001:故郷からの旅立ち

「……ようやくだぜ。師匠」


 静かに潮風が吹く。肌に触れるそれは少し冷たかった。

 鼻を鳴らせば磯の香りが漂ってきた。

 耳を澄ませば波の音が微かに聞こえて。

 漁へと向かう為に漁師たちが舟に乗り込んで準備をしている音も聞こえた。

 活気のある声であり、怒鳴っているのは漁師たちを纏めるベン爺さんだろう。

 俺が生まれ育った故郷の村だ。ガキの頃から多くの大人に世話になり。

 碌な恩返しも出来なかったのが心残りだが……俺は行かなきゃならねぇ。

 

「……祝いの酒……にしては安酒だけどよ。文句は無しだぜ」

 

 俺は村の共同墓地の中で酒瓶を持っていた。

 栓は抜いており、それを傾けてドバドバと一つの墓石に掛けていく。

 貴族様みたいな立派な墓じゃない。

 ただ石を砕いて形をそれなりに整えただけの墓だ。

 同じような墓が等間隔に設置されている。

 そして、この墓の下で眠っているのは俺の師匠だ。

 無類の酒好きであり、死ぬその時まで酒を飲んでいたほどだ。


 大きな声で夢を語り、俺が弟子になった時から厳しい人だった。

 無理難題ばかりであり、出来なければ死ぬまで走らされた……最期に俺にその夢を託して死んだんだよな。

 

『よく聞けルーク。俺は死ぬ。だけど、お前はこれから先も生きるんだ。何時の日か、俺が語ってやったあの場所へ、お前が行って来い。そして、あの世で俺に聞かせろ……願いは叶ったかをな』

「……ふっ」

 

 くすりと笑う。

 最期まで俺に決して弱みを見せず。

 死ぬって言ってた時も酒を飲んでいたから俺は冗談だと思っていたが。

 あの人はそれを言った一週間後にぽっくりと逝った。

 棺桶に入れられるあの人の顔は今でも憶えている。

 笑っていた。それも気持ちよさそうな笑みだった。

 まるで、心残りが何一つ無かったかのように。

 

 あの人は自分が現役時代に培った全てを俺に教えてくれたんだ。

 長い旅に必要な知識や技術を十年の間に俺に叩きこんでくれた。

 文字だってそうだ。俺が世界で苦労しないようにってな。

 俺にとっては死んだ親の代わりで……まぁ修行はかなりしんどかったけどな。


 剣技を学び、冒険の心得を学び。

 俺は齢七の時から毎日毎日、自分を鍛え続けた。

 村の人間として勿論、漁業の手伝いの仕事もしていたが。

 仕事が終われば師匠の下で修業をし、夜は疲れ切って爆睡していた。


 働いて手に入れた稼ぎは師匠の酒代に消え。

 俺は贅沢もする事なく、毎日毎日必死に生きていたんだ……だけどよ、師匠。


「……アンタ、自分が死んだ時に、自分が現役時代に稼いでいた金を俺に渡すようにしていたなんてな……がらじゃねぇだろ」


 何時も何時も酒酒言って暴れていた爺だ。

 金なんて無いと思っていたから、俺が授業代として稼いでいたってのに。

 今までの酒代なんて目じゃないほどの金を俺に残していやがった。

 そんな金があるのなら最初から自分の為に使えば良かったんだ。

 それなのにアンタって人は……いや、違うな。


 金を貰って言うのが恨みごとなんてのは死者も浮かばれねぇ。

 俺がする事は感謝であり、俺は酒瓶を静かに墓前に置く。

 そうして、胸に片手を当てながら静かに瞼を閉じた。


 

 ――ありがとう。アンタとの毎日、俺は結構気に入ってたぜ。


 

『クソガキがぁ。行きたきゃ行っちまえ! 死ぬまで後悔するより、死んで後悔した方がマシだろうさ! カッカッカ!』

「……違いねぇな」


 

