005:迷いの森
出店で必要なものを買い揃えた。
保存食や飲み水に、後は……酒も少し買った。
体を温める為だと自分に言い訳し。
俺はエール一瓶を購入してから街を後にした。
馬車に乗って行く事も考えたが。
生憎と北へと向かう為の馬車は現在は運休になっていた。
「……迷いの森だったか……人食いの魔物が住み着いているんだったか」
あの後に馬車の爺さんから話は聞いていた。
何でも、森を通ったと思われる旅人や商人が襲われたって噂が立っているらしい。
だからこそ、現在はあの付近を通る奴はあまりいないらしい。
遠回りにはなるが、険しい道を選択する奴らがほとんどで。
馬車の爺さんは親切心で俺のルートを改めさせてようとしてくれた。
遠回りな上に難しい道を行く事から金は掛かるが、“比較的”安全な旅を約束するとも売り込まれて……。
……確かに危険かもしれない。ただあの受付のお姉さんが言っていた事を思い出したんだ。
夜は火を絶やさなければ問題ないと。
つまり、人食いの化け物の弱点は火で。
夜行性である事がハッキリとしているんだろう。
夜であっても火の近くであればそいつらも襲ってはこないのか。
となれば、出店で買った“これ”が役に立つだろうな。
「……ちょっと重いけど。まぁ必要だからな」
鞄を揺らせばカラカラと音が鳴る。
燃えやすい乾いた木々を束ねたもので。
夜の冒険には必要不可欠の代物だ。
鞄の上に載せたそれら。
松明用の木の棒であり。
此処に一緒に買った専用の油を垂らしておけばよく燃えるらしい。
後は適当に焚火でもしておけば魔物の襲撃も対処できる筈だ。
問題があるとすれば、焚火をずっと見張っておく必要がある事だ。
一瞬でも火を絶やせば終わりであり。
絶対に火を消さないようにしなければならない。
「……まぁいけるだろう。寝ずの番は何度もしてきたしな」
村の警備もしていた事がある。
その時は、一日起きて村に繋がる道を見張っていたものだ。
慣れている事であり、特別疲れていない限りは問題ない。
「でも……あの女ってのは何だ? 誰か森に入ったのかなぁ」
冒険者たちがひそひそと話していた事を思い出す。
態々、危険な森の中に入ったのであれば。
その女とやらも冒険者で間違いないだろう。
あまり心配されていたようでは無いからこそ、恐らくは俺なんかよりもランクは上なのか。
あの冒険者たちの話しぶりからして心配していたのは俺の方ってか……怖くなっちまうな。
森を突っ切った方が圧倒的に早い。
何よりも決して安くは無い馬車代だって節約できるんだ。
「“馬車連盟サーガ”の馬車だったら安いものでも信用できるけど……それ以上に安い馬車は連盟に入っていないからな。師匠が言うにはサーガのもの以外は死を覚悟しろって言ってたなぁ」
とぼとぼと道を歩いていきながらそんな事を思い出す。
サーガとは何百年も前から存在する馬車業の全てを取り仕切っていると言っても過言ではない大きな会だ。
サーガでは安くて快適な旅の為の工夫が凝らされており。
独自の情報網などを駆使する事で、馬車が被るであろう被害を極限まで抑えている。
他の馬車であれば、魔物の出現情報や天候などについては少々信用できないが。
サーガは態々、お抱えの魔術師を雇っている事もあって環境の変化などをそれなりに知る事が出来る。
おまけに全世界で幅広く展開している事もあって、馬車であればサーガとまで言われていた。
一番高級な設定の馬車であれば、命の保証がされている上に。
目的地に着くまでも手厚いサービスが約束されているらしい。
高い酒も飲み放題で、朝飯も昼食も晩飯だって用意される。
万が一に備えて腕利きの医者も同行していて、旅の疲れを癒す為に按摩師もいるとか何とか……良いなぁ。
サーガの馬車を利用するのは冒険者だけではなく。
商会の奴らや旅行客も利用している。
賑わっている場所なんかでは旅行の案内まであるんだったか。
俺も師匠くらい凄い冒険者になれた日には利用してもいいかもしれないな。
そんな事を考えながら俺は真っすぐに続く道を歩いていき……あれか?
うっすらと見えて来た森らしきもの。
横に広がるように背の高い木々が鬱蒼と生い茂っていた。
道はそこまで続いているが、此処に来るまでに人とすれ違う事は無かった。
「……やっぱり、皆、敢えて避けてたんだな……うし、気合い入れるぞぉ」
鞄を背負い直し歩いていく。
食料も水も心配ない。
おまけに冒険者が作成している地図だって揃えてあるんだ。
迷う事は万が一にも無く。
俺はただ道に沿って歩いていけばいいだけだ。
広そうな森であるが……まぁ夜明けまでには出られるんじゃないかな。はは!
