016:憩いの大衆浴場

 王都への帰還。

 そして、その足で組合への報告へと向かおうとすればアードルングに止められた。

 自分の今の姿を考えろと言われて見れば、全身が魔物の血で染まっていた。

 門番からも嫌そうな目で見られたから分かるが。

 このまま報告に行けば、十中八九が好奇の目に晒されてしまう。


『お前はすぐに風呂屋に行け。報告は私が済ませておく』

『え、でも依頼を受けたのは俺で、それは本人である俺が報告した方が……』

『……依頼はどれもそれなりの期間が設けられている。すぐに報告せずとも、明日でも明後日でも問題ない……まぁそれが嫌なら風呂から出た後に行けばいいだろう? 私はあの魔物に関しての報告と換金だけするからな。依頼に関しての報告は勿論お前がしろ。じゃあな』

『あ、ちょ!』


 アードルングはそう言って去っていった。

 俺は門の前で一人茫然としていた。

 しかし、このまま突っ立っていても笑われるだけだ。


 俺は言われた通りに風呂屋へと行った。

 そうして、汚れた革の鎧や服をそこにいた洗濯係に託しておいた。

 彼らは金さえ払えば、風呂から出るまでには洗濯を終えてくれている。

 聞く話によれば、熱を発する魔石を使う事で乾燥なども手早く済ませてくれるようだった。


 俺はそれに安堵し、生まれた姿のまま風呂へと向かった。

 そうして、現在の俺は――


 「ふぃぃ……あぁ生き返るなぁ」


 温かい湯の中に身をつからせながら、熱の籠った息を吐く。

 王都にある大衆浴場であり、市民にとっての憩いの場だ。

 多くの利用客がおり、浴場の中は人で賑わっていた。


 赤レンガで作られた大きな浴槽。

 綺麗で温かなお湯が常に流れていて、その音が心地いい。

 歩く場所の床もが赤レンガだった。

 壁も赤レンガを並べて作られていて、全体的に赤茶色の景色のように感じる。

 立ち昇る白い湯気が辺りに満ちていて、うっすらと人々が見えていた。

 それを眺めながら、俺はゆったりとした時間を過ごしていた。

 

「……男、ばっかり……当たり前か」

 

 昔の時代には混浴なるものもあったらしいが。

 現代ではそういう事は不純であるとされていて禁止されていると聞く。

 まぁその方がお互いに気兼ねなく体を癒せるとは思う。


 年季の入った赤レンガの浴場の中で足を大きく伸ばす。

 そうして、肩までつかりながら白い湯気の先を見つめていた。

 子供たちは元気に走っていて、それを見た大人が叱りつけている。

 老人たちは持ち込んでいた酒を飲みながら談笑していて。

 若者たちは蒸し風呂のある狭い部屋の中へと入っていった。


 市民たちの声を聞きながら、俺は目を細めて体の疲れを取っていく。

 此処は王都の浴場であるからか、サービスもそれなりに豊富だ。

 散髪をしてくれたり、垢すりをしてくれる係もいるらしい。

 金さえあれば按摩師からの施術も受けられるようだし……良い所だよなぁ。


「ふぁぁ……気持ちいいぜぇ」

「あぁ、全くだなぁぁ」


 隣の方から声が聞こえた。

 どうやら近くに人がいたようで。

 俺は隣の方にゆっくりと視線を向けた。

 濃い湯気のせいで顔は見えなかったが。

 聞いたことのあるような声だった。


 俺は隣の人物へと視線を送る。

 徐々に湯気は晴れて行って、その人物の顔が見えてきて……!


「お、お前は」

「……あぁ?」


 湯気が晴れた先には男が座っている。

 浅黒い肌をした鋭い赤い瞳の男で、鍛え上げられた体には無数の傷があり。

 肩まで延ばしているであろう黒髪は後ろで束ねられている。

 奴はぎろりと俺を睨んでから「誰だてめぇ?」と呟いていた。


「いや、組合でお前が投げ飛ばした男だよ! 忘れたのか!?」

「あぁ? あぁ……あぁいたな。そういえば」

「いたなっておい……まぁ別にいいけどよ……んで、何で風呂屋でくつろいでんだ? ドラゴン討伐はどうしたんだよ」

「……テメェには関係ねぇだろ」

「いや、まぁそうだけど……悪かった。今のは俺が不躾だったな。すまん、忘れてくれ」

「……チッ」


 奴は苛立ちを表すように舌を鳴らす。

 それっきり黙ってしまった銀翼のリーダーのエイマーズ。

 俺はもうどうでもいいかと前を見ながら、静かに湯に身を預けた。


 湯が流れる音を静かに聴き。

 体が温まっていくのを感じていく。

 前を見てれば、風呂屋の職員が歩いている。

 俺は思い出したように声を出し、その職員を呼び止めた。


「あ、すみません。エールを一本ください」

「半銀貨一枚になります!」

「はい……と、お願いします」

「はい、まいど!」

 

