第二十一話 術式研究所
術式研究所は機構の中でも技術開発局と並んで、学院の成績優秀者が配属される部署として有名だった。
どちらも独立した部署であり、そのすぐ上は機構の最高意志決定機関である最高評議会である。
「これが……」
ネスは思わず目の前の建物、術式研究所を見上げた。昨日の局で、レガから研究所までのお使いを頼まれたのだ。
――それにしても、まるっきりそこらの店でちょっとお菓子でも買ってきて、って感じの軽さだったなあ……
別に班でもお使いの仕事はしているので問題はないが、レガの後ろにいたアイドーニの様子がおかしかったので、つい何故自分が行くのか聞いてしまった。
結果は、局と研究所の仲が悪いから、というどこの子供かと言いたくなるような理由を言われたのだが。
では何故そんな仲の悪い研究所にお使いを頼まれたのかと言えば、現在レガがやっている研究に必要な術式がどうしても見つからないから、なのだそうだ。
研究所はその名の通り、術式に関する研究を行っていると同時に、術式に関する膨大な情報を収集、管理しているのだそうだ。
つまり、その過去の情報の中にレガの目当ての術式があるのではないか、という事らしい。
その依頼を局から出せればいいのだが、そうするとあれこれと邪魔が入って欲しい情報を手に入れるのに非常に時間がかかるのだそうだ。
その点実行部所属のネスが行けば、そうした嫌がらせはされないだろうというのがレガの読みである。
――誰が行っても局の依頼には変わらないと思うんだけどな。
自分も門前払いをされたらどうしよう、と思いつつも、ネスは研究所の玄関を潜った。
入ってすぐはホールになっていて、広々とした開放的な空間だった。研究所というくらいだから人の少ない静かな場所かと思っていたが、ホールのあちこちに設けられたブースで話し込んでいる人が多い。
ネスはレガに教えられた通り、ホールの奥にある受付を目指した。ここである人物を呼び出すように言われているのだ。
「実行部特殊対策課ドミナード班のネス・レギールと言います。第五研究班のナイリ・クルーノさんに会いたいのですが」
「少しお待ちください」
必ず自分の所属はしっかり言うように、とアイドーニには釘を刺されている。そのまま受付で待つ事しばし、ホールの奥から一人の女性が足早にやってきた。
「ネス・レギールって、あなた?」
「は、はい」
目の前にやってきた女性は黒髪に鳶色の瞳、肩の辺りまで伸ばした髪はまっすぐで、長い前髪を右に寄せて耳にかけている。顔立ちは少しきつめだ。
「ナイリ・クルーノ。ちょっとこっちにいらっしゃい」
女性、ナイリはそう言うと、ネスの手を掴んで来た時同様足早にホールの向こうへ引っ張っていった。
ホールを出て廊下を歩き、階段を下りて地下へと向かう。途中すれ違った人から、奇異の目で見られたのが恥ずかしくて、途中からネスは下を向きっぱなしだった。
「はい、入って」
地下に入ってからどれだけ歩いたか、ナイリはとあるドアを開けてネスを中に放り込んだ。
中はあまり広くなく、壁に作り付けの棚やロッカーがあり、反対側の壁に机が置かれている。部屋の中央には申し訳程度のソファセットが置かれていた。
「ここ、私の個室だから。狭いけど我慢して」
「は、はあ」
ネスは何とも返答のしようがない。まさか正直に狭いとも言えないではないか。
勧められるままにソファに座り、正面に座ったナイリを見る。年の頃はニアやキーリアと同じくらいだろうか。
「ここ、話が外に漏れないから。局の仕事を手伝ったって知れたら、ちょっとやかましい人がいるの」
「え……あの、大丈夫なんですか?」
研究所の人に、局の仕事を手伝う事は内緒らしい。そこまで局と研究所の関係が悪いとは知らなかったネスは、ナイリが心配になってきた。こちらの仕事を手伝ったばっかりに、彼女がまずい立場に立たされたらと思うといたたまれない。
だが、ナイリの返答はあっけらかんとしたものだった。
「ああ、変な心配しなくてもいいわ。研究所も局も同じ機構の一部なんだから、協力するのは上からの命令でもあるのよ。この場合の上は私の上司じゃなくて、さらにその上って事ね」