「……は、はは」
風が吹き、木々がざわざわと騒めいていた。
怪しげな鳥の鳴き声が響き、近くで獣が走ったような気配を感じた。
森の中へと入り、腰にぶら下げていた魔石入りの照明器具をつけて歩いていけば……道が途絶えていた。
正確には道が途絶えていたのではない。
道の途中にある橋が“壊れていた”。
粉々に砕けた木の橋の残骸が辺りに転がっていて。
流れの速そうな川が目の前に広がっていた。
泳いでいけるのかと思ってはみたが。
川の中を覗き込んでみれば、奇妙な魚が泳いでいるんだ。
紫色の体色をした魚であり、鳥がその魚を食べようとして飛んできたが。
くちばしで加えた瞬間に、鳥が苦しみ悶えながら草の中に落ちていった。
恐らく、触れただけでも人体に悪影響を及ぼす類の毒を持っているんだろう。
そこそこの深さであり、革とはいえ鎧を着たまま泳いではいけないだろう。
それに、それらを避けながら泳ぐ自信も、襲われないという保証も無い。
ゆっくりとため息を吐き、簡易的に作られてある立て看板を見つめる。
『橋はよく壊れます。もしも壊れているのを発見した場合、最寄りの冒険者組合にご報告を』
「ご報告をって……あぁそうか。誰も通っていなかったからか。運がねぇなぁ」
ぼりぼりと頭を掻く。
そうして、鞄を下ろしてから中から地図を取り出した。
地図には色々と細かい情報が書かれている。
この橋の事も書かれていたが……お?
「……あっちに行けば、古い橋があるのか……でも、舗装された道から外れるのは危険だよな」
このまま一旦、街へと帰って報告するとする。
その場合は、橋が直るまで待つ必要があるだろう。
見たところ橋そのものは簡易的な作りのようだが……それでも一週間以上は掛かるだろうなぁ。
受付のお姉さんに格好良く別れの言葉を言った手前。
おめおめと帰るのは少し恥ずかしい。
それに、最初の街で三日以上も待っているのは俺としては嫌だ。
依頼を熟しながらであれば退屈も感じないが……よし。
俺は松明を取り出す。
そうして、そこに小瓶に入った油を数滴垂らした。
鞄の中から分厚い革で包まれた火付けようの赤い魔石を取り出す。
魔力を注げばすぐに魔石は赤く発光し、革越しにそれが熱くなっていくのが分かった。
松明へとそれを押し当てれば、じりじりと燃え始めて――火が付いた。
魔石に飲み水を垂らして一気に冷ます。
そうして、革で包み直してから鞄へと仕舞った。
俺は鞄を背負い直してから、地面に突き刺していた松明を抜き取って立ち上がる。
このまま無駄な時間を使いたくない。
だからこそ、多少の危険はあるがこのまま先を急ぐ事にした。
お姉さんの忠告通りに火をつけていれば魔物たちも襲ってこないだろう。
俺は少しの不安を抱きながらも、道を外れて古い橋のある場所を目指して歩いていく。
草を掻き分けながら、奥へ奥へと進む。
舗装されていない道であるから、地面がごつごつして歩きづらい。
その上、腰の高さほどもある草が邪魔をしてくるんだ。
もしも、もっと軽装であったのなら妙な虫に刺されて病気になっていたかもしれない。
「師匠の教えの賜物だな」
俺は師匠から貰った革の鎧を着こんでいる。
体に合うような調整が施されている上に。
この鎧には“虫よけの術式”が付与されていた。
目に見え辛いような小さな虫は勿論の事、昆虫系の魔物にも効果があるらしい。
これを着ていれば、鬱陶しい蚊やハエも寄り付かない優れものだ。
いい具合に師匠が鍛えてくれていたから動きやすさもあり俺にはうってつけだが。
師匠曰く、これはまだ初歩的なものだからもっと技量が上がり経験を積めば新しいものに買い替えろと言っていた。
俺としてはこれをずっと使い続けたい気持ちではあるが……まぁ師匠の言うとおりにしよう。
先端が赤々と燃える松明を握りしめる。
そうして、ずんずんと草を掻き分けながら歩いていった。
「……何だか。獣の声が……いや、気のせいだな」
森の中に住んでいるだろう獣の声が変わったような気がした。
まるで、獲物がやって来たと言わんばかりに鳴いているように聞こえたが。
俺は必死に自分の心に気のせいであると言い聞かせる。
そうでもしなければ恐怖で気が狂いそうだからだ。
冒険者としての俺は素人に毛が生えた程度だ。
魔物との戦闘はある程度はしているが。
それらはどれも通常種であり、それほどの脅威は無かった。
スライムや群れからはぐれたであろうゴブリン数匹程度で。
それらを討伐した経験があるからと言って、それで一流であると名乗る事は絶対にしたくない。
師匠は俺の耳が腫れる程に俺に言っていた。
お前の力量は決して高くはない。
自惚れて自滅するくらいなら尻尾を巻いて逃げる事を頭に入れておけと言っていた。