 近くを通りかかった職員にエールを注文した。

 縁に置いてあった小袋から半銀貨を取り出して渡す。

 彼は猫のように目を細めて笑いエールを取りに行く。

 俺はそれが来るのを待ちながら、心を無にする。


「……」

「ふへぇ」


 あぁ声が勝手に出ちまう。

 何でこうお湯ってのはつかるだけで緊張がほどけていくのか。

 まるで、赤子が母親の腕の中で眠るように。

 俺はこの湯に全身を預けて眠りについちまいそうなほどにリラックスしている。


 塩は人類の大発見であるが。

 お風呂の文化を作った最初の人物は正に偉人だろう。

 もしもそいつが生きていたら、俺は全ての金を使ってそいつにたらふく酒を飲ませてやりたい。


 冒険者はこうでなくてはな。

 世界を旅して、強敵と戦って。

 美味いものを食って、酒を飲み。

 美しいものを見て感動し、愉快な奴と友達になって。

 悲しい事も嬉しい事も沢山経験して、それで――


「冒険者を名乗れるんだよなぁ」

「……!」


 俺の呟きを聞いていたのか。

 隣にいたエイマーズが殺気をぶつけてくる。

 俺はそれを無視して、職員がエールを持ってきたのを確認した。

 桶に入ったそれを流してくれて、俺はそれを掴んで……ん?


 よく見れば、木のコップが二つある。

 どうやら、あの職員は俺がこいつと話していたのを見ていたらしい。

 俺は少し気まずさを感じたが、まぁどうにでもなると考えて無言でエイマーズにコップを渡した。


「あぁ? 何のつもりだ」

「コップが二つあった。一緒に飲もうぜ」

「誰がテメェなんかと……っ」

「まぁいいじゃねぇか……そうそう! 今の内に俺もお前に媚びを売っておこうと思ったんだよ。それならどうだ?」

「……注げよ」


 エイマーズは俺からコップをひったくる。

 不器用な奴だと思いながら、コルクの栓を抜いて瓶を傾ける。

 トクトクとエールを注げば泡が出てくる。

 俺は並々と注いでやってから、自分のコップに同じくらいの量を注ぐ。

 奴はマジマジとコップの中身を見ていた。


「素晴らしい冒険に!」

「……知らねぇよ」


 コップを掲げてみたが無視された。

 エイマーズは中身を飲んでから、静かに息を吐く。

 俺も中身を一気に飲んでいく……うめぇ。


 火照った体の中に抵抗なくするすると常温の濃い茶色のエールが入っていく。

 濃厚な味であり、苦みの中にあるコクのある甘さがいいアクセントだ。

 これでつまみもであれば最高に思えるが。

 お湯につかってくつろいでいる時はこれだけで十分な気がする。


 至福の時間であり、未来への不安も隣の男の殺気も忘れそうだ。

 俺はちびちびと中身を飲んでいく。

 ちらりと隣を見れば、奴も美味いエールを飲んで頬を緩めている。

 俺たちは互いに無言で酒の味を堪能し、温かな湯に身を任せていた。


「……俺は、英雄になりてぇんだ」

「……そいつは良い夢だな」


 ぼそりとエイマーズが呟く。

 俺はその夢を肯定した。

 すると、奴は「違う」と言う。


「夢で終わらせねぇ。俺は絶対に英雄になるんだ」

「……それで、ドラゴンの討伐か?」

「……あぁそうだ……俺一人で勝てるなんて思っちゃいなかった。だからこそ、面倒でも仲間を作って鍛えてやって。準備が出来て、いよいよドラゴンを狩りに行こうとして……アイツらは俺の前から消えちまった」


