別れ際の告白

 時は少し遡る。


「早くいかりを降ろさねえと嵐にやらちまう。さっさと固定しろ!」


 体中に雨と風が叩きつけられる中、船頭が怒号を水夫かこに飛ばしていた。


「ほれ、いわんこっちゃねえ!」


 一艘の船が悲劇に見舞われた。船着き場への係留に手間取った末、まだ船上にいた乗組員諸共遠ざかっていくと、


「助けてくれえ!」


 悲鳴とともに大波に飲み込まれていった。それを目にした人々は自然の猛威に心から震えあがった。


「帰らせろ! 死にたかねえ!」

「妻んとこさ帰らせてけれ!」

「『土蜘蛛』なんざどうでもええ。帝様のおられる都だけが標的なんじゃろ? んじゃ、都から遠い田舎のうちらには関係ねえこったろが!」


 右大臣が恐れていた事態が発生した。死を恐れ、「故郷に引き返せ」と各船の船頭を脅し始めたのだ。中には舵取りから舵を奪い取り、強引に故郷に向かおうとする輩も出始める。


(早めに諍いを鎮めねば)


 対処の遅れは事態の悪化を招く。


 三十年も都で政務を執ってきた大友隆資は、早急に問題解決を図るために波止場へ向かう。


「イピ――桜子さん」

「言いたい事は分かっています」

「なら、今すぐみさき突端とったんに行って頂きたい」

「分かりました」


 隆資の指示に抗うことなく、桜子は彼の後についていく。


「おいおい、ありゃなんだ? 女子おなごけ?」

「めんこいの。帰化人かえ?」

「なんだあ、帰化人てのは?」

「知らねのか。あっし、宮居島の北の端に住んでんだけどよお。その近くに異国と取引するための港があんのよ。


 でさ、あっしも海さ出て釣った魚をそこで売りに行くんだげどさ。時たま、海から船でやってくんだわ。肌とか服とか目の色とかがあっしらとは違う人が。


 あっしの目に狂いはねえ。今、あっしらの目の前通ってったのはペルシアって国かもしくはその近くの国からきたお嬢さんに間違いねえ。


 あっしはな。何度か会って、困ってんのを助けてやったんだ。


 茶色の髪に青い目した、美しい女子おなごをさ」


 漁民の男の話に周囲の男達が興味を惹かれているうちに、桜子は港から南東に延びる岬へと辿り着いていた。


「では、桜子さん。こちちへ」


 隆資は、岬に立つ大灯台――塔高二十間三六mを誇る建造物の頂上に登るよう、桜子に促す。


「頂上には何があるのです?」

「天翔命の栄誉、そして、帝の覇権のために命を捧げた蛍姫の墓碑があります」

「そうですか。では、蛍姫に祈った後で身を投げればよいのですね。そうすれば、あなた方は船を進められると」

「ええ、打ち合わせた通りに」

「分かりました。では」

「いや、まだ行かないで」

「え?」

「聞きたいことがある」

「なんでしょうか」

「怖くないのですか。死ぬのが」


 隆資が口にしたのは当然の疑問だ。これから死なねばならない女が落ち着き払っているのだから、その訳を聞き出したいと思うのも無理はない。


「もちろん、出航した時は怖かったです。


 洋上を進んでいる時も、港が近づいてきた時も、怖かった。


 船から波止場に降り立つ時まで、ずっと怖かった。


 でも、波止場に降り立つ直前に、俊信様が言ってくれたんです。


今生こんじょうの別れになるから、これだけは伝えておきたい。


 私は死ぬのが怖い。


 君が船屋形で寝ていた時、智紀と語り合った。私と同じだった。帰れるなら帰りたい、とね。


 彼の返事を聞いて、私は安心していた。


 人である以上は死が怖いのは当たり前。何もおかしくはないし、別に恥じることもないんだ、と。


 いや、だからこそ、私は改めて罪悪感に襲われている。


 君を生贄にしなければ、私は、いや、我々は戦場いくさばに立てない。


 長らく帝に服属しないでいる敵に対して、太刀を振るうことさえもできない。


 そう思うと、我ながら情けなくて……。


 戦えないあなたを人身御供ひとみごくうとする仕打ちを、どうかお許しを。 


 責任は全て、右大臣殿に具申しなかった私にある』って」


 涙を拭って桜子は続ける。


「俊信様も、智紀様も、それに多分、他の殿方も同じ気持ちなんだろうなって分かったんです。


 ここに来る前に私を見ていた殿方も、やっぱりそうなんでしょうね。私には言っていることの全ては聞き取れなかったけど、表情や身振り手振りで何を仲間に伝えたいのかは察せました。


