002:初めてのエールを

「ふぅ、やっとか……此処が“アサナの街”か」


 荷物を背負い直しながら周りを見る。

 夜であるが人の数はそれなりにいた。

 街としてはそれほどの規模はないものの、確かに活気はありそうだ。

 店などは酒場以外は店じまいを始めており、うろついているのも冒険者や呑兵衛の若者たちだ。


 石と木で作られた背の低い家々が並ぶ街。

 夜であるからか、簡易的に作られた街灯には明かりが灯っていた。

 今も街の“照明係”が街灯の上に取り付けられた“魔石”に魔力を流している。


 俺の村では魔石なんて買っていなかったが。

 流石に街ともなれば明かりようの魔石も買えるんだろう。

 俺は白い光で満ちる街の中を歩いていきながら、近くの人に宿屋は何処か尋ねた。


「宿屋? アンタ、旅の人かい?」

「あぁそうだ。この先にある漁村のモルってところから来たんだ!」

「モル……あぁ、あの村か。ってことはまだ旅は始まったばかりなのか。ははは」

「まぁな……で、宿は?」

「あぁすまんすまん……そうだな。この先の道を真っすぐ行けば、右の方に“癒しの宿”って店があるぜ。看板も結構デカいし、右を見ていたら通り過ぎる事もないだろうさ」


 道を歩いていた同じ“定命種ヒューマン”の男は親切に教えてくれた。

 俺は礼を伝えながら彼と別れる。


 ゆっくりと道を歩いていきながら、賑やかな声が聞こえてくる事に気づく。

 見れば酒場らしき店の中から聞こえてきていた。

 男たちの馬鹿笑いであり、扉を見つめていれば派手な音を立てて開かれた。

 ごろごろと誰かが転がって道の真ん中で両手と両足を広げて倒れる。

 周りに目を向ければ呆れたような目でそいつを見ていた。


 ……誰も助けないのか?


 俺はあのまま放置していれば凍死するのではないかと考えた。

 だからこそ、面倒事の臭いはしたものの男へと駆け寄る。

 ぐったりとしている男に声を掛けながら肩を叩けば声が聞こえて来た。


「うぅ、うるせぇ……酒ぇ酒だぁぁ」

「……絵に描いたような酒飲みだな、おい……目立った怪我はねぇが……おい、アンタ! 寝るんじゃねぇよ! 死ぬぞ!?」

「ぐがぁぁ、ぐがぁぁぁ……ぐがぁ!」


 いびきを掻いて寝始めた男。

 寝ている男を今一度観察する。

 服装は至って普通であり、よくある平民の装いだ。

 少し小綺麗な気もするが……何処かの商人か?


