愛は全てを救う
「久方ぶりじゃ。
王城の寝室。ボックスベッドの側にかぐや姫が立っていた。かつて自分に求婚を申し込んてきた男を見下ろしながら。
「君こそ、どの面下げて私の前に現れたのか。ふん、さすがは帝さえも袖にした
そんな彼女に、
「姫よ。君は黒の長髪だったと記憶している。それに、髪を後ろに集めて結い上げていた気もするのだが、気のせいか?」
「間違ってはおらぬぞ。大昔のわらわはそうじゃった。じゃが、今は西の姫様の体を借りてここに来てるのでな。
「……? ともかく、私はお前を斬ることはせん。『
「なら安心じゃ。あれにはわらわの魂を不快に揺さぶる波動が発せられておるからのお」
「
「うむ、わらわはどういう訳か仏の力には勝てぬからの。あんなのがこの寝室の近くにあったら、わらわは瞬時にジョ、ジョ」
「成仏すると言いたいのか」
「そう、それじゃ。成仏してしまうのじゃよ」
「ふふ」
「何がおかしいのじゃ?」
「君の場合はお祓いではないかな、と思ってね」
「オハライ?」
「悪い霊を退治することさ。つまり――」
「なんじゃ? お主はわらわの魂が不浄だと申すか!」
「この
目の前の男に言い負かされたからか、かぐや姫は年齢相応の――ただし、桜子の肉体を借りている状態で――態度を彼にして見せた。
「おや、随分と昔に見た記憶があるな。蓬莱山に旅立つ数日前だったか。君の暮らす造麻呂さんの家に『垣間見』に行った時、君はおばあさんにお小言を言われて、何やら不機嫌そうに顔を膨らませていたね」
「……?」
「おぼえてないのか」
「まったく。わらわには、この国にいた頃の記憶がのうてな。父上がわらわに何かしたのじゃろうが……。詳しくは知らぬ!」
そう、かつて左大臣
『竹取物語』にあるように、父の手で天の羽衣を着させられた際に地上での記憶を抹消されていたのだ。
父が「穢れに満ちた地」と断じていた八島にいた頃の記憶を。
「ところで、いいかね。気になっていたことがある」
「なんじゃ」
「記憶がないのなら、どうして私の名を知っていた? 何もおぼえてないはずでは?」
「それには二つ、訳があってな」
かぐや姫は背中にある
「中心部が赤黒くなってるな」
「こりゃ、わらわが昇天する時に流した血じゃ。お主の父上、確か大帯帝じゃったか。そやつに射られて、わらわの体に風穴を開けられてもうたんじゃ」
「初耳だ。私はその頃には蓬莱山の玉の枝を探り当てて、それを船で都まで運ぶ道中だったはずだから」
「じゃ、知る由もなかろうて」
「それと君の記憶に何の関係が?」
「先ほどお主が言うとったじゃないか。霊というやつじゃよ。わらわが帝に射られた時に、天の羽衣の欠片が地上に落ちてしまっての」
「ふむ」
「それがわらわの最後の記憶――射られた瞬間にわらわが思っとったことが、どうやら霊として留め置かれたのよ」
「なるほど。霊は死者の魂。昇天した際に『かぐや姫は死んだ』。だから霊になった」
「多分。じゃが、そのおかげで大変なことになってしもうた。千古とかいう赤子に迷惑をかけてしもうたんじゃ」
「千古? 今、地下牢にいる
「うむ、その子は訳あって親に捨てられたんじゃが、そこが運悪く都の西の洞窟でのお」
「それで?」
「そこは赤子の捨て場でな。千古という女子以外にもたくさんの赤子が捨てられていたのじゃよ。それも
「悪霊がうようよしていそうな場所だな」
「そうじゃ、そのせいで千古は全身を悪霊に取り巻かれたようなのじゃ。さらに、じゃ。洞窟にはわらわが残していった羽衣の欠片もあってな。彼女はそれを掴んでしまったらしいのじゃよ」
