008:彼にとっての偉業

 無数の音が響いている。

 地面に強い衝撃が加わった音。

 バキバキと大木が折れて倒れる音。

 金属に何かを勢いよく滑らせる音。

 そして、男の呼吸音と心臓の音もだ。


 俺は頬を伝う汗を乱暴に拭う。

 目の前でうねうねと蔦がうねっている。

 俺を仕留めようと隙を伺っていて、休む暇も与えてくれない。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……キリがねぇ、な!」


 迫る蔦。

 それを飛んで良け避ければ、地面が大きく抉れた。

 地面が揺れて飛び散った土の残骸を浴びながら、俺は腕で煙を払う。

 

 森の中での攻防は続く。

 蔦は既に何十本も切断していた。

 それらが地面に転がっているのが証拠だが。

 斬っても斬っても次から次へと蔦が生えてきていた。


 考えている合間にも、蔦は連続して襲ってくる。

 それらを飛んだり転がったりして避けていく。

 体中が泥や土に塗れていた。

 口の中も鉄錆の味がしていて、喉はカラカラに乾いている。

 アードルングと別れてからもう既に何時間も経過しているだろう。

 その間、足を止める事も無く駆けている。

 もしも止まればその瞬間に俺はの大きな蔦で叩き殺される。

 人が虫を叩き潰すように……あっさりとな。


「……クソ、隠れやがって……姿を、見せろ。卑怯者!」


 剣で蔦の攻撃を受け流す。

 刃を滑って勢いよく蔦が抜けていく。

 そうして、体を回転させながら距離を取る。

 

 本体は姿を見せない。

 当然だ。態々、核がある部分を露出させる馬鹿はいない。

 このままではジリ貧であり、何れは体力が尽きて殺されるだけだ。

 

 ……て言っても、もう俺の体力もほとんどねぇ。“魔術”が使えたのなら何が出来たが……ちくしょう。


 こんな事なら、魔術についても勉強しておくべきだった。

 いや、師匠は魔術なんてものは一切知らない。

 知っている奴が村にいたのならば、ちょっとした人気者になっていただろう。

 魔術を扱える奴は貴重であり、それ自体に価値がある。


 ……いや、後悔したって遅いし。無いものを強請ってもどうにもならねぇか!


 俺は蔦の攻撃を躱す。

 唯一、蔦の攻撃が単調である事が救いだ。

 もしも、もっと高度な攻撃を仕掛けられていたらと思うとゾッとする。


 叩きつけて払って突き刺して――いや、それでもか!


 バックステップで避ける。

 そして、背後から勢いよく迫る蔦の突きを横に転がって回避。

 すると、別の蔦が俺の体を跳ね飛ばそうとしてきた。

 俺は回避しようとしたが、不意に足から力が抜けた。


「……っ!」


 俺は咄嗟に剣で攻撃を受けた。

 ギリギリと重い衝撃が剣全体に伝わっていく。

 そうして、そのまま力任せの一振りによって体が宙を舞う。

 錐もみ回転しながら、大木に体を強く打ち付けた。


「かはぁ!?」


 血反吐を吐きながら、地面にずるりと落ちる。

 手に力を込めて立ち上がろうとした。

 瞬間、眼前に蔦が迫っていて――腕から力が抜ける。


 地面にへばりつくように倒れた。

 それが功を奏したのか蔦の攻撃は空を切る。

 打ち付けられた大木がべきべきと折れて倒れて来た。

 俺は転がるように横へと飛んで何とかそれから逃れた。


 呼吸は大きく乱れている。

 心臓はバクバクと鼓動していて汗で体はべしゃべしゃだ。

 凄く体が熱くて、さきほどの攻撃で体中が痛い。

 口元の血を拭い、血の味がする唾を吐き捨てる。

 蔦はうねうねと動きながら俺を探していた。


 大木が倒れた音によって一時的に混乱している。

 が、すぐに蔦が俺の方向を向いてきた。


 俺は剣を構えながら、チラリと天を見る。

 まだまだ明るさはあるが、既に正午が超えている筈だ。

 時間はそれなりに経過した筈で、街から森までの距離を考えるのならば。

 全力で走ってくれば、もう戻ってきても遅くはない筈だ。

 まだか、まだ来ないのか……もう限界が近いんだけどな。


 へらりと笑いながらも、大地を蹴って駆けた。

 迫り来る蔦の攻撃を上に飛び回避。

 そのまま蔦を足場にして走る。

 別の蔦が攻撃してきたのを更に飛んで回避し。

 そのまま剣を振りかぶって切断した。

 蔦の残骸が宙を舞う。それを視界の端で捉えながら、俺は更に蔦を駆けていく。


 蔦がうねり、俺は一気に飛ぶ。

 宙を舞ってから、地面に転がるように着地。

 そのまま走れば蔦が追いかけてきて。

 一瞬にして迫った蔦の攻撃を刃で受け流した。


 

 まだか、まだか、まだかまだかまだか――早くしてくれッ!!



