031:夜の島

「……」


 宿屋の一室で、椅子に座りながらページをゆっくりと捲っていく。

 窓から差す陽の光を体全体で浴びながら、俺はこの本の主人公に感情移入していた。


 この本はフロックハートから渡された本で。

 最初はどんなに怖い話なのかと怯えていたが。

 実際に読んでみれば、怖いというよりも悲しい話だと分かった。


 この物語の内容を一言で表すのなら“人生”だ。


 主人公がこの世に生まれてきて、成長していく中で経験した事などを書き綴っている。

 恐らくは主人公が死ぬまでを綴ったものなのか。

 まだ、最後まで読んでいないから分からないが。

 これはきっとそういう話なんだと分かる。


 

 ――この主人公の名前は“ヨル”という。

 

 暗闇の中で生まれたから夜であり、主人公はこの名前を気に入っていた。

 主人公は小さな島で生まれて、その島には朝も昼も存在しないらしい。

 ずっと夜のままであり、島民たちは卑屈な者ばかりだ。


 唯一、ヨルと友人のミヤだけが明るい性格であり。

 島民たちはヨルとミヤの事を鬱陶しく思っていた。

 嫌がらせも受けており、暴力を振るわれる事も多かったが。

 それでも、二人はすくすくと成長していき、誰にでも優しく平等に接していた。


 ある日、ヨルとミヤはお互いの夢について語った。

 ミヤはこの島から出て多くの人で出会う事で。

 ヨルは太陽を見て見たいというものだった。


 彼らの島では太陽について話す事は固く禁じられていて。

 もしも禁を破れば、島の掟に則り島から追放されてしまうのだ。

 ミヤは慌てて話を中断し、その日は互いに家に帰っていった。

 しかし、彼らの事をずっと見ていた男がいた。

 その男は島民の中でも最も性格のねじ曲がった男であり。

 そいつはすぐに長へと密告をして、ヨルは裁判に掛けられてしまった。


 ミヤは必死に庇ったものの。

 島民たちはヨルの事を快く思っていなかった。

 だからこそ、彼に味方する者はほとんどおらず。

 ヨルは追放を言い渡されてしまった。


 ヨルは最低限の食料と自分の荷物を持って小舟に乗り込み。

 彼は闇の先へと一人静かに旅立ってしまった――


 

 俺は本の赤い紐をつまんでそのページに掛ける。

 そうして、ぱたりと本で閉じてから静かに息を吐いた。


「……報われない優しさもあるんだな……確かに悲しくなるな」


 これからどうなるのかは分からない。

 だが、書かれている文章から分かる事で言うのなら。

 ヨルはこうなる事を最初から分かっていた気がする。

 その為の準備も一人で進めていて、彼は恐れも何も無く舟を漕いでいったんだ。

 例え親友を悲しませる事になったとしても、ヨルは太陽を見たかったんだろう。


 少しだけこの主人公の気持ちが分かる気がする。

 俺にも夢があり、師匠との約束もあるからこそ天空庭園を目指している。

 もしも、どうでもいい事だと思ったのなら、俺は一生村で過ごしていた筈だ。

 その方が安全であり、裕福な暮らしは出来なくても平和でそれなりに楽しい毎日を送れていただろう。

 だけど、俺は村から旅立つ決断をして、今ではドニアカミアの領内まで来ていた。


 この主人公のヨルも、夢を諦められなかったんだ。

 一生を掛けてでも叶えたい夢だったんだろう。

 だからこそ、危険な賭けに出て彼は闇に包まれた大海原に出ていった。


 俺は椅子を傾ける。

 そうして、天井を見つめながらぽつりと言葉を吐いた。


「……最後に夢は叶うのかな……叶って欲しいな」


 どんなに理不尽な目に遭っても。

 どんなに悲しい事が起きたとしても。

 ヨルの夢が叶ってくれる事を俺は願う。


 そんな事を思っていれば、扉がノックされた。

 視線を扉に向けてから、椅子から立ち上がり扉まで歩く。

 そうして、誰なのかと聞けばフロックハートの声が聞こえた。

 扉のロックを解除して廊下に出るが、フロックハートの姿は何処にも――うごぉ!?


