015:アードルングの実力

 地に倒れ伏すラッシュ・ボア。

 その最後の一匹の腹から剣を引き抜く。

 風が吹いて魔物たちの血の臭いが鼻につく。

 体中が魔物の返り血で染まっていて、口内も鉄錆の味しか感じない。

 死骸たちを静かに見つめながら、乱れた呼吸を落ち着かせていった。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……やりきったな」


 剣を払って血を落とす。

 周りに目を向ければ、ラッシュ・ボアの死体が何体も転がっていた。

 あれからどれ程の時間が経ったのかは分からない。

 空を見れば陽はまだ昇っているが。

 体感ではかなりの時間が経過していたように思えた。


 立っていた木は何本か折れて転がっている。

 硬そうな岩も半壊していて、此処で行われた戦場の度合いを表しているようだった。

 それらを視界に入れながら、警戒は解かずにいる。


「……」


 ラッシュ・ボアは十匹を超えて十二匹も討伐してしまったが。

 それでも、依頼は達成であり、その証拠となる部位を持って帰れば終了だ。


 途中からはあまり覚えていない。

 無我夢中で戦っていた気がするし、本能のままに戦っていた気もする。

 ただ一つ分かっている事は、レッド・ファングの時とは違い俺はダメージを負っていない事だ。

 体に返り血を浴びただけであり、上々の成果なのではないかと思えた。


 ゆっくりと腕の部分で刃に残った血を拭う。

 それを鞘へと戻してから、俺は静かに息を吐いた。


 呼吸も少しだが安定してきた。

 体力はそれなりに消耗しているが。

 まだまだ戦おうと思えばいけるだろう。

 いや、そもそも通常種で息が上がっていればダメだ。

 危険種ともこれからは戦う事になるかもしれないからな。

 今はまだ南東の領土だから良いが、西へと行けば行くほどに魔物の危険度は上がるだろう。

 奴らは人が多く住む場所を狩場とするが。

 同時に空気中に漂う魔素が濃い場所も好む。


 此処はまだそれほど魔素は濃くないが。

 エルフの国ほどにもなれば、魔素の量は此処とは比べ物にならないだろう。

 魔物たちもその土地に巣食うだけで力を増し。

 熟練の冒険者を襲って取り込んでしまえば、それだけで等級は跳ね上がると聞いたことがある。

 師匠はそういった力をつけて知恵をつけた魔物は特に注意が必要だと言っていた。

 組合でもそういった魔物が現れないように定期的に魔物が繁殖しないようにしているらしいがな。


「……アードルングは……何をしているんだ?」


 俺はアードルングを探す。

 すると、俺から少し離れた大きな岩の上で屈んでいた。


 俺は声を出して手を振る。

 しかし、彼女は此方を一切見ていなかった。


 

 どうしたのかと思って――怖気が走る。

 


「――っ!」



 全身の毛が逆立つ感覚。

 冷たい何かが背筋を這っていって。

 俺は剣の柄に手を当てながら、殺気のする場所に視線を向けた。

 すると、そこには巨大な体の魔物がいた。


 その体の体毛は白かった。

 目は黄色であるが、片目は潰されていて見えていないだろうと分かる。

 元は白かったであろう立派な二本の牙は赤黒く変色していた。

 遠く離れていていても分かるそいつの全長は恐らくは十メーテラを超えている。

 全高にすれば約七メーテラほどであり、此処まで伝わるほどの殺気を発していた。

 赤黒いたてがみに額は亀裂が走るほどに使い込まれていた。


 アレはダメだ――絶対に勝てない。


 ひしひしと伝わる殺気が、体から溢れ出しているように見えた。

 揺らめく殺意の波動が遠く離れた俺まで届き、心の奥底に眠る恐怖を呼び覚ます。

 奴そのものの危険度を奴自身の殺気によって俺の心に明かしているようだ。

 戦えない。否、戦うという選択肢が俺にはない。


「……っ」

 

 奴がこっちを見ている。

 奴の鼻息によって草が大きく揺れていて、奴は前足で土を削り取っていた。

 殺気を発しているのなら怒っているのか。

 戦えば確実に俺は死ぬ。

 見ただけで分かった。己と奴との力の差が。


 手が震えている。

 武者震いではない。

 力の差を自覚した事で本能が恐怖を感じていた。

 剣が真面に握れない。腕に力が入らなかった。

 ただただ俺は目の前の存在に震える事しか出来ない。


「……っ!」


 歯を強く噛み締めた。

 震える手で剣の柄を掴む。

 立っているだけでも状況は変わらない。

 せめて、剣に手を当てておかなければ。

 そう思ったからこそ、カタカタと震える剣を必死に掴んでいた。


 もしも、俺が奴へと武器を持って駆けだせば。

 次の瞬間には俺の体がばらばらになっている未来が見える。

 相対すれば死を覚悟し、逃げる事も許されない存在があれだ。


 等級は俺の見立てでは、少なくとも三級以上だろう。

 確実に今の俺では手に余る相手で……アードルングは……!