 亡き師匠の声が聞こえた気がした。

 飽きるほどに聞いていた言葉であり、俺はくすりと笑う。

 そうして、置いてあった荷物を肩に掛ける。

 もう此処に用は無い。村の人間たちへの別れの挨拶も既に済ませた。


 今日が俺の旅立ちの日であり、成人となった記念すべき日だ。

 二十歳になって迎える筈の成人の儀を終えてから行っても遅くは無いと村の人間たちは言っていたが。

 生憎とそれを待っていられるほどに、俺の冒険心は冷えてはいない。

 燃え滾る炎のように、俺の心はまだ見ぬ世界の全てを見たいと叫んでいた。

 もう一分一秒たりとも止まってはいられない。

 俺はすぐにでも飛び出していって、師匠と俺の夢である――“天空庭園ヘブンリーブルー”を見たいんだ。


「……空の上のそのまた上だ。魔法でも届かないほどの天空にあるんだろう……辿り着いて見せるぜ。そして、俺は夢を……」


 拳を握りしめて笑う。

 名のある冒険者だった師匠ですらたどり着けなかった伝説の場所だ。

 俺が一生を掛けてでも行かなければならない場所で、そこへと至れば俺の夢も必ず叶う。


 決して自分一人では叶えられない夢だ。

 そんな夢が叶うのであれば、俺は一生を掛けてでもそこへ行く価値がある。

 例え、どんな結末が待っていようとも俺は後悔しないぜ。

 アンタとの約束だけでも果たせるのならそれで十分。

 夢が叶うっていうのなら死ぬ気で挑む価値があるからな。


「……じゃあな、師匠……次に会う時は、夢が叶ってからか。それとも、あの世かだ」


 俺は踵を返して歩いていく。

 片手でひらひらと手を振る。

 優しい風が吹いて丘の上に生えた草花が揺れた。

 俺は故郷の風を感じながら、大切な人との別れを済ませる。


 さぁ行こう。約束の地――“天空庭園ヘブンリーブルー”へ。


 


 

「……と、思って飛び出したはいいけど……手掛かりはほとんどねぇんだよなぁ」


 故郷を離れ道を歩いていく。

 海からはどんどん遠ざかっていき、ある程度舗装された道を進めばそれなりに安全だ。

 魔物が出てくる事もあるだろうが、ここいらの魔物はそんなに強くは無い。

 襲ってくる魔物と言えば危険度が低い“通常種”くらいだろう。

 “危険種”に分類されるほどの魔物が出れば厄介だが……まぁ大丈夫だろう。


 ぽつぽつと独り言を吐きながら進んでいく。

 そう、手掛かりはほとんどない。

 伝説の地へと行く方法なんて知っている筈も無ければ。

 そもそも、誰がその行き方を知っているのかすら俺も師匠も知らない。

 いや、もしもそんな情報があったのなら、とっくに師匠がそいつを尋ねていた筈だ。

 それをしていないのであれば、そもそもその情報を知っていた奴すら“詐欺師”だったってだけだ。

 

 馬車もそんなに通る事の無い道。

 ごつごつとした石や岩がごろごろと転がっていて。

 空を見上げれば白い羽の鳥たちが隊列を組んで飛んでいる。

 もしも、街に行く場所があったのなら利用していたが。

 生憎とうちの村から出る馬車はそう多くは無い。

 あるにはあるが大量の魚を急いで届けなければいけないからか。

 俺のような余計な荷物を積んでいる余裕も時間も無いのだ。

 小さい頃から忙しそうな運搬係たちを見ていたから、俺がずけずけと乗せろなんて言える筈が無い。


「……ま、旅は歩いてなんぼだ」


 剣の柄に手を置きながら笑う。

 周りの景色を楽しみながら、俺は何でもない道を歩いていった。

 このまま行けば、一番近い街には日没ぐらいには着くだろう。

 そこで宿を取って休息し、次の街を目指す予定だが。

 酒場があるのなら顔を出しておきたい。

 もしかしたら、天空庭園について有力な情報を持っている奴がいるかもしれないからな。


 期待は薄いが、可能性はゼロじゃない。

 手っ取り早く有益な情報が手に入ったら最高だけど……ま、何とでもなるか!


 俺は今日の晩に食べる料理を想像する。

 村ではほとんど魚中心の食生活であったが。

 街まで行けば、肉や野菜だって食べられるだろう。

 肉は貴族様が食うものだからあっても高いだろう。


 ……豚肉とかなら買えるか?

 

 脂ののった肉も食べたいし、瑞々しい野菜だって食べたい。

 まぁ美味いものであればこの際、何だっていいけどな。


「パンもいいな。こう、肉と野菜を挟んで食べるやつ……師匠も美味いって言ってたし……へへへ」


 想像しただけで涎が出てくる。

 俺はにやにやと笑いながら、まだ見ぬ世界の料理に想いを馳せて――!