 少し太っていて、背は俺よりも頭一つ分くらい低い。

 特徴的な丸みを帯びた顔に、茶色の髭を生やしている。

 俺と同じ定命種であり、何処にでもいそうなぽっちゃり系だ。


 男を観察し終えれば、酒場の扉を開けて誰かがやって来る。

 ガタイの良い男は鋭い猫のような目をしていた。

 服の下は黒い毛むくじゃらであり、頭の上には耳が生えている。

 尻からは長い黒い尻尾が伸びている……“多毛種ファーリー”か。


「どうした毛無し? 俺に勝つんじゃないのか? 無様な姿をお前の嫁さんに見せてやりたいぜ」

「ぐがぁ……何だとぉぉ!!」

「来いよ。酒の飲み過ぎで負けましたなんて言い訳はさせねぇぞ!」


 猫の見た目をした多毛種は拳を構える。

 酔っぱらいのおっさんもむくりと立ち上がり拳を構えた。

 が、一瞬で顔を青ざめさせてその場にげろをぶちまけた。

 奴はそんな無様なおっさんの姿にゲラゲラと笑っていた。


「はははは! 何もしてねぇのによぉ! だっせぇな!!」

「く、くそぉぉ……あ、アンタ。俺の代わりに、アイツと!」

「え、俺? な、何だよ」


 口元を拭いながらおっさんが俺に視線を向けて来た。

 代わりに戦ってくれと言いたいんだろうが……いや、ダメだろ。


 俺とおっさんの間には縁も所縁も無い。

 そもそも、俺があの猫野郎と戦う理由が無い。

 理由も無いのに相手を殴る事なんて俺はしたくないんだ。

 その事を伝えれば、猫の多毛種も「……まぁそりゃそうだな」と言う。


 アイツの方が常識があるのではないかと思っていれば。

 おっさんはそれならばと勝負の方法を指定してくる。


「俺たちは酒場の前にいる! だったら、酒で勝負をすればいいんだ!」

「さ、酒で? え、飲み比べってことか? いやいや、俺はまだ酒なんて」

「へ! そいつはいい! こいつのせいで俺はまだ一滴も酒にありつけてねぇんだ! 負けた方が全額支払うっていうのなら、戦ってやろうじゃねぇか!」

「言ったな毛むくじゃら! よぉし、その喧嘩買ったぁぁ!!」

「えぇぇ!!?」


 おっさんは酒場へと戻っていく。

 俺は一人状況が飲み込めないでいた。

 初めての街へとやってきて、酔っぱらいを介抱してやろうと思えば。

 何故か、酒の飲み比べの勝負を挑まれてしまった。

 どうしてこうなったのかと考えていれば、おっさんたちが俺を呼ぶ。


「……どうなってもしらねぇからな」


 俺は大きくため息を吐き、重い脚を動かして酒場へと入っていった。

 中ではヒューマンとファーリーたちが多くいる。

 どいつもこいつも顔を赤らめて酒を飲んでいた。

 濃厚な酒気が漂ってきて、嫌でも師匠の事を思い出す。

 師匠の事を見て来たからこそ、俺は絶対に酒なんて飲むものかと思っていたが……。


「さぁ座った座った……マスター! 酒だ! じゃんじゅんくれよ! こいつとこの兄ちゃんの勝負だからな! 負けた方が二人分の金を支払う! 覚えておいてくれよ!」

「お? 何だ何だ? 勝負だってぇ? 誰と誰だ?」

「相手は冒険者のムゥじゃねぇか……あの若いのは誰だぁ?」

「さぁ旅人じゃねぇか?」

「……はぁ」


 おっさんのデカい声のせいで外野が集まって来た。

 これではもう宿屋に行く事なんて出来ない。

 相手の猫野郎もやる気満々であり、袖を捲っていた。

 マスターらしき極悪人面の爺さんも俺たちの前にどんと木のジョッキを置いて並々と酒を注ぐ。

 濃い茶色をした液体の上には泡が出来ていて、しゅわしゅわと音がしている。

 師匠が好んで飲んでいたエールであり、何処の酒場でも必ず売ってあるものだ。

 俺はため息を零しながら、自らの不運を呪う。


「さぁさぁ始まるぜ。賭けるのなら今だ! 俺は勿論、この兄ちゃんに全額掛けるぜ!」

「は? いや、アンタ負けたら酒代を」

「ははは! 兄ちゃん良い事教えてやる! 戦いってのは負ける事を前提にするもんじゃない――勝つ、ただそれだけだ!」


 酔っぱらいのデブは親指を立てて笑う。

 俺は血の気が引いていくのを感じながら、マスターが「払えよ」と言う言葉を聞いていた。

 このファーリーがどれだけ飲むのかは不明だが。

 少なくとも三杯四杯程度でこれほどの自信は無いだろう。

 酒も安くたってそれなりの値段だ。

 もしも、酒樽一つくらい飲んだとすれば……ま、負けられねぇ!


 俺も覚悟を決める。

 腕を捲りながら、静かに闘志を燃やした。

 マスターは二人の準備が出来た事を確認し――勝負の開始を告げた。


 ファーリーの男はジョッキを上げてぐいっと飲んでいく。

 喉を鳴らしながら豪快に飲んでいて、すぐにジョッキは空となった。

 外野は男の勝ちを確信しており、俺に賭けるような奴はそんなにいない。

 おっさんは金を徴収しながら、俺を応援しているが……はぁ。

 

 俺も恐る恐る口を近づけてちょっと飲んで……お?


