009:夢に感じる熱
「……ぅ、ぅぅ……ぁ、あ?」
意識が覚醒していく。
ゆっくりと目を開ければ知らない天井がそこに……前にもあったな。
「……起きたか」
「……あれ? アンタは……アードルングか?」
「そうだ……安心しろ。まだ一日しか経っていない……手柄だったな。お前のお陰であの厄介な魔物を討伐できた。これは組合からの報酬だ」
彼女はそう言いながらどさりと金の入っているであろう小袋を置く。
俺はそれをチラリと見てから貰っていいのかと尋ねた。
彼女は首を傾げながら何を言っているのかというような目で俺を見つめる。
「いや、俺は依頼を受けていなかったしさ……本当に貰っていいのか」
「貰って良いに決まっているだろう。お前が貰わなくて誰が貰えると言うんだ……私も感謝している。お前が来なければ、あの森から抜け出せなかっただろう……ありがとう」
「いやいや! 別に良いって!」
彼女は頭を下げた。
俺は思わず起き上がり頭を上げるように言う。
彼女は頭を上げながら「怪我は?」と聞いて――いてて!
体を見れば包帯が巻いてある。
どうやら、怪我は治療してくれていたようだ。
眠っていたのも一日くらいだろうか。
だとしたら、完治するまでにはもう少し掛かるかもしれない。
「骨に異常はないらしい。ただ、全身を強く打っていたからな。後三日は安静にしていろと治癒師に言われた」
「そ、そうかぁ……はぁ三日もかぁ」
「……気になっていたんだが……いや、悪い」
「……? 何だよ。気になってるってなんの事だ?」
俺は聞きたい事があれば聞いてくれと伝えた。
すると、彼女は恐る恐ると言った感じで尋ねて来た。
「その、言いたくないのならいいが……お前は何処かを目指しているのか。随分、急いでいるように見えたが」
「ん、あぁ……言ってなかったかな? 俺、実は天空庭園を目指してるんだよ」
「……聞いたことはある。伝説の天の島か……願いを叶える為か?」
「そうだ! 叶えたい夢がある……それと、師匠との約束もあるからな!」
「……そうか。師との約束か……お前には助けてもらった恩がある。宿屋の女主人からはお前の目指す場所は聞いている。私も途中まではお前の行くルートと同じなんだ……お前が良いのなら、護衛として同行したい」
「お! ありがてぇ! 一人の旅ってのは寂しいからなぁ。行こうぜ、一緒に!」
「……いや、途中までだが……まぁ、よろしく頼む」
彼女が差し出した手を握る。
固い握手を結んだ事によって確かな信頼関係が結ばれた気がした。
そうして、ハッとした様に宿屋の女主人という言葉に当たりをつけた。
「てことは、此処は癒しの宿か? 何か、似ているとは思ったけど……部屋が違うだけか」
「スイートに泊まっていたんだったな……だが、流石に三日も高い部屋は取れないからな。お前も旅をするなら金は節約したいだろう?」
「ま、まぁそうだけど……このくらいの狭さの方が俺としては落ち着くけどな」
あの時の高い部屋とは違って少々手狭だ。
ベッドが一つと壁に面した机と椅子。
窓が一つに、壁に埋め込まれたクローゼット。
落ち着くと言ったのは嘘じゃない。
俺はゆっくりとベッドに倒れてから息を吐く。
埃も舞っておらず清潔そのもので……そういえば、服も新しいな。
自分の体の匂いを嗅ぐ。
何となく清潔な匂いがした。
「体は洗っておいた……その、な?」
「……言わなくていい。憶えてるよ……ごめん」
最後の記憶では泥とクソが混じった中に突っ込んでいた。
此処の宿屋の人たちも嫌だっただろう。
俺は出ていく時は絶対に礼を言おうと考えた。
「「……」」
沈黙が場を支配する。
話す話題が無くなってしまったのもある。
しかし、それならそれで部屋から彼女が出て行けば良い話だ。
俺は何故、出て行かないのかと彼女をちらちらと見る。