「すると、どうなるのかね」
「わらわが昇天する間際に抱いた感情、つまり『帝を許さない』という気持ちと、赤子の骸達から放たれた『自らを捨てた親への憎悪』が交じり合って、千古に『都と帝への復讐』という呪いを植え付けてしまったのじゃ」
「……そうか」
「もっと言えばじゃな、千古は捨てられる前に父から『愛しのかぐや姫』と
先の二つに『わらわはかぐや姫』という自己暗示も加わって、ひたすら破滅衝動に突き動かされる女子になってしまったのじゃ。
千古が生後一年足らずで妙齢になれたのも、母衣の欠片を手にした際にわらわの急成長する力を吸収したみたいじゃよ」
かぐや姫は黙り込む。罪悪感を感じているらしい。無理もない。自分が地上に残した遺品のせいで、かつて自分が暮らした都が火の海になったのだから。
「そうか。それで、もう一つの理由は?」
「この依代じゃ」
「?」
「この体の本来の持ち主はイピゲネイア――今じゃ、桜子と呼ばれとる女子の記憶を、わらわが覗いて見たのじゃよ。そしたら、『竹取物語』という書物の記憶があってのお」
「何だね、それは」
「わらわが竹から生まれて、成人して、求婚されて、最後は昇天するまでが書かれた読み物じゃ。お主のことも書いてあったぞよ」
「どのように?」
「『偽の玉の枝を作って、作り話まで拵えたうえでかぐや姫を騙そうとするも、バレてしまって最後は消息不明』じゃったぞ」
「最後以外は出鱈目ではないか」
「まったくじゃ。お主が愛用しとるじゃろう兜飾りを見て、わらわにもそれがはっきりしたぞよ」
「ん? 勝手に武器庫に入ったのか」
「うむ、ここまでの道案内を頼んだ兵がポンコツでな。急いでるんじゃ! と言うたのにわらわ共々迷子にしおってからに」
その時のことを思いだしたのか、かぐや姫は手足をぶんぶんと振り回している。まるで、字が上手く書けなくて八つ当たりをしていた時のイピゲネイアに瓜二つだった。
「なるほど。よく分かったよ。君が地上にいた頃の記憶を取り戻せた理由はね」
「いや、まだじゃ」
「まだ?」
「まだ足りぬ」
「何が?」
「肝心なことが」
「すまないが、具体的に言ってくれないか」
天翔命に話すよう促されても、かぐや姫は中々語ろうとはしない。それを聞くのが恥ずかしかったのだ。
(大丈夫ですよ。かぐや姫様)
ふと、かぐや姫の脳内に届けられたのは依代である桜子の声。
(ほら、勇気を出してください。
聞いて見ないと、永遠に分かりませんよ。
相手が自分のことを本当はどう思っていたかが。
私の体を、ずっとあなたに貸す訳にもいきませんよ?
言わないんですか?
男の人を不思議な力で無力化できるのに、心は女の子なんですね。
じゃあ、仕方がありません。私があなたをどうにか追い出して聞いて……)
「やめんか! ああもう、聞けばいいんじゃろ、聞けば!」
依代である桜子とかぐや姫の会話は、天翔命には聞き取れない。よって、彼から見れば、目の前の女がいきなり見えない誰かと会話しているようにしか受け取れないわけで、
「突然、何を言い出すのだ?」
と彼が尋れても不思議ではなかった。
返事を待っている。言わなきゃ!
かぐや姫はゆっくりと口を開いた。
二五〇年ぶりの時を超えて再会した男に、彼女はこう尋ねてみた。
「お、お主と、もうこの
わらわは本当のことを、『竹取物語』に書かれたことじゃのうて、お主の口から、求婚者の生き残りのお主に聞きたいのじゃ!
わらわに対する気持ちを聞かせてくれ!
わ、わら、わを……。
わらわを心から愛しておったのか?
