038:友を信じる事
「はぁ、遅いなぁ……まだ帰ってこねぇのか?」
宿屋の一室。
俺が泊っている部屋の中で。
俺は椅子を揺らしながら、天井を見つめていた。
仲間たちが帰って来るのを待っている。
王都へと向かって、既に二日が経過しているが。
帰って来るとすれば今日あたりだと思っていた……でも、もう夜だしなぁ。
時刻は既に深夜であり、健全な市民たちは眠りについている頃だ。
俺は何故か、眠る事が出来ずに起きている。
何故かは分からない。
しかし、最近は心がざわついている気がするんだ。
こう大事な何かを忘れているようで。
俺の心が焦っているような気がした。
一体、俺は何を忘れているのか。
そんな事を考えながら、組合で受けた依頼を熟したりして過ごし……そういえば。
俺は椅子を元に戻す。
そうして、机の脇に置いていた本を手に取った。
何か気づくことがあると思って読んでいた本。
タイトルも何も無いこれを全部読んでみたが、結局、分かる事は何一つとして無かった。
ただ単純に悲しくて報われない話で……そうだな。
「まさか、ラストで長い旅の末に海の果てに辿り着いて。ようやく太陽を見る事が出来たのに……“石になっちまう”なんてな」
ヨルたちが何故、陽の光が存在しない島に住んでいたのか。
いや、そもそも海の果てまで行かないと太陽が見えなかったのか。
それは旅の途中で出会った人間たちが知っていた。
そこに住む人々は神の怒りをかい、二度と陽の光を浴びる事が出来なくなった。
呪いであり、それは決して解くことが出来ないものだった。
ヨルはその話を聞きながらも、太陽を見る為に旅を続けた。
そして、ようやく太陽を見る事が出来たが。
その体はゆっくりと石となっていった。
彼は自らの死を悟ったものの、太陽の美しさを目に焼き付けながら完全な石となって海の底に沈んでいった。
そこには彼と同じように太陽を見た人間たちがいて。
ヨルは同じように笑みを浮かべて幸せそうな石像たちと共に長い眠りについた。
彼は最期は幸せだったと描写されている。
しかし、彼は結果的には死んでしまった。
願いを叶えられたのなら喜ばしい事かもしれないが。
彼の故郷には親友であるミヤがいる。
多分だが、ミヤは親友が生きている事を願っている。
もしも、彼女がヨルの死を知ってしまえば……それは悲しい事だ。
物語であるのなら、多少強引でも幸せな結末に出来た筈だ。
それでも、これを書いた作者はそうはしなかった。
最期に願いを叶えられたという結果で締めくくり、彼は石となって海の底に沈んだ。
……何でだろうな。読み終わったときは確かに悲しかったけど……今思い出せば、胸が締め付けられるようだ。
こんなにも俺は主人公に感情移入している。
ヨルの最期が悲しくて、それを認めたくない自分がいる。
まるで、ヨルという存在が俺にとって掛け替えのない存在で……掛け替えの無い存在?
「……俺は、何を思って……騒がしいな?」
何かを思い出しかけていた。
しかし、その思考を邪魔するように外から人の声や何かを叩く音が聞こえて来た。
窓に近づいてから、俺はそれを開けた。
すると、音の正体は鐘を叩く音で。
声は何やら慌ただしく、人々が動き回っていた。
窓から身を乗り出して見れば、煙がもくもくと上がっている……火事か?
恐らくは、何処かで家が燃えているんだろう。
火の不始末か。それとも、誰かが放火したのか。
何方にせよ、黙って見過ごす事は出来ない。
俺は窓を閉めてから、フロックハートから渡された魔石と鍵を持ち剣だけを装備して部屋から出る。
しっかりと扉を施錠してから鍵をポケットにねじ込みかけていく。
廊下を渡って階段を駆け下りて行けば、宿屋の主人も眠気眼で起きていた。
俺は消火を手伝いに行く事を伝えて宿屋から飛び出した。
そうして、煙の上がる方向を見つめながら走っていく……何だ?
