五……いや、二十人は見ておくべきでしょう。平均的な魔力量の魔導士なら、三十人は必要だ。それをたった一人で起動したのですよ。どれだけの人的節約になるか、誰の目からも明らかでしょう。もしかすると、彼女一人で滞っている案件のいくつかが消化出来るかもしれない」
「それは、だから隔離施設で――」
「何故そこまで隔離施設にこだわるんです? まさか、彼女が『危険かもしれないから』という理由ではないでしょうね?」
ラルーロ議員の言葉を遮って、テーロン議員は強い語調で彼を問い詰めた。激高したラルーロ議員は再び椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がり、テーロン議員を指さして言い放つ。
「かもしれない、ではなく危険なのだ!」
「あなたの言う根拠は弱いんですよ。実際に彼女が人を殺しましたか? 災害でも起こしましたか?」
冷静なテーロン議員の質問に、ラルーロ議員は鼻で笑って答えた。
「事故は起こすところだっただろうが! 魔力操作もろくに出来ないくせに、大がかりな術式を一人で起動するなど――」
「事故は起こっていませんよ。それと、何度も指摘されていますが、彼女が不得手なのは操作ではなく制御です」
再三指摘された部分だからか、ラルーロ議員はぎりりと音がしそうな程に歯を噛みしめている。余程悔しいらしい。
「それと、先程から危険危険と言っていますが、あなたの言う危険とは、事故を起こしただけで判断されるものですか?」
「当然だろう! 犠牲者がどれだけ出るか予測も出来ない術式の事故を起こす者など、危険人物とみられてもおかしくはない」
言い放ったラルーロ議員は気付いていないのか、彼の発言を聞いた議員のうち、半数以上が眉根を寄せていた。
術式による事故は、年間数件だが発生していて関係各所にも報告されている。中には死傷者が出るような大規模な事故もあるが、それとて事故であって故意に引き起こされたものではない。
酷い言い様のラルーロ議員にどう反論するのかと、はらはらしながらテーロン議長を見たネスは、我が目を疑った。
彼は笑っていたのだ。今の内容の、どこに笑う要素があったというのか。その疑問は、テーロン議員の発言で解消される事になる。
「そうですか。あなたの主張はよくわかりました。ああ、そういえば、先々月に術式による事故を引き起こした人物がいましたね。彼も危険人物という事ですか。あの事故では怪我人が出ましたから、今回の件より危険度は高いと言えるでしょう」
笑みを浮かべているというのに、テーロン議員はとても恐ろしく見えた。ラルーロ議員はさぞや怒り狂っているだろうと見てみると、何故か驚愕した様子でテーロン議員を見ている。
「所属は第一実行部、名前は確か――」
「待て! その話は今は関係ないだろう!」
「何故です? 事故を起こす者は危険人物なのでしょう? ならば彼も十分危険人物として隔離施設に送らなくては。ああ、そういえば、彼はあなたと親しい間柄でしたね。事故の時にも便宜を図ったとか」
「しつこい! だ、大体、事故を起こしたというなら、この場にはもっと大きな事故を起こした奴がいるではないか!」
ラルーロ議員の言葉に、ネスは驚きを隠せなかった。彼はこちらを指さしているのだ。という事は、議員ではなくネス達の誰かが事故を起こした経験があるという事になる。
一瞬黙ったテーロン議員に、ラルーロ議員は勝ち誇ったように口を開こうとしたが、その前にテーロン議員が話し始めた。
「そうですね。ですが、今の実行部に事故を起こしていない者が一体何人いるでしょうか。勤続年数が長くなればなる程、事故を一度も起こしていない者の方が少ないはずだ。ただの口先の言葉ではありませんよ? 必要ならデータをご用意しますが? もちろん、誰がどのような事故を何回起こしたかも把握していますから、ご心配なく」
テーロン議員の言葉に、ラルーロ議員は何も反論出来ない。それどころか、先程までは怒りで赤く染まっていた顔色が、心なしか青ざめて見える。