造麻呂じいさんの金が目当てじゃったのではないか?
わらわが生み出した砂金の出る竹が目当てだったのじゃないか?
そこんとこどうなんじゃ? はっきり答えるのじゃ!」
言い終えた直後の桜子、いや、かぐや姫の顔は赤く色づいていた。そこには月の姫としてではなく、ただの恋する乙女としての彼女の姿があった。
答えを待つ時間が、無限ののように感じられた。
「早く教えて!」と心の中で叫んでいた。
でも、そんな言葉を口には出せない。
急かした結果、得られた回答に意味なんてないのだから。
「私は」
天翔命が口を開いた。その顔は崩れ始めていた。もう限界だったのだ。
彼の体も、
これは、八島軍と交戦した『土蜘蛛』兵――元は三人の求婚者の従者で、彼らの旅に加わった人々――も同じだった。
いつか必ず、大帯帝の子孫に復讐してやる。
その時を我々は待ち続けた。
仏の加護が得られなくなる末法の世に至るまで。
我々は蛮族になった。
人の
だがそれ故に、仏力の結界は突破できない。
だから待ち続けた。二五〇年も。
しかし、そんな気持ちも彼らの心から徐々に薄れて行き、気が付けば人語を話せない者まで出てしまった。
詳しい原因は分からないし、究明のしようもない。
ただ、限界を迎えていたのだろうとは思う。
憎しみを糧に、復讐を生きる目的に生き続けることに。
人が負の感情だけを頼りに生き続けるなんて、もとより無理な話だったのだ。
「かぐや姫……」
三
「私は、いや、私を含めた三人はね……」
「なんじゃ? 早よ答えろ」
「君のことを愛していたよ。
いや、違う。今でも愛しているよ。
他の二人には聞くことができないから、私の口からは断言できない。
だけど、私は君を、君が昇天してから二五〇年が過ぎても愛している。
この気持ちはこれからも……黄泉の国でも決して……変わらない。
かぐや姫……。お別れだ……。最後にしてもらいたいことがある」
かぐや姫の顔は、涙でくしゃくしゃになっていた。
「なんじゃい……言ってみよ」
「口づけを……して……くれ」
天翔命の顔が、腕が、足が、粉のようになっていく。生気が失われていくのが、かぐや姫には分かった。
かぐや姫は悩んだ。
本当は愛した彼の願いを叶えてやりたい。
けれど、この体は借り物。自分の体ではない。
借り物の体で口づけをしてよいものか。
果たしてそれは、自分が口づけをしたと言えるのか。
(迷わないで)
桜子の言葉が、かぐや姫に再び届いた。
(いいのよ。口づけして。
あなたはこの人を心から愛してたんでしょう?
何も恥ずかしがることなんてないじゃない。
それに、本来のあなたは実態のない光なんでしょ?
だから、あなたにとっては最後の機会なのよ。
あなたが、人と唇を重ねる機会はもうないの。
私のことなんて気にしないで。
それよりも、この人とのお別れを最高の形にしてあげて)
かぐや姫は泣いた。桜子の心配りが嬉しかったから。
「じゃあの……。わらわが一番……愛した殿方……」
それは、かぐや姫にとっては人生初の、そして、二度と体験できない一大イベントだった。
もう、この感触は決して味わえない。
愛する男性の唇に自分の唇を強く押し当てることは、かぐや姫にはできない。
「私も……八島人に生まれれば……良かったのに。
そうすれば……愛した人と……死後も一緒になれたのにぃ……」
天翔命の最期は幸せだったに違いない。
命の灯火が消える瞬間に、最愛の人が側にいてくれたのだから。
かぐや姫は、もう一度地上に降りてきて良かったと思っているに違いない。
最愛の人の本当の気持ちを聞けたうえに、別れの挨拶ができたのだから。
相思相愛のカップルだということを証明できたのだから。
何はともあれ、八島は救われたのだ。
愛の力によって。
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