011:食がもたらす幸せ
カラカラと車輪が回る音がする。
カタカタと小刻みに揺れる馬車の中には人がそれなりにいた。
全員が全員、王都を目指して乗り合わせている。
上には屋根となる
危険な森を抜けて、今は王都へ続く街道をゆっくりと走っていた。
時折、通常種の魔物と遭遇したが護衛の冒険者たちの活躍によって俺たちに被害はない。
のんびりとした旅であり、俺は何処までも続く平原の先を見つめていた。
「……」
景色から目を逸らして乗客たちを見る。
眠っている奴や隣の仲間らしき奴と話す人もいる。
大体がヒューマンであり、エルフはアードルングただ一人だ。
彼女はフードを目深く被っている。
だからこそ、彼女を珍しそうに見る人はいない。
徒歩で行くよりも馬車の方が楽な上に速いが。
今回、一緒に乗り合わせた客は心なしか多い気がした。
御者の爺さんに聞いてみたが、確かに今回は何時もよりも多いらしい。
馬車の準備を待っている時にアードルングに聞けば。
森での一件が片付いた事と橋が簡易的ではあるが修復された事が関係しているらしい。
元々、森を通るルートが王都を目指す上で最短のルートで。
そこでの安全が確保されたと言うのであれば、誰も遠回りをしてまで険しい道など行かないと言われた。
言われてみれば確かにそうであり、馬車代だって安い事も関係しているんだろう。
上を見る。
馬車につけられた幌は所々が穴が開いていたのか補修の跡がある。
継ぎ接ぎだらけであり、今座っているところもそれほど居心地は良くない。
揺れもあるからか旅に慣れていない人間であれば酔う奴もいるだろう。
現に、今も若い青年がゲロを地面に向かってまき散らしていた。
周囲を警戒している冒険者たちもそんな彼に呆れたような視線を向けていた。
……まぁこいつはいい。護衛は二人か……少ない気もするが、一日も掛からない道ならこれくらいなのか?
アードルングの言っていたサーガに雇ってもらう話。
それを思い出しながら、護衛の冒険者たちの様子を観察しておく。
何れは俺もこいつらのように雇われて馬車を護衛する事になる。
最も、最下級の間は俺を雇ってくれる人は早々いないだろうがな。
彼女の脇を突く。
彼女はゆっくりとフード越しに俺に視線を向けて来た。
俺は周りを気にしながら、小声で彼女に話しかける。
「……なぁ、アードルング。もしも、もしもだぜ? 雇われている時に、馬車が襲われてさ……死人が出た場合って……」
「……責任は問われるな。万が一にでも死人が出れば最悪の場合……これだな」
アードルングは人差し指で首を切る動作をする。
俺はそれを見て少しだけ怯えるような目を彼女に向けてしまう。
すると、彼女はくすりと笑って「冗談だ」と言う。
「……そんな冗談はよしてくれよ。いや、マジで」
「……悪かったな……まぁ責任はあるだろうが、そのほとんどは雇用主にあるだろう。あくまでも冒険者は雇われただけで、死人が出ればその責任は雇用主に発生する……だが、冒険者が何らかの形で職務を投げ出したり、契約に反する行いをすればその限りではない……場合によってはその土地の法に則り裁判が開かれる事になる」
「……なるほどねぇ……じゃ仕事を自分なりにちゃんとしていれば問題ないって事か」
「まぁ平たく言えばな……ただ、雇われて護衛の任を引き受けるという事はだ。何においても乗客を守る為に全力を尽くすと言う事だ……例え家族や恋人が一緒に戦っていて危険な目に遭ったとしても、優先すべきは乗客と御者の命の安全だ」
アードルングが小さな声で説明する。
他の乗客には聞こえないように配慮してだ。
護衛の仕事は簡単な事じゃない。
彼女は俺にそう伝えたかったんだろう。
分かっていた事ではあるし、それは当然の事だ。
だが、実際にそういう状況になって仕事を果たせるかどうかはその時にならなければ分からない。
そこそこの金を貰って護衛を引き受けて。
強敵と出くわして自分や仲間が逃げれば助かるような状況でだ。
見ず知らずの他人の為に命を捨てる覚悟を持てるのか……いや、持つしかないんだ。
それが出来ない奴は護衛の仕事を引き受けられない。
サーガに加盟している業者だけじゃない。
それ以外で馬車業を営む奴らだって信用を大事にしているんだ。
万が一が起きないように全力であり、金だって必要最低限は支払ってくれるだろう。
お互いに信じ合って、全力を尽くす覚悟があるからこそ雇用の契約が結ばれる。
……俺は戦えるか? 恐怖で逃げ出さずに、命を懸けられるか?