「アードルング……っ!」

「……」

 

 彼女はゆっくりと矢筒から一本の矢を抜き取る。

 完全なる自然体であり、冷静にそれを弓に番えながら真っすぐに敵を見つめていた。

 静かに腰を上げて真っすぐに立ち、大きくしっかりとした作りの骨で出来た白い大弓を構える姿は歴戦の勇士だと俺は感じた。

 一本の矢を掴んで弦に掛けてそれを引き絞っていく。

 その矢の先端には魔力が込められていて――これは!


 凄まじい量の魔力。

 いや、それだけじゃない。

 付与されている魔力は練り込まれていて、その色が見えるほどまでに性質が高められていた。

 青い魔力が矢の先で凝縮されていき、漏れ出す魔力が光となって周りに流れていった。

 一目見ただけで分かる。アレを俺が受ければ回避も防御も出来ない。

 凄まじく洗練された技術による魔装であり……動くか!


 奴が姿勢を前に倒す。

 瞬間、アードルングが岩の上から飛ぶ。

 奴はそのまま足に力を込めて――!!


 奴の像がブレた。

 瞬間、遠く離れたいた場所に立っていた奴はアードルングのすぐ近くに迫っていた。

 彼女はまだ地面に足もつけていない。

 アレでは回避も防御も出来ない。

 

 

 

 見えてはいた。

 

 ゆっくりと進むような時の中で。

 

 俺は何も出来ずにその光景をジッと見つめていた。


 

 

 避けろ。逃げろ。ダメだ、もう――瞬間、閃光が走る。


 

 

 一瞬。ほんの一瞬だ。

 アードルングが矢から手を離した瞬間。

 光の線となった矢が勢いよく奴の額に当たった。

 目の前が真っ白に染まったように幻視したかと思えば。

 次の瞬間には、あの巨体が大きく後方へと飛ばされていた。


「――――ッ!!!」

「……!?」


 魔物が鳴き声を上げる。

 俺はそれを聞きながら、巨体が転がる事で発生する振動に耐えていた。

 

 ごろごろと地面を激しく転がっていくそれ。

 土煙を巻き上げながら転がるそれはすぐに体勢を戻す。

 地面に足をついて滑りながらも何とか止まる。

 見れば奴の額からは少しだけ血が滲んでいた。


 ……アレほどの魔力を込めても、血が滲む程度なのか……いや、違う。


 一番硬い場所への攻撃を行ってだ。

 血を滲ませる事が出来たのならば、体に当てさえすれば深手を負わせる事が出来る。

 俺がそう確信した様に、あの危険な魔物も理解したんだろう。

 奴はアードルングを睨んでから鼻を鳴らして駆けていく。

 一蹴りで豆粒ほどの大きさになるほどに遠ざかった奴。

 俺はそんな奴の後姿を茫然と眺めながら、助かったのかと考えていた。


 

 アレは一体何だったんだ……?


 いや、そもそもあんなのがいるなんて情報は貰っていなかった。


 そもそも、アレがこんな王都の近くにいたのは何故なんだ。


 

 ぐるぐると頭の中に疑問が浮かんでは巡っていく。

 俺は立ったまま声も発する事無く思考していた。


「――ぃ――おい!」

「……っ!」

 

 肩を叩かれる。

 ハッとして前を見れば、アードルングが首を傾げていた。


「どうした? 何処か痛むのか」

「い、いや! お、お前。あ、あれは……あ、あれは?」

「アレか? アレは恐らく、こいつらのボスか何かだろう……子分がやられた上に縄張りを荒らされて気が立っていたのか……何方にせよ組合からの情報にアレはいなかった。この事は私から報告しておく……顔色が優れないな。休んでいろ、解体は私がやるから」

「――いやいや! そうじゃなくてさ!? 三級くらいはあっただろ!? 怖くなかったのか!?」

「……あぁ、そういう事か……問題ない。殺す気で戦うのなら、まぁ準備は必要だったが。威嚇をして逃がすのであれば簡単だ」


 彼女はさも出来て当然だと言わんばかりに言う。

 俺はそれに唖然としながら、そんなこと普通はでやりたくても出来ないだろうと伝えた。

 すると、彼女は「見えていなかったのか?」と聞いて来る。

 俺は首を傾げながら、何の事かと逆に聞いた。


「……アレの体には複数の傷があった……片目も潰れていただろう? 恐らくは、別の土地から流れ着いた魔物で間違いない。大方、元々あった縄張りを奪われて逃げて来たのか。私との戦闘を行えば、死ぬ可能性があったと判断して退いたのだろうな……ただ運が良かっただけだ」

