第三十九話 査問委員会 一

 魔導機構における査問委員会とは、問題を起こした魔導士に対し、臨時で開かれる委員会であり、委員は全て評議会議員である。

 魔導機構本部中央塔の一室で、ネスはがたがたと震えていた。査問委員会の準備が整うまで、この部屋で待機しているように言われているのだ。殺風景なのがこれからの時間を物語るように感じられ、ネスの恐怖は極限にまで達しようとしている。

 緊張と相まって今にも倒れそうな気分だが、真正面に腰を下ろすドミナード班長が心の支えになってくれているので、何とか意識を保っている状態だ。 

 時刻は既に始業を過ぎている。今頃、詰め所では他の班員が揃っている事だろう。班長の手配でリーディに今回の事が伝わるようになっているそうなので、ネス達がいない事を不思議に思われる事はない。

 ネスは膝に置いた自分の手を見つめながら、今回の査問の事を考えた。魔の森で使った新型術式が原因だが、一体何を聞かれるのだろうか。ネスに話せる事など殆どないのに。

 術式を作ったのは研究所のテロス班長で、彼が言うにはまだ発表前の術式だという。ただし、発表してしまえば、確実に評議会の管理下に置かれるだろう内容だとは聞いている。

 ――管理術式行き確実の新型を許可なく起動させたのが問題なんだろうけど……でも、あの場で他に取れる手段なんてなかったし……

 最悪、森に入った探索班が全滅する事もあり得た。だからこそ、あの場で新型術式を起動させた事に関して、班長達から一言も責められなかったのだ。

 そうでなければ、ドミナード班長かジュンゲル班長辺りから大目玉を食らったに違いない。ちなみに、テロス班長が入っていないのは、彼なら大笑いで終わらせる事が想像出来たからだ。

 無意識のうちに緊張を和らげようとしていたのか、らちもない事を考えていると、扉がノックと同時に開かれた。驚いたネスの視線の先には、扉を開けたジュンゲル班長と、彼の背後に立つテロス班長の姿がある。

「お前達……どうしてここに……」

 どうやら、ドミナード班長も彼等がここに来る事は知らなかったらしい。ネス同様驚いた様子で呟いた。

「どうしてって、僕らも査問にもの申したいからだよ」

「私は今回の査問自体に疑問があるからな」

 にこやかなテロス班長とは対照的に、憮然としたジュンゲル班長の言葉に、ネスは首を傾げる。

 二人は部屋に入ると、テロス班長がネスの隣に、ジュンゲル班長は一人用のソファに腰を下ろした。

「それにしても、ノックと同時にドアを開けてどうする。ちゃんと許可を得てから開けないか」

「今それ言うの?」

「別にいるのはお前達二人だとわかっているのだから、構わんだろうが」

 ドミナード班長の注意に、テロス班長もジュンゲル班長もどうでもいいと言わんばかりの態度である。

「そんな事よりも、わかっているんだろう?」

 ジュンゲル班長の言葉に、またしてもネスは首を傾げたが、ドミナード班長は心当たりがあるのか、苦い表情だ。

「今回の査問は、評議会によるドミナード班つぶしだ。連中、本腰を入れてきたんじゃないのか?」

「そうとも限らんだろう?」

「何を悠長な事を!」

 ジュンゲル班長は叫ぶなり立ち上がった。

「これまで何回こんな事があったと思っている! その度に窮地に追いやられるのはお前だけじゃない、班員全員なんだぞ!」

 ドミナード班長は、苦い表情のまま何も答えない。部屋の空気が悪くなるのを感じながら、ネスは基地で聞いた噂を思い出した。

 評議会はドミナード班を潰したがっていて、テロス班長はその為のスパイではないかというものだ。思わずちらりとテロス班長を見ると、彼は腕を組んで二人の班長を睨み付けている。

「君達、いい加減にしなよ。女の子がいる場で、少しは控えるって事を覚えた方がいいんじゃない?」

 正直、意外だ。基地で見た彼は胡散臭くはあるが常に笑顔だった。だというのに、今は底冷えのするような目で班長達を見据えている。ネスに配慮してくれるのは嬉しいけれど、部屋の空気は倍増しで悪くなったように感じられた。

 そんなネスの内心を知るよしもないテロス班長は、じろりとジュンゲル班長を睨めつける。

「特にヤアル。君、何しにここに来たか忘れたの?」

「忘れるはずがなかろう! だからこそこうして――」

「君がここに来てやるべき事は、レージョに対する説教かい?」

 テロス班長に言われ、ジュンゲル班長は言葉に詰まっていた。

「僕らがここにいるのは、こじつけで査問委員会を開くなんて大げさな事をした評議会に対する抗議行動の為じゃなかったかな? その一環で、彼女の査問に同席して連中の鼻を明かすんだと思ってたんだけど?」