――さっきテーロン議員が笑ったのは、この事を知っていたからなんだ……
誰だかは知らないが、第一実行部の人間が先々月に事故を起こし、それをラルーロ議員は自分の立場を使ってもみ消した。その事実をテーロン議長が掴んでいたという訳だ。だからこそ、危険がどうのという辺りをしつこく聞いていたのだ。
まさか自分がもみ消したはずの事故を敵が知っているとは思わなかったラルーロ議員は、これで攻撃の手段を一つ失った事になる。テーロン議員の言い様では、事故を起こした魔導士に複数「知り合い」がいるのか、それとも「知り合い」が複数回の事故を起こしているのか。いずれにしても、そこを全面に出すと、自分に跳ね返ってくるものが大きすぎるのだろう。
この場での勝者はテーロン議員だというのは、誰の目にも明らかだ。
――私の査問も、あの人達にとっての道具なんだな……とばっちりがこっちにこなければ、もういいや。
いっその事、このまま査問が終わってくれればいい。そう思いながら二人のやりとりを眺めた。
自分が優位に立っている事を十分知りながら、テーロン議員はさらにラルーロ議員を追い詰める。
「そもそも、危険『かもしれない』などという曖昧な根拠で魔導士を追い詰めるなど、機構の人間が言うべきではない。ラルーロ議員、あなたの言い分はまるで古の魔導士狩りを行った為政者達のようだ」
「何だと!?」
「静粛に」
テーロン議員の言葉に激高したラルーロ議員を、再びバツォレット議長ののんびりした声が窘める。議長はテーロン議員の味方のように見えるが、ただ単に声を荒げているのがラルーロ議員だからなのだろう。
テーロン議員とラルーロ議員では役者が違う。年齢で見ればテーロン議員の方が若いようだが、彼の方がやり手に見えた。たかが機構の一職員、しかもまだ一年経たないネスの勝手な見方である。
テーロンとラルーロ両議員のやり取りが静まった室内に、バツォレット議長の声が響く。
「さて、色々と話が脱線しまくったが、ここらで結論を出そうと思うが、異議のある者はいるかな?」
てっきりラルーロ議員が気炎を吐くかと思いきや、先程のテーロン議員に突っ込まれた箇所が余程痛かったと見えて、不満だと顔中に書きながらも何も言わなかった。
議員席をぐるりと見回して、異議を唱える者がいないのを確認した後、議長が再び班長達に質問する。
「ヤアル・ジュンゲル。他班班長である君の目から見て、彼女の魔導士としての適正はどう見るかね?」
「十分でしょう。何よりあの魔力量は使いでがあります」
それは適正に繋がるのかとネスは思うが、ここでそれを口にする訳にはいかない。根拠はどうあれ、適正があると判断された事は素直に嬉しいのだ。
議長も微妙な表情をしていたが、特に確認せずにレガに向き直った。
「レガ・ネツァッハ、君はネス・レギールが魔力制御が出来るようになると思うかね?」
「もちろんです。その為の研究を進めている最中で、完成はもう目の前かと思われます」
レガの言葉に、ネスは場所も忘れて歓喜の声を上げそうになった。彼の研究が完成するという事は、ネスが魔力制御を出来るようになるという事なのだ。
確かに一部は既に出来るようになっているが、まだ仕事で使える内容ではない。
レガの自信に溢れた返答に、バツォレット議長は軽く頷いた。
「ふむ、よくわかった。ではアルヒー・テロス。ネス・レギールは危険人物だと思うかね?」
「いいえ、テーロン議員が仰ったように、得がたい人材だと思っています。思うに、彼女が魔力制御を不得手としていたのは、彼女に相応しい術式を使っていなかったからです」
「相応しい術式……それはどのようなものかな?」
議長同様、ネスも首を傾げる。相応しいとは、一体どんな内容の術式だというのか。
テロス班長の返答は、実に簡単なものだった。
「大型の術式です。魔の森での事からもわかる通り、彼女は複数人で起動するべき大規模術式を一人で起動させる事が出来ます。テーロン議員も仰っていましたが、人材不足で滞っている起動実験や、大型の工事関連のいくつかは消化出来ると見込んでいます」
