関俊信、悪を斬る

 帝の牛車に詰め寄る男達の足駄あしだの音が、朱雀大路に集まった群衆を震え上がらせる。


「逃げろ!」


 その群衆をかき分け、帝や公卿の護衛という任務を放棄して逃亡を図ろうとする随身ずいしんたちが混乱を加速させる。


「お前たち、持ち場を離れるな! 帝をお守りせよ。左大臣の命であるぞ!」


 左大臣孝則たかのりの指示も空しく、公卿や帝の警備は弱まっていく。


「うわっ! 何をしてる、お主らまで!」


 そして遂に、牛車を導く牛飼いわらわまでが仕事よりも命を優先して逃げ出してしまう。


 黒の袈裟けさ裳付衣もつけころもを纏う僧兵五十名が、動力を失った牛車二台へと迫る。


「ひいっ、殺さないでくれ!!」


 牛車のすだれを上げ、そこから飛び降りると無様な姿を晒したのは大友孝則おおとものたかのり。両手で数珠を持ち、この期に及んでぶつぶつと念仏を唱えだしたのだ。今更になって仏の慈悲に縋るつもりだろうか。


「へっ、あっしら破戒僧はかいそうに念仏唱えたって無駄さ。それによ、左大臣様。今は末法の世だぜ? 誰にも仏法の加護はもたらされないってことぐらい分かってんだろ?」


 戒律を破っている生臭坊主の一人が左大臣に詰め寄り、手に持つ長刀なぎなたで彼を脅しつけようとした。


「離れろ! 僧を名乗る賊どもよ。帝と左大臣をやらせはせぬぞ!」


 威勢よく僧兵に迫る人影。


「右大臣様だ!」


 馬に乗る右大臣大友隆資おおとものたかすけが単騎で僧兵の群れに突っ込むのを、群衆が目撃する。


 刹那。僧兵の一人が背中から馬に蹴飛ばされる。肋骨の折れる音と同時に彼の命が吹き消された。仲間の死を見て動揺する僧兵らは、馬を旋回させてこちらに再度の攻撃を仕掛けようとする隆資を迎え撃とうとする。


「そこ!」


 そんな彼らの一人の眼球に矢が突き刺さる。呻きとともにまた一人が倒される。


「滝口の武士か!」


 前駆を務めていた帝の親衛隊十名が、列の最前列から馬に鞭打ち駆けてきて、そのうちの一人が放った矢が僧兵の一人を射抜いた。


 射抜いたのは関俊信。


 陽光に煌めくは金箔きんぱく張りの弓。


関俊頼せきとしより様の御子息だ!」

「都のり人の御子息が、帝と左大臣を守護するために現れたぞ!」


 群衆の視線が俊信に集中する。十年前の戦で討ち死にを遂げた武家の棟梁とうりょうの、ただ一人の遺児に。


(香! お前は何を考えている!)


 友の行動を怪しむべきだった、と俊信は悔やむ。


羅城門らじょうもんの向こう側で怪しい動きをする輩を見つけた。俺の親父が『数日前にその辺りで僧兵らしき者が数人、密林でこそこそと話し合ってた』って教えてくれたんだ。


 まさか、行幸中の帝を襲撃するつもりと思いたくはねえが……。


 先払いとして、確認しないわけにゃいかねえよな」


 疑ってかかるべきだった。

 先ごろの「垣間見」の時だってそうだ。


「あ、そのことかい? ほれ、西から物の怪の気配を感じてさ。ごめんごめん。お前に声掛けたかったんだが、ほら、夢中そうだったからさ。あの人に」


 あいつは動揺を隠せないでいたではないか!

 あの時、問い詰めておけば……。

 後で「香がこっそりと白拍子と密かに会っていた」と人づてに聞いた時、なぜすぐに疑問を持たなかった?

 世間では遊女とされる白拍子に現を抜かしているあいつを、どうしてすぐに正道に戻そうと私は動けなかったのだ!