『弱いくせにでしゃばる奴から死んでいく! いいか、絶対に己の力量を見誤るな。自分が想像しているよりも一段階。いや、二段階下の位置が自分自身の今の戦力だと覚えておけ。それより上は無い。断言してやるぜ』
『えぇ? マジかよ……てことは今の俺は通常種がいいところ?』
『はは、それはどうかなぁ? 通常種でも群れで来れば、お前なんか瞬殺よ! ははは!』
『何だとてめぇぇ!!』
『やんのかクソガキィィィ!!』
「……はは、碌な思い出じゃねぇな」
昔の師匠を思い出せば喧嘩ばかりだったとシミジミ思う。
まぁあの人は口も酒癖も悪かったが。
何一つとして間違った事は言っていなかった。
下に見過ぎるのも良くは無いだろうが、誰しも自分自身を客観的に見る事は難しい。
ましてや経験の浅い俺なんかでは、力量を見誤る事なんてしょっちゅうだろう。
だからこそ師匠は自分自身の力は想像の二段階下だと思えと言っていた。
……つまり、通常種単体や数匹程度なら問題ない。ただ、危険種に位置するような手合いは文字通り危険だな。
戦闘の経験が少しでもあれば良かったが。
危険種と呼べるような魔物との戦闘なんて辺境の村では早々ない。
あるとすればもっと都会であり、魔物だって人などが多くいる場所を目指すと聞く。
奴らは魔力を多く保有する存在を食すことによって強さを増していくらしい。
つまり、魔力を多く内包しているような強い冒険者や魔術師が好物なんだ。
だからこそ、人間を積極的に襲う魔物がほとんどで。
魔物同士で食い殺し合う事だってある。
……人が少なかったら弱い魔物しかいない。人が多いところに魔物が多くいて、強い奴もごろごろいる。
何時か村にやって来た商人が言っていたな。
王国の騎士団に属する者や宮廷魔術師なんかは選ばれた奴らだと。
そんな奴らは魔物たちの侵攻で国が危機に瀕すれば真っ先に先頭に立ち魔物たちと戦うらしい。
一騎当千の強者たちは冒険者のランクで言えば金級はあるんだろうなぁ。
「……いや、それでもなれない白金級の強さって?」
文字通りの神にも匹敵する力なのか。
もはや、人でも無いかもしれないと俺は恐れおののく。
そりゃ受付のお姉さんもなれるとは言わない訳だ。
努力だけではどうしようも出来ない世界。
正に、“勇者”にこそ相応しいと言うべきなんだろうな……かっけぇなぁ。
何時の日か、自分も吟遊詩人に語り継がれるような存在になりたい。
そんな妄想をしながら、俺は更に奥へ奥へと進んでいく。
ひらひらと目の前を虫が飛ぶが、そいつらは俺から離れるように飛んでいった。
師匠の付与は流石だと思いつつ、また金に余裕が出来たらあの世の師匠に供え物でもしようかと……ん?
草を掻き分けて進んでいけば、草が消えた。
少し開けたところに出てきて、下を見れば焚火をした跡があった。
俺は松明を持ちながらその場に屈んで焚火に手を近づけてみた。
「……時間はそれなりに経ってるな……やっぱり誰かいるのか?」
迷いの森は決して安全な場所ではない。
寧ろ、今は人食いの魔物とやらが出ると噂が出ているしな。
組合も冒険者に調査を依頼した事は知っているが。
まだ正確な情報は出ていなかったんだろう。
もしも、情報があの時点であったのなら受付嬢のお姉さんが俺に教えてくれていた筈だからな。
「……火が有効かも不確かかもな……単純に森の魔物は火が苦手ってだけで」
俺は立ち上がりながら周りを見る。
冒険者が調査の名目でこの森にいるのだとすれば。
橋を目指していく間に会えるかもしれない。
何か知っているのであれば是非、その情報が欲しいところだ。
「夜になる前に出られるかと思ったけど……この分だと夜明けを迎えてまだ歩く事になるな」
上を見上げれば、太陽は木々によって覆い隠されている。
微かに木の葉の隙間から陽の光が見えるくらいだ。
頼りになるのは腰の照明用の魔石とこの松明だけで。
俺は不安を増大させながらも、首を左右に振って恐怖を誤魔化す。
「歌だ! こういう時は歌えばいいんだ! 師匠は言ってたよな。怖い時は歌えって! よぉし!」
俺はゆっくりと息を吸う。
そうして、大きな声で歌を歌い始めた。
自作の歌であり、ただ気持ちよくなる為だけに歌う。
心なしか獣の声が少し低くなったような気がする。
「……?」
何故か、視線を感じた気がした。
刺すような視線と言うよりは、ねっとりとした視線だ。
歌を歌いながら周りを見るが、魔物は全くいない。
気色の悪い感じであり、物陰から観察されているような気分だ。
俺は体を震わせながらも声を大きくして歌う。
視線はまだ感じるものの、獣の声は小さくなった気がした。
俺はこの調子だと思いながら、歌を歌いながら森の中を進んでいった。
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