何か言いたげであるが。
顔を伏せたまま口を固くつぐんでいた。
俺から聞く事はしないものの、このまま時間が過ぎていくのも……そうだ。
「あのさ」
「……何だ?」
「いや、俺って理由はあったけど。森に火を放っちまったじゃんか……アレ、何か言ってた?」
「いや、何も……あぁ、そもそも私からは話していない。焦げ跡があるだろうが、それは“他の冒険者”だろうとしかな」
「お、おいおい……死んだ奴の所為にしたのかよ?」
「別に問題ない。如何に権力者であろうとも、死者やその家族に咎は受けさせない……何だ。その目は」
俺は彼女の発言に面食らう。
彼女は不服そうに眼を細めて俺を睨んできた。
俺はそんな彼女の反応が面白くてくすりと笑った。
「いや、エルフってのは頭が固いって思ってたけど……案外、融通が利くんだと思ってな」
「……それは偏見だ。エルフは基本的にはどんな罰も許す……まぁ人の命を奪う事や不貞を働く事は許されんがな」
「そりゃ俺たちだって同じさ……ま、兎に角。ありがとな……これで貸し借りは無しって事だ。はぁ良かった良かった」
「お前がそういうのなら良いんだろう……では、私は隣の部屋で寝る。基本的に部屋にいるだろうが。いなかったら組合に来てくれ」
「おう。分かったぜ……それじゃ、お互いにお疲れさん」
「……あぁお疲れ」
彼女は椅子から立ち上がる。
そうして、踵を返して去っていく。
扉を開けて廊下に出て、ばたりと扉が閉じられた。
俺は静かに息を吐いてから、天井を見つめた。
……何はともあれ、俺は何とか生き残った。
最低ランクだろうが、危険種を討伐できたんだ。
この経験は確かな自信に繋がるだろう。
しかし、これで自分の力量を見誤ってはいけない。
アードルングは俺に助けられたと言ったが。
俺の方が助けられたと言ってもいい。
囮として魔物の注意を引いていたとはいえ、銀級の冒険者である彼女であるから森から脱出できた。
もしも、並みの冒険者であれば森から脱出する事すら出来なかっただろう。
それに助けを呼んでくるのが少しでも遅れていれば俺は死んでいた。
最後のトドメを刺す時だってアードルングの支援が無ければ……運が良かったんだ。
運が良かったから俺は生き残った。
アードルングという存在がいなければ、俺はあの森の中で一人死んでいただろう。
その事を肝に銘じながら、俺は静かに息を吐く。
……護衛か……本当は仲間として一緒に旅出来たら……いや、ダメだな。
相手の同意も無しに旅に連れて行く事は出来ない。
真の仲間と言うのは心で通じ合っているものだ。
妥協や無理矢理であれば、最後まで楽しく旅をするなんて出来ない。
苦しい事も辛い事も数多く経験する筈だ。
そんな旅でも楽しめるのであれば最高であり。
そうである為には、全員が同じ目的を持たなければならない。
「……いるのかねぇ。俺と同じように、天空庭園に行きたいって奴は……はぁ」
お伽噺の話だ。
師匠の時代とは違って、そこに想いを馳せる奴だってもう少ないだろう。
作り話であり、空想の中の舞台としてしか皆は思っていないのかもしれない。
そんな中で俺だけがそこは存在していると信じているのか。
だとすれば、かなりのロマンチストであり……いや、違うさ。
俺はロマンチストでも妄想癖でもない。
それを証明する為にも、俺は天空庭園に辿り着いて見せる。
火の無いところに煙は立たない。
最初にそこへ至った人間がいるからこそ、天空庭園は語り継がれてきたんだ。
例え何十年掛かろうとも俺は必ず……ふふ。
「……まぁ、でも何十年も掛けてたら……俺の夢は“価値が減っていく”がな」
出来る事なら早い方がいい。
よぼよぼになって夢を叶えても意味はない。
俺が若い時……まぁ健康体であるのなら十分かな?