 そうですよね。みんな死ぬのが怖くて……当然で……」


 桜子は、いや、イピゲネイアに戻っていた彼女は、しゃくりあげて泣いていた。


「私は一度……死にかけたんです……。幸せな生活が送れるんだと思って……父の言う通りにしたら、そのまま……祭壇に捧げられて、包丁が首に……振り下ろされて……。


 なんでって思った……。ひどいよ、お父様って……。


 私、悪いことなんてして……ないのに、なんで死ななきゃいけないの?


 どうして冷たい目で……私を見つめているの?


 私が死んでも……胸が痛まないの? って、うぅ……」


 桜子の嗚咽おえつは止まらない。彼女は隆資の胸に顔をうずめ、しばらく声にならない恐怖を吐き出し続けた。夜に怖いものを目撃してしまった女児が、父に抱きついて安心感を得ようとするように。


「そうだったのですね。それはとても怖かったでしょう。


 桜子さん。私も父親だったのですが、少し前に実の娘に酷い仕打ちをしたことを悔やんでいます。


 千古という名の娘で、あなたも顔を会わせたかと思います」


 隆資は愛娘のことを打ち明けた。これから生贄となる女に包み隠さず。誕生時の喜び、娘に告げられた予言、洞窟への遺棄……。


「私も酷い父親。娘より託宣の方を優先させた。


 洞窟に向かうまでは『これは都のためなのだ』と、どうにか自分を納得させようとした。


 ですが、いざ洞窟の前まで来て、そこから光の届かない奥まで足を運ぶと……後悔の念が強くなっていったのを今でもよくおぼえています。


 最奥部さいおうぶまで辿り着いた時には、こう考えていた。


『娘の不吉なあざを取り除いてやれないか』と。


 そこはまさに地獄だった。娘と同じぐらいの大きさの赤子だったものがそこら中に捨てられて……。いや、これ以上は詳しく述べますまい。


 とにかく、私はその中に娘を置いて洞窟を出てきた。


。来世があれば、また私のもとに生まれてきておくれ』と言い残してね」


 隆資はこれ以上話さなかったが、彼の言いたいことを汲み取ることはできる。


 父が、愛する我が子の死を嘆かないなんてあり得ない。

 できることならば、自分の手で我が子を死なせるなんてことはしたくない。


 隆資は、桜子にそう伝えたかったのであろう。


「桜子さん。私も俊信殿と同じように、これからあなたに別れを告げる前に一つよろしいかな?」

「はい」

「あなたは『かぐや姫』ではありませんね」

「そうです。騙して申し訳ありません」

「いや、いい。少なくとも、私は最初にあなたと顔を会わせた時に気付いていたから」

「……え?」

「智紀君の父君智章ともあきら殿がまだ存命の時に、私は彼から『不思議な話が書かれた本』を紹介されてね。


 まだ二十代で若く、色々な本を読んで知識を付けておきたいと考えていた私は、彼からくだんの本を借りて読んだ。


 表題は『


 表題にあなたと同じ名前が記されていて、しかもその内容は『父の生贄にされそうになったあなたが女神の慈悲で異国に飛ばされる』というものだった。


 あなたのお話を聞いて確信しましたよ。あなたはその本に出てくる人だと」


 そして、隆資は最後にこう言って、桜子と別れるのだった。


「申し訳ありません。一度は助かったあなたに再び生贄となることを強要してしまって。恨むのならば私を恨んでください。俊信君に責任はありません。それと、あなたの正体は俊信君や智紀君には伏せておきますのでご安心を。


 二人とも、あなたの正体には気付いていないと思いますから」

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