胸がどきどきと鼓動している。
煙の方向、そこを目指して駆けているが。
胸が異様なほどに鼓動していた。
恐怖や不安を感じている……何でだ?
あの方向に何かあるのか。
いや、そんな筈はない。
この街に俺の知り合いは多くはいない。
いたとしても、アレがその知り合いの家の可能性は低い。
なのに、何故か俺の胸は確信のようなものを抱いているかのように鼓動していた。
俺は走りながら心臓の部分を片手て抑える。
強く鼓動する心臓を宥める事は出来ない。
不安や恐怖は煙の上がる家に近づくほどに高まっていく……何だって言うんだ。
俺はそれらの感情を振り払うように走る。
家から出てきて様子を伺っている市民を避けて。
野次馬のように群がっている一団を押しのけて。
俺はただひたすらに煙の方向を目指して走っていった。
月明かりの下。
黒煙が空へと立ち昇る中で。
冷たい風を全身に受けながら、俺は静かに呼吸を繰り返す。
走って、走って、走って、走って、走って――
――走り続けて、ゆっくりと足を止める。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……此処、は」
轟々と燃え盛る炎。
路地裏から立ち昇る紅蓮の炎は勢いを強めていた。
もくもくと黒煙が上がっており、男たちは水の入った桶を担いでそれを炎の中に掛けていた。
手慣れた冒険者たちはこれ以上の被害を増やさないように近くの家を破壊していた。
魔術師も何名かいて、そいつらは水の魔術で消火をしていた。
俺はただ茫然と立ち尽くして、炎の上がる路地裏に繋がる細い道を見ていた……知っている。
俺はこの道を知っていた。
いや、通った気がする。
此処を通って俺は何処に行っていたのか。
この先には何も無い筈で、此処には俺の知り合いは誰も――
『さようなら……もう二度と出会わないように』
「……っ!」
ずきりと頭が痛みを発した。
その瞬間に誰かの声が聞こえた。
とても悲しそうな声で、俺に助けを求めているような辛い表情で……知っている。
俺は知っていた。
声の主が誰で、彼がどういう人間で。
何をしていて、何処へ行ってしまったのか。
全部、全部――“思い出した”。
「……エトッ!」
俺は走り出す。
そして、水の入った桶を持っていた人間からそれをひったくる。
それを頭から被ってから、俺は燃え盛る炎の中に飛び込んでいった。
後ろの方で男たちが叫んでいたが構っていられない。
熱い。凄まじい熱気であり、呼吸をするだけで肺が焼けるようだ。
「こほ、こほ……っ!」
袖で口元を覆う。
煙を吸い込まないようにしながら、直接炎に触れないように移動する。
すぐ近くで轟々と炎が燃えていて、俺はそれを躱しながら進んでいく。
そうして、エトがいた店を見つけた。
扉は焼け落ちていた。俺はその中に入ってエトの名を叫んだ。
返事は無い。いや、人の気配もしない。
俺は構う事無く中へと入っていった。
中にも火が回っていて、彼が大切に保管していた本たちが燃えていた。
俺は口を袖で覆いながら、燃え盛る本棚を避けて進む。
奥の方へと行けば、やはりエトの姿はいない。
部屋中に煙が充満しているかと思ったが。
窓が破壊されていたお陰で、煙は外へと流れ出て行っていた。
それでも呼吸はし辛い上に、目が強く痛みを発していた。
あまり長居は出来ないか……あれは?