どうやら、最高評議会から何やらあったらしい。それが局と研究所の仲違いを憂えての事なのか、それともレガ個人の研究に限っての事なのか。気にはなるがネスには聞けなかった。
「さて、どんな術式の情報が欲しいのか、聞いてきてるよね?」
「はい。えっと……」
ナイリからの催促に、ネスは制服のポケットからメモを取り出した。レガから聞きはしたが、ちんぷんかんぷんだったので覚えられなかったのだ。
「これです」
「どれどれ……ふーん、本気でやるんだ」
「はい?」
「ん、いや、こっちの話。これを探すにはさすがに時間がかかるから、十日後にまた来て。受付に名前を出せばいいようにしておくから」
ナイリにはメモに書いてある内容が理解出来たらしい。さすが成績優秀者が入る術式研究所といった所か。
ナイリにホールまで送ってもらい、ネスは研究所を後にした。
ナイリとの約束である十日はあっという間に過ぎた。ネスは再び研究所の入り口に立っている。
局とは違い、研究所は常に人の出入りがあるらしく、入り口でぼんやり立ていると、突き飛ばされそうだ。
何となく気後れしていたが、約束の日なので問題はないはず、と自分を奮い立たせ、ネスは入り口すぐの受付へ向かった。
「すみません、実行部――」
「ああ、ネス・レギールね。話は聞いています」
前回とは違い、名前を言う前に受け付けの女性が内線を使い出す。これでナイリを呼び出してくれるのだろうかと思ったら、その女性は内線を切ると一通の封筒を差し出してきた。
「こちらがナイリ・クルーノから言付かった品になります」
「え……あの、ナイリさんは?」
「クルーノは研究の為席を外せません」
どうやら忙しくてホールまで出てこられないようだ。会って礼を言いたかったのだが仕方がない。
ネスは渡された封筒を持って、研究所を後にしようと受付に背を向けた。出入り口に向けて一歩踏み出したところで、右方向から声がかかる。
「君がネス・レギール?」
「はい?」
思わず反射で返事をしてしまったネスは、声のした方を向いた。そこには見覚えのない人物が立っている。
裾の長いタイプの上着を、一番上まできっちりと止めた姿は少し息苦しそうに見えた。長い髪は綺麗な波を作っていて、金色のそれに天窓から差し込む日が映える。
言葉もなくまじまじと見てしまったが、この人物は男性でいいのだろうか。女性にしては少し線が太いし、男性というには逆に線が細い。何とも中性的な人物だった。
その人物は、足を止めたネスにつかつかと近寄ってくる。何となく気圧されたネスは、件の人物が近づいた分後ずさった。
「何故逃げる?」
「な、何で近寄ってくるんですか?」
「君が逃げるからだ」
そんな事を言い合いながらの奇妙な追いかけっこは、ネスが壁際まで追い詰められた事で終了した。
間近に迫った事でわかったが、目の前の人物の背はネスより幾分高いようだ。普段背の高い男性に囲まれている彼女にとって、この身長差は少し新鮮に感じられる。
中性的な人物は、ネスを頭のてっぺんからつま先までじろじろと見ている。
「な、何なんですか?」
思わずナイリから託された封筒を胸元に抱きしめて言ったネスに、中性的な人物はにこりと笑った。
「何、レージョが大事にしているのはどんな子かと思ってね」
レージョ? と一瞬思ったが、すぐにそれがドミナード班長の名前だと気付く。という事は、目の前の人物は班長の知り合いという事だろうか。
――何故だろう……ドミナード班長自身は凄くいい人なのに、関連がある人は一癖も二癖もある人ばっかりな気がするんだけど。
レガしかり、ジュンゲル班長しかり、目の前の人物しかり、である。それにしても、この状況から抜け出すにはどうすればいいのか。ネスは誰か助けてくれないかと、目の前の人物の背後に目をやった。
「テロス班長!!」
「やべ、見つかった」
今の言葉は、目の前の人物が発したものなのだろうか。あまりのそぐわなさに、ネスは呆然としてしまった。
そんな彼女の目の前で、テロス班長と呼ばれた人物は背後から現れた人物に首根っこを掴まれている。
「やっと見つけましたよ班長。このクソ忙しい時に何サボってんですか?」