俺は自分自身の心に問いかけた。
勿論、返事なんてない。
「……冒険者ってのはすげぇな……俺はまだまだだ」
「焦る事は無い。時間を掛けていけばいい」
「……エルフとしてのアドバイスか?」
「いいや? お前はエルフではない。五百年も生きられないからな……だが、私たちの五年はヒューマンにとっての一年だ。我々は“長さ”だが、お前たちは“質”なんだろう?」
「……くふふ! お、おい。それ、誰に聞いたんだよ? ふふふ」
「……酒場の酔っぱらいのヒューマンだ……やっぱり、あいつの戯言か」
「いやいや! その通りだと思うぜ? 俺たちはそんなに長くは生きられねぇけどさ。その分、限りある時間を大切に使ってるんだ!」
俺は胸を叩きながらしたり顔で言う。
すると、話を聞いていた前に座る髭面のヒューマンの男がその通りだと言う。
「兄ちゃん良い事言うねぇ! ほら、飲みな!」
「お? いいのか? じゃありがたく……! こ、これ酒じゃん!」
「だははは! ヒューマンの男たちにとって酒は必需品だろ! さぁさぁ!」
「そ、そうかな? ま、まぁこれはありがたく……ぷはぁ!」
大きな水袋に入った酒を呷る。
そうして、気持ちの良い吐息を吐いた。
おっちゃんは笑みを浮かべながら俺を褒める。
すると、その隣のヒューマンの青年も触発されて自分の水袋を取り出す。
「自慢じゃないけどよ。俺の酒も美味いぜ? 何せ、こいつは俺が個人的に作ったもので」
「どれどれ……おぉ、いいじゃねぇか!」
「あ、おい! 勝手に飲むなよ! って、聞いてねぇし……なぁそれ、俺にも飲ませてくれねぇか?」
「お? 飲むか! いいぜいいぜ。兄ちゃん渡してやってくんな」
「ほいほい!」
俺たちは酒を取り出して飲み比べをする。
気づけば俺も鞄から買っていたエールを出して振舞っていた。
いつの間にか馬車の中では酒盛りが始まっていた。
乗り込んでいる乗客の数は十二人であり、その内、十人がヒューマンの男だ。
ゲロを吐き続けている青年は参加しなかったが。
俺を含めた九人が持参した酒を出して振舞っていた。
アードルングと恰幅の良い女性だけが呆れたようにため息を吐いていた。
「……何が有意義にだ……くだらん」
「……全く同感だよ」
「「「あはははは!!!」」」
賑やかな声が響く馬車内。
周りを歩く冒険者たちもケラケラと笑っていた。
「ちょ、ちょっとお客さん方! 着いたんですけど! 降りてくださいよぉ」
「かたいこと言うんじゃねぇよぉぉちょっとくらいいいじゃねぇぇぇかぁぁ」
「うわ酒くさ……あぁもう、最悪だよぉ」
「「……」」
王都へと無事に辿り着いた。
俺は酒を飲むのを抑えていたからいいが。
一緒に乗っていた男たちはがっつりと飲んでいたからな。
御者の爺さんや停留所で人の流れを管理している職員も巻き込んで大騒ぎだ。
あの恰幅の良い女性なんて一緒に乗っていた旦那さんだった男を引きずっていった。
鬼の形相でずるずると足を引きずっていってしまって……ご愁傷さまだな。
アードルングは俺を冷たい目で見る。
俺はそれを無視しながら、王都へと視線を向けた。
「此処がモルミアの王都! デアモルミーアかぁ!」
「……ふん」
それなりに立派な門を超えて行けば石造りの建物が多く並んでいた。
高いという程では無いものの、広さから言えばアサナのものよりも立派だ。
昼を少し過ぎたくらいであるから露店なども大通りの両端で開かれていた。
噴水というものもあり、そこでは奇妙な格好をした男たちが何かの芸をしていた。
様々な種族の子供たちが芸を楽しそうに見ている。
人の多さはアサナの比では無く、種族に関しても多種多様だな。
ヒューマンやファーリーは勿論の事、エルフだって少なからずいる。
「あれは
分かっていたことだが
目に見える範囲ではハンマーを持ったドワーフくらいだな。
そいつらはゲラゲラと笑いながら道を歩いていく。
今から仕事をしに行くのか。それとも帰りなのか。
早朝に出発し、正午は過ぎただろうがそれでもまだ陽は十分に昇っている。
金もまだまだあるから、露店で何か美味しそうなものでも買おうか。
そんな事を考えながら、アードルングと共に足を前へと進めていった。
露店に視線を向ければ旨そうな料理を作っていた。
木の串に刺した肉であり、炭で焼かれたそれからは強烈な匂いを感じる。
嗅いだことのない刺激的な匂いであり、店主はふらふらと近づいてきた俺にそれを勧めてくる。
俺は二本くれと言って金を支払う。
「まいど! 熱いから気をつけな!」
「お、おぅ……アードルングも食ってみな」
「あぁ、ありがとう」
アードルングにこんがりと焼けた肉を渡す。
俺たち二人は店から少し離れた位置で肉を目の前に掲げた。
光に照らせばてらてらと肉汁が輝いていて。
肉の表面には赤い粉末状の何かが塗されていた。
かなりの迫力であり、ぷりぷりの肉が自然と俺の口内に唾液を溜まらせていった。
鼻を鳴らして嗅いでみれば、何とも言えない刺激を感じる。
俺は勇気を出して肉を一口食べてみた――っ!