「ぉ、ぉぉ……何、すんだよ」

「悪意を感じたから。ごめんなさいね?」


 殴られた腹を抑えながら、鼻を鳴らすフロックハートを睨む。

 彼女は言葉では謝っていたが全く悪く思っていない。

 俺は腕を振ってとんがり帽子を叩き落としてやろうとした。

 すると、奴はひらりと器用に俺の腕を回避してからくすりと笑う。


「ばぁか。アンタ如きが私に何か出来ると思った? 残念でしたぁ」

「……クソ、ちっちゃいからすばしっこいな」

「――はぁ? 今なんて」

「あ? だから、小っちぇから速いって――うぉ!?」


 命の危機を感じてしゃがむ。

 すると、目に見えない風の刃が扉を抉り取る。

 少し破壊された扉を見つめてから、ゆっくりとフロックハートに視線を向ける。

 すると、奴は家畜を見るような冷たい目で俺を見ていた。

 心なしか目に光が宿っていない気がする……こ、こえぇ。


「……言い残す事はある?」

「ごめんごめんごめんなさいぃぃぃ!!」

「……そ、じゃ……死にな――ぅ!」


 フロックハートが静かに杖を構える。

 俺はこれが自分の冒険の終わりなのかと覚悟を決めた。

 が、彼女の蛮行を止めてくれた人がいた。


「やめろや」

「……くそ」


 後頭部を摩りながら涙目で蹲るフロックハート。

 その後ろでは拳を掲げるガイが立っていた。

 音もなく彼女の背後を取る事が出来るのはこの男しかいない。

 俺は命の恩人であるガイにキラキラとした視線を送る。

 が、彼は破壊された扉を見て片手で顔を覆っていた。


「またかぁ……はぁ、アイザックの爺さんには俺から言っておくけど。後で謝りに行けよ?」

「……分かってるわよ……はぁ、最悪」


 フロックハートは俺を睨む。

 俺は思わず、お前がやったんだろうとツッコミそうになった。

 しかし、此処で安易にツッコめばどのような未来が待っているかは馬鹿な俺でも分かる。

 言いたい気持ちをグッと堪えながら、俺は話を変える為に何で俺の部屋に来たのか尋ねた。

 すると、フロックハートは思い出したように俺に伝えて来た。


「今日から三日間。私とガイとアードルングは襲われた集落を調べに行くから」

「え、三日間って……そんなに襲われてんのか?」

「まぁね……確認出来ているだけでも被害にあった村は十二だったかしら。ドニアカミア領内がほとんどだけど、その中の一つはアンタたちが見たモルミア領内の集落よ……もうほとんど調べた気がするけど。念の為の確認と“罠”の確認もしないとね」

「罠って何だ? トラバサミか?」

「ははは! ちげぇよ! そんなもんに引っかかるのは獣くらいだぜ、兄弟!」


 ガイは俺の前に立ち、バシバシと肩を叩く。

 だったら何だとフロックハートを見つめれば「魔術に決まってるでしょ?」と言う。


「結界術と付与術を応用した探知魔術……って言ってもアンタには分からないか」

「……そんな言い方ねぇだろ。俺だってそのくらい」

「そのくらい何? じゃ、この魔術の構成術式が分かるの? どの魔術理論を基盤として、私がどんな改良を施しているのか分かる? ん?」

「……子供かよ」

「ふふ、負け惜しみね……分かったわよ。悪かったわ」


 フロックハートの言葉に俺は悔しさを滲ませる。

 奴は得意げな顔をしていたが、ガイからの無言の圧を感じて俺に謝罪をした。


「……いや、いいよ……その、俺も悪かったよ。触れられたくない事もあったよな……もう言わないよ。約束する」

「……真面目ね……いいわ。じゃ、喧嘩はおしまい。兎に角、罠に獲物が掛かっていないかを調べに行くのが本当の目的よ。罠はドニアカミア領内の各地に設置してあるから、私たちは基本的に昼間はいないと思ってちょうだい……もしも何かあれば、これで知らせて」