「いや、サボった訳じゃなくて――」
「サボってますよね? それともこのホールで実験が出来るとでも?」
「いや、だからその」
「言い訳は結構です。クルーノも待ってるんですから、とっとと戻りますよ」
「あ、ああああ、ちょ、ちょっと」
背後から現れた体格のいい男性はテロス班長とやらを引きずるようにしてホールの向こうへ消えていった。
「……何だったの? 今の」
しばらくその場で固まっていたネスは、ようやく動き出してからその一言を呟いた。
疲れる体験をした研究所から局までは、路面車を使っても片道三十分はかかる。がたごとと揺れる路面車の座席に座り、ぼんやりしながらネスは研究所であった事を思いだしていた。
テロスと呼ばれた人物、その人を軽く引きずっていってしまった大柄な男性、ナイリから託された封筒。
ネスはしっかり抱えている封筒に目を落とす。この中に、レガが欲しがっている情報が入っているのだろうか。
そういえば確認もせずに戻ってきてしまったと気付いたが、とにかく今は局に行くのが先決だと思いそのまま座っている事にした。
「こんにちわー……」
今のネスの心情を表すような疲れた挨拶をして、いつもの部屋に入る。既にレガもアイドーニも揃っていた。
「どうしたの? ネス。随分疲れた顔をしているけど」
「研究所で何か嫌な事でもされたのかい? もしそうなら正直に言うんだよ? うちから正式に抗議するから」
ネスはレガの顔を見て、妙にほっとしてしまう。確実に彼も癖のある人々の一人なのに。
「どうかした? ネス。僕の顔に何かついてる?」
あからさまにレガの顔を見つめてしまったからか、レガは手でぺたぺたと自分の顔を触っている。
その様子がおかしくて、ネスは笑い出してしまった。
「いえ、何でもないんです」
慣れかもしれないが、ネスは研究所より局の方が肌に合うと思ったのだ。
「あ、これ、ナイリさんが受付に言付けておいてくれたものです」
ネスはそう言って、忘れかけていた封筒をレガに差し出す。これを取りに行ったのに、忘れてしまっては元も子もない。
礼を言って受け取ったレガは、さっそく封筒を開けて中身を確認した。ちゃんと中身があったようで、ネスはほっと一息吐ける。
しばらくそのまま中身に目を通していたレガは、徐々に難しい顔になっていった。
「主任、何か問題でも?」
「ん? ああ、いや。問題はないよ。というか、ナイリ君に感謝しないとね」
アイドーニの問いかけに、レガは苦笑して答える。どうやら、中身はレガの予想以上の代物だったようだ。
「ナイリにですか?」
「うん。古い術式を調べるんじゃなくて、こっちに必要な術式を新しく作り出してくれたみたいだ」
「ええ!?」
レガの言葉に、アイドーニだけではなくネスも驚きの声を上げた。確かに術式研究所は新しい術式を開発するのを主な仕事としているというが、こんな短期間で術式を作り上げる事など、出来るのだろうか。
本来術式は、多くの機能を込めたもの方が複雑化して作るのに手間も時間もかかるし、かつ暴走させないようにするには細かい調整が必要になるのだ。
学院でも、上級生になると簡単な術式を作る授業が組まれる。とはいっても、それは既存の術式を二つないし三つ掛け合わせて作るもので、きちんと監督されて作るので危険はないのだ。
「レガさん、ちなみにその術式に入ってる要素って、どのくらいですか?」
要素とは術式の最小単位であり、この数で術式の複雑さがおおよそわかる。簡単なものなら大体二桁前半、複雑なものだと三桁後半になるという。
おそるおそる聞いたネスに、レガは微妙な笑顔で返してきた。
「大体四千から四千五百かな」
「よん!」
本当に要素の桁が違っていた。あまりの事に、ネスとアイドーニは仲良く大口を開けて固まってしまう。
「いやあ、必要な要素を全部書き出しはしたけどさ、まさか一つの術式に全部詰め込んでくるとは思わなかったよ。でもこれでまた装置の小型が進められる。良かったね、ネス」
「はは……はははは」
レガの言葉に、もう笑うしかないネスだった。
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