021:意図せぬ恐怖が目覚めさせた

「……はぁ、今日もダメだったかぁ……はぁ」

「まぁそう落ち込む事は無い。初日は散々だったが、一週間で敵の攻撃に対する反応速度も上がった……まぁまだまだだがな」

「うぐ……はぁぁぁぁ」


 俺は酒場でエールを飲みながら深いため息を吐く。

 修行を始めて既に一週間は経過しているが。

 未だに魔装の部分展開は習得できていない。

 アードルングが言うように、敵の攻撃に反応できるようにはなってきた。

 しかし、それは当然の事だろう。


 ……あんなにばかすか攻撃を受けていれば嫌でも反応出来ちまうよ。


 最早、殺気を感じる前に何処から来るくらいには分かっていた。

 後は魔装を完璧に攻撃を受けるであろう部位に纏わせるだけだが……それが一番難しいんだよなぁ。


「はぁぁぁ……そう言えば、アードルングは出来るのか?」

「試すか? ちょっと殴って見ろ」

「え!? いやいや、女の子を殴るなんてそんな!?」

「……お前は私を女扱いするのか……まぁいい。いいから殴って見ろ」

「え、えぇぇ」


 アードルングは指を動かして殴るように指示してくる。

 流石に酒場で酒を飲んでいる時に、女の子を殴るのはダメじゃないのか。

 いや、何処であろうとも暴力はダメだとは思うけど……あぁもう!


 俺はもうどうにでもなれと目を瞑って拳を振るう。

 すると、俺の拳は何かに思い切り当たって――ッ!!?


「いってぇぇぇ!!」

「あ、何だ? お前どうしたんだよ? 大丈夫か?」

「あ、あぁ大丈夫大丈夫……ふぅふぅ」


 椅子から転げ落ちるように倒れた。

 流石に周りで飲んでいた男たちも俺を心配してくれたが。

 俺は問題ない事を伝えて、じんじんと痛む拳に息を吹きかけた。


 椅子に座り直してからアードルングを見れば。

 彼女は涼し気な顔で頬に指を指していた。


「まさか、女性として扱っておきながら全力で顔を殴りに来るとはな……中々の策士だな」

「ち、ちげぇよ!? 目を瞑ったからで……て、あの感触が顔なのか!?」


 俺は驚きを露にした。

 すると、アードルングがくすと笑い「上達すればこれくらいは出来るぞ」と言う。


「魔装とは纏わせるものの強化。連結が魔力の性質の一つであるのなら、これも魔力の性質の一つだ。これを我々は“硬質化”と呼ぶ。流す魔力にも質があり、同じ量であろうとも練り上げられた魔力が洗練されればされるほどに性質は極限まで高まっていく」

「へぇ、じゃ頑張れば鉄を斬ったりとか……あ、隕石だって受け止められるのか!?」

「……それは……私は知らないが。まぁ理論で言えば可能なんじゃないのか? 実際にドラゴンの炎を防いだり、巨大な落石を身一つで受け止めたヒューマンもいたと聞いたことがあるしな……それと、鉄くらいなら斬れるぞ?」

