千古への疑惑と迫る非常事態

「やはり海神素戔嗚スサノオ様は、私に味方しておるようだな」


 泡田津の王城から西に吹きすさぶ大嵐を望みつつ、『土蜘蛛』の王庫持不死男くらもちのふじおが微かな笑みを浮かべた。


「帳尻合わせでしょうな」


 王城の窓に佇む王の隣に立った千古が、謎めいた言葉を彼にぶつける。


「何が言いたい?」

「自然というものは、いえ、神々は気まぐれなのですじゃ。


 ちょっとしたことで腹を立て、決めたばかりのことをあっさり反故にする。


 素戔嗚スサノオは別に陛下に味方しとるわけではのうて、今は八島の動きを邪魔してやろうと望んでおるに過ぎぬ。


 この前は、陛下の船団が八島国を攻めるのを邪魔だてた。


 此度は裏腹に八島人の船団に嵐をぶつけなさった。


 わらわは月の姫。こちらの世界の神々の考えることは分からぬ。考えても答えは出ぬからの。


 じゃがな、『土蜘蛛』の王よ。万事がお主の意に沿って進むなどとは考えぬ事じゃな。素戔嗚スサノオの機嫌を損ねるやもしれぬゆえ」


 千古の言った事よりもその態度が癪にさわったのか、不死男ふじおは彼女をわざと苛立たせるように答えてみせた。


『かぐや姫』が言うことは、私には分かりかねますな」

「!? な、何を」

「動揺しているのか?」

「お主がわらわを侮辱したからじゃ。謝れ!」

「ところで、あなたは『月に昇天する直前に全ての記憶を失った』そうですな」


 千古の要求を聞き流し、不死男ふじおは質問する。彼女が「かぐや姫」ではない証拠を突き付けるために。


「そ、そうじゃ」

「では、あなたはどうして『自分がかぐや姫だ』と言い切れるのです?」

「そ、それはからで――」

「ほお? それはあり得ないことですな」

「な、なぜじゃ? 確かにわらわの記憶には父が『我が愛しの娘、かぐや姫よ』という言葉が残っておる。だからわらわはかぐや姫じゃ! 嘘じゃない!」

「じゃあ、答えてくれよ。俺が愛した千古さんよ」


 玉座の間で行われる二人の口論を列柱の影で聞いていた男が、千古にその詳細を問い正そうと姿を見せる。彼は紅群濃縅くれないむらごおどしという紅白の入り混じる色彩が鮮やかな大鎧を身に帯び、その佇まいは武者むしゃのそれだ。


「香様!? まさか盗み聞きを?」

「んなこたぁいいから答えろ。お前の親父の名はなんだ?」

「そ、それは、讃岐造麻呂さぬきのみやつこまろ様じゃ。あの方が赤子のわらわにそう名付け――」

「なるほど。じゃ、この王様の言った通りだぜ。あんたは『かぐや姫』じゃねえ。絶対にな」

「なぜそう言い切れるのじゃ!」

「そもそも、赤子の時の記憶がどうして残ってんだ?」

「……それこそ、わらわが現世うつしよの人ではのうて、月の姫だからじゃ。人のことわりでわらわを推し量るでないわ!」

「じゃ、それはそれとしてさ。でも、あんたは絶対に『かぐや姫』じゃねえって証拠があるぜ」

「な、なんじゃと!?」

「俺様もよ。クソうざい親父から色々と本を読むよう強要されてさ。その中に『竹取物語』も含まれたのよ。


 でさ、俺様は読書が嫌いでね。『竹取物語』も冒頭の十ページを読んだだけで投げちまったんだよ。


 その読んだ中に、こんな一文があったんだよ。


『この子いと大きに成りぬれば、名を三室戸斎部みむろといんべの秋田を呼びてつけさす。秋田、なよ竹のかぐや姫と付けつ』


(訳:竹から生まれた女の子が一人前の娘に成長したので、讃岐造麻呂さぬきみやつこまろ三室戸斎部みむろといんべの秋田に頼んで、名付け親になってもらった。秋田は女の子を「なよ竹のかぐや姫」と名付けた)


ってな。だから、あんたの名付け親は秋田って男で、しかも名付けたのは一人前になった時、つまり成人を祝った時だぜ。


 おい、あんた、本当は何者だ? 俺を騙して、ここまで連れて来た訳はなんだ?


 早く答えねえと容赦しねえぜ?」


 香はわずかに眉を吊り上げると、腰の太刀を抜こうとする構えを見せた。返答によっては斬りかかるぞ、と言わんばかりの姿勢だ。


「ち、違う。わらわは本当にかぐや姫と名付けられたのじゃ……。


 本当じゃよ。信じてくれ。頼む……。


 わらわの父は、まだ乳飲み子のわらわに声をかけてくださったのじゃ。嘘偽りは言ってはおらぬ!


 嘘じゃないんじゃ。信じてくれ。香殿。お主を矢の雨から守ってやったではないか。その恩を忘れたのか……」


 これまで見せたことのない千古の弱弱しい姿に、一度は彼女に制裁を加えてやろうと息巻いていた香はだが、その考えを改めようとしていた。


 一目惚れしちまったのは事実だし。見捨てるっつうのもなんか違う。

 もう、ここまで来ちまったら、この女を見捨てることは俺には……。

 それになんだか訳アリくせえし、さっきの態度も嘘っぽく見えねえ。

 あと、なんだか弱弱しいこいつを見捨てるのも気が引けちまう。

 どうする、俺? 許してやってもいいんじゃ――。


「ん?」


 香が熟考している最中さなか、ふと不死男ふじおが何かに気付いたらしい。彼は玉座の間を抜け、そのまま西に面する窓から眼下に映る光景を隈なく観察する。


「風向きが変わった」


 東風こちは一転して、西風になっていた。


「それだけではない」


 嵐も止んでいた。雲は吹き散らされ、雷鳴は聞こえなくなり、晴れた蒼穹そうきゅうに太陽が顔を出していた。


 半刻一時間前、不死男ふじおが西の浜辺――そこは、多数の軍船が上陸するのに最適な長さだった――の守備隊に嵐を避けて城内に戻るよう指示した際、この荒天がもうしばらく続くと予測していた。巫女に占わせた結果もそれを裏付けるものだったから、「嵐が続く限りは浜辺の警備任務を解く」と守備隊の隊長に通達してしまっていた。


 その決断が、『土蜘蛛』王国に予期せぬ襲撃をもたらすこととなる。


「鐘を鳴らせ! 城内に留め置かれた守備隊を急いで持ち場に戻すよう通達するのだ!」


 不死男ふじおが、王城で働く男達に向けて手あたり次第に下知する。それを見た香は、彼が眺めている光景が何なのか知りたいと思って窓から身を乗り出した。


「やべえぜ、こりゃ」


 水平線の向こう側から何かが近づいてくるのが見えた。それは徐々に大きくなっていき、やがてこちらに向かってくる物体が何かを鮮明にした。

 

 くじらにしては大きすぎるし、あまりにも遅すぎる。

 それに、近づいてくる物体は背中に「何か」を大量に乗せている。

 陽光を反射して輝くうろこを身に帯びた「何か」を……。


「敵襲!」


 市壁内の市街地が慌ただしくなっていく。男たちが武器を取り、鎧を急いで装着する様が、丘の上にある王城にいる香の眼に映る。


 大戦がすぐそこまで迫ってきていた。

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