(香、お前をいけ好かないとは思ってた。


 だが、今まで一度たりとも帝の警護をおざなりにしたことはなかったではないか。


 それがどうして、今回に限って職務を放棄して姿をくらましたのだ!)


 香への不審を胸に抱きながら、俊信は腰の太刀を抜き、僧兵の群れへと吶喊とっかんする。群衆、帝、左大臣に「穢れ」を浴びせることなく敵を屠る宝刀『稲薙剣いななぎのつるぎ』を右手に握りながら。


 刀身には稲の彫刻。

 焔のような白波模様の刃文はもん

 黒漆をかけられた鮫皮さめがわが貼られたつか

 そして、黒漆に金粉で「竹」が描かれているさや


 世界に一本しか存在しない、それも代々朝廷に武家貴族として仕えてきた関家のみが扱える太刀。


 それが今、僧兵相手に武威を示す時がきた。


「ぎゃあっ!」


 一人目。向かってくる相手に、首への刺突。


「あがっ」


 二人目。足払いの後、倒れた相手の胸を突く。


「ぐふぉっ」


 三人目。二人目が倒されたのを見て相手が繰り出された長刀なぎなたを風の動きで察知し、それを上半身を傾けるという最小限の動作で回避。慌てて向き直る相手を頭頂部から一刀両断する。


 その後も俊信は躊躇ちゅうちょなく、帝に仇なす僧兵を斬って捨てた。その数二〇人。


 彼が太刀を抜いて僅か一分の出来事だった。


 「化け物か。こ、こいつ!」


 僧兵達が長刀なぎなたを落としていく。眼前に佇む俊信から戦いの神である毘沙門天びしゃもんてんの武威を感じ取ったのだ。


 「一滴の血も流さずに僧兵をほふるとは……」


 それを近くで見ていた隆資たかすけも、俊信と彼が持つ『稲薙剣いななぎのつるぎ』の力を見てあっけにとられていた。


 地面に転がる二十人の遺体からは出血の跡は見られない。中には真っ二つにされた亡骸もあったというのにだ。


 そのどれもが、出血面が焼灼しょうしゃくされたかのようになっている。


 そう、これこそが『稲薙剣いななぎのつるぎ』が有する力。

 都を、八島国を大いなる「穢れ」から守るため、特別に鍛えられた玉鋼たまはがねを用いた武具。

 斬られた者は血一つ流すことなく絶命する。


 かつて地上に降り立った一人の女が、八島を「穢れに満ちている場所」と呼び、それを浴びたくはないと語ったことから生まれた逸品とも言われるが、詳細は不明だ。


「失せろ」


 俊信が据わった眼つきのまま、残りの僧兵に迫っていく。


「「「うあーーーっ!!」」」


 戦意を喪失した僧兵達が我先にと逃げ出していく。


「よかった」


 全力を出し切った俊信がその場に膝をつく。『稲薙剣』を杖替わりにして。どうにか生きているといった様子だ。


「俊信殿。見事であったぞ。お主の働きがなければ、お上の命は……おい、大丈夫か?」


 功績を褒める右大臣隆資たかすけの言葉に、俊信は返事ができない。肩で息をしていることから、彼の消耗は相当なものであることが窺われる。


(くそっ。父はこの太刀で一日に『土蜘蛛』百人を切り捨てたというのに……。私はまだまだ父には及ばないのか)


 鉛のように重たくなった体で、俊信は己の弱さを恥じた。


 これでは都を守ってきた関家の責務を果たせない。

 もっと強くならなければ。

 都を、八島を、民を守るために。

 そして、大切な人を守るために。

 茶色の髪に紫の薄衣姿で初対面した、あの女性のために。


「いやっ、やめてーー!」


 俊信が顔を上げ、声がした方に目をやる。


 聞き馴染みのある声。

 それは前に自分が手に持った太刀を見た時に出した悲鳴。


(まさか、先ほどの僧兵があの人の邸宅に!? 助けに行かね……ば)


 俊信はその場に倒れてしまうのだった。

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