焼け崩れた本棚。
その裏には何かがある。
俺は剣を引き抜いてから、崩れた残骸を剣圧で飛ばす。
そうして、壁になっているそこに触れて……窪みがある。
よく見なければ分からないような窪み。
そこに指を入れてから、力を込めて押した。
すると、かちゃりと音がして壁の一部が浮き出て来た。
俺はその隙間に指を入れてから、壁をずらしてみた……そうか。
火をつけた後に、此処から逃げていったのか。
そして、集落や村を襲撃する時もこの隠し通路を使って出入りを……エト、お前は……っ。
俺は下へと続いている階段を下りていく。
すると、後ろの扉は自動的に元に戻っていた。
俺はそれを確認してから再び足を動かしてエトの後を追った。
階段を下りて行けば、真っすぐに続く穴が広がっていた。
人一人が通れる穴であり、ここより先は明かりが無ければ何も見えない。
俺はやむを得ないとフロックハートから貰っていた魔石を取り出す。
魔力を込めれば魔石は光り輝いて辺りを照らした。
これでフロックハートたちに危機が伝わった。
急いで帰って来るだろうが、その前にエトと話をすれば……絶対に止めて見せる。
俺は穴の先を見つめながら進んでいく。
この先にエトがいるのかは分からない。
もしいたとして、俺は彼に何と言えばいいのか。
彼の事情もまだ詳しくは知らない。
何故、終焉の導きの構成員をしているのかも知らないんだ。
そんな状態で説得しようとしても成功する確率は低い。
情に訴えかけたところで、現実を見ている彼には通用しない。
きっと彼なりの理由がある筈だ。
どうしようも無いような理由であり……考えろ。ヒントはあっただろう。
エトが語ってくれた事を思い出す。
彼は何かしらの病に侵されていて。
陽の光を浴びる事が出来ない体だった。
そして、エトが最後に俺に見せてくれた魔術。
そこに書かれていたのはあの本のセリフであり、アレはエトの心でもあった。
……待て、もしかして……あの本はエトの人生そのものなのか?
タイトルが無いのは、アレを書いたのがエトだから。
そして、主人公のヨルはエト自身であり。
彼の失った願いも太陽を見る事だったのか。
もしも、アレがエトの事を表しているのなら……そうか。
「……エトは絶望したんだ……太陽が見たくても見る事が出来ない現実に……夢を追いかけてそれが叶わないと知って……それで、終焉の導きに希望を見出した……奴らがやろうとしている儀式……魔法に」
奇跡にも等しい事を起こせる魔法。
多くの生贄を捧げる事で完成される儀式魔法。
それを実行すれば彼の願いは叶えられる。
エトはきっとそう言い聞かせられて騙されたに違いない。
そうだ、きっとそうだ。
最初から何の罪もない人を攫ってくると知っていればエトは協力しなかっただろう。
アイツは現実を見ているが、犠牲によって願いを叶えようなんて思っていなかった。
アイツは誰よりも優しくて、誰よりも他者を気遣っていた。
そんな奴が誰かを殺して、それで……まだやり直せる。
絶対にこのまま逃がさない。
エトはまだ若いんだ。
未来があり、罪だって償える。
脅されていたのなら少しは便宜を図ってくれるかもしれない。
必要なら俺が訴えかけてもいい。
アイツは根っからの悪人じゃない。
本当はこんな事をしたいと思っていなかったと……だから!
「一人で抱え込むなよ……! 何で一人で行っちまうんだ!」
まだだ、俺は諦めない。
例えアイツが拒んだとしも、俺は必ずアイツを止めに行く。
どれだけ傷つこうとも、どれだけ心無い言葉を吐かれようとも――俺はアイツの友達だから!
俺はアイツが好きだ。
アイツと一緒に語り合う時間が大好きだ。
こんな別れなんてまっぴらごめんであり、もっともっと色んな本について一緒に語りたい。
本は全部燃えちまったけど、また一から作る事だって出来るんだ。
エトが望むのなら、アイツが罪を償い終えるまで、俺が此処で待っていてもいい。
俺は夢を諦めないが、友達の為なら何十年でも待つ。
俺はアイツの友達だ。
友達なら、最期まで信じてやるもんだろう。
俺はアイツの心を信じているんだ。
きっとこんな事は間違っているって気づいている。
説得すれば、アイツも思いとどまってくれる筈だ。
俺は狭い道を進む速度を速める。
体が砂まみれになるが気にしない。
今は少しの時間も無駄に出来ない。
アイツに追いつく。そして、全力でアイツを止める。
「待ってろ……エト……俺は絶対にお前を諦めねぇ!」
歯を食いしばり手に力を込める。
真っすぐに続く暗く冷たい穴の中を進みながら。
俺はこの先にいるであろう友を追い掛けた。
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