「……マジかよ。最早、超人じゃねぇか、それ」

「……それでも私を女だと思えるか? ふふ」


 アードルングが頬杖を突きながら俺を見てくる。

 見ればその頬は少しだけ紅潮していた。

 以前の彼女はどうだったかは知らないが。

 俺の知る限りではアードルングはかなりの量の酒を飲む。

 いや、普段はセーブしているが何か嬉しい事があれば結構飲むんだ。


 恐らく今回は、俺が少しずつではあるが上達している事が嬉しいんだろう。

 俺としては期待されているんだと思えて嬉しいが……ま、気のせいって事もあるけどよ。


「……おい、おい……無視するなよ」

「え? あぁ悪い悪い……何の話だっけ?」

「だから、さっきの話を聞いても私を女だと思えるかと……もういい。聞くだけ無駄」

「――え? 当たり前じゃん。アードルングは美人な女の子だろ?」

「……!」


 俺はハッキリと伝えた。

 悩む事も無い質問だ。

 多分だが、俺以外の奴に聞いたって同じ答えが返って来るだろう。

 アードルングは何処からどう見ても立派な女性だ。


 俺はエールを静かに飲む。

 息を吐きながら彼女を見れば、目を細めて無言で俺を見ていた。

 俺は首を傾げながら、どうしたのかと聞こうとした。

 すると、彼女は無言でウェイトレスが運ぼうとしていたエールの瓶を奪う。

 そうして、コルクを指で抜いてからその注ぎ口を俺の口に押し込んできた。


「うぐぅ!? うぅぅ――ッ!!?」

「……生意気だ」


 俺は必死にアードルングの手を叩く。

 ぐびぐびとエールを飲み干していれば、彼女は瓶を抜いてくれた。

 俺はせき込みながらも呼吸を再開し、全身が一気に熱くなっていく感覚を覚えた。

 何をするのかと彼女を見れば、そっぽを向いてエールを静かに飲んでいた。


「……ふん」

「な、何だよ……まぁいいけどよ……あ、すみません。これはちゃんと払うので」

「はいーお願いしますねー」


 困惑していたウエイトレスさんに謝っておく。

 彼女は綺麗な笑みを浮かべて去っていった……いや、それにしても。


 俺は去っていったウエイトレスさんを見る。

 見たところファーリーとヒューマンの混血種か。

 猫のような耳と尻尾が生えているが、全身毛むくじゃらという訳ではない。

 ヒューマンのようなすべすべの肌にファーリーの特徴である耳と尻尾だ。


 さっき見た時は猫のような目をしていたしな。

 豊満なバストはふりふりな制服で隠されていて。

 見えるか見えないかの絶妙な短さのスカートが心に熱い衝動を駆り立てる。

 まるで、男たちの視線を集める為の服装であるが肌の露出は驚くほど少ない。


「うーん。良いな。すごく良い。芸術とはまさにこれだな」

「ほぉ、何が芸術なんだ?」

「いや、だからあのウエイトレスさんだよ。特大のエロスを感じさせるものの肌の露出は極限まで抑えられていて見ているだけで心に熱いものをこみ上げさせるあれはまさに芸術で…………すぅ」


 顎に指を添えながら俺の考えを伝える。

 そうして、声の方に視線を向ければ静かな殺気を滾らせるアードルングがいた。


 いつも通りの無表情だ。

 うん、いつも通りだ……でも、何故か目が怖い。


 笑っていない。目が完全に殺し屋のそれだ。

 明らかに怒り狂っている時の人の目で。

 俺はカタカタと震えながら呼吸を落ち着かせようとした。

 何かを言った方がいい。いや、言わなければ殺される。

 俺は僅か数秒の内に何千と言う言葉を巡らせて――これだ!


「何だぁ嫉妬してんの」

「――死ね」


 一瞬で目の前が覆い隠される。

 それは拳だ。

 風を斬り割き迫る拳であり、俺はそれをジッと見つめた。



 ――死ッ!!



 脳内に浮かんだ言葉。

 それを理解した瞬間に――俺の中に眠る“本能”が呼び起こされる。


「――ッ!」

 

 体の中に溜まった魔力が一気に駆け巡っていく。

 まるで、心臓を中心に全身に流されて行くようで。

 体全体が熱くなっていき、魔力の流れを明確に感じられていた。

 頭で考えるよりも先に、体中を駆け巡る魔力が顔に集中する。

 それらが薄い膜上に張られていき、アードルングの拳から俺を守ろうとした。

 

