023:不撓不屈

 修行開始から二週間と五日……俺は遂に奴の前に立った。


 アレから更に魔力操作の精度を磨き。

 限界まで防御力を底上げした結果。

 ラピット・フライは勿論の事、ラッシュ・ボアの突進攻撃にも耐える事が出来るようになった。

 ラッシュ・ボアの体当たりはかなりの衝撃であり。

 最初の内は体中に痣を作っていた。

 何度も死にかけて、その度にアードルングに救われた。


 何度も何度も何度も――俺は魔装の技術を磨き続けた。

 

 その結果、俺の魔装は格段に進化した。

 アレほどに手こずっていた瞬時に纏わせる事も上達し。

 何よりも、その膜の形勢段階で“層を増やす”事も学べた。

 そう、慣れてくれば接触面を最小限に抑える事で魔力の膜を何重にも張る事が出来ると分かったのだ。

 それにより、奴らから受けるダメージを軽減する術を身に着けた。

 これにより一撃の衝撃を和らげて、痣を作らずに済むまでになった。


 ……が、それでもまだまだかもしれない。


 ラッシュ・ボアの攻撃もずっとは防げない。

 その上、完全にダメージを無効化できた訳じゃない。

 かなりの攻撃力であるからこそ、凌げても一時間程度だろうか。

 それ以上は攻撃に回せる魔力が無くなるから駄目だ。

 一時間も耐えられるようになったのなら十分だとアードルングは言うが……不安は拭い切れない。


 あの時にエイマーズから受けた攻撃。

 アレはかなりの重みがあったと記憶している。

 一瞬で意識を持っていかれるほどの打撃だった。

 しかし、あれはエイマーズがかなり手加減してのものだ。

 もしも、全力であったのならラッシュ・ボアの体当たり何て比じゃないだろう。


 浮かれてはいない。

 心の中は不安と恐怖で一杯だ。

 しかし、俺はそれを振り払い。

 今、こうして奴の前に立っていた。


 エイマーズは素振りを止めて俺を見る。

 早朝の時間だ。まだ日が昇って間もないと言うのに。

 奴は上着を脱いで、その体は蒸気を発していた。

 汗をかなり掻いており、よほど早くから鍛錬をしていたと分かる。

 奴は大きな木剣を肩に当てながら、口笛を鳴らしてアードルングをちらりち見た。


「……また来たのか……本当に一月以内に現れるなんてな」

「あぁそういう約束だからな……守ってくれて感謝する」

「はっ、そりゃこっちにも利があるからな……約束を違えるなよ。そいつが失敗したら、お前だけは俺についてこい」

「……! 約束ってアードルング、お前」

「すまんな。そうでもしないとこいつは一人で行ってしまうと思ってな……大丈夫だ」


 アードルングは俺の肩に手を置く。

 視線を向ければ彼女は微笑んでいた。

 その瞳を通して彼女からの信頼が伝わって来る。

 俺はそれを受けながら、静かに頷いた。


「そうだな……任せてくれ」

「あぁ任せた……私は立会人だ。どちらも不正は許さない。不正を見つけた時点で合否は決まる。いいな?」

「あぁいいぜ。そいつが不正をしないように見張ってろ」

「……言うじゃねぇか」


 俺は笑う。

 そうして、いそいそと上着を脱ぎ始めた。

 すると、エイマーズは眉を顰めて「何のつもりだ」と聞いて来る。


「決まってる。不正をしないからな……正々堂々、俺は生身でお前の攻撃を受ける」

「ハハ! 勝負を捨てたか? てめぇ如き鎧付きでも余裕で」

「――なら、やってみろ」

「……後悔すんじゃねぇぞ」


 俺は準備運動をしてから、両頬をばちりと叩く。

 じんじんと両頬が痛みを発するが、今はこれが心地いい。

 意識が痛みによってクリアになり、より集中力が高まっていく。

 が、それだけだったら此処まで真剣にはなれなかっただろう。


 ……もしも、条件をクリア出来なきゃアードルングだけが連れて行かれちまう……それだけは絶対に嫌だ!