「そ、そっか……運が良かったんだな」


 俺は彼女の言葉に納得する。

 それにしては、あまり焦っていなかったようにも思える。

 もしも、逃げずにあのまま戦っていたらどうなっていたのか。

 恐らくは、俺が彼女にとっての枷になっていたのは分かる。


 本当に運が良かったんだろう。

 俺はまた自らの運に救われたんだ。

 本当に良かったと思いながら、俺はホッと胸を撫でおろす。

 気づけば、震えも収まっていて呼吸も安定していた。

 

「ふぅ、まぁ何とかなって良かったけどよ……いや、そうだよな。アードルングは銀級だったな……はぁ、やっぱり俺より強いのかぁ」


 俺は大きくため息を吐いてがっくりと肩を落とす。

 彼女は首を傾げながら「私が強くて不都合でも?」と聞いて来る。

 俺はそれにどきりとして、人差し指を突き合わせながらどういったものかと悩んだ。


「い、いやさ。俺は男で、アードルングは女で……こう、男ってのは女を守りたいって言うか……強さって言うのか? かっこいいって思われたいし」

「……あぁ“見栄”か」

「いや! ハッキリと言うなよ!」


 アードルングはため息を吐く。

 そうして、ぼそりと「面倒だな」と呟いていた……いいじゃないかよ、たく。


 男とは何処まで行っても格好をつけたい生き物なんだ。

 そうして、あわよくば女子供にちやほやされたい。

 俺もそんな夢見がちなヒューマンの男の中の一人であり、美女であるアードルングからよく思われたい。


 ……別に恋仲になりたいとかではない。いや、なれたら嬉しいけど……いやいや、違うだろ!


 俺は頭を左右に振ってから両手で顔を思い切り叩く。

 その間にも、アードルングが短剣でラッシュ・ボアを流れるように解体していた。

 俺はそんな姿を見つめて、自分も短剣を出して解体を始めた。

 彼女は此方に視線を向けずに休んでいろと言ってきた。


「いや、目的は達成したんだ。後は帰るだけだろ? だったら、俺も手伝うよ」

「……言っても聞かないか……なら、肉は不必要に傷つけないように。牙は根元から抜け。周りの筋に沿って刃を入れるんだ」

「おう、分かったぜ!」


 俺は彼女からのアドバイスを聞きながら解体を始めた。

 短剣が皮に触れて切り込みを入れようとすれば、やはり少し硬い。

 が、戦っていた時とは違ってまだマシなように感じた。

 俺は気になってその事について詳しそうなアードルングに尋ねた。


「……こいつらも魔を秘めた生き物だ。魔力を体内で巡らせて、己の肉体を強化していたんだろう」

「え、てことは鎧みたいに出来るのか?」

「……まぁ出来なくもない。が、人がそれをしようとすればかなりの鍛錬が必要になる……魔装は既に習得しているようだが。それを体に纏わせるのはまた別の技術が必要になる……師に教わっていないのであれば、理由があるんだろう」

「……理由か」


 師匠は俺に魔装を教える時に言っていた。

 これを極めれば、他は中途半端でも構わないと。

 しかし、鎧のように魔力を纏えるのであれば戦闘で大きく役に立つ筈だ。


 ……何故、師匠はこれを俺に教えてくれなかったんだ?


 俺は解体作業を進めながら考えた。

 皮をはいでいき、肉をそぎ落としながら……分からねぇな。


「……なぁ、アードルングはそれが使えるのか?」

「あぁ人並みには使えるな……何だ、習得したいのか?」

「あぁ、出来るんだったらな……お前が良いんだったら、それを教えてくれないか」


 俺は手を止めて彼女を見つめる。

 そうして、静かに頭を下げた。


 彼女も手の動きを止める。

 そうして、静かに息を吐いてから俺に視線を向けてくる。


「……言っておくが、私は優しくはないぞ。時間もあまり掛けたくはない。教えるのは基本までで、応用に関しては自分で体得しろ……それでもいいのなら」

「――それでいい! 頼んだぜ、先生!」

「……ふっ、先生か……悪くないな」


 彼女はくすりと笑う。

 そうして、また解体作業を進めていった。


「では、明日の早朝から修行を始める。準備をして噴水の前に集まれ」

「分かった……うぅ! また修行かぁ! ワクワクするなぁ!」


 俺はまだまだ誰かに教われる事を喜ぶ。

 師匠も修行が終わっても、また別の修行が待っているのだと言っていた。

 人生は勉強であり、努力を積めば積むほどに人は成長するとも言っていた。

 俺は学ぶ事に関しては手を抜かない。

 全力で学んで己の糧にして見せる。


 俺は明日から始まるアードルングの修行を楽しみに思う。

 そうして、絶対に新しい技も習得してみせると意気込んだ。

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