 俺は足を止める。

 そうして、剣の柄に手を置きながら周りを見た……敵だな。


 殺気を感じて周囲を警戒して――後ろへ飛ぶ。


 瞬間、地面からぶわりと緑色の液体が噴出した。

 俺は口笛を吹きながら剣を抜き構えた。


 噴き出した液体はぐにゃぐにゃと揺れ動いている。

 それは徐々に大きさを増していき、俺を覆い隠せるほどの大きさになる。

 よく目を凝らして見なければ分からないが。

 その液体の中心には透明の核が鼓動していた。

 危険種ではない通常種の魔物でありこいつは……。


「……スライムねぇ。見飽きたなぁ」


 ぐにゅぐにゅと動く粘体の魔物“スライム”。

 多くの世界で生息している冒険者にとってはおなじみの存在であり。

 対処法さえ分かっていればそこまで危険性は無い魔物だ。

 初心者や駆け出しがよく勘違いをして殺されかけたという話は師匠から聞かされている。


 俺はスライムをジッと見つめながら、どうしたものかと考えた。

 その間にもスライムは俺へと飛び掛かってきて攻撃を仕掛けてくる。

 俺はそれをひらりと避けながら、こいつへの対応をすぐに決めた。

 剣を鞘へと仕舞い、腰の短剣を抜く。

 そうして、その場にしゃがみこんで奴の攻撃を受けた。


 体全体が奴の粘液に呑まれる。

 俺は呼吸を止めながら、目を凝らして奴の“脳”を探す。

 初心者がよくやる失敗とは核への攻撃を体外から行おうとする事だ。

 こいつの体は粘液であるが、鈍器や刃などは中々通りにくい。

 斬り付けようとすれば刃が途中で止まり、核へと届かない事なんてざららしい。

 だからこそ、我武者羅に攻撃したって意味は無い。

 体力を消耗して動きが鈍れば取り込まれてゆっくりと消化されるだけだ。


 ……だが、こいつには明確な弱点がある。


 体外からの攻撃には強い分。

 こうやって敢えて取り込まれてから体内で攻撃すれば、こいつは防ぐ事が出来ないんだ。

 だからこそ、慣れている冒険者は敢えてこいつの攻撃を受ける。

 それからこいつの核を破壊するのが基本ではあるが……あった。


 スライムの心臓は発見が難しい。

 その大きさは人間の爪ほどだ。

 小さい脳であるが、獲物と仲間の認識くらいは出来るらしい。

 これもほぼ透明であり発見するのは困難であるが。

 師匠からスライムの脳は核の下らへんにある事を聞かされていた。

 核によって見え辛いように隠れている。

 こいつらも生きるのに必死であり、核くらいであれば長い時間を掛ければ戻す事が出来ると理解している。

 だからこそ、最も重要な脳だけは守ろうとしているんだ。


「……」


 俺は短剣で脳をずぶりと刺す。

 瞬間、液体がぶるぶると震えたかと思えば。

 ゆっくりと力を失って地面に広がっていった。

 俺は呼吸を再開しながら、地面に広がったスライムの残骸を見る……よし。


「……回収は出来るな。核の方も鮮度が良ければ売れるらしいし」


 スライムは核を破壊すれば、その纏う液体は水のようになってしまう。

 そうなれば、回収は困難であり、あまり意味は無い。

 しかし、脳だけを破壊すればその纏っていた粘液はそのままで。

 核事態も“冒険者組合”などで売りさばく事が出来る。


 全部、師匠から教わった事だが。

 何度もスライムと戦った事でこういう事にも動じる事は無くなった。

 初心者であれば取り乱したり焦ってしまうが……ま、成長したって事だな。


 俺は素材回収用に持って来ていたデカい瓶を取り出す。

 地面に広がったそれを手で掬って、手ごろな所で短剣で斬る。

 瓶の中にそれらを時間を掛けて入れていく。

 ついでに核の方も瓶の中にぶち込んでおけば、スライム死骸入り瓶の出来上がりだ。


「……確か、美容? で使われるんだったか。こんなのを加工すれば、体中の老廃物が落とせるなんてな……信じられねぇよな」


 鞄に入れながら疑問を口にする。

 こういう魔物の研究をしている偉い学者様たちが、魔物の素材の用途を見つけ出すんだ。

 噂では自分で実験をしている奴も少なくないらしい。

 中々に尖った界隈だと思いつつ、俺は立ち上がる。

 服の匂いを嗅いでみるが、異臭はしていない。

 スライムにも臭いスライムだって存在するが。

 今回のスライムは“空腹”だったんだろう。

 もしも、獣を食った後だったらその臭いが残っていたが運がいいい。


「……このスライムの金で……まぁ飯代くらいにはなるかな?」


 出来れば上等なものが食べれたのなら最高だが。

 俺はそんな事を思いながら再び道を進んでいく。

 冒険は始まったばかりで、この先にはもっと凶悪な魔物も数多くいる。

 そんな奴と対峙すれば、俺一人の力ではどうする事も出来ない。


 しかし、もしも、もしもだ……仲間がいれば、話は別だろう?


「……欲しいなぁ。仲間……出来たら、美人なお姉さんがいいなぁ。ぐへへへ」


 背が高くて巨乳で、何時も優しくて良い匂いがして。

 包容力があり、気配りが出来て。それでそれで……。


「ぐふ、ぐふふふふ……はぁぁ、んな事ねぇよ」


 現実はそんなに甘くは無い。

 精々がごつごつした体つきの男よりも男らしい女もどきしかいない。

 舐めた口を効けば拳一つで粉砕されて、山賊のように酒を浴びるほど飲むんだ。

 そして、死ぬまでこき使われて俺は……悲惨だな。


 仲間は欲しい。

 しかし、出来れば優しさのある理性を持った人が良い。


 最低限、横柄な態度を取らないのであれば。

 種族に関しては別に何でもいい。

 “三大種族”じゃなくて、“五下種族ごけしゅぞく”だとしても文句は言わない。

 “希少種”……は、ある意味で危険だが。まぁ別にいいさ。


「……ま、行く行くだな……今は今だ。なるようになれってな」


 頭の後ろで手を回し、鼻歌を歌いながら道を進む。

 危険も困難も、まだ見ぬ仲間と共に乗り越える。

 そして、この冒険の終わりは天空庭園での――“宴”だろうさ。

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