「……? これは、魔石か?」


 フロックハートは袖から何かを出した。

 それは赤い紐で括られた緑色の魔石だった。

 これが何かと聞けば、彼女は自らが術式を組み込んだ特殊な魔石であると説明する。


「魔力を流すだけでいいわ。淡く光っていれば、私たちが気づく仕掛けになっているから」

「へぇ……もしかして、世界の端にいても気づくのか?」

「それは無理よ……でも、領内でお互いにいるんだったら、あまり遠くまで行かない限りは大丈夫よ」

「そっか……うん、ありがとう!」


 俺は受け取った魔石をポケットに入れた。

 彼女は「無くさないでよ?」と言ってくる。

 俺はそれに頷いてから、そういえばアードルングは何処なのかと聞いた。

 すると、フロックハートは彼女は先に襲われた村の一つへと行ったと教えてくれた。


「まぁアイツは今まで一人でいたから大丈夫みたいだし……何よ、その顔は?」

「え? な、何が?」

「……アンタ、すっっごく不満そうな顔してたわよ?」


 フロックハートは人差し指を俺に向けて指摘してきた。

 俺はそれを受けて片手で頬を摩りながら乾いた笑みを浮かべる。

 ガイは何かを考えている様子で……ハッとしたような顔をした。


「そうか。分かったぞ……恋しいんだな! 兄弟!」

「え? 恋しいって俺は別に」

「――早く戦いたいんだろぉ! 分かるぜ、あのエルフは強い! 俺も一度戦って見てぇんだ!」

「……は?」


 ガイは笑みを浮かべながら親指を立てる。

 一瞬、どきりとしてしまったがすぐにそれは消えていく。

 俺はどう言えばいいのかと戸惑っていたが。

 ガイはそのまま「帰ってきたら俺が相手してやるからな!」と言う……不安だなぁ。


 ガイからは今日の早朝に叩き起こされていた。

 彼はいきなり外で上着を脱げと言ってきて。

 俺が戸惑いながらも上着を脱げば、彼は何も言わずに殴りかかって来た。

 俺はガイからの攻撃を必死に避けながらも、打ち込んで来いと言われて果敢に攻めた。

 互いに理由も無い殴り合いを始めて、気づけば全身が汗だくになるまで体を動かしていた。

 ガイは気持ちの良い笑みを浮かべてから「お疲れさん!」と言って去って行った。

 俺は何が起きたのかも理解できないまま、汗を流す為に大衆浴場を探して入って。

 そこからは軽い朝食を食べてからずっと本を読んでいた。


 また、夜も殴り合いをするのかと少しだけ怯える。

 すると、フロックハートは「ほどほどにしてよね」と言う……ありがとう!


「……帰って来るのは夜になると思うけど。食事は一人でとっていいから。私たちも適当にすませるわ」

「すまねぇな兄弟。本当はもっと美味い飯屋を案内したかったけど」

「いや、いいよ! 仕事だしな……俺も、あの本を読み進めて手掛かりが無いか調べるからさ」

「……まぁ正直、何も無いとは思うけど……少しは期待しておくわ」

「おう! 任せてくれ!」

 

 俺は胸を叩いて笑う。

 フロックハートはくすりと笑ってから「それじゃ」と言って去っていく。

 ガイも手を振りながら行ってくると言って……行っちまったな。


 一人になってしまった。

 俺はそのまま部屋の中へと戻って、また本を読み進めようかと考えた。

 その時に、急に腹から音が鳴って……そういえば、昼時か。


 そろそろ飯を食っておいた方がいいだろう。

 俺はそう考えて、本を読む前に街で飯を食いに行く事にした。

 本当は三人も誘って飯を食いたかったが、俺の我が儘で予定を狂わせるわけにはいかない。


 俺は鞄から金の入った袋を出す。

 それをポケットに入れてから、俺は部屋の鍵を持って……いや、いらねぇか?


 視線を向ければ半壊した扉がそこにある。

 扉は辛うじて閉められそうであるから、鍵は持っておく事にした。

 俺はそのまま部屋の外に出ようと……そうだな。


「……一応な」


 出ていく前に、剣を取って腰につけておいた。

 街の中だから、こいつを使う事は無いだろうが。

 念には念を入れておきたい。


「さて、さてさてさて……何を食おうかなぁ」


 廊下に出てから、扉を慎重に閉める。

 そうして、鍵をかけておいてからそれをポケットに仕舞う。

 まだまだ、この街の美味い飯を知れていない。

 きっとまだ見ぬ料理が俺を待っている筈だ。


 俺は胸を高鳴らせながら。

 足取りを軽やかに宿屋の廊下を歩いていった。

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