「それは……そうだが……」

「なら、今は不安で今にも押しつぶされそうな彼女の気持ちを和らげる方が先決なんじゃない? レージョへの説教なんて、後でいくらでも出来るんだから」

 どうやら、テロス班長もドミナード班長にはもの申したいらしい。笑顔がやたらと迫力がある。

 言い負かされた形のジュンゲル班長は、どさりとソファに腰を下ろした。

「それにしても、今回の件はまた随分と早かったな」

「誰かが評議会議員に術式の情報を漏らしたんだろうね」

 テロス班長の言葉に、ネスはぎくりとする。まさかここでその話題が出るとは思わなかった。

 ジュンゲル班長は先程の仕返しとばかりに、テロス班長を睨み付ける。

「お前じゃないのか?」

「まさか。そんな事をして、僕に何の得があるのさ。あの術式をこの子に教えたのは僕だよ? 本当に術式の起動が問題だと言うのなら、一番罪があるのは僕って事になるじゃないか」

 テロス班長の反論に、ジュンゲル班長は深く頷きながら同意した。

「確かにな。その辺りを無視してこの娘を査問にかけようなど、評議会の連中は何を考えているんだ」

「僕が罪に問われる事はどうでもいいんだね」

 じとりとした目で睨むテロス班長を放っておいて、ジュンゲル班長はドミナード班長に向き直る。

「だとすると、ここにいない奴のところが一番怪しいか」

「疑いたくはないんだがな」

「甘い事を言うな。お前も、いい加減に覚悟を決めろ。もう何度も言われている事だろうに」

 二人のやり取りを、相変わらず首を傾げながら聞いていたネスの耳に、廊下を走る足音が届いた。

 こちらに近づいているな、と思った途端、ノックもなく扉が開かれる。そこには、息を切らせているレガがいた。

「ごめん! 間に合った?」

「レガさん?」

 これまた意外な人物の登場に、当初の緊張もどこへやらだ。もしかして、彼も査問の手助けをしてくれるというのだろうか。

 肩で息をするレガに、テロス班長がのんびりと返す。

「見ての通り、まだ始まっていないよ」

「良かったー。あ、ネス、ごめん!」

「はい?」

 いきなりレガに謝罪され、ネスは間抜けた声を出した。彼に謝罪される覚えがないのだから当然だ。

 訳がわからないネスの前で、レガは苦い表情で告白する。

「今回の騒動の原因、うちの局員が原因なんだ……」

「え?」

 レガの言葉に、ネスは目を丸くした。騒動というのは、今回の査問の事だろうか。あれこれ考えはしても言葉が出てこないネスを余所に、テロス班長が冷めた声を出した。

「やはり、情報漏洩はそっちか。何、出世でも約束された?」

「ぐ……評議会の誰かまでは言わなかったけど、主任の席を約束されて、今回の件の詳細な情報を評議会に流したらしい」

 詳細な情報とは、先程ジュンゲル班長とテロス班長が言い合っていた術式に関する情報なのだろう。局員が流したのであれば、さぞや詳細な内容が伝わったと思われる。

 それにしても、局員が情報を流した結果の今回の査問とは。これから局に行く時に、気まずくなりそうだ。

 ――出世と引き替えにって事だから、私に対して思う所があるって訳じゃないみたいだけど……それだけじゃないのかな。

 機構内でも囁かれる自身に関する噂を思い出し、どんよりと落ち込むネスを見て、レガが慌てたように慰めの言葉を発する。

「だ、大丈夫だよ! ほら、僕も査問で援護するし」

「お前の援護がどの程度役に立つやら」

「まったくだね」

「き、君達……」

 ジュンゲル班長とテロス班長の言葉に、レガの眉尻が下がるのを見て、ネスに笑いが戻った。

 そうだ、ここであれこれ悪い事ばかり考えても始まらない。頼もしい助っ人が四人もいるのだから、きっと大丈夫だ。そう気持ちを切り替えて、ようやく前向きな気分になれた。

 よし、とネスが気合いを入れたちょうどその時、部屋の扉の向こうから声がかかる。

「始まりますので、評議会室へ来てください」

 その言葉に、部屋の空気が緊張で張り詰めた。いよいよ、査問委員会が開かれる。

 ネスは一度、ドミナード班長を見た。視線に気付いた班長が、ネスを見て軽く頷く。大丈夫、班長もついてくれている。

 一度目を閉じて、次に開いた時には、ネスの表情に先程までの怯えの色はなかった。

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