月の女神が乙女に語る。転移の真相とその使命を その二

「どうした? 余はオリュンポス十二神の一柱。人を他所よその世界に飛ばすくらい造作もないこと。それこそ呼吸をするのと変わらぬ。何を怒っておるのだ?」


 イピゲネイアは呆然としていた。


 私が八島に送られたのはアルテミス様の御業みわざだったんだ。

 でも、どうして八島?

 それに、アルテミス様は八島の住民を蛮族バルバロイと蔑んでいる。

 いくらなんでもその言い方は……。


 古代ギリシア人は自分たちと異なる民族のことを蛮族、彼らの言葉で『バルバロイ』と呼称していた。


 私達は文明的な生活を謳歌している。

 だが、周りの民族は違う。

 彼らは野獣のように日々を暮らしている。

 だから我々よりも劣っているし、我々に支配されても当然だ。


 これが古代ギリシア人の有する『バルバロイ』への共通認識。

 神々にも共有された色眼鏡だった。


「アルテミス様。一言よろしいでしょうか」

「よいぞ」

「なぜ、私を八島に送ったのでしょうか?」

「頼まれたから」

「誰に?」

「余に交信してきた『本物のかぐや姫』からさ」

 

 本物のかぐや姫? 

 い、いたんだ。本当に。


 智紀とものり様が熱心に『かぐや姫伝説』について語ってくれたけれど、あんな話は嘘だろうって思ってた。


 三ヶ月で一五歳にまで成長した。

 砂金がびっしり詰まった竹を生成する力があった。

 三人の貴公子に求婚されて、絶対に見つからないお宝を持ってくることを条件に結婚を承諾すると宣言してみせた。


 庫持皇子くらもちのみこには、八島からずっと東にある蓬莱山から『玉の枝』を持ってくるように告げた。

 石作皇子いしつくりのみこには、父が教えてくれたインドという国から『仏の鉢』を持ってくるように言い渡した。

 阿部御主人あべのみうしという名の右大臣には、西国にあるとされた『火鼠ひねずみの皮衣』を探し出すよう求めた。


 かぐや姫を嫁にしたいと切に願った三人は、文字通り命懸けで指定さえた品を求めて八島から異界へと旅立った。


 えーと、それより先のことは忘れちゃったけど、「かぐや姫は誰のものにもならず、最後は月へと飛び立った」ってところだけはおぼえている。


 その場面を私に語る時の智紀様が、とても熱の入った感じだったから。


 いたんだ。かぐや姫って。

 アルテミス様のいうことなら間違いない。

 アルテミス様は月を統べる女神様。

 月の姫と交信できてもおかしくない。


 でも、なんだかアルテミス様はかぐや姫のことが好きじゃないみたい。


「まったく、ギリシアの若者どもは勝手なことをしてくれた」


 誰にいうとでもなく、アルテミスは呟いた。その顔には面倒事を起こしてくれた連中に対する蔑みの念が感じられる。


「どこぞの探検家どもがヘラクレスの柱ジブラルタル海峡を超えて、世界の果てまで見て回ろう! とか言い出してな。


 それがどういった風の吹きまわしか、気が付けば月の国に――したのさ。『彼らが辿』とお父様ゼウスに連絡が入ったそうだ。


 お父様ゼウスは脅されたみたいなの。


『お主らの治める領域の民が国土を穢した。償いをしろ。補償しないのならば地上の国々と全面戦争をする覚悟がある!』ってね」


 嘆息するアルテミスを、イピゲネイアは横目で見つめる。相当のストレスを感じているだろうことが窺えた。


 ちなみにだがオリュンポス十二神の力は絶大で、本気を出せば容易く世界を滅亡させる程の力を有している。


 そんな十二神の一柱であるアルテミスが月の国との全面戦争に怯えているということは、相手も想像を絶するような力を有していることを意味する。


 自惚れの強い処女女神が怯えを見せている。


 それの事実は、イピゲネイアを驚かせるには十分だった。


「アルテミス様。ですが、それと私がどういった関係が」

「大ありよ」

「はい?」

「交渉材料にされたの」

「私が?」

「まあ、そうなるね。かぐや姫からこんな申し出があったの。


『丁度良いタイミングで生贄にされる乙女がいるのだろう? なら、彼女を八島に転移させておくれ。そうしてもらえるなら、わらわはそちの領域から不法侵入を試みた不届き者を送り返そう。あと、できることなら転移させた乙女に伝えてほしい』」

「わ、私に何を?」


 イピゲネイアは思わず口を挟んでしまった。アルテミスの機嫌を損ねるだろうことに、彼女は思いめぐらすことができなくなっていたのだ。


 かぐや姫は私に何をお願いしたのだろう?

 それが分かれば、私の疑問はまた一つ消える。

 女神様、教えてください。私に課せられた使命を。


 そんなイピゲネイアの心中を察した女神アルテミスが遂に打ち明けた。かぐや姫が何を望み、何をイピゲネイアに託そうとしたのかを。


 それを語り終えると、アルテミスは最後にこう言って話を打ち切ろうとした。


「イピゲネイアよ。お主の責任は重大だ。


 お主に課せられた使命は重い。失敗は許されぬ。


 だが成功すれば、お主は元の世界に戻してやれよう。


 その代価はお主にとっては辛いものとなろうが、どうか堪えてほしい。


 余もお父様も、今お主がいる八島にとっては異質な存在なのだ。


 こちらの世界では、逆にお主こそが『蛮族ばんぞく』になるのだから。


 かつて、かぐや姫は二十年近く地上に降り立ったというが、それは月人つきびとだからできたこと。


 お主は人間。そんなに長くは八島にいられぬ。


 もって来年の八月の、満月が夜空に輝き渡る時期までと心得よ。

 

 それまでに先方から伝えられた要求を満たすのだ。よいな」


 アルテミスが咳払いをする。全てを話し終えた合図だった。


 やがて、イピゲネイアの足元に渦が生じた。それは空虚な空間を彼女もろとも飲み込んでいく。


「さらばだ」


 女神はもう用はないとばかりに、この異質な空間から退去する準備を始め出した。口笛を吹くと月を周回していたイヌワシが女神の足元に降り立ち、まるで羽毛のように持ち上げては飛び去ろうとする。


「アルテミス様。私は仰せられた使命を全うすると誓います。


 ですが、これだけは言わせてください。


 八島国に住まう人々は『蛮族バルバロイ』ではありません!


 きっと、アルテミス様は空から私を見張っておいでだったのでしょうが、それでは俊信様や智紀様のことを知ることなんてできません。


 先ほどの言葉は取り下げて、こう言って頂きたいのです。


 『八島はかぐや姫様が愛した第二の故郷で、決して取るに足らぬ地ではない』と」


 女神からの返答はないままに、イピゲネイアの意識は切れてしまうのだった。

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