「……意外といけるな」


 もう少しだけ飲んでみる。

 すると、最初の一口で苦みを感じたものの、確かな甘みがあると分かる。

 少し温かな液体。悪く言えばぬるいかもしれないが、これはこれでいいものだ。

 麦の味を感じられるこれは中々に濃厚な味わいであり、人によってはくどいと感じるかもしれない。

 しかし、俺は料理に関して言えば濃い味付けのものを好む。

 これくらい濃厚な味わいの方が俺は好きであり。

 冷たい時や体が冷えているのであれば、これくらい温かい飲み物の方がいいだろう。


「兄ちゃん! 味わってる暇はねぇぞ!」

「おぉそうだな!」


 俺もジョッキを持ち上げて中身を飲む。

 そうして、幸せな息を吐きながらそれをカウンターに置く。

 周りは俺を褒めたたえるが、勝負はこれからだ。

 マスターは俺たちのジョッキに酒を注ぎ、俺たちは同時にそれを呷る。


「「ぷはぁ!!」」


 一緒に幸せな息を吐く。

 俺たちは互いに顔を見合わせて口元を拭う。

 酒は危険なものだと勝手に思っていたが。

 今なら師匠がこれを好んで飲んでいた気持ちが分かる気がする。


 俺は成人になり、酒の味を知れた事を素直に喜ぶ。

 そうして、負けられない戦いに身を投じた。




「ぅぅ、ぅぅ……げふ」

「……」


 マスターが酒を注ぐ。

 これで何十杯目になるのか。

 数えてはいないが、酒樽も空に近いんだろう。

 マスターは頻りに俺たちと樽を交互に見ていた。


 俺は無言で酒を呷る。

 師匠を見ていたから、酒を飲み過ぎれば俺もイカれるのではないかと思ったが。

 そんな事になる事は一切なかった。

 少し体が火照っているくらいであり、思考はまだまだ正常だ。

 しかし、少しだけ気分が高揚しているような気もする。


 チラリとファーリーの男を見る。

 ふらふらと頭を揺らしていた。

 顔は毛の上からでも分かるくらいには真っ赤であり。

 男はジョッキを手で探していた。


「おいおい。ムゥの野郎はともかく……アイツは何者だ? 全然ふらついてねぇぞ」

「本当だな。あれだけ飲んで何であんな平然と……こりゃもしかしたらもしかするのか?」

「……」


 がやがやとざわめき始めたな。

 俺はそんな声を無視して、次の酒を注ぐようにマスターに無言でジョッキを突き出す。


「い、いや。まだこいつが」

「……ん」

「……おいおい。マジかよ」


 マスターは俺を化け物でも見るような目で見る。

 そうして、樽から酒を出して俺のジョッキに注いだ。

 俺はそれをぐいっと飲んで深く息を吐いた……美味い。


「うぅ、ぁぁ、お、れぁ……」


 ファーリーがジョッキを掴む。

 そうして、そのまま持ち上げようとして――カウンターに倒れる。


 持っていた酒はぶちまけられる。

 外野はしんと静まり返って――ドッと沸く。


「「「うおぉぉぉぉ!!」」」

「……ん」

「え、いや。アンタが勝ったんだよ! 終わりだって!」


 俺は無言で酒を注ぐように指示する。

 しかし、マスターはそれを拒否して倒れているファーリーを指さした。


 俺はムゥと呼ばれた男の顔を叩く。

 そうして、もっと飲もうと伝えた。

 男はうめき声を上げるだけで反応しない。

 周りの人間たちは「酒の神か何かか?」と呟いていた。


「はっはっは! 兄ちゃんすげぇな!! 大儲けだぁ! ありがとよぉぉ!!」

「……寝る」

「え? 寝るって……お、おいおい!」


 俺はカウンターに両腕を置く。

 そうして、瞼を閉じて眠りにつこうとした。

 周りが騒がしいが、歩き続けていたから疲れは溜まっていた。

 だからこそ、音も気にする事無く。

 俺は深い水底に沈んでいくように意識を――――…………

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