 かつてないほどの死の気配。

 確実なる死を目前にして、本能が激しく抵抗した。

 その結果、俺は通常では考えられない速度で魔装を展開していた。

 冷たい死が、俺の眠っていた才能を花開かせて――拳が当たる。


 メキメキと音を立てて拳が顔面に吸い込まれて行く。

 そうして、俺は彼女の拳圧で一気に後方へと吹き飛ばされた。


「うぼあぁぁぁ!!?」


 顔面に諸に喰らった拳。

 顔が大きく凹んだように一瞬だけ錯覚した。いや、本当に凹んでいたのか。

 俺はそのまま後方へと思い切り吹っ飛ばされた。

 そうして、周りを巻き込みながら壁に激突する。


 ずるずると壁からずり落ちていく。

 そうして、へたりと床に腰を下ろしながら鼻からぽたぽたと血が流れているを見た。

 それを指で受け止めてから、俺はくつくつと笑う。


「そうか。これが、そうだったのか……く、くくく、あははははは!!!」

「お、おい。あの兄ちゃん嫁さんに殴られて笑ってるぞ。アレが噂に聞く“ヘンタイ”って奴か?」

「あぁ間違いねぇ。嫁さんに殺す気で殴られて喜んでいるなんて本物の“ヘンタイ”だ!!」

「あぁ!! 嫁さんに死を送られるようなパンチを」

「――おい」

「「ひぃぃ!!」」

「私は嫁じゃない……失せろ」

「「は、はいぃぃ!!」」


 アードルングは低い声で周りを威嚇する。

 周りのお客さんたちは机を持ち上げてそそくさと彼女から離れる。

 店主やウエイトレスさんは慣れているのか笑顔で接客していた。


 コツコツと足音を立てて彼女が前に立つ。

 静かに俺を見下ろしながら、彼女は眉を少し下げて困ったような顔をしていた。


「その……すまない……ちょっと、取り乱して……その……っ」


 彼女は何かを謝ろうとしていた。

 しかし、俺はそれを無視してガバリと立ち上がる。

 そうして、彼女を両手でしっかりと抱きしめた。


「――!?」

「アードルング! ありがとな!! やっと分かったぜ!! 魔力の纏う事の意味がよ!!」

「なななな何を言って!? い、いやそれよりもお前!?」

「ひゅーお熱いねぇ!! 旦那が行動で示してんだ!! 許してやんなよ!!

「そうだそうだ! 俺なんか三回浮気して川に放り投げられたけどよ。嫁さんとは今でも一緒だぜ! 許す事で前に進めるんだぜ!」

「そうだ! キスで解決だ! 熱いチューで全て水に流しな!! そーれ」

「「「ちゅー! ちゅー! ちゅー!」」」

「……!!?」


 アードルングが暴れる。

 彼女を離せば顔を真っ赤にして慌てていた。

 俺は周りを見ながら頭を掻いて笑う。


 俺とアードルングはそんな関係じゃない。

 だから、そういう事は出来ない。

 そう伝える前に、俺は困惑している彼女に声を掛けた。


「アードルング」

「な、何だ!? おま、まさか!?」

「……ごめんな。俺」

「――うあああぁぁぁぁ!!!!」

「へ、な――うごあぁぁぁ!!!?」


 彼女に謝ろうとすれば耳まで真っ赤になっていた。

 目がぐるぐるしていると思えるほどに混乱した彼女。

 次の瞬間には彼女は叫び声をあげて俺の頬に鋭い一撃を放って来ていた。


 恐ろしくゆっくり感じる時間の中で。

 己の顔が変形していくのを実感する。

 鋭い痛みがゆっくりと来るようで。

 俺はその間にも魔装を展開出来ている自分に喜んだ。


 俺に必要だったことそれは――“死への危機感”だった。


 吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。

 ずるずると落ちていきながら彼女を見れば、わき目もふらずに走り去っていった。

 俺はそんな彼女に対して小さく感謝を伝えた。


 ラピット・フライとの戦闘では命の危機を感じる事は出来なかった。

 それもその筈であり、あの場所には離れていてもアードルングがいた。

 彼女がそこにいて危なくなったら救ってくれるという事実が、俺に危機感を抱かせなかったんだ。

 攻撃は痛いし、体は疲れていくが……それでも死ぬことは絶対にないと。


 だが、先ほどのアードルングの一撃。

 アレは確実に俺自身の命が危険を感じるほどのものだった。

 一瞬にして短い人生の走馬灯を見て。

 何かの火が灯るように俺は己の魔力を本能のままに操作していた。


 死の危険を感じたからこそ、俺は魔力操作の神髄を得た。

 そう実感したからこそ、二発目もギリギリで耐えられた……が、重いな。


 意識を保っているのがやっとだ。

 一撃が重く、二撃も喰らえば一溜りもない。

 体の原型は保っていて歯も折れていないが。

 それでも十分すぎるほどのダメージで……あ、ダメだ。立てねぇ!


 足ががくがくであり、歩けそうにない。

 魔装をしてこれであるのばら、真面に喰らっていれば頭が吹き飛んでいたかもしれない。

 俺は我ならが何とも言えない才能の開花だと感じた。


「大丈夫ですか? 立てますか?」

「は、ははは……ごめん。無理」

「え? お客さん! お客さーん!!」


 がっくりと頭を下げる。

 意識が薄れていく中で、ウエイトレスさんの声が遠のいていく。

 俺は明日からはもっと実のある修行が出来そうだと感じながら。

 そのまま意識を闇の中へと――――…………

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