 必死に駆けながら願う。

 肺が痛いほどであり、心臓だってずきりと痛む。

 体中が痛みを発していて、顔から大粒の汗が流れていく。

 眼球を常に動かしながら敵の攻撃を回避し――また、足から力が抜けた。


「しま――ッ!!」


 横から迫った蔦。

 それが俺の体に触れた。

 一瞬。ほんの一瞬力が戻り、咄嗟に地面を蹴っていた。


「――っ!?」

 

 めきめきと音を立てながら蔦が俺の体を一気に弾き飛ばす。

 俺はそのまま空中を回転しながら、草の中へと突っ込んで大きな岩に背中を打ち付けて止まった。

 がふりと血反吐を吐いた。

 

 危なかった。

 あの一瞬で少しでも衝撃を殺していなければ、確実に死んでいた。

 致命傷を負う事は避けられた。しかし、ダメージは相当なものになっている。

 意識が朦朧としていて、気を抜けばぶつりと意識が切れそうだった。


 二回も攻撃を受けた。

 一度目はガードが出来たが、二度目は衝撃を少しは殺せたとはいえ諸に受けた。

 骨が折れてなくとも罅は入っているかもしれない。

 体中が痛い筈なのに、意識が消えそうな事で痛みが薄い。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……ま、だぁ!」


 

 

 よろよろと立ち上がりながら剣を構える。

 

 蔦は既に俺が弱り切っていると理解しているのか。

 

 蔦を周囲に展開しながらじりじりと近づいてきていた。


 此処までなのか。これで俺はこいつらの養分に――瞬間、大地が大きく揺れる。

 

「――何だ?」

 

 体が倒れそうになった。

 しかし、何とか足を踏ん張って持ちこたえた。

 

 蔦たちがびくりと反応した。

 遠くを見れば、何かが爆ぜている。

 何かが森の中に打ち込まれていて、撃ち込まれたそれが爆ぜていた。

 それはどんどん数を増していき――耳を塞ぐ。


「きょ、強烈だなぁ!!」


 無数の男の絶叫だ。

 いや、女の声も混じっている。

 アレは魔術であり、撃ち込んでいたのは“音の弾”だ。


 聞いたことがある。

 魔術の中には声を保存し、後で聞く事が出来るようなものがあると。

 アレはその魔術を攻撃として応用したものなのか。


 人の声だけじゃない。

 金属音や破壊音など。

 ありとあらゆる音が響いていた。

 恐らくは、アードルングの説明を聞いてそこにいた魔術師が音をすぐにかき集めたんだろう。

 それを回収しを終えて急いで戻ってきて、魔術師がその弾を撃ち込んでいた。

 森全体が音の衝撃波によって激しく揺れていた。

 耳を抑えていなければ耳が壊れてしまうほどの音と振動で――森の中心部から何かが勢いよく出て来た。


「――――!!!!!」

「アレ、だ!」


 全体的に黒っぽい土気色をした太い何か。

 毛のようなものが生えたそれは真っ赤な核らしきものを中心で鼓動させている。

 体長は二十メーテラはありそうな巨体であり、体を激しく揺らして怒りを露にしていた。

 その体からは無数の蔦が伸びていた。

 アレがこの森の中に巣食うう人食いの魔物の正体だ。

 俺はそんな奴を見つめながら――駆けた。


 冒険者たちの雄叫びが聞こえる。

 あの魔物に向かって走っているのか。

 が、森の外から向かっていては間に合わない。

 俺だけが唯一奴から最も近い。


 音が消えていきその残響を聞きながら、俺は木を足で蹴り駆け上がる。

 そうして、木から木へと飛び移りながら。

 剣を斜め下で構えながら、全力で叫んだ。


「おおおおおおお!!!!!」


 魔物が体を揺らす。

 そうして、俺に気づいて近くの蔦で攻撃を――何かがそれを抉り削る。


 

 遥か彼方から放たれた矢。

 

 いや、ただの矢ではない。

 

 魔力が込められた魔術の矢であり――まさか!