 こんな事で彼女との旅を終わらせたくない。

 まだまだ、この先も彼女と共に冒険がしたいんだ。

 例え別れるまでの時間が伸びるだけだとしても、その時は今じゃない。


 俺はばさりと両手を思い切り広げた。

 そうして、歯をむき出しにして笑う。


「さぁ来いやァァッ!!!」


 俺は闘志を燃やす。

 すると、エイマーズも覚悟が出来たんだろう。

 持っていた修練用の木剣を投げ捨てた。

 奴はボキボキト拳を鳴らしていた。


「……へぇ、その様子だとマジで鍛えて来たみてぇだな……本気ってやつか。だったら、そんなお前に敬意を表して……俺も全力で応えてやるよ」

「……ッ!!」


 奴の纏う空気ががらりと変わる。

 ゆっくりと腰へと持っていった拳。

 その拳に魔力を纏わせていき――これは!


 魔力をどんどん拳に纏わせている。

 しかし、その量も性質も桁違いだ。


 アードルング程の魔力は無い筈だ。

 それでも、ヒューマンにしては破格の魔力量で。

 更に凄いのはその練り上げる精度であり、魔力が渦を巻くように奴の拳で激しく動いていた。

 やがて目視で魔力の色がハッキリと見えて来る。

 濃い青色の魔力だ。まるで、海の中で全てを吸い込む大渦のようで――恐れるなッ!!


 やれる事はやった。

 準備が整ったから此処に立ったんだ。

 恐れる事は何一つない。

 お前は一人の男として、この勝負を受けたんだ。


 

 逃げるな――戦え。

 恐れるな――迷うな。


 

 立って、見て、構えて――勝負に勝てッ!!


 

 

「行くぜ――駆け出しルーキーッ!!」

「――ッ!!!」

 

 


 奴の像がブレた。

 一瞬で奴の体が移動した。

 が、ギリギリでそれが見ていた。


 奴の狙いは腹――違う。顔だ!!


 奴の攻撃動作にはブラフがあった。

 腹を狙うような位置。

 しかし、その真の狙いは顔面だ。

 俺はそれを一瞬にして看破し、一気に魔力を顔に纏わせていく。

 既に奴の拳で前が覆われているが。

 俺は極限まで魔力を練り上げて顔に纏わせ――強い衝撃を感じた。


「――ッ!!!」


 顔が大きく凹んでいく感覚。

 まるで、頭を潰されて行くようで。

 嫌な音が頭の中で響いていて、鼻の骨が折れて血が噴き出す。

 凄まじく重い一発であり、頭が激しく揺さぶられるのが分かった。

 一瞬でも気を抜けば、絶対に死ぬと分かっていた。

 だからこそ、俺はありったけの魔力を顔面に回し続けた。


 奴の魔力と俺の魔力がぶつかり合って。

 奇妙な音を奏でながら、魔素となったそれらが光の粒子となって迸る。

 顔面を潰されていて何も見えない筈なのに。

 その細かい光の粒が弾けているのが見えていて――ダメだ。


 意識が遠のいている予兆。

 このまま攻撃を受けていれば、意識を刈り取られる。

 そう感じたからこそ、俺は両足に力を込めて踏ん張る。

 奴の一撃によって体が大きく後ろへと後退していく。

 じりじりと足で道を作っていきながらも、歯を食いしばって耐える。


 何も見えない、何も感じない。

 一瞬だけ強烈な痛みが走ったが。

 それも既に感じなくなっていて、前だって全く見えていない。

 全身から力が抜けそうであり、俺は今がどういう状況なのか――え?


 

 攻撃を受けていた筈だ。

 

 しかし、視界が一瞬だけ戻ったかと思えば――眼前には“地面が近づいて”いっている。


 

 攻撃が終わったのか。

 地面が近づいているのなら、俺は倒れようとしているのか。

 意識がまだあるのなら、俺は耐え切ったのだろう。

 俺の勝ちであり、すぐに体勢を戻そうとして……あれ?


 

 力が入らない。

 

 いや、入らないんじゃなく体の感覚が全くない。

 

 視界は見えているのに、手足の感覚が消えていて。

 

 ゆっくりと進む時間の中で、俺は近づいていく地面を見る事しか出来ない。


 

 駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ――駄目だ。


 

 何も出来ない。

 どうする事も出来ない。

 ここまで頑張って、ようやく技を習得して。

 ものに出来て準備が整って、それで――――あぁ、そうか。


 

 俺は憧れていたんだ。

 村の語り手から聞かされた物語の主人公のように。

 俺も弱い人や困っている人を助けて。

 沢山感謝されて、それで多くの人に愛されて……でも、違う。


 

 俺は弱い。

 力が無いのに誰かを助けようとして。

 そんな俺の馬鹿な想いのせいで、大切な仲間を失う事になる。


 