 エイマーズは静かに吐き捨てるように言う。

 俺はそれを聞いて、あの時にいた強面の男たちを思い出す。

 皆が皆、好戦的な顔つきをしていたからこそ逃げる姿は想像できない。

 いや、戦いを知っていたからこそ退き時も分かっていたのか。


 一時はドラゴンの討伐に意欲的だったが。

 冷静になれる時間が出来て、恐怖という感情が沸き上がって来た。

 しかし、止めようとも言えなかったんだろう。

 あんなに多くの冒険者の前で啖呵を切ったんだ。

 これで止めますなんて言えば、一生笑いものだろう。


 アイツらは笑われるのが嫌だったんだ。

 だからこそ、何も言わずにパーティを離れた。

 その全ての責任を問われるのが、自分たちを鍛えてくれた男になると知ったうえで……ひどい話だ。


 俺は考えた。

 こんな時に何と言ってやるのがこいつの為なのか。

 全てにおいて経験の浅い俺が、多くの戦闘を経験した熟練の冒険者に対して何を言えるのか……言えねぇよなぁ。


 俺は何も言う事が出来ず無言になってしまう。

 エイマーズはそんな空気に耐えられなかったんだろう。

 コップに残ったエールを呷ってから、桶の中に放り込む。

 そうして、ざぶりとしぶきを上げながら立ち上がる。


「……テメェなんかに何言ってんだ……忘れろ。テメェには関係ない事だろ?」

「……まぁ関係ないけど……大丈夫なのか?」

「……白蝋如きが銀級の俺の心配か……エールの礼だ。聞かなかったことにしてやる……じゃあな」



 エイマーズはそう言って去っていく。

 俺はそんな奴の背中を見つめる事しか出来なかった。

 奴は湯気の先へと消えていき、小さく扉の開く音だけが聞こえていた。

 俺は静かに息を吐き、空になったコップにエールを注ぐ。


 静かにそれに口をつけて飲む……うめぇけど……今は物足りないな。


 美味しく思った筈だ。

 しかし、あんな話を聞かされたら物足りなくなってしまう。


 エイマーズはこれからどうするのか。

 仲間に裏切られて一人だけになった。

 アイツにだってプライドはあるだろう。

 今更、依頼を破棄する事なんてすればすぐに冒険者たちに知られてしまう。

 そうなれば、奴は此処で活動を続ける事が出来なくなってしまう。

 いや、それだけならまだ拠点を移すだけでいい。

 しかし、そういった情報は名が売れている人ほど広まりやすい。


「……何処に行っても、汚名は消えないか……胸糞わりぃな」


 育ててもらったんだろ。

 銀級の冒険者が仲間として誘って、今までついてきたって言うのに。

 そうもあっさりと裏切る事が出来るもんなのか。

 確かに俺には関係のない話だ。

 しかし、アイツは酒が入ったとはいえ俺に零していったんだ。


 ……きっとアイツは心のどこかで助けを求めているんだ。


 もし、違っていたとしても俺はそう感じた。

 だったら、俺は関係のない部外者でもない。

 助けを求められたのなら助けて見せる。


『いいか。助けて欲しいって言う奴は助けてやれ。そうでないのなら無視しろ』

『はぁ? どういう意味だよ』

『分からねぇか? 助けには“要る”と“要らない”がある。求められたら助けて、求めてないのなら何もしないんだ。人ってのは無慈悲なもんだ。求めてないのに助けちまえば、そいつは感謝じゃなく怒りをお前にぶつけるだろうさ』

『何だよそれ……でも、ハッキリ言える奴ばっかじゃないだろ? それはどうすんだよ』

『あぁ? そんなものは分かるもんだ。よく見て、よく聞いて、心で感じろ……言葉でハッキリ言わなくたって、助けを求める意志ってのは案外、簡単に分かっちまうもんなんだよ』

『い、意味わかんねぇ。酔ってんのか?』

『はははは! 酔ってるのは何時もの事だ!』


 かつての師匠の言葉。

 それを思い出していた。


「……ふふ」


 くすりと笑う。

 そうして、エールを飲みながら決意を固める。


 例え、エイマーズから何を言われたとしてもだ。

 俺はアイツを絶対に見捨てない。

 奴にとってはカスみたいな存在なんだろうが。

 カスはカスでも出来る事はあるって証明してやる。


「よぉし。そうと決まれば……アードルングに相談だ!」


 希望の星はエルフである。

 他力本願のような気もするが、まぁ同じ銀級であるのなら分かり合える事もあるだろう。

 俺は風呂から出て、組合への方向を済ませたら早速彼女に相談しようと考える。

 きっと彼女であれば、何か良い解決策を思いつくだろう。


「……取り敢えず。飯を食いながらになるな……何処か良い店はねぇかなぁ」


 アードルングは何が好きなのか。

 彼女の好きな料理を食べながらならば、良い意見も出やすいだろう。

 俺は腕を組みながら、王都で見て来た店を頭の中で思い出していった。

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