「……っ!? 美味い! いや、痛い!? こ、これが辛味か!?」
噂には聞いたことがあった。
この世には痛みを感じながら旨味を感じられるものがあると。
これは師匠から聞いていた辛味そのものだ。
舌に触れればぴりりと舌に刺激が走る。
痛みは感じたが、すぐにそれが旨味になっていく。
ほどよい刺激であり、噛めば噛むほどに口が刺激を求めていた。
口の中が熱くなっていき、体も心から温まっていくようだ。
食欲を刺激する感じであり、次を求めて自然と口が動いてしまう。
辛い――が、美味い!
「ほ、ほ、ほ……ふあぁ!」
「……これは中々いけるな」
「だよな! おっし、他にもないか見に行こうぜ!」
「……おい。あまり無駄な金は使うんじゃ……聞いていないな。はぁ」
串を露店の店主に返す。
そうして、俺は別の露店の前に行く。
すると、そこでは野菜を売っていた。
いや、ただの野菜じゃない。
綺麗な棒状にカットした野菜であり、店主はそれを俺たちに勧めてくる。
こんな野菜の棒が美味い筈が無い。
そう思える筈なのに、妙な魅力を感じてしまう。
俺は震える手で金を支払ってから、ゆっくりと店主から色とりどりの野菜の棒が入った木のコップを受け取る。
長細い野菜たちであり、嗅いでみればほとんどは匂いはあまり無い。
俺はゆっくりと赤っぽい棒を掴んで一口齧る……うん、野菜だな。
新鮮ではあるがただの野菜だ。
それほどの感動は無い。
まぁ中にはこんなものもあるだろうと考えて……店主が何かを出す。
「かけてみな」
「……これは?」
木の小皿に入れられた液体。
少し黄緑色の液体であり、何処か懐かしい匂いがした。
俺は言われるがままにその中身を回しかける。
そうして、もう一度野菜の棒を取って齧ってみて……っ!
「う、美味いぃ……こ、これは酢? いや、少し違う……これは一体」
「ふふ、秘密だよ」
「……確かに美味いな。うん」
アードルングが隣に立って棒を齧る。
パクパクと食べて行っており、俺も慌てて食べる。
カリッとした野菜の食感に飾らない素材本来の味。
そこに掛けられたこの謎の液体が作用して、酸っぱさを感じながらもほどよい塩味を感じられる。
それだけではなく、味がまろやかになっているような風味を感じる。
隠された何かであり、これが無ければただ酸っぱくて塩っぽいだけの液体だろう。
何だ。何がこの酢と塩味を調和させるんだ。
素材本来の味を引き立てる優しい味付けであり……美味いよ。
野菜の棒を二人で完食した。
店主からコップを回収されて、俺たちは息を吐く。
まだまだ露店はある……が、ダメだ。
俺は片手で顔を覆う。
そうして、震えながらくつくつと笑う。
「これが……世界か」
「……お前は何処で世界の広さを感じているんだ……まぁ食は人にとっては大事な要素ではあるが……」
「俺の知らない美味いものがこの世界にはもっとある……決めたぜ。俺は天空庭園を目指しながら、この世の全ての食を味わう! 食って食って食いまくる!」
「金は? 何処にある?」
「……“庶民的な”食を堪能する!」
「……はぁ、ほどほどにしろ」
アードルングに飽きられながらも、俺はまた一つ小さな夢が出来た事を喜ぶ。
そうして、こうしてはいられないとアードルングの手を掴んで次の露店を目指す。
彼女は少しだけ目を見開いて驚きながらも、俺と一緒についてきてくれた。
この世の未知を全て体験する事は出来ない。
だが、生きているのなら俺は探求し続ける。
露店の男たちは俺たちに様々な商品を見せてくれる。
俺はそれらに目を輝かせながら、王都での時間を心行くまで楽しんだ。
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