 俺が悪い。

 俺の所為だ。

 俺が不甲斐ないから、俺がダメな奴だから。


 

 俺が、俺が、俺が、俺が――――


 

「……結局、テメェも口だけだったな」


 

 ――――そうだ。俺は口だけなんだ。ごめん、アードルング、俺は――――…………



 

『……よく頑張った……ここまでやったんだ。きっと上手く行く』

「……!!」




 頭の中に彼女の優しい声が響く――瞬間、俺の消えかけた心に再び火が灯る。




 意識が覚醒し、俺は動かない筈の体に力を込めた。

 歯を食いしばり、口や鼻から大量の血液が流れ落ちていった。

 見れば歯も数本転がっていて……関係ねぇ。


 両の足で地面を踏みしめる。

 そうして、倒れそうになった体を何とか戻した。


「――ぐぅぅぅぅあああぁぁぁぁッ!!!!」

「……!!」

 

 天を仰ぎ見ながら言葉にも満たない声を上げる。

 目や鼻や口から大量の血を噴き出しながらも、俺は意識を保ちその場に留まる。

 足ががくがくと震えていて、今にも折れそうだったが。

 それでも俺は全ての力をこの瞬間に使った。

 

 激しく揺れる眼を大きく見開く。

 そして血走った目をゆっくりと目の前に立つエイマーズに向ける。

 かたかたと震える人差し指を奴に向ける。

 がふりと血反吐を吐きながらも、俺は笑いながら奴に対して言ってやった。


「どう、だ……俺は、立って、る、ぜ……約束、だ、ぜ……は、はは、は……っ」

「…………何も言うな…………そうか。く、くくく」


 奴は片手で顔を抑えながら笑っていた。

 俺はそんな奴を視界に入れながら――!


 ぐらりと体が揺れる。

 姿勢を保つ事が出来なくなって地面に倒れそうになった。

 最後の力を振り絞ったからこそ、今度こそ地面にぶつかる。

 そう思って――誰かに受け止められた。

 

 霞む視界の中で見えたのは、俺を両手で抱えるエイマーズの顔で。

 奴は優しく微笑みながら、俺に言葉を送ってきた。


「……撤回する。お前はカスじゃない……誇り高い冒険者だ……叶うのなら、名を聞かせてくれ」

「……ハ、ガード……ルーク……ハガードだ……忘れる、なよ?」

「……忘れねぇよ。お前ほどの男の名は」


 奴は微笑む。

 その瞳にはもう侮辱の色は無い。

 俺を一人の男として対等に見てくれていた。

 これで俺はエイマーズの出す条件をクリアできた。

 もう、エイマーズは一人で無茶なを事をしないだろう。

 それが分かったからこそ、俺は安心できてしまった。


 まだ、ドラゴンという強敵が残っているのに。

 俺はこれで一つの偉業を成したかのように安らいでいて。

 留めていた意識の糸がぶつりと切れたような音を聞いた気がした。


 ゆっくりと瞼を閉じて行けば、アードルングが俺の名を叫んでいた。

 心から心配してくれている顔で。

 何故か、彼女を不安にさせてしまったていうのに……少し嬉しいと思ってしまった。


 俺なんかを彼女は心配してくれる。

 俺なんかに彼女は強い感情をぶつけてくれる。

 それが溜まらなく嬉しくて、溜まらなく………あぁ、そっか。


 何となく、自分の気持ちが分かったような気がした。

 彼女と短い間だが一緒の時間を共有して。

 彼女という存在を知ることが出来て、俺は何時しか彼女の事を目で追っていた。


 美人だから、スタイルがいいから……違ったな。


 綺麗だからじゃない。

 外見も彼女に惹かれた理由の一つだが。

 それでも、彼女に対してこの想いを抱けたのは……彼女の心だ。

 

 アードルングだから、俺は彼女を目で追っていた。

 この感情の正体も、今まで彼女に向けていた思いも……全ては“これ”だったのか。


 俺は自らの心の内を理解して笑う。

 正体が分かっても、まだ明かす事は出来ない。

 いや、一生明かせないかもしれない。

 それだけ俺は彼女との時間を幸せに思っているから。

 

 ずっと続けばいい……ずっとずっと旅がした……それだけは伝えよう。


 俺は瞼を完全に閉じる。

 そうして、彼女の声が遠くなっていくのを感じながら。

 心地の良い眠りの中に己を導いていった。

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