 

 視線を向ける。

 すると、遥か遠くの木の上から弓を構える女がいた。

 豆粒ほどの大きさだが、それでも俺には見えていた。

 灰色のフード付きのローブを身に纏い。

 肩まで延ばした金髪を風で揺らしながら、静かに俺に視線を向けている。

 にやりと笑みを浮かべながら彼女は頷く――アードルングだ。


「ありがとよ!」


 俺は更に足に力を込めた。

 そうして、一気に跳躍し化け物へと飛び掛かる。


 魔物は最後の抵抗と言わんばかりに残りの蔦で攻撃を仕掛ける。

 俺は剣を動かして、奴の蔦を受け流し。

 逆にそれを足場として一気に奴の間合いに入る。

 もう邪魔な障害物は無い。

 目の前にはどくどくと鼓動する大きく真っ赤な核が見えていた。

 俺はそれに向かって剣を全力で振るう。


 がきりと音がして刃が核に食い込む。

 魔物は体を震わせながら絶叫する。

 俺はうるさいほどに鳴いている魔物を無視し更に腕に力を込めた。

 ギリギリと刃が揺れてゆっくりと進んでいく。

 

 

 魔物の悲鳴を聞きながら俺は――


 

「くたばれぇぇぇぇ!!!!!」

「――――!!!!!!」


 

 全力で振るい――刃が完全に抜ける。


 ぱっくりと開かれた核から勢いよく体液が噴出した。

 紫色のそれを全身に浴びて、俺は後ろに吹き飛ばされた。

 魔物は全身を震わせながらゆっくりと砂のように消えていく。

 俺は空中でその様を見つめながらにやりと笑う。


「はは、どんなもんだ」


 ゆっくりと体が下へと落下していく。

 このままでは地面に激突してしまうが。

 もう指一本たりとも動かせない。

 限界を超えて体を動かしていたからな。

 火事場の馬鹿力も尽きてしまったからこそ、後は運に身を任せる他ない。


 大丈夫だ。此処は森であり、ふかふかの草が嫌と言うほど生い茂っている。

 俺はゆっくりと祈りを捧げるように目を閉じた。

 体は加速し落下していって――べちゃりと何かに体を打ち付けた。


 ずぶずぶと体が沈んでいき、目を開けて下を確認した。

 すると、そこは溜まった泥の中だった。

 川の水と土が混ざり合って出来た泥であり。

 あの怪しげな魚もいなければ、魔物だっていない……いないがよぉ。


「くせぇ……はぁ」


 泥の中に明らかに“アレ”が混じっている。

 体が守られたが、尊厳はずたぼろだ。

 俺は静かに涙を流しながら、こんな幕引きは無いだろうと思った。

 格好良く魔物を倒したってのに、最後はクソの中だなんて……まぁいいさ。


 泥の中で横たわりながら。

 俺は静かに目を閉じる。

 耳を澄ませば人の声が聞こえてくる。

 落下した俺を探しに冒険者たちが走ってきている。

 その中には、アードルングもいるだろう。

 この格好を見られるのは恥ずかしいが、まぁ別にいい。


 俺らしいと言えば俺らしい終わりだ。

 始めて危険種に格付けされるような魔物を倒したんだ。

 どんな幕引きであろうと満足であり、俺の記憶の中にはこの事もしっかりと残った。


「後は、風呂に入れたら、最高なんだけどなぁ……あぁしんど」


 もう意識が消えそうだ。

 これ以上は考える事も話す事も出来ない。

 俺は流れるままに、意識を闇の中へと沈めていく。


 声が段々と大きくなっている。

 もう間もなく、冒険者の一団が此処に来るだろうが。

 俺は一足先に眠らせてもらう。

 もしも、起きた時にバカ高い治療費を請求されたら……その時は諦めよう。


 俺はそんな事を考えてくすりと笑う。

 そうして、意識を静かに沈めていった。


「――!」

「――!?」

「――?」


 声が聞こえるなぁ……あぁダメだ。もう寝るよ。


 体を揺すられているような気もするが。

 もう半分以上は闇の中だ。

 俺は助けに来てくれた彼らに後で礼を言おうと考えて――――…………

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