魔導機構の仕事のうち、多くを占めるのが各国で行われている大規模な土木工事である。ダム建設や巨大建築物、鉄道の敷設工事などがそうだ。
「特に現場環境が劣悪な為に、必要な人材を集められずに暗礁に乗り上げている鉱山開発のいくつかは、彼女を投入する事によって解消するのではないでしょうか」
その為の術式開発は研究所で請け負うと付け加えるテロス班長の話に、議長は無言で頷いた。
「最後に、レージョ・ドミナード。ネス・レギールの直属上司である君の目から見て、彼女に危険性を見いだすかね?」
「いいえ」
バツォレット議長からの問いに即答したドミナード班長は、一旦言葉を切ってネスに向き直る。
「これまで一年近く見てきましたが、危ないと思う場面はありませんでした。常に周囲を気遣い、率先して動く事が出来る。そんな人物のどこに危険性があるというのでしょう。彼女は我が班の大事な一員です」
ネスが始めて聞く、ドミナード班長からの自分の評価だ。面はゆい、くすぐったくなるような不思議な感じがする。
思えば、学院で今のような評価を受けた事は一度もなかった。座学はまだしも、実技がからっきしのネスは常に落ちこぼれ扱いだったのだ。
いくら理論を詰め込んでも、それを実践出来なければ意味がないというのが学院側の考えである。
魔導士である以上、それは当然なのだろう。これまではそう思って納得していたが、これまでの班長達の話を聞いていると、学院側の指導にも問題があったようだ。
ネス自身がそれを声高に言う訳にはいかないが、自分の中で長年あったもやもやとしたものが、この場で一気に晴れたようだった。それが査問の場だという事には難があるが。
班長達の意見を聞いたバツォレット議長は、目を閉じてしばらく考え込んだ後に、議員達を見回した。
「これまでの意見を鑑み、今回の件に関しては不問としようと思うが、異議のある者はいるかね?」
てっきりラルーロ議員が声を上げると思いきや、彼は俯いたままで何も言わない。
異議の声が上がらないのを確認して、バツォレット議長が宣言した。
「ではこれにて、ネス・レギールの魔の森における新型術式起動に関する査問を終了とする」
大した事はしていないが、やっと終わったのだと思うと、ネスの口から小さな溜息が漏れる。
議長が続けた。
「レージョ・ドミナード、これからも変わらず彼女の指導を任せます」
「はい」
「レガ・ネツァッハ。君の研究が完成する日を私も心待ちにしているよ」
「ありがとうございます。頑張ります」
「ヤアル・ジュンゲル、他班ではあるが、レージョ・ドミナード同様彼女を気にかけてやるように」
「お任せください」
「アルヒー・テロス、彼女に相応しい術式の開発を期待します」
「力の及ぶ限り」
班長達の返答に満足そうに一つ頷いた議長からの解散の声に、議員達が各々席を立って退室していく。
ぼんやりとそれを眺めていると、ドミナード班長に声をかけられた。
「我々も行くぞ」
「は、はい!」
とにもかくにも、これで罪に問われずに済むのだ。ネスは班長達の背中を追って議会場を後にした。
中央塔を出口に向かって進んでいると、背後から声がかかった。
「レージョ」
班長達と移動していたネスは、呼ばれたドミナード班長の名前につい反応してしまう。
振り返った先には、テーロン議員が立っていて、手招きをしていた。
「先に行っていてくれ」
そう言い残すと、ドミナード班長は小走りにテーロン議員のもとへと向かって行く。
それを何となく見送っていたネスに、ジュンゲル班長が先を促した。
「戻るぞ」
「でも……」
「レージョは先に行けと言ったではないか。班長の言葉には従うものだ」
反論が見つからないので、ネスは渋々ながらジュンゲル班長に従って出口へ足を向ける。あの二人は何を話しているのか。気にはなるが、ジュンゲル班長がこちらを見ているので足を止める訳にもいかなかった。
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