それまでには絶対に天空庭園へと至って夢を叶える。
そうすれば、俺はこの長い人生の中で自らが生きた“証”を残せるからな。
夢だ。
キラキラと輝いていて色褪せる事の無い夢。
まだ俺の夢は多少は現実的であり。
少しだけ、そうほんの少しだけ“理想が高い”だけだ。
「もしも、本当に俺の夢が叶えば……ぐふ、ぐふふ、ふふふふ」
両手で口元を抑えて笑う。
俺がこうやって笑っていれば師匠が不気味なものを見るような目で俺を見ていた。
村の人間たちも気色悪がっていて、理由を聞かれた事もあったが。
俺は絶対に自らの夢については明かさなかった。
師匠には言った事があったが、あの野郎はゲラゲラと笑っていやがった。
『ぎゃははははは!! く、くだらねぇ!! そ、それでおま、天空庭園にって……ぶ、あはははは!!』
『わ、笑うなぁ!! 人の夢を笑うなんざ人じゃねぇ!!』
『い、いや、そうだな。お、俺が悪かったよ……ふ、ふぐ。だ、だめだ! あははははは!!!』
『く、クソ野郎がぁぁ!!!』
「……ふふ」
確か、その日の晩は何時も以上の大喧嘩をした。
三日三晩口も利かなかったが。
師匠は酒が飲めないからと俺に謝って来た。
許してやったが、それ以降は人に夢を語ることはしなくなった。
もしも、また笑われたりしたら悲しいし……まぁ俺自身もそれで行くのかってのはあるけどさぁ。
「……しょうがねぇだろ。夢がそれなんだから……たく」
勇者になる気も、世界で一番の金持ちになる気も無い。
そんなものになっても禄でもない結果を招く事になると知っているからだ。
悲惨な最期なんてまっぴらごめんであり、俺は最初から最期までハッピーでいたい。
だからこその夢であり、俺の夢だけは最高の結果しかねぇと確信している。
想像するだけで笑みが零れる。
夢を叶えた後が最高であり。
あんな事やこんな事、そんな事やすげぇ事も……鼻血が出そうだぜ。
俺は興奮を鎮めながら毛布に包まる。
疲れが溜まっていてまだまだ寝れそうではあるが。
夢の事を考えた日には興奮して碌に寝られない。
まるで子供であり、成人したってこういう所は変わらないんだ。
こういう時は、“一発絞り出す”必要がある。
「……うし」
俺はゆっくりとベッドから起きる。
体はまだ少し痛むが俺の腕は問題ない。
元気は有り余っており、俺は興奮を鎮める為にズボンに手を掛けた。
そうして、一気に下ろして――
「ハガード、旅のルートで聞いておきたい事が…………」
「…………すぅ…………何だ?」
アードルングがノックも無しに入って来た。
ズボンは下に落ちていた。
彼女の視線は俺の下半部に向けられていた。
その視線は冷たさを増していく。
俺は静かに息を吸い込んでから、ベッドに腰を下ろして平静を装う。
にこやかに笑いながら聞けば、彼女は無言で扉を閉じて去っていった。
俺は静かに天を仰ぎ見た。
「……ノック、してくれよ」
ほろりと瞳から涙が零れる。
何故に、最初の街で若い女性に二度もムスコを見られる目に遭うのか。
……これは罰か? それとも、幸福の代償か?
高級料理を食べて、美人なエルフが守ってくれるようになって。
たんまりと報酬を貰ってしまった俺への罰なのか。
だとしたら、神様は残酷だ。
男の尊厳を踏みにじる罰じゃなく。
もっと別の罰でも良かったのではないか。
静かに涙を流す。
そうして、先ほどまで感じていた熱が冷え切ったのが分かった。
俺はゆっくりとズボンをはき直してから扉の方に行く。
ガチャリとロックを掛けてから、ベッドへととぼとぼと戻り横になる。
毛布を顔まで上げて俺は目を閉じた。
……師匠、俺の旅はまだ始まったばかりだ……でも、ちょっとくじけそうだぜ。
枕が湿り気を帯びていくのを感じながら。
俺はあの世の師匠がゲラゲラと笑っている姿を幻視して少しだけムカついた。
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